魅了ハーレムクソ勇者に目を付けられたけどTS転生した元男の自分には効かなかったので張り倒して逃げました   作:pantra

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お説教は後で

 

 劇の内容自体は他愛もない悲喜劇といっていい。

 血なまぐさい陰謀、道ならぬ恋、尽きぬ欲望、それでも失われぬ人の良心。

 元日本人のわたしからすると散々擦られてきた古典的内容でしかないが、この世界の人々にとっては大層刺激的らしい。

 この劇の作者であるラヴァネッリは、わたしの前世の世界で例えるならシェイクスピアに相当するような人物である。

 遠方に位置するヴェルミリオ公国で活動している劇作家だが、ここ神聖帝国でも大変な人気を博している。

 

 まあ、劇のことはどうでもいい。

 事態が動き出したのは劇が中盤のクライマックスへ差し掛かろうとしている最中のことであった。

 

 わたしたちの個室へ不躾にも押し入ってきたフードで顔を隠した賊二名に対し、オスカーとブルーノは非常に冷静に対処してのけた。

 一人はオスカーがタックルを食らわせ、体勢を崩したところへ脇腹から心臓へ向けて暗器をねじ込んで殺した。

 もう一人はブルーノの前蹴りを食らって後ろへ仰け反ったところへ脳天を射抜かれて絶命。

 

「お見事」

 

 わたしの誉め言葉に対してオスカーが素直に目礼を返した一方、ブルーノは実に不本意そうに顔をしかめてみせた。

 

「こんなおもちゃを本当に使うことになるとはな」

 

 吐き捨てるように言ったブルーノの視線は自らの左腕に向けられている。

 袖をまくり上げた手首には、小型の弓状の暗器が装着されていた。

 確かに見てくれはおもちゃのようだが性能は皇帝陛下の諜報員の長たるゴットハルトのお墨付きだ。

 

「ちゃんと役に立ったじゃないか。大体、文句を言うくらいなら剣やナイフにしておけばよかっただろうに」

 

 ブルーノは卓越した弓手ではあるが、剣の腕も悪くはない。何といっても上級近衛騎士を務める男なのだ。剣でもそこらの騎士程度には負けない。

 

「しょせん俺の剣の腕は人並みに過ぎん。それでは対処できない相手がいるかもしれない」

 

「お前がスキルを行使しなければならないような相手が出て来るような事態は御免被りたいんだがな」

 

 対岸の桟敷席からの視線は感じない。

 劇に集中してこちらの騒ぎには気づいていないようだ。

 勇者派の貴族どもも襲撃のことは知らされていないのか?

 仲間である聖印騎士すら策謀の生贄にする悪辣なイェレミアスならば、さもありなんといったところだが。

 

 ため息を吐きながら立ち上がったわたしは、たくし上げたスカートの裾から手を突っ込んでふとももに固定していた二振りの短剣を取り出した。

 はしたない行動に母上が顔をしかめているが、緊急時ゆえか言葉には出さない。

 別に生尻を丸出しにするわけじゃなし、そう目くじらを立てないで頂きたいものだ。

 

 それはさておき、ブルーノじゃないが正直わたしも短剣は得意じゃない。

 小柄ゆえリーチが短いというハンデを負っているわたしとしては、できればもっと刃渡りのある得物が欲しいのが本音だ。

 だが同じく小柄であるという理由ゆえに、仕込める暗器の長さに制限があったのだ。

 ブルーノと違い、短剣でもスキルを発動できるのが救いではあるが。

 

「では行動を開始するか。まずはファルケンベルク公爵の元へ行く。母上もそれでよろしいですか?」

 

「いいと思うわ。公爵は皇帝陛下の血縁。安全確保のために動かないわけには行かないでしょう」

 

「役職の重要性を考えれば外務卿を優先する考えもありますが……」

 

「ドミニク卿なら自分で切り抜けるわ。ああ見えて彼は優れた魔法使いよ。あの人は昔ゲラルトともう一人の友人と一緒に帝都近くに出現したワイバーンを討伐したこともあるのだから」

 

 ドミニク卿に関する意外な事実がまた一つ。

 ワイバーンはドラゴンの中では比較的弱いほうだが、それでも他の魔物とは比較にならない強さを持つし、そもそもたった三人で戦いを挑むような相手ではない。

 我が父ゲラルトならば確かにドラゴンを相手に戦えるだろうが、ドミニク卿もそれに付き合える程度の実力があるとは。

 正直興味は尽きないが、しかし今追及している暇はない。

 

「……その話も後で伺います。ブルーノが先行してくれ。次にわたし。母上はわたしの後ろに。しんがりはオスカーに任せる」

 

 手早く指示を伝え、扉の前に転がる賊の死体に目を留める。

 

「オスカー、死体をどかせろ」

 

「ああ」

 

 指示通り死体の腕を掴んで邪魔にならない場所まで引っ張ってどかしたオスカーは、しゃがみ込んで死体の頭部を覆うフードを剥ぎ取った。

 

「……これは。エレオノーラ、こいつ魔族だぞ」

 

「何? ブルーノ、もう一人のフードも剥いでくれ」

 

 わたしの言葉が終わる頃にはすでにブルーノはもう一人の賊のフードを剥いで顔を改めていた。

 

「混血魔族の頭角はほとんどの場合髪の中に隠れるくらい小さなものだ。だがこの男の角の長さは指先から手首ほどある。この特徴は純血魔族以外にあり得ない」

 

 ブルーノの言葉にわたしも頷く。

 ほぼすべての魔族種は頭部に角質が結晶化した角状突起を備えている。

 エルフの尖長耳やドワーフの短躯と同じく、魔族を特徴づける人種的特徴の一つである。

 一角や二角が多いとされているが稀に三つ以上の数を持つ者もおり、勇者イェレミアスが倒したアスビョルン将軍は四角、ストローレ国王たる『西の魔王』は六角を備えていると言われている。

 

 非常に目立つ特徴なので常にフードを被るくらいしか他種族の目を誤魔化す方法はなく、ゆえにヒューベンタール神聖帝国のように魔族への敵愾心が強い土地では純血魔族は暮らしていけない。

 見つかり次第血祭りにあげられるからだ。

 

 一方で混血魔族の角はブルーノの言葉通り非常に小さく髪の毛などで容易に隠せるため、周囲に知られることなく生きていけるというわけだ。

 

「戦闘技能を持つ純血魔族か……」

 

「兵士だな。ふところに吹き矢を忍ばせている。矢には毒……この臭いはベニスナグモか。ストローレの固有種だ」

 

「致死毒か?」

 

「量によるが、この矢に刺されたら数秒で息が吸えなくなり、窒息死するだろうな」

 

 毒矢を検分していたブルーノは慎重に矢筒の蓋を閉め、吹き筒と一緒に自分のふところに仕舞い込んだ。

 

「証拠品だ」

 

「ああ。扱いには気を付けてくれ」

 

 ストローレの武器を持った純血魔族の兵士がこの帝都のど真ん中に現れた。

 当然手引きした者がいる。

 考えるまでもなくその正体は分かり切っているが。

 

「この位置から狙える人物……」

 

 ここは個室のように壁で仕切られた桟敷席で、観劇のため劇場中央側には何も遮るものがなくいわゆる吹き抜けのような構造になっている。

 

 向かい側の桟敷には勇者派の貴族たち。

 一階の客席には富裕層に属する一般市民や低位貴族。高位貴族も混ざってはいるが……。

 舞台には役者。外国から来た何とかという有名な歌劇団。母上に教えられたのだが名前は忘れてしまった。

 

 今は考えても仕方がない。

 かぶりを振ったわたしは仲間たちと視線を交わして頷いた。

 

「行こう。油断するな」

 

 

 

 

 最大限の警戒態勢で通路を進んで一つ上の階にあるファルケンベルク公爵の桟敷席まで無事にたどり着いた。

 途中でまた二人組のフードの賊に出くわしたが、声を上げさせる間もなく始末した。

 どうやら魔族どもはまだ慎重に事を運ぼうとしているらしく、襲撃に気付いている者はほとんどいないようであった。

 

「さて公爵は無事かどうか……」

 

 ほとんど誰にも聞かれないような声で独り言ち、わたしは個室のドアをやや強くノックした。

 反応を待つ間、心の中で数をカウントする。

 ぴったり五秒後、誰何の声があった。

 

「何者であるか。名を名乗られよ」

 

「近衛騎士団所属の上級近衛騎士エレオノーラ」

 

 扉の向こうから伝わる緊張。

 誰何の言葉は流ちょうなファルケンベルク訛り。相手はおそらくファルケンベルク公爵旗下の騎士階級。

 

 十中八九この場所にも襲撃があり、一旦はそれを退けた。だが状況が分からず、この場から動けずにいる。公爵閣下と夫人は無事。もし怪我を負ったり死亡していたりすれば騎士の声にはもっと焦燥がこもっているはずだ。

 近衛騎士を名乗るわたしを信用していいものか迷っている気配が伝わってくる。

 扉越しに腹の探り合いをしている時間は惜しいし、かといって蹴破るわけにも行くまい。

 背中を振り返ったわたしは、気遣わしげな表情を浮かべた母ヘルミーネに声をかけた。

 

「母上は公爵夫人とご友人だとか?」

 

「……まあ、わたくしが声をかけるのが一番早いでしょうね」

 

 小さくため息を吐き出した母上は前に進み出ると、たおやかに扉をノックして相手へ語り掛けた。

 

「ロスヴィータ公爵夫人はいらっしゃるかしら。もしいらっしゃるなら、フェルンバッハ侯爵夫人のヘルミーネが参上いたしたとお伝えいただけるかしら」

 

「……承知いたしました。少々お待ちを」

 

 わたしの時とは打って変わって丁寧な受け答えの後、ややあってから小さく扉が開かれた。

 

「ご無礼ひらにご容赦を。お早く中へ」

 

 促されて全員が個室の中へ体を滑り込ませる。

 すぐに足元の絨毯に血の汚れを見つけ、想像通りここにも襲撃があったことに確信を得る。

 わたしの視線に気づいたのか、案内役の騎士と思しき男が険しい表情で述べた。

 

「驚いておらぬな。あなた方も襲撃されたか」

 

「だからこそ参上した。だがさすがは公爵閣下直属の騎士団。どうやら我々の助けは必要なかったようだ」

 

 世辞も交えてわたしが返すと、公爵の騎士はかぶりを振って否定した。

 

「いや、正直なところ助かった。襲撃者は倒したものの、この人員だけで不用意に動くのは躊躇われたのでな」

 

「人員の内訳は?」

 

「保護対象は閣下と奥方様の二名。それにフットマンとメイドが一名ずつ。対して騎士は四名」

 

 オスカーとブルーノを合わせれば護衛が六名になる。

 保護対象に母上が加わるにせよ、それでも多少はマシになるか。

 

 その保護対象たちだが、母上と抱き合って無事を確かめ合っているのがロスヴィータ公爵夫人だろう。

 そして二人を見守っている小太りの中年貴族が公爵閣下その人だ。

 

 わたしが公爵の前で跪くとブルーノとオスカーもそれに続いた。

 

「近衛騎士団、騎士エレオノーラ。同じく騎士ブルーノと騎士オスカー。参上仕りました」

 

「うむ。よくぞこの危機に駆けつけてくれた。顔を上げてくれ」

 

 許しを得て顔を上げる。

 多少顔色が悪いのは否めないが、公爵にはそれほど動揺している様子はない。

 武の人ではないと伺っていたが、この状況下で大した肝の座りようだ。

 

「状況報告を」

 

 公爵の言葉に頷く。

 

「先ほど2階桟敷席で賊二名の襲撃を受けました。賊は二名とも純血魔族。襲撃の目的がフェルンバッハ侯爵夫人たる我が母やわたしの命であったのか、それとも狙撃位置を確保することであったのかは不明です」

 

「なぜ狙撃と?」

 

「吹き矢を所持しておりました。矢には致死性の毒が塗られておりましたので、暗殺が目的ではないかと。ただし標的は不明です」

 

「ふむ……ここを襲った賊どももやはり吹き矢を所持していた。あるいは混乱を引き起こすのが目的かも知れんな。高所からであれば階下の客を無差別に射殺すのは容易かろう。訳も分からず周囲の人間が死んでいく様を見て冷静でいられる者はめったにおらん」

 

「その可能性も高いでしょう。いずれにせよ現在の帝都の情勢を鑑み、皇帝陛下の有力な支持者である閣下が襲撃される可能性が高いと判断して勝手ながら参上した次第であります」

 

 わたしの言葉にファルケンベルク公爵は片眉を吊り上げてみせた。

 

「つまり今ここで起きている状況は教会が手を引いていると言いたいわけかな、騎士エレオノーラ。戦場で捕虜にした魔族どもを利用して?」

 

「恐れながら」

 

「なるほどな。つまりはおおむねわたしの推測した内容と一致しているわけだな。ここを襲撃した賊は四名であったが、全員が魔族の兵士だった。知っているかね、魔族の中には出自と身分を表す刺青を体のどこかに彫る部族がいることを」

 

「いえ、寡聞にして」

 

「そういう古い風習があるのだよ。賊の死体を検分したが、二名からその刺青が見つかった。刺青によれば二名はそれぞれダール族とレヨン族の戦士階級であることが分かった。どちらもストローレの有力部族だ。ちなみにレヨン族はかのアスビョルン将軍の出身部族でもある」

 

 ……物知りだな、このおやじ。

 公爵のうんちくに感心していいのか呆れていいのか判じかねつつ、それを表に出さぬよう表情を引き締める。

 

「紛れもなくストローレの正規兵だ。そして連中をこの帝都まで手引きできるのは北西部国境戦線で直接対峙した騎士たちとその背後にいる教会をおいて他におらぬ。わたしの推測では勇者凱旋の折の大量の首桶、あれに紛れこませて隠していたのではないかと考えているのだが、卿はどう思う?」

 

「閣下が真実を言い当てていたとしても驚きません。このエレオノーラ、ご慧眼に感服致しました」

 

 複数の馬車に満載されていた大量の首桶。

 確かに身を屈めれば人間一人か二人は充分に入る大きさだった。

 あのパレードの後、首検めは誰がやった?

 あまりに数が多かったため一部だけ晒しものにされ、残りはすべて穴に捨てて焼却されたと聞いたが、今一度事実を洗い直す必要がありそうだ。

  

「今分かっていること、推測できることはこの辺りだな。ところで、なぜわたしの居場所が?」

 

「舞台の幕が上がる前に外務大臣より観客名簿を渡されておりましたので」

 

「ドミニク卿か。目端の利く男だ。しかし今は一緒におらぬようだが」

 

「公爵閣下の安全確保が最優先と判断致しました。それにどのみち彼もここへ合流するでしょう」

 

「ああ見えて魔法の名手であるからな。よかろう。では今後の方針だが意見はあるか」

 

「は。公爵閣下には機を見て劇場から脱出して頂きたいと存じます。この場所はあまり防御に適しているとは言い難いですから。護衛には後ろのブルーノ上級近衛騎士とオスカー近衛騎士も加わりますので、遅れて閣下の元へ馳せ参じる者、あるいは逃げ遅れた者たちを糾合してお逃げ下さい」

 

「卿はどうする?」

 

「わたしは遊撃を。襲撃者を狩りつつ教会と聖騎士の出方を探ります」

 

 

 

 公爵閣下との対話後、護衛騎士たちとの情報のすり合わせも行ったわたしは母上に方針を説明した。

 

「あなた一人で?」

 

「その方が身軽に動けますので」

 

 くるぶしまであるスカートの右側の裾を摘まみ上げ、縦に引き裂く。

 

「エル! そのドレスがいくらしたと……」

 

「スカートが足に絡まって動きにくいのです」

 

 レース製のイブニンググローブも外す。

 素手で短剣を持ち、何度か振って具合を確かめる。

 滑り止めの皮手袋も持ってくるべきだったか。

 

「母上。簡単で構いませんので髪の毛を邪魔にならぬよう結い上げてもらえませんか」

 

「まったくあなたときたら……」

 

 ぶつくさと文句を言いつつ、母上はわたしの背後に回って髪の毛を編み始めた。

 長く艶のある黒髪が最大限映えるように髪飾りを付けただけで結ばず背中に垂らしていたのだが、さすがに戦闘するには邪魔になる。

 本音を言えば短く刈ってしまいたいのだが、誰一人賛同してくれないので踏みとどまっている。

 わたしの髪の毛に真実精霊が住み着いているとかならともかく、こんなものをありがたがる必要がどこにあるのやら。

 一度『切り落とした自分の髪でかつらを作って、必要な時だけそれを被ればいいのでは』と提案したことがあるのだが、クラリッサから割と本気の声音で『馬鹿なんですか?』と罵倒された。あの時のクラリッサはちょっと怖かったな。

 

「誰か髪紐を持っていないかしら」

 

 編み上げたわたしの髪の毛を手で押さえながら母上が周囲に訊ねると、いつの間にかすぐそばに寄って来ていたロスヴィータ公爵夫人が自分のメイドに声をかけた。

 

「ヘルガ」

 

「はい、奥様」

 

 恭しく返事をしたメイドが手荷物の中から高級そうなレースの髪紐を取り出して母上に渡した。

 

「ありがとう、ヴィー」

 

「お礼を言われるようなことじゃないわ。だけどエレオノーラちゃん、本当に一人で行くの?」

 

「ちゃん……、あ、いえ、切り込み役で単独行動はいつものことですのでお気になさらず。髪紐はありがたくお借りします」

 

 公爵夫人に応じると、母上は髪を結い終わったことを知らせるようにわたしの肩を軽く叩いてからぼそりと呟いた。

 

「……お兄様には一度よく事情を聞かなくてはね」

 

 いかん、失言だったか。

 このままでは伯父上がまたお労しいことになってしまう。

 後でよく謝っておこう。何、謝ればきっと許してくれるさ。伯父上はわたしにゲロ甘だから。

 

 緊張をほぐすために想像の伯父上とひとしきり頭の中で戯れてから、わたしはゆっくりと深呼吸をした。

 

「さて」

 

 こちらの空気が変わったことを察したのだろう、母上が問いかけてくる。

 

「行くの?」

 

「ええ。母上もご無事で。ブルーノとオスカーの言うことをよく聞くように」

 

「心配しないで。いざとなればわたくしだって戦えるわ」

 

 そう言うと、母上はおもむろに扇子を取り出して持ち手の下のほうをひねった。すると扇子の先端から鋭い刃が飛び出した。

 それを見たロスヴィータ公爵夫人が目を輝かせて食いついた。

 

「まあ、すごいわ! よくできているのねぇ」

 

「でしょう? 少し持ち重りするのが難点だけど、刃を仕舞えば普通の扇子とまったく見分けが付かないのよ。ヴィーも護身用に一つ持っておくといいわ」

 

 鋭い刃を出したり引っ込めたりして友人に見せびらかしている母上は笑っているが、その表情がどこかぎこちなく見えるのはわたしの気のせいだろうか。

 ……やれやれ、わたしはそんなに不安そうな顔をしていたか?

 まだまだ未熟だな。

 

「……戦闘では母上なんてクソ雑魚ナメクジなんですから、くれぐれも自分で戦おうなどとなさらぬように」

 

「まっ、何て汚い言葉を!」

 

「お説教は後で聞きます、母上。必ず」

 

 ひらひらと手を振ったわたしは母上に背を向けて様子を見守っていた公爵へ頭を下げた。

 

「では閣下。また後ほど」

 

 

 

 単独行動を始めてからしばらくの間はまだ劇場内で大きな騒ぎは起きていなかった。

 だが、わたしたちと公爵以外にも魔族の襲撃を受けた者はおり、時折剣戟の音や悲鳴が聞こえてくる。

 それらをいちいち確認して加勢している余裕はないが、異変を察して廊下に出てきた者には簡単に状況を伝え、公爵と合流するかこのまま劇場を脱出することを勧めた。

 そうしているうちに徐々に騒ぎは大きくなっていき、ちょうど一階の客席に到着した時、この日一番の悲鳴が上がった。

 

 舞台上に立つ役者のうち一人が突如喉元を掻きむしるような仕草をしたかと思うと、糸が切れたように倒れてそのまま動かなくなったのだ。

 

「毒吹き矢か。どこから撃った?」

 

 上階の桟敷席を順に見て狙撃手を探す。

 皇帝派側の席には異変が見当たらず、今度は勇者派側の席へ視線を移す。

 

 ……いた!

 

 二階中央付近の席。

 劇の最中に役者が突然死するというこの状況下でもまったく動揺せず周囲を観察している者。

 

「どけ!」

 

 進路上にいる観客たちを押しのけたわたしは、助走をつけるとそのまま壁面を蹴り上げて目標の桟敷席へ取りついた。わたしの出現に賊は驚いたようだったが、すぐさま応戦するために吹き筒を捨てて短剣を構えようとした。

 

 が、遅い。

 勢いを殺さずそのまま賊へ飛び掛かり、押し倒すようにしながら心臓と肝臓にそれぞれ短剣を突き立てた。

 

 痙攣していた賊が完全に事切れたのを確認すると、すぐさま立ち上がって桟敷席から劇場全体に響き渡るような大声で警告を発する。

 

「魔族の襲撃だ! 命が惜しければ皆ここから逃げろ!」

 

 一瞬の静寂。

 その後、割れるような悲鳴と共に我先に観客たちが逃げ出した。

 混乱を引き起こすのはあまりいい手ではないかもしれないが、遅かれ早かれ同じ状況になる。

 それに観客たちの少なくない注目を集めながら人ひとり殺してしまったからな。状況説明しないとどさくさでわたしまで賊扱いされかねない。

 

 桟敷席から身を乗り出して階下を注視し、逃げようとする人並みとは違う方向へ動く人物を探す。

 ざっと確認しただけで五人。なぜか全員が舞台を目指している。

 すでに役者を一人殺して混乱と恐怖は引き起こした。これ以上役者を狙う必要があるのか?

 

 疑問に思いつつ、桟敷席から飛び降りて一番近くにいた賊へ斬りかかる。

 悲鳴を上げてわたしたちから離れる観客たち。

 

 背後からの奇襲をすんでのところで躱した賊は、薄気味の悪い眼差しでこちらを見据えると無言で反撃してきた。

 だが、わたしは慌てず刺突を繰り出した相手の手首を斬り裂き、もう一振りの短剣を心臓に突き刺した。

 

 崩れ落ちた死体を踏み越えて次の標的を追いかけるが、ちょうど人波が途切れて開けた空間へ出たところで三人の魔族が立ち塞がるように待ち構えていた。

 周囲には乱雑に転がされた複数の死体。

 

 わたしも足を止め、ゆっくりと深呼吸をする。

 

「目的を吐け。そうすれば命は助けてやる」

 

 問いかけに対して相手は無言。

 

「そうか。命はいらないか」

 

 独り言ちつつ立ち塞がる魔族たちの後方へ視線を向ける。

 そこにはもう一人の賊がまだ舞台から逃げきれていない役者たちへ襲い掛かかろうとしている姿があった。

 

 ともあれ時間をかけている余裕がない。

 二振りの短剣を上段と下段に構え、鋭く息を吸い込む。

 突っ込んできた一人目の魔族の上段斬りを躱しつつ腹を裂き、二人目の短剣をこちらの短剣で受け流す。体勢を崩した二人目の脚を引っ掛けて転がし、腹から血を流す一人目の剣閃を屈んで避けながら素早くふところに入り込んで喉を斬り裂いた。

 

 三人目の刺突を躱して鼻面に肘を打ち込んで仰け反った相手に追撃しようとしたら、横合いから二人目が斬りかかってくる。

 とっさに短剣で受け止め、鍔迫り合いになったところで鼻が潰れた三人目によって背後から羽交い絞めにされた。

 

 動きを封じたと見た二人目がわたしの心臓目掛けて狙いすました突きを放ったが、蹴り上げで刺突を逸らすと、そのまま持ち上げた両脚を二人目の首に引っ掛けて力任せにへし折った。

 

 焦った三人目がこちらを絞め殺そうと腕に力を込めるが、骨を砕かれる前に背後へ思いきり頭突きを放って、鼻に続いて今度は相手の前歯を砕いてやる。

 たまらずわたしを離して顔を押さえた三人目の腹を一文字に深く斬り裂いた。

 

 腹圧に押し出されて零れ落ちた内臓の上に前のめりに倒れた相手の体を飛び越えたわたしが舞台までたどり着いた時には、すでに生き残っている役者は二人だけとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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