「キリエ~吸血聖女~」二次創作読み物   作:桁石スミオ

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遭難【3】

 気が付くと、誰かが大声で自分の名を呼んでいた。

 近い。かなりの近距離。恐らく耳元。

 心底から一気に意識が引き上げられ、感覚が明瞭になってくる。目を開けようとしながら、全身に纏わり付く冷気を再び認識し、一方向のみ冷たい空気が遮断されていることに気が付く。大きな声は、その角度から発せられている。

 「サンタミカエラ!」

 拳で頬を殴られたような気がした。それほどに重い声圧。

 ハッ、と強制的に意識が再起動する。音が鳴りそうなほどの勢いで、目を開く。

 キリエが、眼前にいた。自分に覆い被さるような位置で、今までにない程の至近で。

 しかし明確に姿は視覚出来ない。漆黒に埋め尽くされた空間に、線画のように彼女の輪郭が浮かび上がっている。何処からか差し込んでいる微かな光が、純度の高い暗闇に、情報を得る手段を与えてくれていた。

 そして、キリエであることがすぐに判ったのは、赫い目。この闇の中で、驚くほど爛々と輝きを湛えている。他の誰かではない、彼女の瞳であることを、サンタミカエラは即座に認知した。

 見詰め返し、視線を振らすことなく、口を開く。

 「・・・キリエ?」

 「気が付いた? 怪我は?」

 横向きに臥せていた上半身を、右腕を突っ張って起こし、自身の感覚を確かめてみる。肌を擦った感覚が腿にあるのと、方々を打撲したような痛み。だが、動けないほどの後遺はなさそうだ。血の臭いもしないし、口内に鉄の味も感じない。

 「・・・大したことねェよ・・・」

 「そう、なら良かった」

 安堵したような口調の後、キリエの溜め息の音が耳に届いた。

 そしてサンタミカエラは、意識が戻る寸前までの、自分の記憶を反芻してみる。地上を歩いていて突然、身体が引き摺り込まれるような感覚。それから気を失って、気が付き、また失うことの繰り返し。

 夢、否、あれは過去の記憶だ。サンタミカエラは、繰り返し波状となって投影された、歌劇の一場面を繫げるような映像が、すべて自身の体験の再現であったことを認識していた。

 そして今、現実に回帰したことを実感する。自分を含めたこの空間に充満する濃密な暗さと、体温を削るような冷気。それが生きている自覚と、闇への怖れ―――惨劇の日に結び付く怖れが、自分の裡に戻るのを覚えさせる。ゾクッ、と一度だけ震えが体躯の内側から湧く。

 だが今回は、それ以上に畏怖の念が肥大化するのは抑えられていた。目が漆黒に慣れてきたからだろうか。それとも、キリエの顔形が凡そ視覚出来るようになったからだろうか。

 背後を、ちら、と振り返る。斜め上、高さ4ヤード付近に、ランタンほどの光度の灯り。凝視して確認すると、岩の裂け目のような形状で割れた箇所から、太陽光のような澄んだ光の筋が見える。その位置から斜めに、規模の大小様々な石や岩がごちゃ混ぜになって集まって固まり、今、自分の身体があるこの場所まで、滑り台のような傾斜を形成していた。

 左右を見回す。幅員は5ヤード以上あり、それなりに広そうだ。奥行きは判らない。やはりゴツゴツとした固形物が転がって、平坦な箇所が見当たらないほどに埋め尽くされている。

 闇の圧力の方が遥かに強いながら、僅かな光でそこまでの情報は得られた。

 サンタミカエラは、暗さへの怖れを御しつつ、問いを漏らす。

 「ここは・・・何処だ?」

 「場所は、判らない。ソリアの地下の、何処か」

 「・・・確か、大聖堂の回廊辺りを歩いてた気がする・・・」

 「それは覚えてるのね。貴方、回廊の裂け目に落ちたのよ」

 突然。

 バッ、とキリエの方向に顔を戻し、サンタミカエラが目を剥く。

 「はぁ!?」

 裏返った素っ頓狂な声が、喉を衝いた。

 対して冷静な口調で、黒髪の少女が返答する。

 「そう、私とラーラマリアが見てる前で。貴方の後ろ姿を見掛けた途端、だったわ」

 「こないだまで何ともなかったぞ! あの辺り!」

 キリエが、静かな動作で頷いて、言葉を繫げる。

 「もしかしたら弱っていたのかも知れないわね、足元が。恐らくだけど、ソリアが陥落しそうになった先の闘いで出来た、空洞か何かの真上を踏み抜いたのかも・・・落とし穴みたいに」

 サンタミカエラは、口端を締め、一時黙り込む。

 運がないことに、難に遭ったのだ。

 少しの間を空け、キリエが温もりのある声色を発する。

 「今、ラーラマリアはアンナロッテに知らせに行ってる。救けは来るから、大丈夫」

 「ちょっと待て・・・てめェは何でここにいるんだ?」

 はた、とその事実に気が付き、疑問をすかさず投げる。

 平時であれば最初に口にしていたであろう、質し。

 今度は、黒髪の少女が黙する。目線を外し、少し俯いた様子だ。

 返答が、来ない。

 幾許かの、間が経つ。

 瞬間、辿り着いた回答を、サンタミカエラが張りのある声で放つ。

 「まさか追っ掛けて落ちて来たのかっ!?」

 「こんな暗い中、貴方をひとりに出来ないでしょ?」

 戻って来た言葉に、一瞬で感情が点火される。

 「だからって・・・こんな深いとこまで・・・馬鹿かてめェ!」

 周りの冷気が、おのれの感情で熱を帯びたように思えた。

 それほどまでに、滾ったような怒声。

 ここが何処であるかは、未だに不明だ。ただ闇の密度から考えて、かなりの深度の場所であるに違いない。周囲の状況すら確認出来ない未知の空間に、援護があると判っていても身を投げる、とは。

 余りに、無茶、無謀。呆れて二の句が継げない。

 一拍の、後。

 キリエの眼が再び上がり、こちらを向いて固定された。

 真正面にある、透き通った赫い瞳。

 どき、と心臓が跳ねた。

 今の自分の強烈な発声にも、怯んだ様子も、怒った気配もない、目の色。

 その瞳は、語っていた。当たり前の行動だ、と。

 サンタミカエラの胸が、早鐘を打つ。手を伸ばせば触れられるかも知れない距離に、あの眼がある。〝聖女〟と重ねた、綺麗と感じた瞳が、そこに存在している。

 自分の感情がどうにかなってしまいそうな惑いに、翻弄され掛かった、途端。

 「・・・こっち見てんじゃねェ・・・」

 口を突いた、言葉。

 拒絶ではなかった。突き放すつもりもなかった。

 許されるならこのまま見詰めていたい、という感情すら湧いていた。

 ただ、流されそうな自身の根幹を抑え込む為に、つい放ったひと言。

 はっ、とサンタミカエラは我に返った。

 キリエの眼の色に、明確な悲愴さが宿ったのを目の当たりにしたからだ。

 しまった、と思う。言葉を選べなかった自分の発言を、瞬時に悔いた。

 「・・・そうだったわね」

 台詞の後、即座に、彼女の瞼が伏せられる。完全に閉じられた模様だ。

 じわ、と渋い感覚がおのれの内面に染み出る。今の言葉を言い訳がましく説明した方がいいのか、敢えて別の単語を繫げて言い直した方がいいのか―――どうするのが最良の方向を選択なのか、一時迷う。

 迷うなら、まずは謝る。判断は早かった。

 サンタミカエラが、ふう、と短く息を継ぎ、肩の力を抜いて口を開く。

 「・・・悪ィ、言い過ぎた。目ェ閉じてなくていいって。そんじゃ何にも見えねェだろ」

 「・・・判った。なるべく見ないようにするわ」

 彼女の返答に、惜しむ気持ちを覚える。

 そのすぐ後、キリエの身体が、くる、と返り、羽根が床に降りるような柔らかい動作で、自分の右傍らに座り直すのが判った。驚く間もなかった。自然な流れとしか言いようがない。気が付いた時には、ほぼ可視化出来ない漆黒の中で、ふたりは左右に並んで、膝を抱えるような姿勢で腰を下ろしていた。

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