★ イェルバ=ブエナ島・アメリカ陸軍基地
陸軍基地の建屋が並ぶ敷地の、奥の端。
前庭中央付近では、死兵の残骸が燻り、今も焦げ臭い煙を立ち昇らせている。
そこから距離を開け、倉庫らしき建物の、すぐ手前。
1ヤード四方の木製コンテナに腰を下ろしている、杏寿郎。
すぐ目の前には、懐中時計を時折見て、杏寿郎の様子を窺いながら立つアンナロッテ。
サンタミカエラは、杏寿郎のすぐ横に立って、両目を固く閉じ、胸の前で両手を組んで、祈っている。
修道会兵士Cが、少し離れた位置で、電撃杖を手に周囲の警戒中。
杏寿郎、瞼を閉じ、すううう・・・ふううう・・・と、規則正しい呼吸を繰り返している。
アンナロッテ「(冷静な雰囲気で)そろそろ解毒剤が行き渡る頃です。気分はどうですか?」
ぐっ、と唇を固く結び、組み合わせた両手に顔を付け、顔を伏せるサンタミカエラ。
僅かの、間。
一瞬、ぴた、と杏寿郎の呼吸が鎮まる。
突如、くわあっ!と全開で見開かれる、彼の両眼。
そして、すっく、と勢いよく起立し、両足を肩幅に広げ、地面を踏み締める。
両手を、ぐっ!と力強く握り、拳として胸の前に掲げる杏寿郎。
杏寿郎「(爽快な声で)手足の痺れも感じない! 呼吸も全身に巡っている! 問題ない!」
アンナロッテ「(ふう、と安堵の息をつき)良かった・・・効いたようですね」
カパン、と懐中時計の蓋を戻すアンナロッテ。
その音が、響き。
ガバッ!と顔を上げ、組んだ両手を解き、体側に下ろすサンタミカエラ。
彼女の両目が正円に開かれ、口元の緊張が解ける。
徐々に、唇が震え始める。
サンタミカエラの双方の目頭から、ぶわあっ・・・と涙が噴き出す。
それは見たことのないほど大きく膨れ、あっという間に、流れとなり頬を伝う。
頬から顎へ、そして胸元へ、地面へ、大粒の落涙。
ぽろぽろっ・・・ぼたっ・・・ぼたっ・・・と、透明で綺麗な、雫。
全身を震わせ、口元は覚束なく、ただひたすら涙に感情を込めている。
そして。
一気に、気持ちの波が押し寄せ、溢れる。
サンタミカエラ「(叫び)アニキぃぃぃぃぃ!!!」
一瞬で、杏寿郎の正面から、胸元に飛び込むサンタミカエラ。
がばあっ!!!と、両腕を彼の背中に回して抱き着き、そのまま、ぐうううっ・・・と力を込める。
杏寿郎の、驚いた顔。
アンナロッテの、静かな微笑。
修道会兵士も、ふう、と安堵の息を継ぐ。
サンタミカエラ、杏寿郎の胸に顔を埋め、頬を擦り付け、喉を鳴らし、泣く。
全部の不安が払拭され、緊張から解き放たれた、嬉しそうな、感涙。
瞳は潤ませ、顔には歓喜を浮かべる。
サンタミカエラ「(感情で喉を詰まらせながら)良かった・・・アニキが死ななくて・・・ホントに・・・」
杏寿郎「(深い響きの声で)心配を掛けたな、サンタミカエラ。すまん」
穏やかな笑みで、右手を彼女の頭に乗せ、柔らかい動作で撫でる杏寿郎。
薄紅色に頬を染め、こくん、と小さく頷くサンタミカエラ。
杏寿郎、視線をアンナロッテに向け、目尻を柔らかく緩める。
杏寿郎「君にも世話を掛けた、アンナロッテ。本当に助かった」
アンナロッテ「(首を左右に振り)いいえ、何の恩義もお返し出来てませんよ」
肩を大きく上下させ、ふうう・・・と、長い溜め息を吐くアンナロッテ。
再びサンタミカエラに目線を繫げる、杏寿郎。
今もしゃくり上げているが、喜びに染まっている、彼女の表情。
暫くの、間。
更に、少しの時間。
サンタミカエラが、腕を解き、身体の横に下ろし、身体を戻す。
半歩下がって、肩幅に両足を開き、視線を僅かに伏せる。
それから、ぐいっ、と右掌の指球で、両頬に残った涙を拭う。
瞬間、眉を、きりっ、と寄せて引き締める。
サンタミカエラ「(芯の通った声で)よし!・・・決めた!」
すいっ、と顔を上げ、真っ直ぐに杏寿郎を見詰めるサンタミカエラ。
表情は、真剣そのもの。
サンタミカエラ「(抜けるような声)アニキ! オレっちをハポンに連れってってくれ!」
再び、驚いたように目を開く、杏寿郎。
眼前の少女の言葉に、意外とばかりに。
アンナロッテ、ぶれない目線をサンタミカエラの横顔に送っている。
僅かに、眉の辺りと唇の端に、寂寞さが漂う。
サンタミカエラ「この一週間、アニキから鍛錬してもらって、あの吸血鬼を斃すことが出来た。全部アニキのお陰だ。でもオレっちはもっと強くなりてェ。こんなもんじゃねェ。今度はアニキに手間掛けさせねェくれェ、圧倒的な強さを身に付けてェんだ。呼吸ももっと極めてやる。全集中の常中、だったよな? まずそれが出来るようにならねェと・・・(明瞭な声で)頼む! オレっちをハポンで『ツグコ』として正式に弟子入りさせてくれ!」
明確な意思が、台詞に満ち溢れる。
サンタミカエラと杏寿郎の眼差しが、絡む。
一拍の、間を置き。
杏寿郎、口角を少し上げ、いつもの笑みを浮かべる。
そして徐にアンナロッテに顔を向け、目線を一直線に注ぐ。
杏寿郎「アンナロッテ、良いのか?」
サンタミカエラ、杏寿郎に続いてアンナロッテに視線を繫げる。
サンタミカエラ「(申し訳なさそうに)すまねェ、アンナロッテ。許可なく急に決めたりして・・・(一転して真摯な顔で)でも、本気なんだ。浮かれた気持ちで決めたんじゃねェ」
アンナロッテ、急に、厳しめの表情。
深淵のようなセルリアンブルーの瞳が、サンタミカエラを捉えている。
アンナロッテ「(深い響きの声で)サンタミカエラ、貴方が強くなりたい“本当の理由”を話してくれますか?」
サンタミカエラ「“本当の理由”・・・」
ザッ、と爪先を返し、身体をアンナロッテに正対させるサンタミカエラ。
微塵も揺らがない、毅然とした眼差し。
両の眼から迸る、気迫。
そして、まったくの躊躇なく。
サンタミカエラ「(凛とした発声)オレっちは、キリエの隣に立ちてェ」
断言。
杏寿郎とアンナロッテが、同時に目を見開く。
刹那の、間の後。
サンタミカエラの唇が、明瞭に言葉を紡ぎ出す。
サンタミカエラ「ソリアで黒衣の者と闘う直前で、オレっちは煉滅弾をあいつに託さなきゃならなかった・・・最初はそれが悔しかった。何で父さまと母さまの仇を斃せる直前で、って・・・しかも黒衣の者の娘のあいつに、って・・・(自嘲気味に)情けなかったんだ。あれしきの怪我で先に進めなくなった自分も、さ・・・(納得した様子で)でも今思えば、やっぱキリエに託すべきだったと思う。ラーラマリアは正しかったさ。キリエを信じた奴の判断は、間違っていなかった」
ふたりが、真剣な表情で聞き入っている。
サンタミカエラ「(静かな笑みを浮かべ)今も何度も思い出すんだ。オレっちに手を差し出した時のキリエの表情と、言葉を・・・とても吸血鬼とは思えない澄んだ眼とか、優しい顔とか・・・(短く息を吐き)『ああ、聖女ってこんな感じなんだなぁ』って・・・気ィ失い掛けながら、そう思った。その時からなんだ、オレっちの中にあいつがずっといるようになったのは・・・」
懐かしむように、自分の想いを確認するように、連鎖する発言。
そして、きっ、と真面目な顔で、アンナロッテと杏寿郎を見遣るサンタミカエラ。
サンタミカエラ「(透明な声質で)キリエは、暗闇に怯えてたオレっちに光をくれたんだ」
転じて、遥か彼方を見るような視線となり、やや目を伏せる彼女。
サンタミカエラ「キリエは、今も黒衣の者を追っている。ソリアであれだけの目に遭いながら、狂血病を浄滅させる為に・・・“明日”を取り戻す為に、あいつは進んでいる。目標はオレっちも一緒だ。父さまと母さまを吸血鬼にした狂血病を、この世から無くしてェ」
サンタミカエラ、もう一度、視界の焦点をふたりに戻す。
表情にも、瞳にも、勇気と向上の意志が漲る。
サンタミカエラ「キリエのことだから、ひとりでも闘うだろうよ。黒衣の者相手だと、今のオレっちは足手纏いでしかねェ。(きり、と引き締めた顔で)だから! もっと強くなって! あいつの隣で! 黒衣の者相手に闘えるくれェになりてェんだっ!!!」
突き抜けるような、決意。
自分の裡にあった“本気”を、確固たる昂ぶりと共に、宣言。
瞬きひとつせず、アンナロッテと杏寿郎を見詰めるサンタミカエラ。
長い、間。
更に、間。
アンナロッテ、穏やかな笑み。
そして、透明な眼差し。
アンナロッテ「(僅かに声を震わせ、嬉しそうに)よくぞ・・・正直に言ってくれました」
続いて、杏寿郎も、いつもより口角を上げ、深く大きく首を縦に振る。
そしてアンナロッテが、身体を杏寿郎に正対させ、真摯な眼差しを送る。
アンナロッテ「エンバシラ、この子をお願い出来ますか? この子の望むように、育ててやって下さい。(深々と頭を下げ)何卒よろしくお願い申し上げます」
最敬礼の角度で留め、そのままの姿勢を維持し始めるアンナロッテ。
サンタミカエラが彼女を凝視し、表情を緩め、それから杏寿郎に目線を戻す。
返答を待つ、縋るような瞳。
杏寿郎、居住まいを正し、改めてサンタミカエラと向かい合う。
悠然とした、巨木のような佇まいで。
ごくり・・・と、生唾を飲み込むサンタミカエラ。
杏寿郎「キリエは、黒衣の者の娘でありながら、血の“渇き”に耐えながら、人々を護る為に悪鬼に銃を向けている。キリエは、狂血病というこの国の闇を晴らす、明け星の如き『希望』となるだろうと、俺は確信している」
サンタミカエラ、こく、と一度しっかりと頷く。
杏寿郎の右腕が、バッ!と正面に掲げられ、真っ直ぐサンタミカエラに向けられる。
拳を握り、突き出すような型で。
杏寿郎「(天に轟くような大声)君も『希望』となれ! 心を燃やし! 闇を晴らせ! 必ず出来る! 俺も全力で育てる! 追いて来い! サンタミカエラ!」
途端。
見る見る蕩けるように表情を緩め、一気に弾けさせるサンタミカエラ。
破顔一笑。
目を細め、満面の歓喜。
直後。
サンタミカエラ、自分の左腕を上げ、拳を作り、杏寿郎の右拳に合わせ、当てる。
こつん、と軽やかに鳴る、師弟の拳。
サンタミカエラ「(腹の底からの歓声)おうっ!!!」
アンナロッテ、身体を起こして、ふたりの交流を凝視している。
それから、サンタミカエラの笑顔に眼差しを直結させ、笑みを表す。
今までにないほどの安堵と安心と、言い知れぬ感情を包括したもの。
誰にも気付かれぬよう、そ、と右手を目頭に当て、押さえるアンナロッテ。
すぐに腕を下ろし、再び穏和な微笑みを浮かべ、ふたりを見続け始める。
いつの間にか、地平線は白い帯となり、遠方に拡大。
夜白む、時。
暁の明星が、有明けとなりつつある下弦の半月と、共演して天に座している。