「キリエ~吸血聖女~」二次創作読み物   作:桁石スミオ

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遭難【2】

 気が付くと、狭い空間にいた。

 天井が低い。瞼を開いた眼前に見える。

 急速に回復していく感覚で、自分が横になっているのを自覚した。頭の中に掛かった霞が、緩やかに解けていく。視界の端から端が明瞭になっていくのを、サンタミカエラは感じている。

 自分の既知の場所によく似たそこが、停車している馬車の室内だと理解するのに、さほどの時間は要しなかった。そして今、その座席に横たわっているのだと認識する。

 軽く首を左右に振って見回し、彼女は、ハッ、とした。向かい合わせの座席に誰かが座っている。

 銀色の長い髪の女性。シスターが着用する漆黒の修道服に、ウィンブル。何となく重たそうな瞼の奥から、サファイアのような透明な瞳が、じっ、とこちらを凝視している。歳の頃は十代半ばだろうか、顔の幼さよりも妙に落ち着いた雰囲気を纏っている。

 表情を変化させずに、女性が薄い唇を開く。

 「気分はどうですか?」

 芯が通った、沈着な、しかし涼し気な声色。

 サンタミカエラが、視線を彼女に据える。そのまま惹き付けられたように、眼差しを絡め始めた。

 「初めまして。防疫修道会の、アンナロッテ=アントワナ=アンクルといいます。ご両親はお気の毒でした」

 アンナロッテと名乗った女性の言葉が、湿り気と憐れみを帯びる。

 自宅建屋で起こった惨劇が、自分の裡に再投影された。眼前で異形の風体と成り果て、親族と使用人を殺害し、挙句に滅せられた二名が両親であったと、今の一言で確定される。

 「父さまと母さまが・・・」

 「ええ。狂血病に罹って、ベラスケス家の方々を全員、でした。生き残ったのは貴方だけです」

 不思議と、絶望感は薄くなっている。恐怖の最深部から戻って来れた安堵から来ているのだろうか、それとも、アンナロッテの声質が癒してくれているのだろうか。

 思った以上に、身体に力が戻っていると自覚したサンタミカエラが、上半身を起こそうとする。

 それを、黙したまま、アンナロッテが右掌を翳して制する。軽く、一度だけ首を縦に振る。今は横になっていろ、ということだろう。

 再度、身体を椅子の長手に預け、身体を横向きにして、彼女を改めて、じっ、と見詰めた。銀髪が透明で清んだ輝きを帯びている。端正な顔立ちで線が細く、また綺麗だと感じる。漠然とだが、きっとこういう人が将来は『聖母』と呼ばれるのだろう、と、思える程だ。

 アンナロッテが、表情を変えずに口を開く。

 「名前は、何と?」

 「え? わ・・・私・・・サンタミカエラ・・・」

 「お幾つですか?」

 「・・・7歳」

 「私の方がお姉さんですね。今年、10歳になりました」

 「ええっ! もっと上だと思った!」

 思わず身体を起こし、素っ頓狂な声を上げた。

 即座に我に返り、サンタミカエラは、はっ、とする。自分の言動を顧み、すかさず口元を右手で覆って目を見開いた。失礼な言い方であったことに気付き、申し訳なさそうな目線で眼前の少女を再び凝視し始める。

 大声にも眉ひとつ動かさず、気に障った様子もなく、アンナロッテは穏やかに微笑んだ。

 「よく言われます」

 慈愛を包括した、柔らかい言葉。

 サンタミカエラが、ほおっ、と全身の強張りを解きながら息を吐く。併せて、果てしない安心感が一挙に自分の中を満たしていき、それは全身を巡っていく温かさへと変貌していった。

 静かな動作で、もう一度身体を横臥させる。再び、力を抜いてみる。

 アンナロッテの右掌が、羽根のような優しい仕草で自分の髪を撫でているのが判る。

 「今は、休みなさい。何か欲しい物があれば、遠慮なくおっしゃって下さいね」

 その発言が、安息という烙印となる。

 父母を、親族を、親しい者を一気に失った悲しみは、いずれ実感となって自分を襲うだろう。だが今は、存在を許されている事実を噛み締め、心身を休ませよう―――サンタミカエラは、急速に被さってくる微睡みの中、そう感じている。

 そのまま彼女は、温もりを深く実感しながら、意識を手放した。

 

 

 気が付くと、薄暗い建屋のホールにいた。

 聖レジーナ大聖堂の玄関からかなり入ったこの場所で、サンタミカエラは床にしゃがみ込んでいる。高い位置にある明かり取りの窓からの陽光が、弱い。今は日没に近い時間か、既に陽は沈み切っている筈だった。

 自分が随所から出血しているのは、自覚している。先程の戦闘で受傷した箇所から、点々と後に残るほどの血が流れ、足跡のように後方に連なって存在する。苦痛で呼吸が乱れ、荒い。

 それでもサンタミカエラは、腰のホルスターから、短銃を引き抜き、構える。

 「近付くなっつってんだっ! 吸血鬼っ! その赫い瞳でこっちを見るなよっ!」

 銃口は、傍らに立つ少女―――キリエに向けられた。彼女の右目が、僅かに見開かれる。傷の手当てをせんと手にしている布が、前後に揺らぐ。

 黒髪に、漆黒の衣服とブーツが闇と同化しているかのようだ。そこから晒されているキリエの手足の肌は、深みがある白さ。そして自分を見詰める瞳が、鮮血の如き赫色であった。

 黒衣の者を滅する弾丸『煉滅弾』を充填した短銃を向けられても、キリエは恐れた様子はない。少し驚いたように眼を開き、こちらを見詰めている。

 「同じ赫だっ! 父さまの瞳と! 母さまの瞳とっ!」

 自分の言葉の後、一瞬で脳裏に、惨劇の夜の映像が浮かび上がる。

 サンタミカエラの持つ銃が、小刻みに震え始めた。同時に、それは全身に伝播していき、否応なしに怯えを具現化させる。更に追い撃ちの如く、喉の奥に熱い塊が湧き、短く吐く。先刻の戦闘時の怪我が口内の何処かしらを傷付け、血を口腔に溢れさせ、彼女はそれを口角から流していた。

 構うことなく、抗うような目線を、サンタミカエラはキリエに向ける。

 「・・・ふたりが吸血鬼になってしまった、あの夜・・・真っ暗な中に・・・赫い瞳をギラギラさせて・・・私を捜してた! 血を吸う為に!」

 眉間に皺を寄せた苦悶の表情と、拒絶で見開かれた両眼。

 対するキリエの顔に、翳りが降りてくる。

 再び肺から突き上げるような呼吸で吐血した後、サンタミカエラが言葉を落とす。

 「大好きだったのに・・・父さまも・・・母さまも・・・」

 抑えようのない絶望感で染め上げられた、声。

 途端。

 キリエが眉を下げ、僅かに唇を開く。

 瞳が緩み、微かに泣くような眼差しを浮かべる。

 はっ、とサンタミカエラが、息を飲んだ。

 先程までの赫の両目とは、違う―――色は一緒だが、何かが、違う。

 この彩りは、何と表したら良いのだろう。

 それを感知した直後、全身の震えが即座に治まっていた。両膝立ちで銃を向けた姿勢で、真っ直ぐに眼前の少女を凝視する。おのれの裡の冷たく尖った感覚が、沈静化していくのが感じ取れる。

 すっ、と静かな動作で、キリエの右掌が上がり、口が開かれる。

 「約束するわ、サンタミカエラ。誰にも、もう、そんな思いはさせない」

 無限の如き透明な、声質。

 何処までも清んでいて、尚且つ、不動の芯が貫かれたような。

 サンタミカエラが、言葉を失った。

 何という、凛。

 穿てない盾の如き不退転の意志が、眼前の立ち姿から放たれている。

 「必ず・・・私はあいつを・・・黒衣の者を斃す」

 伸ばした右手で、煉滅弾の短銃身を握り、キリエが言葉を張る。

 同時に、ぶれない堅固な目線が注がれている。サンタミカエラが、眼差しを絡める。

 (・・・赫い・・・瞳・・・)

 自分の知っている吸血鬼の眼球の色と、似て非なる色彩。

 深い、どこまでも深い、透明な。

 吸い込まれそうだ、と思う。

 あれほど怖れていた赫い目ではない。むしろ、このままずっと見詰めていたい。

 (綺麗だ・・・)

 サンタミカエラの中に、酩酊感が溢れていた。

 キリエの視線に、静かで荘厳な表情に、自分の裡が急速に満たされていく。

 最早、あの最悪の夜の恐怖を、彼女の赫い目に重ねることは出来ない。何故なら、目の前の少女は吸血鬼であるが、畏れる対象である理由が消し飛んでしまったからだ。

 いつの間にか、キリエの右掌に短銃が握られている。力を抜いたつもりはない。離した覚えもない。ただ、無意識が既に結論を出していた。黒衣の者を滅する闘いを託してもいいのだ、と。

 気が付けば、全身の力は抜けていて、冷たい床に座り込んでいた。その間、サンタミカエラの感覚や感情は、ひたすらキリエへの事象で塗り潰されていたのだった。

 既に、彼女は背を向け、大聖堂の奥へと歩みを進めている。

 遠ざかる背中に目線を預けていたが、未だに上げたままの右手に視界を移してみる。銃を握っていた型で、指が固形した様相を呈している。

 顔を伏せ、サンタミカエラが呟きを零す。

 「・・・てやんでェ」

 キリエの背後に投げるように、また自分自身に言い聞かせるように。

 身体の緊張感は完全に解け、両手脚を緩和させ、項垂れて両の目を伏せる。傷の痛みはあまり強くなくなったが、ここまで失血した量が多かったのか、脳内に靄が漂っている感覚だ。

 サンタミカエラは、思い出していた。

 アンナロッテが話していた〝血塗れの聖女〟の逸話を。

 吸血鬼と化して尚、人として気高き魂を失わず、闇の王を滅した、という。

 閉じた瞼の裏に、キリエの姿が投影される。

 〝血塗れの聖女〟が寓話であり古の言い伝えである以上、真実は判らないし、実際に見たことがないので一致はしない。だが、サンタミカエラが、ひとつの結論を得る。

 (聖女・・・って・・・あんな感じなんだろうなぁ・・・)

 少なくともキリエは、キリエの眼だけは、自分の怖れの一部を上書きして消した。

 充分だった。聖女の条件があるとすれば、最低限の項目は、既に達成している。

 やがてサンタミカエラが、薄れゆく感覚の中、悔しそうに口角を上げる。

 そのまま彼女は、不思議な満足をほんの少し覚え、意識を手放した。

 

 

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