魅了ハーレムクソ勇者に目を付けられたけどTS転生した元男の自分には効かなかったので張り倒して逃げました 作:pantra
一時間ほどの問答を終え、樹精トルデリーゼの巣から出てくると、入っていった時と変わらずブリュンヒルデとザスキア師が待ってくれていた。
「律儀に待たずともよかったのに」
「そういうわけにはいかないでしょ。で、どうだった?」
ふむ、とわたしは言葉を探した。
「妹と呼ばれた」
「は? わたしがお姉ちゃんだけど?」
低い声で威圧感を出してくる義姉へ呆れの視線を向ける。
何を言っているんだ、こいつは。
「で、知りたかったことは知れたのかねぇ」
眼球の上から垂れ下がるしわくちゃのまぶたを目いっぱいひん剥き、ザスキア師がわたしに問いかけた。
「そうね、おばあちゃま。いくつかの疑問が明らかになったけれど、またいくつかの新しい疑問が生まれてしまったわ」
「ひぇっへっへ。人生とはかくの如しだねぇ」
ザスキア師はわたしの答えに一定の理解を示したが、ブリュンヒルデは不満のようだった。
「何よそれ。大体あんたの質問っていうのは何だったのよ」
「帰ったら説明してやる。とりあえずはっきりしたのは勇者イェレミアスは殺さねばならんということだな」
「それ、最初から分かってたことじゃない?」
何を今さら、という表情をしたブリュンヒルデを促し階段を下り始める。
「しかしアレを殺すのは難儀するよ。たとえエレオノーラちゃんであってもね」
ザスキア師の言葉にわたしも頷く。
ザムエルが召喚したギガースのアンデッドをいとも容易く屠ってみせた剣閃。
さらには国境の戦いで魔族の将軍アスビョルンも一騎打ちで討ち取っている。
赤髪の荒々しい将軍剣士は『紅獅子』とも称され、正真正銘魔族の英傑であった。
彼と一騎打ちで勝利できる者はこの帝国に果たして何人いるだろうか。
魅了スキルにばかり注意が行きがちだが、単純な戦闘能力でもイェレミアスは卓越したものがある。
自惚れるつもりはないが、わたし自身騎士としての実力は上澄みに位置すると言っていい。。
帝国最強などとは間違っても言えないが、そこらの相手に後れを取ることはない。
だが、ギガースを一刀両断したあの剣閃を繰り出すイェレミアスには勝てるイメージが湧かない。
あの威力、あの鋭さ。
光。そう、光だ。
奴の剣、おそらくはスキルを発動させたのであろう剣閃には何か人智を超えたものを感じずにはいられなかった。
いかにしてあの剣を凌ぐか。
攻略法を探り出すのが騎士としてのわたしの仕事になるだろう。
その上で殺す役目は別にわたしでなくともよい。
ヴォルフ団長でもアルフォンス伯父でも、当代の剣聖ヴェンツェルでも構わん。
樹精トルデリーゼは……おそらく前線には出て来るまい。
今日対話して分かったが、あれは観測者だ。
立ち位置としても心情としても、人間より神や精霊の側に近しい。
そんな存在を何ゆえ代々の皇室が地位を与えて厚遇しているのかは分からんが……。
仮にヒューベンタールが滅ぶことになればまた別の国家へ巣を移すか、あるいは同族の元へ帰るだけだろう。
決意を固めながら階段を下っていると、隣に並んだブリュンヒルデが不意にわたしの手を握ってきた。
視線だけ向けると、妙に神妙な顔をしたブリュンヒルデがこちらを見ていた。
「よそ見すると足を踏み外すぞ」
「茶化さないで」
ブリュンヒルデの声には切迫したものがあった。
お見通しというわけだ。
これだからわたしの愛する義姉妹は侮れない。
「心配するな。死ぬつもりがあるわけじゃないさ」
「でも命をかけるつもりではいる」
「陛下より扶持をもらっているんだ。命をかけるのは仕事の内だろ」
「近衛騎士をやめて領地へ帰る選択肢だってあるのよ」
「そして結婚して初夜の床で愛してもない夫に犯されるのか。ごめんだな」
わたしにだって性欲はあるが、男に突っ込まれたくはない。
というかセックスの話はどうでもいいんだよ。
かつて日本人であったわたしがこの世界に転生したことに意味も理由もないが、だからこそどう生きるかはわたし自身が決めたい。
「フェルンバッハ領に引きこもっても今帝国を覆い尽くそうとしている嵐からは逃れることなどできんし、そもそも隠れて怯えているのは性に合わん」
「……まあ、あんたはそういう奴よね、昔から」
わたしの言葉にブリュンヒルデは諦めたように同意した。
本質的に臆病なブリュンヒルデからすればわたしは気が狂っているように思えるかもしれない。幼い頃からの腐れ縁とはいえ、彼女にとってわたしに付き合わせるのが酷なのは否定できない。
「なあブリュンヒルデ。別に無理して――」
「それ以上口にしたら引っぱたくわよ」
ブリュンヒルデが本気だということは分かっていたので、わたしはそれ以上言葉を続けるのをやめた。
しばらく無言で階段を下りる。
というか何て手が冷たい女なんだ、ブリュンヒルデは。
繋いだ手に力を入れつつ、手の冷たさと心の温かさに関する相関関係について思いを巡らせていた。
塔の中層あたりまで降りて来た時のことだった。
嫌な気配を感じたのはわたしとブリュンヒルデ、そしてここまで付き合ってくれていたザスキア師の三人ともほぼ同時のことであった。
「エレオノーラ」
「分かっている」
前方から男が歩いてくる。
これ見よがしに白銀に輝く魔法鎧を身に纏った、この魔導士の塔には場違いな騎士の男。
彼我の距離が縮まり、相手の顔が視認できるようになる。
勇者イェレミアスは相変わらず自信に満ち溢れた表情で付き従う騎士や魔導士たちと談笑しながら歩いていた。
互いに剣を抜けば切っ先が届く。
そこまで近づいて初めてイェレミアスはこちらへ視線を向けてきた。
「これはこれは。騎士エレオノーラ殿」
騎士という部分に厭味ったらしくアクセントを置いて、胸元に手のひらを添えたイェレミアスは慇懃に目礼してみせた。
「先日のお怪我はもうよろしいのか?」
「ええ、おかげさまで。お気遣い痛み入る」
本来であれば今この場で飛び掛かって首を斬り落としてやりたいが、そういうわけにも行かない。
込み上げてくる怒りと殺意を懸命に抑え込みながら、努めて社交辞令を口にする。
「かなりの深手とお見受けしたが、よほど良い治療師がお身内におられるようだ」
「なに、聖女フロレンツィア殿とは比べるまでもない」
イェレミアスの背後に慎ましく控えるフロレンツィアに視線を向けてわたしは応じた。
教会もしくは派閥からの命令か、この日はイェレミアスに付き従っているようだ。
「ところで本日は何用で皇室魔導院に?」
問いかけながらフロレンツィア以外の取り巻きに視線を向ける。
いつだか顔を見た女騎士が一名。見たことがない男騎士が一名。案内役と思しき魔導士が一名。そして、明らかに只者ではないと分かる高位魔導士が一名。
「いつものスカウトさ。魔族と戦う戦力はいくらあってもいい」
何でもないかのようなイェレミアスの返答にわたしは内心眉をひそめた。
帝国騎士団だけでなく皇室魔導院からも引き抜きを許しているだと?
皇帝陛下は一体何をお考えなのだ。
ちらりとザスキア師を振り返ると、彼女も苦々しそうな表情を浮かべていた。
わたしの視線に目ざとく気付いたのか、あるいは最初から分かっていたのか知らんが、イェレミアスがザスキア師へ声をかけてきた。
「そちらへいらっしゃるのは高名な七賢者ザスキア・ルーゲ殿ではないだろうか」
「……確かにそれはわたしのことだねぇ」
「おお、ここで会えるとは僥倖。どうだろうか、ザスキア殿も聖騎士団に入って魔族との聖戦を共に戦ってはくれないだろうか」
断られるとは微塵も思ってもないかのような自信あふれる表情でイェレミアスが一歩踏み出す。
わたしはすかさずザスキア師を庇うように立ち塞がった。
ザスキア師がイェレミアスの甘言に惑わされる人物ではないことは分かっているが、奴の魅了スキルの強力さを侮るわけには行かない。
「イェレミアス殿。さすがに不躾ではないだろうか」
「不躾? 何故だ? 今の世で魔族との聖戦以上に重大なことがあるとでも?」
真実そのように信じているのか、奴の瞳を覗き込んでもわたしには狂気以外のものは見出せなかった。
「たとえそうだとしてもザスキア師は皇帝陛下御自ら任じられた七賢者。いかな勇者だとて自由にしてよいものではあるまい」
十中八九言葉を媒介に発動している魅了スキルの前では立ち塞がったところで意味はなかろうが、それでもわたしは魅了の影響を受けたザスキア師が余計なことを言い出す前にこの話を終わらせようとまくし立てた。
そんなわたしの内心を見透かして嘲笑ったのか、イェレミアスの目が細まる。
「ほう?」
一触即発の空気を断ち切ったのはそれまで沈黙していたザスキア師の言葉だった。
「やれやれ、剣呑だねぇ。エレオノーラちゃんもそう熱くなるもんじゃないよ」
外見ではしわくちゃの老婆でしかないザスキア師は、わたしの背後から前に進み出て自らイェレミアスに対峙すると、威厳に満ちた声で宣言した。
「わたしは聖騎士団に加わる気はないよ。ヴァイゼ王国やその先のストローレ王国までの行軍に耐えられるほどの体力はもうないしね」
ザスキア師とイェレミアスの視線が交錯し、ややあってからイェレミアスが力を抜くようにふっと笑った。
「なるほど。まあそれでも構わん。耄碌した賢者よりも有用な若い魔導士はまだ他にいくらでもいる」
誘いを断られるや否や相手を愚弄し始めるイェレミアスだったが、当のザスキア師は何も言い返さず話は終わりとばかりに後ろへ下がった。
正直なところ、わたしもこれ以上感情を抑制していることが難しい。
さっさとこの場から離れるべきだろう。
「ではイェレミアス殿。我々は失礼する」
軽く目礼すると、初めて対面した勇者に臆した様子のブリュンヒルデの手を引いて足早にその場を立ち去ろうとした。
すれ違うわたしとイェレミアス。
かすかに奴の口元が歪んだような気がして注意を向けたのが奏功した。
すれ違いざまに抜剣したイェレミアスがブリュンヒルデへ斬りつけようとしてきた。
とっさにブリュンヒルデの腕を引っ張って背後に庇うと同時に、こちらも剣を抜いて相手の攻撃を受け止めた。といってもわたしの剣は完全には鞘から抜けておらず、本当に間一髪だった。
「貴様、何のつもりだ!」
一瞬で張り詰めた空気に変わったその場にわたしの怒号が響き渡った。
ザスキア師が杖の照準をイェレミアスへ向け、それに対抗してイェレミアス側の高位魔導士がザスキア師へ魔法の狙いを定める。
さらにはわたしの背後へ回り込んで剣を抜く二人の取り巻き騎士。
ブリュンヒルデはショックを受けているのかその場に膝を突いたまま動かず、フロレンツィアは心底驚愕しているように見える。
「おっと、これは失礼」
そんな空気の中、イェレミアスは場違いなほど穏やかな声で釈明した。
「仕事柄、魔族のにおいには敏感でね。つい反射的に剣を抜いてしまった」
ゆっくりと剣を引きながら、奴はブリュンヒルデへおぞましい眼差しを向けた。
「怖がらせてしまって申し訳なかったな。謝罪がしたいので名を教えてもらえるだろうか、赤髪のご婦人」
「彼女へ話しかけるな」
左手で鞘から完全に抜き放った剣先をイェレミアスへ向けて宣告する。
イェレミアスはゆっくりと眼球を動かしてブリュンヒルデの赤髪からわたしの剣へ焦点を合わせると、くちびるの端を吊り上げた。
「ふっ。それが音に聞こえた竜牙のつるぎか。大した業物だ。わたしの剣を受け止めて刃こぼれ一つないとは」
「そんな御大層な名の剣など知らんな。それより謝罪するかこの場で我が剣の錆になるか、選べ」
「剣の錆? ……面白いことを言うじゃないか」
イェレミアスの挑発にわたしの剣が闘気を帯びると同時に魔法発動しようとしたザスキア師の体をイェレミアス側の高位魔導士の魔法が吹き飛ばし、さらにその魔導士へブリュンヒルデの炎魔法が叩きつけられた。
「そこまでだ!!」
気が付くとわたしたちは大勢の魔導士たちによって完全に包囲されていた。
ザスキア師以外の七賢者も何名かいるらしく、わたしたちもイェレミアスたちもまとめて塵に変えるのに充分過ぎる魔力が練り上げられているのが肌で感じられる。
……いや、イェレミアスだけはあの魔法鎧の力で生き延びるかもしれんな。
「勇者イェレミアス殿。皇室魔導院への立ち入りは許可しましたが、このような乱痴気騒ぎを許した覚えはありませんぞ。……エレオノーラ殿、あなたもです」
七賢者の一人、ブルクハルト師が苦言を呈する。
おそらくだが、すでに魔法発動の準備を整えているブルクハルト師が実際に撃つよりも先にイェレミアスの剣は彼の首を斬り落とすことが可能だろう。
だがこの状況下で諍いを続ける気はなかったのか、イェレミアスがまず最初に剣を納めた。
「ふん」
いまだ警戒を緩めないこちらを鼻で笑い、イェレミアスがその場から立ち去るために歩き出す。
取り巻きの騎士たちがまず後を追い、高位魔導士がそれに続く。
その背にブルクハルト師の言葉が投げかけられた。
「待て、ツェツィーリア。なぜザスキア師を攻撃するような真似をした」
ツェツィーリアと呼ばれた魔導士は凍り付くような眼差しをブルクハルト師へ向けると、感情のない声で答えた。
「イェレミアス様を傷つけようとする者は誰だろうと敵だ」
「ツェツィーリア、お前……?」
戸惑うブルクハルト師や他の魔導士たちにはもう興味をなくしたかのようにツェツィーリアはさっさとイェレミアスたちについて行く。
最後にフロレンツィアが置いて行かれまいと足早に彼らを追いかけて行ったが、その途中でブルクハルト師らと視線を交わし合ったことに気付いた。
……方法は分からんがどうやら一触即発の事態を止めるためにフロレンツィアが魔導士たちを呼び寄せたらしいな。
だが相当に危ない綱渡りをしているぞ、これは。
ついフロレンツィアの身を案じたくなるが、こちらもそれどころではない。
ツェツィーリアへ魔法を放った体勢のまま呆然と固まっているブリュンヒルデに寄り添い、肩に手を置いてやる。
「ブリュンヒルデ」
びくりと身を震わせたブリュンヒルデは今にも泣き出しそうな表情でこちらを見た。
「エル、わ、わたし……」
「何も言うな。無事でよかった」
震える義姉の体を左手だけで強く抱きしめる。
その仕草に気付いたブリュンヒルデがわたしの右手へ視線を向けた。
「ああ、これか。奴の剣を受け止めた時にくじいてしまった」
腫れ上がり始めている右手を見せながら顔を歪めた。
わたしも力には自信があるんだが、不意を打たれたことを割り引いても完全に力負けしてしまった。
……くそったれが。
腕の痛みを我慢しながらツェツィーリアの魔法で吹き飛ばされたザスキア師の安否を確認しに行く。
ザスキア師の周りにはすでに何人もの魔導士が取り囲んでいて、治癒魔法をかけていた。
「ザスキア師は無事か?」
跪いて様子を確認しようとすると、顔を上げたザスキア師が片目だけぎょろりとひん剥いてみせてからわざとらしい咳払いをした。
「んっんん」
まったくこのばばあは。
「……おばあちゃま、大丈夫?」
「大したことはないよ。とはいえあの子は本気で殺すつもりで撃ってきたねぇ」
ブリュンヒルデに背を支えられて上体を起こしたザスキア師はさすがに疲れたようなため息を吐き出した。
「イェレミアスに魅了されたか」
「厄介な能力だ、まったく。確かにエレオノーラちゃんの言う通りだよ」
「わたしの?」
「あの勇者は何としても殺さなければならないねぇ」
ザスキア師はそれだけ言うとしわくちゃのまぶたを閉じた。