「今日も…疲れた…」
時刻は午後7時過ぎ、とある一軒家の一室で男はそう呟いた。
上階にあるその部屋の下階からは、自身の血の繋がりがあるであろう他人同士が仲睦まじく団欒を重ねていた。
恐らく男にとっては、血の繋がり以外はなんら関係性を持たない人物達の為、他人という意味合いの言葉になった。
「沙弥…か、今日はこっちに帰ってきてたのか」
そう言って着ていた服を脱ぎ散らかした男の妹にあたる名前である。
男の7つ下にあたる妹は、世間から言わせれば兄妹の良いところ全て彼女に言っているらしく
裏表がなく人見知りもしない上にいつも笑顔でいる彼女は、昨年23の歳に長年連れ添った彼氏とめでたくゴールインとなった。
内気で人見知りが激しく、いつも他人を疑ってばかりの男とは、これまた正反対の明るく爽やかでいつも笑顔の耐えない優しい彼氏…もとい旦那であった。
前述を読めば、恐らく分かる事であるが男は自身の家族とは決して仲が良くはない。
挨拶ぐらいは交わす間柄であるが、両親共々みんな妹のような性格をしており、それを幼少期からみてきた男は自身が異端児のような錯覚を起こし…いつの日か自分から距離を取るようになり、今では夕飯を一緒にとるどころか日常会話でさえなくなってしまっていた。
「幸せそうだな、沙弥…良かったな…」
だが、不思議なことに男はそんな家族を嫌ってはいなかった。
自分から距離をとってしまい現状挨拶を交わすだけであるが、こんな自分にいつも気を遣って何か声をかけようとしてくれて、決してつま弾きにしない優しい両親。
小さい頃から変わらず、今でも会えば「お兄ちゃん」と、これまた変わらない笑顔で話しかけてくれる可愛い妹。
そんな妹と結婚した彼氏も、空気を読んであまり話しかけてこないだけで、「お兄さん」と呼ぶ声から人柄の良さを感じとる事が出来た。
「ゴメンな…みんな…そしてありがとう」
乱雑に脱ぎ散らかされたズボンのベルトを外し、ゆっくりとドアノブにそれを引っかける。
「俺さあ、もう疲れちゃったよ…」
齢30になる男は、いつも下ばかり向いていてコミュニケーション能力もなかった。
ただ浸すら真面目さだけを売りに小さな中小企業の印刷屋で彼なりに精一杯働いてきた。
しかし、社会というものは残酷なもので、そんな男を見逃す外もなく、いつしか彼は毎日のように上司からの罵声や同僚からの弄りという名のイジメに合う日々をすごしていた。
「ゴメンなぁ、父さん母さん、沙弥…そして彼氏君…いや、今は旦那さんか…ハハハ」
乾いた笑いが真っ暗な部屋で小さく児玉する。
「もう抗うのに、疲れた…」
こんなうだつの上がらない自分をここまで育ててくれた両親にせめてもの恩返しを…と歯をくいしばって働いてきた。
こんな自分に優しく接してくれる妹に、すこしでも自慢の兄貴でいられるよう、辛い時も苦しい時も前を向こうと頑張ってきた。
しかし、やはり世の中とは不浄なもので、そんな彼にも限界が訪れた。
それは、ふとした瞬間であった。
別に、今日という日は今まで通りの1日だった。
怒鳴られ、弄られ?、そして帰宅するといったもはや当たり前になったルーティンを繰り返す日のはずだった。
だが、それは訪れた。
それは会社のタイムカードを押し、車へと歩く途中だった。
夕方午後5時、夕焼けに染まった会社の前の歩道を一組の高校生のカップルが歩いていた。
なんて事はない光景である。
どこにでもある光景である。
微笑みながら、仲睦まじく初々しく歩いていた。
それがやけに眩しく写り、男は目を反らすように下を向いた。
ふと…自身の服装に目を奪われた…
毎日着ているジャンバー性の上着に、中には襟元が伸びたTシャツ。
下は、もはや何年履いてるかわからないジーンズにシューズ…
「あれ? …駄目だな俺。 あれ?」
急に、パーンと迷いでも晴れたかのように、全てが分かったかのような気分になった。
「なんで、生きてんだ…俺」
訳も分からず現実を分からせられた男は、同僚達が通りすぎる駐車場で一人立ちつくしていた。