ゼンノロブロイVSアクノロブロイ 作:輝いて、いるな。
『ジキル博士とハイド氏』、あるいは単に『ジキルとハイド』と呼ばれるこの物語は、ざっくり言えば二重人格の物語です。人望篤く人当たりのいいジキル博士には、攻撃的で残忍で狡猾な、別の人格が存在していました。まさしく、二重人格の代名詞とも呼べる、有名な古典作品といえます。そんな古典かつ代表的な物語ですが、他の二重人格・二重側面の物語と一線を画す、斬新なファクターが存在しました。それが、別人格を文字通りの別人として分離する薬品の存在です。これにより、ジキル博士の悪の側面は容姿も声すらも別人となり、ハイド氏という人格へと変貌したのです。
話を戻します。『彼女』が現状を『ジキル博士とハイド氏』に例えました。しかし、それは不適切であるという気がします。そもそも、ジキル博士とハイド氏は性格も容姿も体格も声すらも、人格によって分かれていますが、それでも同じ体の別人格であり、今の私たちのように肉体ごと分かれているわけではありません。
彼らは同じ肉体を持つがゆえに共存することができませんでした。薬品の影響で、どんどんハイド氏の人格が強固になり、制御が利かなくなってしまったからです。しかし、私たちはそれぞれ別の体を持っています。もちろん、今後互いに不調を来す可能性はあるかもしれませんが、それはその時に改めて決めればいいことです。少なくとも、今すぐに決めるべきことでもないでしょう。ですから、このままふたりで一緒に切磋琢磨しながら共に英雄を目指していけば……
「それではいけません」
『彼女』はぴしゃりと言い放ちます。私によく似た『彼女』……いえ、『彼女』に言わせれば私そのものである『彼女』は、表情を殆ど変えることなくこちらを見つめています。意志は固いようです。
「私たちのどちらもが英雄になることは、初めからできないのです。」
淡々と、ただ事実を述べたといった具合に冷静な『彼女』は、尚も表情を変えないまま、少しだけ瞳の輝きを強くして言います。
「だって、英雄はふたりも要らないのですから」
その言葉に、私は言い返すことができませんでした。だって、私も同じように思っていましたから。
「ですから、貴女は英雄を諦めなさい。臆病で、あがり症で、流されやすい、害悪な貴女。貴女がいなくなれば、
その通りです。怖がりの臆病で、それが故か消極的な私。どう考えても英雄的ではありません。しかも英雄を目指す理由だって、重い理由も深い事情もなく、ただ目立ちたいから。英雄の器じゃないし、動機も不純です。こんな私は、英雄にふさわしくない。そう、『彼女』の言う通り、私は英雄を諦めるべきなのです。覚悟を決めた私は、目を瞑り深く息を吸って、ゆっくりと目を開いて言い放ちます。
「お断りします。だって、諦めきれませんから」
『彼女』は私の返答に、案の定というような表情を浮かべ、すぐに目を伏せて、呆れたようなため息を返します。事実『彼女』は、やはり、と小さくつぶやいて、今度はこちらを咎めるように睨みつけています。
『彼女』の反応は、『彼女』の言い分を考えればごもっともだと思います。けれど、けれども、どうしても、諦められなかったのです。諦めるべきだ、と分かっていても、どうしても引っ掛かりを覚えて、納得できないのです。だって、だって!『彼女』の言うとおりになったとして、私じゃないゼンノロブロイが英雄になったとして……果たしてそれは、私の望み通りなのでしょうか?否、断じて否、です!
私は確かに英雄になりたいと、そう願っています。しかし、それはただ英雄という称号や誉れが欲しい、というわけではありません。私は、人々が語りたくなるような偉業を為して、文字通り物語の英雄となりたいのです。私を、見てほしい。語ってほしい。それが私の初期衝動です。もし『彼女』が英雄・ゼンノロブロイとして語り草になったとして、その物語は、『ゼンノロブロイの英雄譚』は、私のものではないのです。それは、私にとって、許しがたいことなのです!
私は強い意志を込めて『彼女』を睨み返します。しばらく私と『彼女』の睨み合いが続きますが、私の意志の固さを理解してか、或いは私の諦めの悪さを思い出してか、ふいと目を逸らします。
「なら、こうしましょう」
『彼女』はそう言うと、再び私に向き直ります。今度は先ほどまでの敵意の漲る眼ではなく、最初の時のような生真面目で真っすぐな眼差しです。……敵意を向けられた時も唐突だと感じましたが、敵意を収めるのも、なんというか、潔いように感じました。やはり『彼女』と私では細かい部分で差があるようです。それも、『彼女』のいう人格分離現象に関係しているのでしょうか。少しの違和感を感じつつ、私も強張った表情を緩め、彼女の提案を聞きます。
「レースで勝負しましょう。勝った方が、この件の処遇を決めることができる、ということで」
レースで決める。とても単純ですが、それだけに力のある方法です。特に、ウマ娘はレースに真摯な者が多いので、尚のことです。故に、真剣な意見のぶつかり合いであれば非常に有効といえるでしょう。それに、『彼女』の目論見やそれに対する私の反発は、互いに自分が英雄になりたいという思いによるものですから、レースの実力で決めるのは合理的であるといえます。
…などと、つらつらと理由を並べましたが、単純に私は『彼女』との、……もとい、私自身とのレースがしたいだけなのです。私もいっぱしのウマ娘です。私がこれまで積み上げてきた努力と、同じだけの努力をした強敵。滾るような、と表現するには落ち着きすぎていますが、それでも、この強敵を倒した時、私はどれほどの高揚を得るのか、そして負けた時にどれほど悔しい思いをするのか……この時点で、私の頭から、勝負を受けないという選択肢はなくなっていました。負けられない戦いで、それ以上に勝ちたいという気持ちが優先しました。クビ差の先着です。心が決まった私は、『彼女』を見遣り、そこで『彼女』と目が合います。見れば、『彼女』もどこか朗らかな様子で、瞳も熱に浮かされたような印象でした。『彼女』も、純粋に私とのレースに期待してくれているのでしょうか。私たちは頷き合って、レースコースへと向かうのでした。
コースに足を踏み入れた時、この空間が尋常のものではないと確信しました。なにせ、普段は誰かしらが必ず居残って走っているはずのこの場所に、誰も……あのサイレンススズカさんでさえも、いないのですから。制服から体操着に着替えここに来る途中も、あまりにも静かな学園に違和感を覚えましたが……そういえば、図書室からここまで『彼女』以外の誰の姿も見ていませんでした。『彼女』のほうを伺えば、特に驚いた様子もありません。『彼女』と目が合います。『彼女』は私の怯えた様子にひとり得心した様子を浮かべ、私に説明を始めます。
『彼女』の説明によれば、ここは私たちの知るトレセン学園ではなく、「異界」なのだそうです。私たちのいる空間から、少し位相のずれた、並行世界未満の異界。そこでは理外の存在が許されてしまうという……。そして、なんとなく察してはいましたが、そのことを教えてくれたのがマンハッタンカフェさんなのだとか。……そういえば、私も一度似たような体験をしたような、してないような……その時マンハッタンカフェさんが助けてくれたような、いないような。確かその時に聞いた単語は「異界」ではなく、「境界」だった気がしますが。なんでしょう、思い出そうとすると……体が勝手にダンスのリズムを刻むような……。ともかく、伝聞程度の知識なので『彼女』にもよくはわからないとのことでした。
しかし、なるほど、納得しました。自分がもうひとりいるというおかしな状況の中で、『彼女』が不思議現象に驚かなかった理由や、更に私の存在に関して突飛な推論を浮かべていた理由がよくわかりました。
今更ながら、こんな状況でレースなどやっていていいものか不安に駆られますが、『彼女』曰くどっちにしろ私たちにやれることはないということでした。時間が解決するのを待つか、それこそマンハッタンカフェさんを待つか……なるほど、確かに待つこと以外にやれることはなさそうです。それにしたって、安全性の担保がない状況が不安ではありますが……。
などと考えながらも、私たちは芝の上に立ち、念入りに柔軟をこなしています。もはや私たちに、レースをやめるという選択は不可能になっていました。スタート地点には『彼女』のスマートフォン、ゴール地点には私のスマートフォンがそれぞれセットされています。『彼女』の端末はタイマー……スタートの合図のためのもので、私の端末は三脚に固定され、ゴール前を録画する、写真判定替わりのものです。ゴール板の前にはヒシアマゾンさんの等身大パネルが設置されています。どうしてヒシアマゾンさんなのか、いつからあるのか、そもそもこのパネルに意味があるのか、等様々な謎がありますが、未だ解明されていません。
そろそろ体が温まってきた私たちは、どちらからともなくスタート地点に立ちます。青々と茂る芝は、強い茜に染められて、燃えるように煌めいています。同時に、強い光がつくる濃い影が、揺れる芝に合わせて蠢いていました。異様に静まり返り、風が草木を揺らす音ばかりが支配する場の空気に、いつになく緊張を覚えます。『彼女』が口を開いたのは、そんな時でした。
「あのですね」
『彼女』はらしくもなく言い淀むようでした。
「私、強いですから。」
思わず、横目で『彼女』を伺います。『彼女』は真っすぐ前を見て、楽しそうに、けれど至って真剣な表情を浮かべています。『彼女』の白い肌が西日を反射して、眩しさに目を細めます。
「ええ、存じています。」
当然、私も同じだけの努力をしたのですから。言外にそう言い含ませた返答をします。『彼女』は一瞬好戦的な笑みを浮かべると、またいつもの無表情に戻ってしまいました。
「絶対に、負けません」
「ええ、絶対に勝ちます」
そう言いあって、お互いに前を向いたそのすぐ後。タイマーが鳴って、私たちは走り出したのでした。
走り出しは上々。しかしそれは『彼女』も同じようで、風を切る音から探るまでもなく、間近から芝を踏む足音が聞こえてきます。今はとにかくペースを守って走りましょう。幸い、たった二人きりのレースとはいえ内を取ることができたのですから、このまま優位を維持して走っていきましょう。
最初の直線は、相手の出方を見つつ、自分が走りやすいペースをつくることを意識します。それから、走りや呼吸にリズムをつけて、スタミナの消費を最小限に抑える走りを実現することも並行してやらねばなりません。……と、言葉にすれば忙しないことこの上ないですが、一連の所作は、日々のトレーニングでもはや反射の域に達しています。今更そこに手間取り意識を割くこともありません。
それからコーナーに入るまでは、自分の作ったペースに身を任せて走っていきます。やはり自分の走りたいように走れるのは気持ちがいいですね。
ただし、それは『彼女』にとっても同じはず。私が得意なペースは、『彼女』にとっても有利に働いているはずです。また、私が好位置につけているとはいえ、私からは『彼女』の様子が見えないのが非常に不気味というか、気がかりな部分でもあります。後ろを振り返れば様子を見ることができますが、いつでも観察ができるわけではありません。逆に、『彼女』のほうはあれから少しずつ位置を落としているようで、私の様子もしっかりと観察できていることでしょう。いくらいい位置いいペースで進められているといっても、まったく優位に立てている気がしません。
『彼女』は私の仕掛け時を伺っているはず。仕掛けるタイミングが早すぎれば、スタミナ不足になった私が垂れて『彼女』に差し切られてしまうかもしれません。しかし、遅すぎて末脚勝負になれば脚をためている『彼女』がやはり有利です。難しい局面ですが……ここは距離を稼いで逃げ切ってしまいたいところです。軽く振り返り、『彼女』の様子を確認します。『彼女』は冷えた瞳に闘志の炎を燻らせて、こちらをじっと見つめていました。やはり仕掛けるタイミングを観察していたのでしょう。ちらりと見た程度ですが、体もブレがなく、息があがったような様子もありませんでした。……やはり十分なリードを作っておくべきだと思います。『彼女』にはここから差し切れる算段がついているのでしょう。『彼女』なら……いえ、私なら、スタミナを維持したまま前にぴったりくっついていくことができたはずですから。
ならば、ここは勝負にでましょう。
コーナーに差し掛かり、強い遠心力を踏み込みと体幹で耐えながら、その遠心力を推進力へと変えるべく、また少し強めに踏み込みます。体がぐんぐん前に出ていき、『彼女』の足音は後ろへ流れていきます。ペースがあがったことで少しだけ息苦しくなりますが…まだ大丈夫。スパートをかけるだけの余力は残っています。浅い呼吸を繰り返しながら、『彼女』の足音が遠くにあることを確認して、ペースを安定させます。……大丈夫、このペースなら、十分優位を保てるはず。一呼吸入れて、更に強い踏み込みを意識して、位置を上げていきます。
『彼女』は私と競り合う気はないらしく、リードをつくることに成功しているようでした。それでも、思ったより差が開いていないのは、『彼女』もすこしずつペースを上げているからなのでしょう。私自身少し攻めたペースなのですから、『彼女』のそれも相当なはずです。それでも差が開ける程度のペースに抑えている以上、依然として終盤の追い込みには警戒の必要があるでしょう。私は最終コーナー、そして最後の直線に向けて、態勢を整えました。
そしていよいよ最終コーナーへ足を踏み入れた、瞬間。
後ろから迫りくる轟音が、私の耳に届いたのでした。
轟音の正体は、足音。……どうやら、『彼女』が仕掛けてきたようです。背に感じる冷たい圧迫感に、思わず踏み込む足に力が入ってしまいます。最終コーナーを超えれば、ゴールまでの長い直線が待っています。それでもこのコーナー手前のタイミングで仕掛けたということは、ゴールまで脚がもつくらいスタミナが残っているということでしょう。私の方はといえば、……ここから更にペースを上げることは、できるでしょう。しかし、スタミナ的にはだいぶキツいです。少なくとも、これ以上ペースを上げれば、ゴール手前で垂れるリスクがぐっと増します。かといって、今のペースでは早晩差し切られてしまうでしょう。肩越しに後方を伺うと、茜に染まった景色から、黒い影が迫ってくるのが見えました。蒼の瞳は爛々と輝いて、焔のようにゆらめいて尾を引いています。その安定したフォームは、『彼女』のスタミナ切れという楽観を奪うのに十分なほど安定していました。……やはり、やるしかありません。
コーナーを抜けたタイミングで、勢いを殺さぬように体勢を整えます。目線はまっすぐゴールに向けて、強く、踏み込みました。
息が苦しい、視界が白む、思考がぼやける。私は今、文字通りの全力疾走をしています。全力を使うのですから当然苦しいのですが、この世界に融けていくような感覚に快感を覚えるウマ娘も少なくないのです。……私も、そういう感覚には覚えがあります。勿論、サイレンススズカさんをはじめとする逃げウマ娘たちには遠く及びませんが。とかく、感覚がどんどんと鈍るような息苦しさ、耳鳴りとともに遠ざかる音の中に、いっそう力強く響く音があります。
それはやはり、『彼女』の足音でした。
もはやゴール以外を意識できないほどに余裕のない私でしたが、その音だけははっきりと聞こえます。だんだんと迫ってくる足音は、私にとって死神のそれでした。危機感、そして焦燥が全身にめぐります。このままのペースでは、差し切られてしまう。でも、もうこれ以上ペースを上げられない。そういう危機感であり、焦りでした。
そうして鎌首をもたげてくるのが、悪い想像。つまり、負けた時の想像でした。『彼女』の言に従えば、ここで負けた私は、消えてしまうのだといいます。消える、というのが具体的にどんなものかはわかりませんが、どうであれもう二度とレースに出走することが叶わなくなるのは確実でしょう。それは……とても受け入れがたい、厭な想像です。ただでさえ負ければ悔しいのに、その先のレースで勝ちを得る機会すら失われる。……それは、すごく、いやだ。いやだ、まけたくない。そんな昏い気持ちとともに、力が沸き上がってきます。私はこの沸き上がる最後の力を振り絞り、心に張り付く強い感情のままに、強く踏み込んで…………
……違う。違います!私は、負けないために走っているわけじゃありません!……確かに、私の中には負けたくない気持ちがあって、それは無視しえない程に大きいです。負けて悔しい思いをするのも嫌です。負けて、もうレースに出られないのも、嫌。でも、でもね。当たり前のことだけど、私が走るのは、勝ちたいからです。栄光の舞台で、強敵とぶつかり合い、そして勝つ。そうやって、人々が語りたくなるような「英雄」になりたくて、私は走っているのです。負けたくないのは、私の物語を期待してくれる人たちの、その期待を裏切るのが怖いのです。負けることから逃げたくて駆けているのでは、決して、決して、ないのです!……こんな、『彼女』から、強敵から、逃げるような気持ちで走るのは、私の走り方ではありません!
頭から敗着への恐怖を追い出し、私は目を見開きます。依然息は苦しいままでしたが、先ほどより視界がはっきりしています。その私の視界の端からのぼってくる影は、間違いなく『彼女』のものでしょう。あれだけあった差もほとんどなくなって、もう既に並びかけています。既に打てる手は尽くしきっていて、もう余力も奥の手もありません。ならば、頼れるのはもはや、気合と根性だけです。
遠く、雄たけびが聞こえます。その声が私のものか、それとも『彼女』のものか、判別することはできませんでした。
残り100m、遂に『彼女』が私に並びます。『彼女』の末脚が、遂に私をとらえたのです。万事休す、もはやこれまで……否!否!まだ終わりじゃない!ここで幕引きになんてさせない!勝ちます!歯を強く食いしばり、鋭く地面を蹴り上げます。必ず勝ちます!私との戦いに!だってだって、そのほうが……
そのまま、私たちは、もつれ合いながらゴールしたのでした。
「いい勝負でした」
どこか朗らかな表情をした『彼女』の口から出たのは、素直な賞賛、あるいは感謝。私もそれに応えます。
「ええ、とても、いい勝負でした」
本当に、そう思います。今までもたくさんの強敵と戦ってきた私ですが、これほど負けたくないと……もとい、絶対に勝ちたいと思える相手は、なかなかいませんでした。
「ええ、本当に。……勝ったと、勝てると、思ったんですが」
「……私も、負けたかと思いました」
そう言いあって、私たちは互いの健闘を認め、笑いあいます。……『彼女』のこんなに柔らかい表情は、図書室での邂逅から一度も見たことがありませんでした。そんな『彼女』の笑う顔をみて、なんだか嬉しくなって、また笑います。それをひとしきり繰り返した後。
「あの、実は謝らなきゃいけないことがありまして」
『彼女』がそう切り出しました。はて、私にはまったく心当たりがありません。
「貴女が、悪の
……そういえば、そういうお話でした。レースに意識を傾けすぎて忘れていたことでしたが、たしかに大事なことです。しかし、謝ることというのは……?
「ですから、それ、嘘なんです」
………?…………。
えぇっ!?
あの、ええと……いえ、確かに考えてみれば、納得できることでもあります。あの時、あまりの発言に混乱していましたが、その根拠についてなどまったく聞いていませんでした。だというのに、『彼女』の剣幕やその場の空気のようなものに流されて、疑うことすらしていませんでした。うぅー……。最初からファンタジーすぎる話だったのに、勢いに任せて信じ込んじゃう私のおバカ……!
「……貴女のほうがよっぽど悪い
恨みのこもった目線とともに、『彼女』にそう言い捨てます。『彼女』は気にした様子もなく、そうですねと言ってけらけら笑っています。
「いいじゃないですか。英雄ロブ・ロイだって、もとはアウトローですし」
「……それは、私もちょっと思いましたけど」
「自分との闘いとかも、なんだか英雄の物語みたいですし」
「ですよね!私もちょっと思ってたんです!」
「自分自身の存在、アイデンティティを賭けた闘い!そしてその闘いを通じて、自分自身を認め受け入れる!まさしく物語の英雄です!」
「わかります!その話で行くと例えばこの間刊行された本の中に……あれ?……えっと、もしかしてなんですけど」
「はい」
「……あんな突拍子もない嘘ついたのって……」
「はい!その場のノリと勢いです!」
「ですよね!反省してください!」
言い合って、また笑いあいます。『彼女』の空色の瞳は楽し気に細められて、空気に溶けるようにほのかな光を放っていました。そこで、私は辺りが暗くなりかけていることに気づきます。首をひねって空を見れば、もうほとんど改定のような藍が空を染めていて、陽光の気配は山の際がわずかに黄色くなる程度にしか感じられません。マジックアワー。日が沈んでから、夜がやってくるまでのわずかな間隙。舞台から降りた太陽の、名残の光が空の表情を千々に変えていく時間。そんな魔法の時間が、終わってしまったようです。
息も整い、体が動かせるくらいに回復した私は、上体を起こします。そして、ねぇ、と声をかけて『彼女』のほうを見れば。そこには、ただ一人分、周りのそれより潰れた芝があるだけでした。妙に冷え冷えとした風が吹いて、潰れていない芝が大きくそよぎます。なんだか脱力してしまって、起こした上体をもう一度倒して、寝転がります。
……終わった。私自身と戦って、語り合って、笑いあう。そんな奇跡みたいな時間が、終わった。終わってしまった。そのことがなんだか寂しくて、名残惜しくて……。
「本当に、楽しかった……」
風が甲高い鳴き声を上げて、体を通り抜けていきます。その風の冷たさを感じながら、私は目を瞑って、もう一人の英雄の残した時間の、その余韻に浸るのでした。
「と、こんなかんじでいかがでしょう!」
私は語る口を止めて、トレーナーさんに言いました。トレーナーさんをじっと見つめて反応を伺いつつも、原稿用紙に文字を綴る手は止めません。トレーナーさんは考え込む様子を見せますが、すぐに目を合わせて応えを返します。
「うん、いいと思うよ!けど、ちょっとファンタジーすぎない?」
ごもっともな意見でした。なにせ、私がトレーナーさんにお願いされたのは、日常のひとコマをテーマにしたエッセイの執筆です。これは確かに非日常的すぎます。
「たしか、『ゼンノロブロイの英雄譚』の出版にあたって、レース以外の描写も欲しいというお話でしたね」
「そうなんだ。編集の都合だからこればっかりはね」
私は手を止めて、数瞬あいだ逡巡します。とはいえ、出てくる結論は最初からわかりきっていました。
「……そうですね。別のお話にしましょう。」
トレーナーさんは、穏やかな、そして少し申し訳なさそうな顔でこちらを見つめていました。……正直に言えば、私はこのお話が出版されることをそもそも期待していませんでした。私がトレーナーさんにこのお話を聞かせたのは、私がただ語りたかっただけなのです。ただ『彼女』のことを語って、『彼女』がいたということを、誰かに知っていてほしかった。そしてなによりも、私が『彼女』のことを覚えていたかった。ただそれだけのための、エゴでした。だから。
「でもさ」
そこでトレーナーさんがかけてくれた、その言葉に。
「この物語、いいよね。好きだよ」
私は満面の笑みで、答えるのです。
「はい!私も、大好きです!」
レースシーン、にわか仕込みの知識で書いたので、変なところがあったら教えてください。
その他、おかしな部分やもっとこうしたほうがいいんじゃないかなどのご意見、解釈バトル等も頂けると嬉しいです。もちろん、そうじゃない感想・評価も大歓迎です。泣いて喜びます。
本作はこれで一旦終わりにして、私は本業の読む専に戻ります。次があるとすれば、後日談(日常もの)か、ゼンノロブロイVSアクノロブロイVSダークライ(ネタ)かのどっちかだと思います。期待せずにお待ちいただけると幸甚に存じます。
俺と解釈バトルしようぜ ! 解釈バトル !!