中央暦1640年11月9日
第二文明圏ムー大陸の東側
ムー連邦 首都オタハイト
ムー連邦の商業都市マイカル沖合で発生した『守護神マンダによる謎の不審船撃沈』から数日後。首都オタハイトの大使館街にある日本国大使館では、応接室に重苦しい沈黙とそれを上回る緊迫感が満ちていた。
テーブルを挟んで向かい合うのは、ムー海軍の技術士官マイラスと戦術士官ラッサン。そして日本側は、駐ム大使のほか、防衛省から派遣されている海上自衛隊籍の防衛駐在官、さらには技術的な知見を持つ専門の官僚たちであった。
「つまり、我が国と商業都市マイカルを結ぶ経済航路の直下、それも太陽の光など逆立ちしても届かない水深500メートルの深海の底に、その『鉄の鯨』はへし折られて沈んでいると・・・。」
防衛駐在官が、手元のメモに鋭い視線を落としながら確認する。マイラスは神妙に、しかし固い表情で深く頷いた。
「はい。守護竜マンダ様からの神託の果です。マンダ様の感覚では『全長100メートル前後の大きさをした細長い鉄の建造物』が、機械的な音を立てて海中を這っていたとのことです。・・・そしてその処分プロセスですが、マンダ様はただ海中でそれを締め潰したわけではありません。」
マイラスは一呼吸置き、守護神がもたらした深海の洗礼を詳細に説明し始めた。
「マンダ様はまず、その長大な胴体で敵艦を逃がさぬよう完全にロックされました。そこから、敵がエンジン出力を上げて抵抗しようとも、凄まじい尾鰭の推進力と怪力によって、高水圧のかかる深海500メートルの底へと、力任せに引きずり込んでいったのです。」
「移動中もじわじわと締め上げ続け、水深が深くなるにつれて増大する海水の物理的な圧力と、マンダ様の力づくの締め付け・・・。そのダブルの破壊力によって、外板を内側へ圧搾していったとのこと。そして水深が250メートルくらいに達した瞬間、耐えかねた鉄の塊は、中央から真っ二つにへし折られて轟沈した・・・と。状況を顧みると、間違いなく、他国の水中戦闘艦――『潜水艦』かと思われます。」
潜水艦。その単語を口にするマイラスの胸中は、複雑な敗北感と焦燥に満ちていた。世界第二位の列強と謳われる第二文明圏の雄・ムー連邦。しかしその誇り高き大国をもってしても、現時点で「潜水艇」という兵器の技術そのものが存在しない。海中を自在に移動し、潜航して戦うという概念そのものが、現在のムーの科学力では未開の領域だった。
だが、それはムーの技術が劣っているからではなかった。ラッサンが、苦渋を滲ませながらその理由を日本の駐在官たちに明かす。
「・・・日本国の皆様ならご理解いただけるでしょうが、我が国には1万年前の転移以来、領海を守る絶対的な守護神マンダの一族が棲まっています。海中からの侵入者など、彼らが一撃で噛み砕き、あるいは深海へ引きずり沈めれば事足りていた。だからこそ我が国は、莫大な国家予算と開発期間を費やしてまで、自前で水中戦闘用の兵器・・・すなわち『潜水艦』を開発する必要性が、歴史的にそもそも存在しなかったのです。」
絶対的な守護神・マンダの防衛力があるがゆえに、水中兵器の開発を必要としなかったムー。しかし、マイラスの表情はこれまでになく深刻だった。
「ですが・・・今回の事件で思い知らされました。敵は、我が国の守護神のような固有の神秘ではなく、ただの工業製品として『潜水艦』を造り、運用している。・・・これが何を意味するか分かりますか?」
マイラスの問いに、日本の防衛駐在官の目が鋭くなった。マイラスは言葉を続ける。
「確かにマンダ様は一頭ではなく、一族として複数の個体が存在します。しかし・・・今回の敵艦のように、100メートル級の鋼鉄の戦艦を力任せに深海まで引きずり込み、圧殺できるほどに大きく成熟した個体となると、一族の中でもほんの数頭、非常に数が少ないのです・・・。」
「大半の若い個体や幼体では、近代兵器の放つ魚雷や水上艦から投下される爆雷、また複数の潜水艦を相手にする戦闘は困難でしょう。もし、この潜水艦という見えない刃が、近代工業の力によって何十隻、何百隻と『物量』で量産され、我が国の広大な領海へ同時にバラ撒かれたら・・・。数少ない成熟したマンダ様たちだけでは、すべての海域を同時に守りきることは不可能なのです。我が国の領海防衛は、その物量に押し潰され、容易に崩壊します。私は・・・そこに猛烈な危機感を抱いています。」
怪獣という生態系の限界と、近代戦がもたらす「量産と物量」の恐怖。ムーの技術士官が抱いたその真っ当な軍事ロジックによる危機感に、日本の大使も駐在官も、深く感銘を受け、同時に事態の重大性を再認識する。
「現物は完全に沈み、ムーの技術では詳細を調べる術がありません。ですが、マンダ様が敵艦を深海へ引きずり込みながら締め潰した際、その強靭な鱗に擦れて剥ぎ取られた『皮膚』・・・いえ、敵の船体の一部分が、戦闘海域の近海の網に引っかかっておりました。これが唯一の手がかりです。」
マイラスはそう言うと、足元に置いてあった頑丈な金属製の特殊ケースを慎重にテーブルの上へと持ち上げた。それはムーの国家最高機密を運ぶための重厚な鉄製ケースであり、その強固な取っ手部分には、厳重な南京錠と、精緻な真鍮製のダイヤルロック(合わせ錠)が二重にかけられていた。ムーの職人技が光る、頑丈な機械式の防御機構である。
マイラスは真鍮のダイヤルをカチカチと小気味よい音を立てて回し、鍵を差し込んで南京錠をパチンと外した。ずっしりとした金属音が応接室に響き、重厚なハッチが左右に開く。
緩衝材の中央に鎮座していたのは、ひどくねじ曲がり、何かの塗料が不気味に剥げ落ちた、まぎれもない鋼鉄の破片だった。
「なるほど、これが・・・」
日本の防衛駐在官は白手袋をはめ、ケースの中からその金属片を壊れ物を扱うように慎重に手に取った。
「これは一度本国の研究施設に回し、詳細な冶金分析にかける必要があります。結果が出るまでには少し時間をいただきますが・・・。」
駐在官はそこで言葉を区切り、手元の頑丈なタブレット端末の画面を操作した。
「ですが、マイラスさんに持ち込んで頂いたこの破片、そしてマンダ様の『100メートル前後の細長い鉄の建造物』という目撃証言。これらを組み合わせるだけで、敵の正体と大まかな技術水準については、ある程度の予想を付けることができます。」
駐在官が提示した画面には、ムーの軍人たちが見たこともない、超高解像度の「ある映像」が映し出されていた。
「これは・・・どこかの海域を航行している艦隊・・・ですか?」
マイラスが驚愕して画面を覗き込む。
「ええ。我が国が宇宙空間に展開している『偵察衛星』が、遥か上空から捉えた写真です。位置はムー大陸の西側、旧レイフォル周辺の海域ですね。艦に掲げられている国旗から『グラ・バルカス帝国』の艦隊と思われます。」
画面をスワイプしながら、駐在官は冷徹に解説を続ける。
「この旧レイフォル周辺に展開している彼らの主力である戦艦や駆逐艦の形状、むき出しの巨大な主砲の配置、艦橋の構造、そして船体の装甲の造り・・・。これら水上艦の意匠を我が国の防衛データと照合した結果、彼らの技術水準は我々の世界でいうところの『第二次世界大戦前後』・・・、おおよそ70年前のレベルと推定されています。」
「その点を考慮すれば、彼らが我が国の領海、それもマイカル沖にまで隠密裏に実戦投入してきたというその潜水艦も、同等レベルの技術・・・すなわち、大戦期の旧型潜水艦である可能性が極めて濃厚であると考えられます。」
「旧型艦・・・。」
「ええ。現代の我々の世界(地球)の潜水艦のような高張力鋼や、音を吸収する無反響タイルなどは存在しない時代です。」
「成熟したマンダ様が力任せに深海まで引きずり込まなければ、あるいは水深100メートル程度の安全深度のまま、逃げ切られていたかもしれません。とはいえ、100メートル級の船体を組織的・実戦的に運用しているとなると、油断できない相手であることに変わりはありませんがね。」
姿を見せぬ未知の帝国が、二年後の先進11ヵ国会議を前に、すでにムーの喉元であるマイカル沖にまで「見えない刃」を突き立てようとしていた。その事実が、日本の宇宙からの眼と、マンダの証言によって完全に浮き彫りになったのだ。
「・・・お願いがあります、日本国の皆様。」
マイラスは、意を決して頭を下げた。横のラッサンも同様に頭を下げる。
「我が国には、海中へ潜る技術も、水深500メートルの深海から物資を引き揚げる技術もありません。ですが、敵の正体を暴き、奴らの目的を突き止めるには、どうしても海底の遺物・・・航海日誌や暗号機、兵員の遺留品を回収しなければならないのです。どうか、日本の超科学の力で、あの深海500メートルの底から、敵の機密を『サルベージ(引き揚げ)』していただけないでしょうか。」
ムーの退路を断った真摯な要請。だが、日本の駐ム大使と防衛駐在官は顔を見合わせ、難しい表情を浮かべた。
「マイラスさん、お気持ちは痛いほど分かります。しかし、これには大きな法制度の壁があるのです。」
大使が申し訳なさそうに眼鏡を指で押し上げる。
「確かに我が国の海上自衛隊には、深海から機密を回収できる潜水艦救難艦『ちよだ』や『特殊潜航艇さつま』などの優秀な装備がありますが、他国の領海内で、しかも公式な戦闘状態にない『正体不明の外国軍艦』を自衛隊が直接サルベージするとなると、これは国内法の建前として、極めてグレーな領域、いや、完全にアウトになってしまうのです・・・。」
ラッサンは落胆したように視線を落とし、机の上で硬く拳を握りしめた。大国ムーの軍人としてのプライド、臨戦態勢の危機、そして何より民間人の安全や、マンダ一族の負担を減らすための防衛の未来がすぐ目の前にあるというのに、日本の「法律」という見えない鎖が、その圧倒的な力を縛っている。
怒りではなく、そのあまりにも厳格な「国家の壁」に対する深いもどかしさと無力感が、彼の胸を締め付けていた。
「お待ち下さい、ラッサンさん。我々も『できない』と突っぱねているわけではありません。」
防衛駐在官が、ラッサンの心情を察するように穏やかに微笑みながら、自衛隊の書類ではなく、日本の大手民間海洋開発会社のパンフレットを取り出し、テーブルに広げた。
「自衛隊は法律の鎖で動けません。それなら、『民間の力』を使えばいいのです。」
「民間の力・・・?」
「ええ。現在、商業都市マイカルの周辺では、日本とムーの共同事業として港湾やインフラの整備、航路の安全調査が進んでいます。そこで、ムー政府が『航路の安全を脅かす海底の巨大障害物の調査・撤去』という名目で、日本の大手民間海洋開発会社を公式に『雇用』する、という形を取るのです。彼らは、水深数千メートルで作業できる最新鋭のROV(遠隔操作無人探査機)や深海作業船も保有しています。」
駐在官は、ニヤリと笑って声を潜めた。
「もちろん、その民間探査船のオペレーターや技術顧問として、自衛隊の潜水・音響・暗号の専門官を『民間出向』の形で数名、裏から潜り込ませます。これなら日本の法的なハードルをすべてクリアした上で、水深500メートルの真っ二つになった船体へROVを侵入させ、発令所や通信室から航海日誌、暗号機、無線機などの最重要機密をピンポイントで回収できます。・・・いかがですか?」
日本の提案した、あまりにも冷徹で、かつ完璧な「大人の解決策(スキーム)」。マイラスとラッサンは、一瞬呆然とした後、顔を見合わせて深く感服した。
日本の技術力だけでなく、その「法的な障害すらも裏道を作ってねじ伏せる」防衛ロジスティクスの凄まじさに、背筋が震える思いだった。これなら、マンダ一族を物量戦の危機から救うための『対潜網』を、日本と共に構築できる。
「素晴らしい・・・。それなら、我が国の議会も公式な予算としてすぐに承認できます。航路安全のための民間調査、ですね。話が早くて助かります。」
マイラスの顔に、ようやく明るい笑みが戻った。だが、その隣に座るラッサンは、軍人としての厳しい表情を崩さないまま、もう一つの重大な懸念を口にした。
「・・・ですが、大使。サルベージによって敵の機密を暴くのは『過去の事件の調査』です。我が国が恐れているのは、奴らが本格的に『物量』を頼みに潜水艦をバラ撒いてくる『未来の脅威』なのです。先ほども申し上げた通り、成熟したマンダ様は数頭しかおられない。我が海軍が自力で、海中を這う不審船を見つけ出し、撃破する手段がなければ、根本的な解決にはなりません。・・・日本国の強力な『対潜兵器』や『軍用ソナー』を、我がムー海軍へ輸出、あるいは供与していただくことは叶わないのでしょうか。」
ラッサンの必死の眼差し。しかし、駐ム大使は静かに首を横に振った。
「申し訳ありません、ラッサン士官。それも不可能なのです。我が国には、いかなる理由があろうとも他国へ直接的な『兵器や軍事技術』を輸出することを厳しく制限する、憲法に紐づく厳格な政府の運用指針・・・、『防衛装備移転三原則』などの高い壁が存在します。公的な同盟関係にない現状では、軍用ソナー一基、対潜魚雷一本たりとも、お渡しすることは法的に絶対に許されないのです。」
ラッサンが深く溜息をつくが、今度は駐在官が不敵な笑みを浮かべ、カバンから別の日本の『船舶用電子機器メーカー』の民間用カタログを取り出し、テーブルに広げた。
「軍用の『兵器』は出せない、と言っただけです。我が国が提供を提案するのは、日本が世界に誇る民間の海洋技術、『民生用魚群探知機(ソナー)』ですよ。」
「魚群探知機・・・? 魚を捕るための機械ですか?」
ラッサンが怪訝そうに眉をひそめる。軍事の最高機密である潜水艦に対抗するために、なぜ漁船の道具を持ち出すのか、まだ意図が掴めない。
「ええ。ですがナメてもらっては困ります。我が国の民生用ソナーの技術は、はっきり言って異常なレベルに達しています。」
「先ほど、彼らの水上艦から潜水艦も『第二次世界大戦前後』の旧型艦だと推測しましたね。あの大戦期の潜水艦というのは、船体がリベット留めで水流による雑音が激しく、スクリューの設計も古いため、海中では凄まじい音と振動を撒き散らしています。さらに、現代の潜水艦のような音を吸収する特殊なゴムタイルも貼られておらず、むき出しの鋼鉄の塊そのものです。」
駐在官がカタログの一ページを指差す。
「我々が提供を提案するこの最新鋭の民間用スキャニングソナーは、超音波を発射して、海中を泳ぐ魚のサイズや、海底の土砂の質感まで3D映像で完璧に識別する能力を持っています。もし大戦期の旧型潜水艦のような、ガタの大きい100メートル級の巨大な鉄の塊が海中をのそのそと動いていれば・・・この民間の魚群探知機の画面には、カツオやマグロの群れどころか、『巨大なブリキ缶のシルエット』が、嫌というほどクッキリ鮮明に映し出されます。」
ラッサンの目が限界まで見開かれた。プロの軍人だからこそ、その「技術的優位」が意味する恐ろしさが瞬時に理解できた。宇宙の目(衛星)に続き、今度は海のすべてを見通す民間の目。日本の持つポテンシャルの底知れなさに戦慄する。
「大戦期の潜水艦の隠密性など、現代日本の『漁師の目』をもってすれば、隠れることすら不可能なのですよ。これをムー海軍の主要艦艇の底に『民間用の航海補助・資源調査機材』としてポン付けしてください。『新世界技術流出防止法』も貴国ムー連邦は制限が緩和されており、また本機は兵器ではありませんから、輸出規制には一切引っかかりません。これを使えば、ムーの乗組員でも、海中の敵艦の位置や深度を完全にリアルタイムで捕捉できます。」
駐在官は不敵な笑みを浮かべ、作戦の全貌を告げた。
「敵の位置さえ分かれば、あとは簡単です。ムー海軍の既存の艦船から爆雷を落とすだけで、姿を消したつもりの海の狼を一方的にハントできます。数少ない成熟したマンダ様を過労に追い込む必要もありません。・・・これなら、法律を侵さずに、貴国の望む『対潜防衛網』を構築できますが、いかがです?」
応接室に、再び完全な沈黙が降りた。しかしそれは絶望の沈黙ではなく、日本の「法的な制約すらも民生の超科学で踏み潰す」恐るべき防衛ロジスティクスへの、最大級の戦慄と感服の沈黙であった。
「日本の漁師たちは・・・毎日こんな恐ろしい性能の機械で魚を追っているのか・・・」
ラッサンは、じっとりとした汗をかきながら、日本の魚群探知機の画面サンプルを見つめていた。これなら勝てる。いや、負けるはずがない。姿の見えない恐怖の暗殺者だったグラ・バルカスの潜水艦が、ただの画面に映る格好の標的(巨大な魚)に成り下がる瞬間を、彼は確信していた。
「大使、そして駐在官殿。我がムー連邦は、この『民間用の航路安全・資源探査機材』を、提示されただけの数を至急、喜んで購入・導入させて頂きます。」
マイラスが深く、深く頭を下げ、その声は歓喜に震えていた。
「私どももすぐにメーカーへ特注のラインを動かすよう手配しましょう。名目はあくまで『経済協力に伴う漁業・航路支援』です。」
大使が頼もしく微笑み、この前代未聞の「魚群探知機・防衛スキーム」が水面下で完全合意に至った。
グラ・バルカス帝国が、自国の絶対的な優位性を確信して放った潜水艦隊。彼らは、この世界の誰も海中を覗く術など持たないと信じて疑わなかった。
しかし、彼らが誇る「海の狼」は、上空からは偵察衛星によって正体を予測され、日本の超科学が誇る「無人の光の目(ROV)」によって内臓(機密)を毟り取られ、さらには日本の「漁師の目(魚群探知機)」を移植されたムー海軍によって、その隠密性を完全に無力化されようとしていた。
自国が送り込んだ海の刺客が、どこの誰の手によって暴かれ、おもちゃのようにマークされているのか・・・。グラ・バルカス帝国がその事実を知る由は、この先、二年後に他kらかに世界征服を宣言するその瞬間まで、永遠に訪れないのであった・・・。