★ (三日後)サンフランシスコ・太平洋郵船会社波止場
快晴の、午前。
サンフランシスコ港の中で最大の桟橋に、黒塗りの外輪船が横付けされている。
全長は120ヤードを超え、横幅26ヤード、巨大な3本のマストがそそり立つ。
船尾近くのマストの天辺には、「JAPAN」の文字を書いた旗が翻る。
その傍らの桟橋に、サンタミカエラと杏寿郎、アンナロッテが並んで立ち、船を見上げている。
杏寿郎、小振りな革袋を持ち、腕組みをして船のデッキ付近を見回す。
隣のサンタミカエラ、左手にボストンバッグを下げ、右手を腰に当て、船のデッキ付近を見回す。
アンナロッテ、高々と天を衝くマストに視線をなぞる。
同じ桟橋を、大勢の人々が行き交い、外輪船に渡された可動橋から乗船している姿も見える。
デッキ辺りを、船員と思しき数名が、客に混じって移動している。
サンタミカエラ「(感慨深げに)とうとうオレっちも、海を渡るのかぁ・・・」
杏寿郎「以前話した通り! 俺も船で上陸した訳ではない! 長い船旅は初めてのことだ!」
サンタミカエラ「(杏寿郎を振り向いて)船の中でもっといっぱい話聞かせてくれ! 退屈しねェくれェにな!」
杏寿郎「(頷き)うむ! 俺の話で良ければ! いくらでも話そう!」
アンナロッテ「(杏寿郎をに視線を移し)このままですと、本当に貴方のいた時代から40年前に着いてしまうかも知れませんね。聞くまでもありませんが、既に覚悟は出来てらっしゃる様子・・・」
杏寿郎「(アンナロッテに目線を繫げ)うむ! 例え俺の生まれる前の時代に辿り着こうと! その時代から鬼はいる! 悪鬼滅殺が俺の責務! 弱き者を救けるのが強き者の責務! それを全うするのみ!」
アンナロッテ「(ふっ、と口角を上げ)お見事な志、感服いたします」
サンタミカエラ、アンナロッテの真正面に立ち位置を変える。
ふたりが、眼差しを絡ませ合う。
何年も一緒に過ごした“妹”と“姉”が、想いの丈を瞳に込め。
暫く、そのまま。
尚も、そのまま。
漸く。
サンタミカエラ「(深い、重みのある口調で)行ってくるよ、アンナロッテ」
アンナロッテ「(柔らかい口調で)くれぐれも身体を慈しむように・・・エンバシラのご迷惑になりませんように・・・そして・・・主のご加護が、貴方の進む道にありますように・・・」
サンタミカエラの右手を取り、包み込むように両手で握るアンナロッテ。
そして自分の胸元まで掲げ上げ、改めて、ぎゅっ・・・と握り直す。
ふたりの結ばれた視線が、湿り気を帯び、更に融け合う。
アンナロッテ「(優しい眼差しで)いってらっしゃい、サンタミカエラ。また逢える日を、心待ちにしてます」
サンタミカエラ、笑顔で頷く。
名残惜しいとばかりに、ゆっくりと、静かに解けるアンナロッテの両手。
何かを振り切る如く、くるっ、と鮮やかに踵を返すサンタミカエラ。
杏寿郎、アンナロッテに目線を向け、しっかりと首を縦に振る。
そして。
師弟が肩を並べ、旅支度を手に、外輪船の可動橋へと歩みを進めていく。
多くの乗船客に、一時紛れ、姿が見えなくなる。
暫くして。
プォオオオ――――――ッ!!!と、港湾地区に、一度目の汽笛。
幾人かが、可動橋を駆け、乗船していく。
アンナロッテは、じっ、と蒸気船のデッキを凝視している。
桟橋の上にも、同じ動作をする人々が群れを成す。
恐らく、自分と同様の、見送り。
船の上。
すっ、と欄干付近に姿を現す、サンタミカエラと杏寿郎。
船と桟橋を繋ぐ可動橋が、既に収納されている。
直後。
ブウオオオオォォ―――――ッッッ!!!と、二度目の、けたたましい汽笛。
出航の、告知。
黒塗りの大型船の外輪が、ゴウン!と大きな音と共に、回転を始める。
非常に緩慢な速度で、桟橋から離れ、船首を悠然と返す蒸気船ジャパン号。
サンタミカエラが、晴れやかな笑顔で、千切れんばかりに右手を振り続けている。
杏寿郎が、腕組みをして胸を張り、口角を上げたいつもの顔で、何度も何度も頷いている。
アンナロッテが、目を細めて、船上のふたりを見詰める。
そして、右手を静かに差し上げ、顔の横で、ゆっくりとした動きで左右に振り始める。
周囲の見送りの人々も、いろいろな型で、離岸する船に別れを告げる。
巨大な船が、船尾を桟橋に向けた、時。
ポウ、ポオオォォォ――――――ッ!という、三度目の、響き。
今、万感の想いを込めて、汽笛が鳴る。
今、万感の想いを込めて、船が往く。
サンタミカエラの新たなる旅が始まり、杏寿郎は故郷へと向かう。
アンナロッテ、右手を体側に下ろす。
船影が、どんどん小さくなっていく。
ただじっと、彼女はそれを凝視したまま、動かない。
長い、時間。
長い、時間。
いつも間にか、他の見送りの人々はいなくなり、桟橋の上にはアンナロッテだけとなる。
ひゅうう・・・と、慰めのように優しく、風が彼女の頬を撫でる。
サンフランシスコ湾沖合で、外輪船が左方向に舵を切った頃。
やっと、アンナロッテが動きを起こす。
懐から煙草の箱を取り出し、1本を口に咥え、残りを仕舞う。
自然な流れで、シュポッ、とマッチを擦り、火を点け、煙草を大きな呼吸で吸う。
しっかりと味わうように溜め、ふううう・・・と、大量の煙を吐き出す。
それを燻らせ、唇に貼り付けたまま、海上を進む船を眺めるアンナロッテ。
アンナロッテ「(哀愁を込め)・・・これから少し、寂しくなりますね・・・」
その、僅かの後。
足音も忙しく、彼女に走り寄ってくる、2名の修道会兵士の姿。
それに気が付き、顔を向けるアンナロッテ。
修道会兵A[面の奥から]「(息を切らせ)薬読様!」
アンナロッテ「(訝し気に)どうしたのですか?」
修道会兵A[面の奥から]「ソリアの砲雷様より、緊急打電が入りました! こちらが電信文です!」
細長い電信文を広げ差し出す、修道会兵士A。
隣の修道会兵士Bも、呼吸を荒げており、かなり急いで来た模様。
素早く、通信文を黙読するアンナロッテ。
途端。
愕然。
アンナロッテ、咥えた煙草を、ポロ、と落とし、蒼褪めた表情となる。
今までにないと思われるほど、動揺して、電文を持つ手が震える。
アンナロッテ「(茫然とした声)・・・真・・・ですか?」
足元に落下した煙草が、ジジ・・・と一際大きく燃える。
一度大きく、すう・・・と息を吸い、ふうう・・・と長く吐き出すアンナロッテ。
その瞬間に、沈着さを取り戻した様相となっている。
アンナロッテ「この件は陸軍本営からの情報・・・ならば、コマンダンテにももう伝わっている筈・・・キリエにも伝わっているのは間違いない・・・」
やや遠くを見るような視線を、通信文の紙越しに投げる彼女。
アンナロッテ「(ゴク、と唾を飲み)キリエは、ハポンを目指すでしょうね」
アンナロッテ、バッ!と顔を上げ、電信文を折り畳み、懐に仕舞う。
きりっ、と威厳に満ち溢れた雰囲気を纏い、修道会兵士2名に目線を繫げる。
アンナロッテ「(修道会兵Aを見て)サクラメントに戻ります。防疫修道会関係者は通常の任務を一時中断、拠点としている教会に明日正午までに集合するように指示を出しなさい。それと、アメリカ陸軍本営を通じて、ラーラマリア葬兵少佐に電文を・・・出来るだけ早く直接お会いして、対策の打ち合わせをしたい、と連絡をなさい。大至急です!」
修道会兵A[面の奥から]「(敬礼し)了解!」
アンナロッテ「(修道会兵Bを見て)貴方は私に同行しなさい。ハポン国領事館に向かいます」
修道会兵B[面の奥から]「(敬礼し)ハッ! お供仕ります!」
ダッ、と先行して駆け出す修道会兵士A。
くるっ、と華麗と言うべき動作で身体を返し、桟橋を歩き出すアンナロッテ。
即座に追随する、修道会兵士B。
アンナロッテ、大股で、ブーツを高らかに鳴らし、街へと進む。
アンナロッテ「(ギリ、と奥歯を噛んで)・・・漸く疑問が払拭されました。黒衣の者の肉体を埋め込まれた者が、何故擬態までして領事に成りすましたのか・・・すべてはこの為・・・黒衣の者をハポンに渡航させる為だったのですね。それに脅され協力したのが、イェルバ=ブエナ島の陸軍大尉・・・どういった経緯で恐喝されたのかは、陸軍との合同捜査になるでしょう・・・コマンダンテにも動いて頂く必要があります。忙しくなりますよ」
言葉が、険しい空気を醸し出している。
斜め後ろに続く修道会兵士Bが、こくり、と首を上下に振る。
突然。
桟橋の袂付近で、歩みを停めずに振り返るアンナロッテ。
湾の沖合の外輪船は、かなり離れ、既にアルカトラズ島方面に船首を向けている。
アンナロッテ「(船影に目を遣り)別れを噛み締めるゆとりすらないとは・・・」
再び、視界を進行方向へと戻す彼女。
現実に即した、冷静で、且つ重厚な空気を、纏う。
アンナロッテ「(独白)サンタミカエラ、これも試練なのでしょう・・・(重厚な声で)乗り越えなさい。そして、無事戻って来なさい。その日を信じ、私も私の闘いを乗り越えていきます」
サンフランシスコの街並みが、近付いてくる。
耳に届きつつある、賑やかな喧噪。
アンナロッテ、口元を引き締め、鋭く前方に目線を注ぐ。
不動の気構えと、微塵の揺るぎもない表情で。
街の高台の方面から、ゴウッ・・・と、一陣の風が吹き下ろしてくる。
彼女のウィンプル(頭巾)とベールの端が舞い、銀色の髪が踊る。
★(一時間後)太平洋上・蒸気船ジャパン号
雲ひとつない、海の上。
アメリカ大陸が遥か後方に、既に霞の帯のようになっている。
ゴールデンゲートを抜け、太平洋上を西進中の、蒸気船ジャパン号。
その船尾付近の欄干に凭れる、サンタミカエラの姿。
段々と薄くなっていく大陸の端を、物憂げに見詰めている。
瞳が、寂し気な色彩。
やや離れた位置で、その背中に視線を結び、腕組みをしている杏寿郎。
サンタミカエラが、身体を起こして振り向く。
寂寞さを顔に出したまま、隠していない。
杏寿郎、ただ悠然とした佇まいで、口角を緩やかに上げている。
彼女の今の気持ちを、包み込むが如く。
僅かの、後。
にっ、と不敵な笑顔に変わるサンタミカエラ。
こくん、と大きく頷く杏寿郎。
そして肩を並べて、船の前方へと歩き出すふたり。
外輪船の甲板には、大勢の乗船客が海の景色を堪能している姿。
掻き分けるように進み、船首付近のデッキに並び、立つ。
どこまでも広がる大海原。
波を掻き分ける進路には、境界が鋭利な直線となっている水平線。
これを越えた先に待ち受けるは、サンタミカエラにとって新たなる世界。
彼女の瞳は、希望と期待の彩り。
サンタミカエラ、杏寿郎を見詰め、満面の笑み。
杏寿郎、サンタミカエラを見詰め、穏やかな笑顔。
それから再び、船の進む航路に、真っ直ぐな視線を送る。
船に並走していた海燕の群れが、その上空を緩やかな軌道で、左右に羽ばたいて展開していく。
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