★ (四日後)モンゴメリー地区・グランドホテル・中庭
午後。曇天の空。
グランドホテル中庭の芝地で、サンタミカエラと杏寿郎が向かい合っている。
同じ道着、袴姿に草履。どうやら鍛錬の最中の模様。
いきなり。
ぐるん!と、サンタミカエラの身体が上下反転する。
杏寿郎の右腕が、一瞬で彼女の脚を跳ね上げ、宙で側転させた模様。
天地が逆になり、重力に伴い、頭から地に落ちようとするサンタミカエラ。
即座に身体を捻り、両足を芝に着けようと試みる。
しかし、間に合わず。
左肩口付近から、ゴン!と地面に叩き付けられる。
頭部直撃は避けられたようだが、重い痛みが左肩と腕に走る。
サンタミカエラ、歯を食い縛って、ざん、と素早く立ち上がる。
杏寿郎、悠然として笑みを湛えたまま。
杏寿郎「(鋭い声で)どうした! 受け身が甘い! 起き上がりも遅い! 次!」
サンタミカエラ「(すう、と大きく息を吸ってから)おう! 頼む!」
一度、両拳を腰に据え、ザッ!と芝を蹴るサンタミカエラ。
しいぃぃぃ・・・と、噛み合わせた歯の隙間から、呼吸が漏れる。
彼女の右拳の突きが、繰り出されようとする。
杏寿郎の右腕が、円弧を描く。
再び、ぐるん!と天地反転する、サンタミカエラの身体。
空中で呼吸を整えながら、両脚を折り畳み、芝面に立とうとする。
今度は勢い余って、右足を上手く着けず。
体勢を崩し、ぐら・・・と右方向に大きく振れる。
だが何とかバランスを戻し、倒れずに芝の上に両足を踏ん張る。
杏寿郎「鬼は待ってはくれん! 上下前後左右! どちらからの攻撃にも対処出来ねばならん! 自分の確実な構えを身に付けろ! 次いくぞ!」
サンタミカエラ「(ふうう、と息をつき)来いっ!」
サンタミカエラ、もう一度両の拳を握り、腰を落とす。
すうう、と素早く深い呼吸と、しいぃぃぃ・・・と上下の歯の間からの吐息。
ざっ、と彼女が芝を蹴った、直後。
すいっ、と杏寿郎の姿が左側に流れ、サンタミカエラの左脚を右手で掴む。
瞬時に左手を添えたかと思うと、身体の動きを乗せて両腕を思い切り振り上げる。
ブンッ!と空気を震わす音。
サンタミカエラ、3ヤードほど真上に放り投げられる。
思わぬ展開に、目を丸くする彼女。
しかしすぐに、身体を回転させ、脚を丸め纏めて宙で平衡を戻そうとする。
落下軌道に入りながら、杏寿郎目掛けて身体を捻る。
杏寿郎が、ざっ!と体軸をずらし、正中線を隠した構えを取る。
サンタミカエラが空中で構えようとするのと、杏寿郎が左の手刀を繰り出すのが、同時。
ガッ!と、右腕を盾のようにして、下腕で手刀を防ぐサンタミカエラ。
その攻撃の勢いで、立て直そうとしていた体勢が、再び崩される。
ざすっ、と両足底を擦りながら、辛うじて着地する彼女。
サンタミカエラ、両拳を腰に構え直しながら、はあ、はあ、と大きく肩で息をする。
杏寿郎、相変わらず呼吸がまったく乱れず。穏和な表情。
杏寿郎「集中が乱れているぞ! 呼吸を整えろ! 素早く身をこなせ!」
サンタミカエラ「(ぎっ、と奥歯を噛み)おうっ!」
すううっ・・・と深呼吸をするサンタミカエラ。
腰を、ぐっ、と落として、両脚を安定させる。
食い縛った歯の隙間から、しいぃぃぃ・・・と靄のような息が流れ出る。
暫しの、後。
だんっ!!!と、突き上げるような、凄まじい音。
芝面を揺らし、サンタミカエラが、杏寿郎へと距離を詰める。
一拍も満たない、速攻さ。
杏寿郎の両眼が、ギンッ!と鋭い眼光を飛ばす。
サンタミカエラ、眉を思い切り上げ、カッ!と両眼を見開く。
途端。
彼女の胸襟の道着が、むんず、と捕まえられ、杏寿郎の両腕が真後ろに振られる。
ブーンッ!と、放物線を描くサンタミカエラ。
刹那の、間。
彼女が既に身体を回転させ、両足を真下にして、空中で構えを再構築している。
ずん!と、足底を同時に着けて地に立つサンタミカエラ。
僅かに身体が揺れるが、即座に平衡を立て直し、攻撃の態勢。
しいぃぃぃ・・・と漏れる呼吸。迸る気迫。
杏寿郎、両の目を大きく開け、ふっ、と笑みを浮かべて、身体を向ける。
杏寿郎「よし! 今の感じだ! もっと腰を落として安定させろ! あと千本!」
サンタミカエラ「(にっ、と不敵に笑い)っしゃっ! 頼むぜっ!」
片や。
中庭に通じる扉を開け放った場所に、アンナロッテが両手を後ろに組み、立っている。
ふたりの鍛錬の一部始終を、ずっと見詰めて続けている。
特に、大きく表情を変えることはない。
しかし。
サンタミカエラが杏寿郎に褒められた時、静かに微笑み、頷く。
それから引き続き、ふたりの応酬を、目を細めて眺め始める。
アンナロッテ「(呟き)“転がし祭り”とは、よく言ったものです」
何度目か判らないが、サンタミカエラの身体が宙に放り投げられている。
それを繰り返し、こなすごとに、杏寿郎の 咤激励の声が飛ぶ。
間髪入れず、サンタミカエラが返事を返す。
時に悔しそうに、時に嬉しそうに。
その顔には、常に真剣な表情が浮かんでいる。
視線は真っ直ぐに、折れることなく、伏せることなく、不屈。
アンナロッテの眼差しが、逸れることなく彼女に結わえられている。
★ (その日の午後5時頃)モンゴメリー地区・グランドホテル・客室
夕刻近く、廊下を行き交う足音が増えてきた、時間。
サンタミカエラとアンナロッテが寝泊りしている、ツインルーム。
ベッドに腰掛けたサンタミカエラ、半袖のTシャツとホットパンツ姿の、軽装。
彼女の左隣、アンナロッテが座り、傍らに救急箱が置かれる。
サンタミカエラの左袖が捲り上げられており、晒されている肩までの肌。
肩口から上腕部に掛けて、ある程度の範囲が赤く腫れ上がっている。
どうやら、昼間の鍛錬で打撲していた箇所。
アンナロッテ、手慣れた様子で冷感剤の薬瓶を開け、手早く塗布する。
一瞬、痛みに顔を顰めるサンタミカエラ。
幾重に折ったガーゼが当てられ、流れるように包帯が巻かれていく。
患部の措置を終わったアンナロッテ、ふう、と短く息を吐く。
サンタミカエラ、包帯を暫く見詰め、申し訳なさそうに目線を上げる。
サンタミカエラ「(眉を寄せ)悪ぃな、手間掛けさせちまって」
アンナロッテ「(首を左右に振り)いいえ、気にしないように。慣れない訓練が続いて大変でしょう」
サンタミカエラ「なーに、これしきで音を上げてらんねェよ。もっと鍛えねェと」
にっ、と歯を剥いて明るく笑うサンタミカエラ。
視線を絡ませ、静かな呼吸を一度行い、柔らかい微笑を浮かべるアンナロッテ。
アンナロッテ「(優しい声で)・・・無理しないで下さいね」
サンタミカエラ「(へっ、と笑って)大丈夫だって。身体は頑丈なつもりだからよ」
アンナロッテ「身体もそうですが・・・(深い響きの口調)心もです」
びくっ、とサンタミカエラの両肩が跳ねる。
サンタミカエラ「(不意を衝かれたように)え?・・・」
余りに想定を超えた、アンナロッテの言葉。
サンタミカエラ、瞬きすら忘れたかのように、瞼を開いたまま、停止。
そして、顔も、身体も凍て付かせる。
少し、間を置き。
アンナロッテ「話してはくれないのですか? 何故、それほどまでに強さを求めるのか・・・“本当の理由”を」
アンナロッテ、縋るような、切な気な眼差し。
深淵に沈んで息も出来ないような、何かが圧し掛かって喘ぐような視線。
このような目線を、彼女から向けられたことなど、一度もない。
サンタミカエラの裡が、空白化する。
それからゆっくりと視線を外し、前方の虚空に視界を向ける。
思考が滞っている模様。
やがてサンタミカエラの表情が、罪悪感を帯びた色彩へと染まり始める。
彼女の横顔から目線を動かすことなく、アンナロッテが口元を引き締める。
アンナロッテ「エンバシラを大変気に入っているのは解ります。彼に教えを乞う気持ちも解ります。ですが・・・(透明な声色で)貴方には何か『目標』がありますね? 不動の強さを身に付けて目指す『目標』が・・・」
その言葉の後、ふたりの間の空気が、固まる。
サンタミカエラは、焦点の定まらない視線を前に放り投げたまま。
アンナロッテは、サンタミカエラの回答を待つように、身動ぎもせず、見詰めたまま。
長い、間。
長い、間。
更に、間。
漸く。
完全に足元に顔を伏せ、ぐっ、とベッドに付いた両手を固く握るサンタミカエラ。
サンタミカエラ「(申し訳なさそうに)すまねェ・・・今は、話したくねェんだ・・・」
半分閉じられた瞳には、贖罪の彩り。
アンナロッテ、それを目の当たりにして、我に返ったように瞼を瞬かせる。
短く間、凝固したように息を停め、そして穏やかな息を漏らす。
清廉さを湛え、尚且つ寂寞さを包括した微笑みとなるアンナロッテ。
緩やかな動きで、彼女の右掌がサンタミカエラの頭に乗せられる。
それから、慈しみと愛おしさを表現するように、柔らかく髪を撫でる。
アンナロッテ「(深い響きで)解りました。でもいつか、私にだけは聞かせて下さい」
徐に上がり、向けられるサンタミカエラの目線が、少し驚いたよう。
アンナロッテの優和な眼差しと、サンタミカエラの曇りのない澄んだ眼差しが、絡み合う。
サンタミカエラ、小さく笑みを見せ、こくん、と明確に頷く。
アンナロッテ、ただただ彼女の髪を撫で続けている。
ふたりの確固たる時間が、そこに存在する。