★ (その日の宵の口)モンゴメリー地区・グランドホテル・客室
夜の闇が、緩やかに地上に降りてきている宵の口。
ホテルの廊下を、堂々とした雰囲気で歩いている杏寿郎。
ある客室の扉の前に辿り着き、躊躇うことなく、コンコン、とノックする。
アンナロッテ[扉の向こうから]〔(間を置かず)はい〕
杏寿郎「煉獄だ! よろしいか?」
アンナロッテ[扉の向こうから]〔どうぞ、開いてます〕
杏寿郎、間髪入れず、ガチャッ、とノブを回して扉を開ける。
勢いよく、室内に足を踏み入れる。
杏寿郎「失礼する!」
部屋の中は、ベッドがふたつ据えられているツインルーム。
その片側の、白いシーツの上にサンタミカエラが横たわっている。
シャツを着崩した状態で、短パン姿。
体側左側を下にして、猫のように身体を丸めて、眠っている。
すう・・・すう・・・と、穏やかで規則正しい寝息を立て。
ベッドサイドには、椅子に座ってこちらを見ているアンナロッテの姿。
杏寿郎、足音を殺して近寄り、アンナロッテの傍らに立つ。
ふたりの視線が、サンタミカエラの寝姿に固定される。
杏寿郎「(優し気な声色で)やはり、慣れない鍛錬はきつかったようだな」
アンナロッテ「そうですね。特殊な訓練であるのは、見ていて判りました。もともと基礎体力はある子なのですが」
何もかも許容したような、安らかで可愛らしい寝顔のサンタミカエラ。
眼差しを注いでいる、アンナロッテと杏寿郎。
少しの、間。
アンナロッテ「(静かで、深い口調で)この子は両親を失って以来、ずっと我武者羅になってきました。黒衣の者や吸血鬼に対する憎しみと、怒りと、憤りを持ち続けて・・・若くして七会士となり、『閃姫』の二つ名を貰い、まさしく猪突猛進という日々でした。しかし・・・(サンタミカエラの髪を軽く撫で)私はずっと不安でした。跳ねっ返りで前ばかり見ていたこの子は、ありがたいことに私の注意や戒めは聞いてくれましたが、いつか足元を掬われ、取り返しのつかないことになるのではないか、と・・・」
むにゃ・・・と、サンタミカエラの唇が動く。
アンナロッテ、彼女の髪から手を戻し、杏寿郎を見上げる。
アンナロッテ「ソリアという都市での、黒衣の者との闘いの顛末は、ご存知ですか?」
杏寿郎「(こく、と首を縦に振り)うむ、ラーラマリアから粗方聞いている」
アンナロッテ「その日を過ぎてからでした。サンタミカエラが変わったのは」
再度サンタミカエラを見詰めるアンナロッテ。
アンナロッテ「表面は相変わらずの彼女でしたが、それまで怒りを糧にしていたような言動が、明らかに変わりました。何か目指すべき目標を得たような、上昇志向を秘めたような・・・そんな雰囲気を持ち始めたのです」
刹那の、後。
アンナロッテの瞳が、慈愛の彩りを帯びる。
暫くの、間。
アンナロッテ「(清んだ声で)恐らくサンタミカエラの心には、キリエがいます」
杏寿郎、一度アンナロッテの横顔を見遣り、再びサンタミカエラに目線を送る。
それから、理解したかのように、大きく頷く。
サンタミカエラの落ち着いた寝息の音が、ふたりの耳朶に流れ込んでくる。
アンナロッテ「キリエをどう想っているのかは、まだ話してもらっていませんが、少なくとも悪く想ってはいない筈。それを問う度に、否定されたり、はぐらかされたりしてますがね」
言葉の端部に、零れ落ちるような寂寞さ。
アンナロッテの眼差しに、憂いの影が降りている。
それを横目で見て、サンタミカエラの寝顔に視線を戻す杏寿郎。
口元を結び、真摯な顔付き。
アンナロッテ「(ふっ、と自嘲気味に)個人として見護ってきたつもりですが、情けない限りです。いつかは、正直な気持ちを話してほしいのですけど・・・」
杏寿郎「(穏やかな口調で)サンタミカエラは君の妹のような存在なのだな、アンナロッテ」
アンナロッテ「(微笑んで)これほどやんちゃな妹ですからね。姉として甲斐があります」
杏寿郎、静かに笑みを浮かべる。
そしてアンナロッテを見詰め、力強さを視線に込める。
杏寿郎「案ずるな。いつか必ず、君に話してくれるだろう。俺はそう信じる」
アンナロッテ「(杏寿郎に目を向け、軽く頭を下げ)ありがとうございます、エンバシラ」
安堵したような雰囲気で、サンタミカエラに目線を戻す、ふたり。
深く優しい睡眠が、『閃姫』の心身を癒し続けている。
★ (深夜0時頃)フェリー桟橋
漆黒の闇に覆われ、静寂が支配する、夜の波止場。
沖合のイェルバ=ブエナ島の灯台と、港湾地区の灯台が、定期的に旋回した光を放つ。
小型艇を接岸させる、小規模な桟橋に、一艘の小型ボート。
特殊な造りで、どうやら軍関係の武装艇の様相。
船体近くの桟橋の上に、2名の人影が向かい合って立つ。
そこから20数ヤード離れた位置、コンテナが並んだ地区がある。
ひとつのコンテナの裏に隠れて、桟橋の2名を窺っている、別の人物。
アンナロッテから“依頼”を受けて行動している、薬局の店主。
ボート傍の2名の様子を、コンテナの角越しに垣間見ている。
会話の内容は明瞭に聞き取れないが、片方が怒声に近い発声、片方が委縮したような雰囲気。
暫くの時間、そのまま。
桟橋の1名がボートに乗り込むのを確認してから、その場を離れる店主。
★ (その15分後)カリフォルニアストリート・路上
急ぎ足で、チャイナタウンへの路上を歩いている、薬局の店主。
周囲には通行人もなく、街灯の仄かな灯りだけが闇に浮かぶ。
いきなり。
ブォン・・・と、極めて不気味な、空気が澱む後。
店主、歩みを停める。
続け左右、後方を、両目を忙しなく動かして確認する。
誰もいない。
その直後、再び、ブウォン・・・と羽音のような音響。
同時に、この場の空間が歪んだような、凄まじい違和感。
何かの影が、路上から回り込み、店主のいる右側の宙に具現化されようとする。
即座に、スチャッ!と腰に差していたデリンジャー銃を引き抜く店主。
“何者”かが現れそうな方向に、護身銃を向けて構える。
だが、誰もいない。
沈黙と闇、ところどころから街灯の灯。
ふと、店主が路上の反対側を見遣る。
銃を向けた先の歩道に、1匹の黒猫が歩いている。
それ以外の動く影は、可視範囲に存在しない。
店主、ふう、と短く溜め息をつくが、警戒の目線を眼鏡越しに射る。
それから、デリンジャー銃を右手に下げたまま、小走りにその場を離れ始める。
姿が角を曲がって消え、後には黒猫1匹が残される。
その黒猫の視線が、路上の虚空に繋ぎ止めれている。
ほとんど人の視界には捉えられないほどの、微かな空間の歪が、猫の瞳に映っている。
途端。
ブォン・・・と、気味の悪い音だけを放ち、影も歪みも消えてなくなる。
黒猫が、不可思議そうに首を傾げ、残響が滞留する闇を見詰めている。
【 To be continued...『閃光少女(後編)』】