タイトルは、東京事変「遭難」より。
登場人物:「キリエ~吸血聖女~」より、サンタミカエラ、キリエ、アンナロッテ、ラーラマリア、他、杉村先生の設定ラフ画から1名。
残酷なシーンが書かれております。
同一内容を、下記サイトにも掲載しております。
pixiv:https://www.pixiv.net/novel/member.php?id=323663
「キリエ~吸血聖女~」二次創作小説
【 遭難 】
ただ冷気が、身に纏っているのだけは理解出来る。
サンタミカエラは、漆黒にいた。
つい今し方、確かに聖レジーナ大聖堂の回廊を歩いていた筈だったが、突然、足元が抜ける感覚に襲われた。声を上げる間もなく、足下の方向へ全身ごと引き摺り込まれ、狭い空間をうねるように移動し、やがて、一瞬だけ圧迫感から解放された途端に、斜面を転がる体感。
方々に叩き付けられた痛みを覚えつつ、静かに、サンタミカエラの身体が強制移動を停めた。
一連の動きがすべて収まった時、彼女が目を開け、上半身を起こす。
異様に密度の濃い闇。それしかない。
自分の斜め後方の上部に、微かな、極めて微かな光が確認出来る。しかし僅かな明かりは、手掛かりを導き出す燈明にはなっていない。
それ以外は純度が高い漆黒。自分が今いる場所が何処なのか、現在いる位置はどういったところなのか、周囲の状況はどうか。それらは重苦しい暗闇に覆い尽くされ、認識を阻んでいた。
情報を調べようとする以前に、サンタミカエラは自意識の安定を欠き始める。
(見えない・・・暗い・・・)
自分の手元に視線を落とす。
五指の影すら、網膜に映らない。
(何処・・・真っ暗・・・)
急激に、震えが始まる。
歯の根が合わない。
裡から噴出する、恐怖。
何度も味わってきた心的外傷で、心が情け容赦なく抉られていく。
(怖い・・・嫌だ・・・)
両腕で自分を、ぎゅうっ、と抱え込み、身体を丸め、両の瞼をこれでもかというほど固く閉じる。
重心が右に傾いでいくのに身体を預け、彼女は横向きに伏す。頬に、ざら、とした荒砂のような感覚がある。
そのまま彼女は、怖れを忘れるように、意識を手放した。
気が付くと、必死に建屋の中を走っていた。
階段を踏み外さんばかりに、猛烈に荒々しく駆け上がる。
半分転がりながら、サンタミカエラは自室のドアを全力で開け、跳び込み、クローゼットの衣類の裏側に身体を放り込んだ。そして内側から扉を閉め、身を隠す。観音開きの格子の隙間から、様子を窺う。
二週間前に、七歳の誕生日を迎えたばかりだった。祝会の席の、両親、伯父伯母、使用人の笑顔が思い出される。
その両親が、豹変した。数日間職務で出て、帰宅後に突然、留守を守っていた伯父伯母を惨殺し、血を啜った。ギラギラと光る両眼と、口から溢れんばかりに並んだ牙がはっきりと見えていた。
幼い自分にも、両親が人ならざる者に変貌したことはすぐに理解出来る。
老使用人に手を引かれ、狂血病と吸血鬼のことを聞かされた。恐らく、ふたりは吸血鬼となったのだ、と。
館を出ようとしたが、玄関に先回りされる。使用人が身体を張って立ち塞がる。逃げなさい、と、彼の最後の声が届く。
どれほど時が経ったか、感覚が麻痺して判らない。長かったか、僅かだったか。
サンタミカエラは、息を殺し、震えながら身体を丸め、クローゼットに身を潜めている。
自分が着ている白いワンピースの袖に、誰かの血がべっとりと付着していることに、漸く気が付く。
家中の灯りはなく、深夜の闇が建屋に重く圧し掛かっていた。
彼女は、この漆黒にこのまま潰されるのではないか、と感じている。昨日までの雰囲気は過去となり、それは家族全員と、自分を飲み込むまでは治まることはないのでは、と。
今、無慈悲な暗黒だけがこの館全体に充満している。
やがて。
ゴガン、と荒っぽく部屋の入り口が押し開かれ、影を纏った二体が姿を現す。
格子越しでも、はっきりと判った。
(・・・父さま?・・・母さま?・・・)
頼もしかった父の姿、優しかった母の姿。
だが今は、全身血塗れの、牙を剥き出した異形の風貌。姿は人間のそれだが、行動、そして形相は別の何か。
それらが部屋に侵入している。顔を左右に振り、忙しく眼球を回しながら、何かを、誰かを捜している。
クローゼットの扉に、それが向いた。
サンタミカエラは、息を飲む。
(赫い・・・目・・・)
両親の双眼が、鮮血よりも赫く、紅玉よりも明るく、魔石より妖しく輝く。
人の眼球ではない。
あれが、吸血鬼。
一気に、彼女の内部は瓦解し、一瞬で恐慌に満たされる。
思わず動かした脚が、建具の内壁を蹴る。部屋に、ガコ、と乾いた音が転がる。
しまった、と思った。その時には、二体の片割れの手が、既に扉に掛かっていた。
バン、と猛烈な力で引かれ、サンタミカエラと、かつて両親だった者たちを隔てる戸が開け放たれる。
かなりの近距離に、それはいた。だらしなく開けた唇の端から、大量の唾液と、まだ鮮やかな色の血が流れ落ちている。全身の血管が浮き出て蒼黒い筋となっており、顔面にも拡がる。髪型や顔形で、何とか父母だと判る程度だった。
「私よ! サンタミカエラよ!」
怖れを振り払うように、声が出ていた。
もしかしたら我に返ってくれるかも知れない、と瞬間思った。
自分に気が付いて元に戻ってくれるかも知れない、とも一瞬頭を過ぎった。
しかし。
今は別の者に変化した二体が、口を、かぱ、と上下に大きく開く。
牙が、ずらりと並ぶ。両眼が、一際赫く輝く。鋭利に尖った爪をこちらに向け、両腕が上がる。
声は、最早届いていない。
サンタミカエラに、絶望が宿る。
「嘘・・・やだ・・・」
直後。
鋭い銃声が、空間を斜めに突っ切った。
ボン、と女性型の吸血鬼が、頭部から横薙ぎに吹っ飛ぶ。割れた頭蓋から脳漿が撒き散らされ、床に身体が放り投げられる。
部屋の戸から長身の銃を構え、ペストマスクを被り、純黒の修道服姿の人物が二名、飛び込んでくる。共通の風体と武器を持っており、何処かの兵士の様子だ。その片方が、一体を仕留めたことを確認したように、別の一体の吸血鬼にすかさず銃口を向けた。
だが、元父親だった者は既に、その兵士の懐に素早く潜り込んでいる。
瞬間移動したような、刹那の間で。
刃物のような爪が、空を抉る。修道服が、ザシュウッ、と裂かれ、夥しい血が帯となって宙に延びる。
もう一名に向かって、男性吸血鬼が踵を返す。そして、目にも留まらぬ動き。
直後。
扉の外から、凄まじい重低音が、一度。
ズン、という音が終わる時には、別の人物が部屋の中に出現していた。
恰幅のいい、大男。漆黒の修道服に漆黒のマントを羽織っており、頭部中央が大きく禿げ上がっている。頭の左右の髪と揉み上げと顎髭が、勇ましい様相を呈する。そして、厳めしい表情で口を真一文字に結んでいた。
その男が瞬時に、ペストマスクの兵士と吸血鬼の間に現れた。姿を見せた時には、腰を落とし、身体を半身にして右腕を拳にしている。拳に装着されている、異様にごつごつとした銀色の手甲が、鈍く光った。
男性型の異形が、構わず右腕を振り上げて襲い掛かってくる。
「ルーベンス様!」
銃を構えようとした兵士が、大男の後方で思わず声を上げる。
途端。
蒼白銀の、灼けるような光が、弧を描いた。
ルーベンスと呼ばれた大男の右の拳が、真下から垂直方向に、唸りを上げて突き上がる。そのまま、銀の手甲が異形の顎に刺さった。
一瞬、蒼白い火炎が、衝突部を中心に十字架の形に燃え上がる。
そして、ゴッ、という爆音。
次の瞬間、男性型の吸血鬼の頸から上は、消滅していた。そして振り抜き上げた拳の勢いに導かれ、首から下の躯体が吹き飛ぶ。宙を舞い、壁に激突して、元父親だった者は二度と動くことはなかった。
右拳を戻すルーベンスの背後、兵士が、チャキッ、と長身の銃をクローゼットに向ける。
銃口の先には、サンタミカエラがいる。
だが、彼女の目の焦点は、部屋の何処にも合っていなかった。
茫然と、ただ茫然と、言葉を失い、顔を引き攣らせたまま、衣装箪笥に座している。
少女には、何が起こっているのか理解出来ていない。
少女は、完全に思考を止めている。
「待て、その娘は撃つな。罹病していない」
振り向きつつ、ルーベンスが口を開く。重低音の声が、部屋の空気を震わす。
瞬時に銃を下ろし、兵士が構えを解いた。
それを確認すると、先に攻撃を受けた別の兵士の傍らに歩み寄りながら、ルーベンスが指示を出す。
「娘を運び出せ。アンナロッテが追いて来ている。預けろ」
「了解!」
ペストマスクが眼前に近付いてくる中、サンタミカエラが脱力したように項垂れる。
そのまま彼女は、世界から逃走するように、意識を手放した。