★ 東京府・街道
深々と更ける、夜。
山並みと山並みに挟まれた谷間に、田圃が広大な面積で座している。
降り注ぐ月光に照らされた、30センチほどに伸びた、分蘖している稲。
それが田の区画ごとに、均等に間を空けて延々と整列しており、夜風に揺れる。
そのほぼ中央、田圃より一段盛った位置に、幅3メートルほどの黒土の道。
一直線に延びて続くそこを、キリエと炭治郎が、肩を並べて歩いて行く。
キリエは、右手に仕込み傘を下げ、左手にトロリーケースを持ち、引いて転がしている。
炭治郎は、焦げ茶色の漆塗り、高さ1メートルほどの木製の背負い箱を担いでいる。
身長は、炭治郎がキリエよりも20センチほど高い。
ふたりは悠然と進み、時折視線を交わし合いながら、ずっと会話をしている模様。
幾許か経過した、後。
道の正面、闇の中に、小さい山が輪郭を現し出した、頃。
少し上方を見遣り、ほおっ、と息を継ぐ炭治郎。
炭治郎「そうかぁ・・・米国じゃそんなことになってたんだ」
キリエ「ジャパンも大変な事態なのね。煉獄さんからざっくり聞いたけど、詳しく聞いて凄く判ったわ」
炭治郎「吸血鬼、狂血病と黒衣の者・・・こっちは鬼と鬼舞辻無惨・・・時代も国も違うけど、本当によく似ている・・・」
炭治郎、うん、うん、と首を上下に振り、納得したような顔になる。
炭治郎「〝血を吸う鬼〟で、吸血鬼か・・・(キリエを見て)君は血を吸わないと生きていけないのか?」
キリエ「(炭治郎を見て)絶対ではないけど、貴方たちの主食と同じような感じだから、血肉を口にした方が・・・(前を向き直って、俯いて)実はさっきも、亡くなった人の血を目の前にして、吸いたくなった・・・貴方たちが敵としているオニと同じ存在だから・・・(目線を伏せ)さっきも話した通り私は、狂血病の元凶、黒衣の者の娘・・・(自嘲気味に)ムザンって奴の子供がいたら、って言えば解り易いと思う・・・」
炭治郎「でも君は、血の飢えを覚えても、誰かの為に闘っている。信頼を置ける人だ」
キリエ「(顔を上げて、炭治郎を見詰め返し)・・・信用してくれるの? オニなのに?」
炭治郎「(大きく頷いて)ああ。君からは噓偽りのない清らかな〝匂い〟がする。信用出来るよ。それに、血を流しながら命を懸けて闘って、人を護っている。誰が何と言おうと鬼殺隊の一員だ。(静かに微笑んで)この言葉は、煉獄さんが禰豆子のことを言ってくれた言葉なんだ。禰豆子のことも認めてくれた」
キリエ「近いことを、アメリカで私たちにも言ってくれたわ。『この国のキサツタイ』って・・・(短く息を継ぎ)でも私は、煉獄さんみたいな技も力もある訳じゃない・・・ただ、手にしたいものがあるから、闘ってるだけ・・・」
炭治郎「(一瞬、きょとん、とした様子で)手にしたいもの?」
キリエ「(間を置いてから)・・・〝明日〟」
キリエの両眼に、強い意志が漲ったような、光が宿る。
それを目の当たりにし、口端を引き締める炭治郎。
キリエ「黒衣の者の心臓から搾り出した純血だけが、ワクチンの材料となる。狂血病を治せる唯一の手段が、それ。狂血病で苦しむ人たちを解放出来て、これ以上悲しい思いを誰にもさせない、たったひとつの〝明日〟・・・」
彼女の言葉から迸る、凛。
揺るがない眼差しに籠っている、決意。
炭治郎、一度両目を大きく開き、緩やかに戻す。
数拍の、間を置いてから。
炭治郎「(ふっ、と表情を緩ませ)キリエは凄いな」
キリエ「(意外そうな声)え?」
炭治郎「鬼としての苦しみがあるのに、それに耐えながら、人々を護って闘う。それは誰にも出来る鍛錬じゃない。(キリエに視線を向け)ずっとそうやって試練を背負ってきたんだろ? 君からは、そんな重い荷に耐えながら、真っ直ぐに進もうとする〝匂い〟がする」
にっこり、と満面の笑顔を浮べる炭治郎。
炭治郎「(明るく、感嘆した声)本当に凄いぞ、キリエ。君は頑張って前を向いてる」
途端。
キリエの両頬が鮮やかな朱に染まり、かあっ・・・と顔全体が上気。
ぐうっ、と喉元を鳴らし、口を結んで、表情が停止。
歩は前に進めたまま、目線は炭治郎から離せない状態。
そのまま、暫く。
尚も、間。
いつまでも頬の紅色が取れず、ぷい、と目線を外すキリエ。
キリエ「(困惑した様子で)別に・・・何も頑張っていない・・・」
炭治郎、相も変わらず、目を細めて笑顔を見せている。
キリエ、ふうう、と長めの息を吐いて、肩を下げる。
やや落ち着きを取り戻した、雰囲気。
それから徐に顔を上げ、炭治郎に視線を送る。
キリエ「煉獄さんは、いつ亡くなったの?」
転換した話題に、僅かの翳りが落ちる、炭治郎の表情。
瞼を軽く伏せ、寂し気な目。
炭治郎「二ヶ月くらい前。四十九日が終わってると思うから、それくらい経った筈・・・」
キリエ「そう・・・その後に時間を遡って、私たちの時代と国に飛ばされた・・・(自嘲気味に)どう考えても突拍子もなさ過ぎる話よね」
炭治郎「(穏やかな口調で)いや、君の言うことは本当だし、俺の知っている煉獄さんと完全に一致している。だから・・・(少し安堵した様子で)煉獄さんが転生して、新しい世界で活躍してるなら、何だか安心出来るよ」
申し合わせたように、正面方向に向き直り、同時に視界を上空に向けるふたり。
双方の両の瞳に、半月の光が溢れる天空が映る。
明るめの夜空だが、煌く無数の星がいっぱいに敷き詰められている。
炭治郎「短い間だったけど、いっぱい教えてもらったことがある・・・(しみじみと)凄い人だった、煉獄さんは」
キリエ「(こく、と頷いて)解るわ。一緒に闘って、そう思った。本当に凄い人」
ふたり、遥か彼方を眺めるような目線。
それぞれが、想いに更ける如き、静かな面持ち。
長い、間。
何かを思い出したような顔になり、炭治郎を見るキリエ。
キリエ「そう言えば、妹は何処にいるの?」
炭治郎「いるよ。(背負い箱を、右手人差し指で示し)ここに」
キリエ「(眉を寄せ)え? 何処?」
炭治郎「(夜空を改めて見上げ)今の時間なら大丈夫だな。(背中側を振り返り)禰豆子、出て来てもいいぞ」
炭治郎の歩みが停まり、続いてキリエも停まる。
直後。
背負い箱の、こちらに面している真後ろの蓋が、パカ、と内側から開く。
ぬうっ、と艶やかな両脚が飛び出す。黒い脚絆、白い足袋に草履。
キリエ、思わず目を正円に見開く。
するうっ・・・と、あっという間に、箱の中から、少女が出現。
すと、と軽やかな音を立て、道の上に起立する。
腰の辺りまで伸びている漆黒の長い髪の、数か所を桃色のリボンで、部分的に結ぶ。
髪の先端側が、火のような朱色に変色している。
額を出し、垂れた綺麗な形の眉。
両眼が、紅梅色。瞳孔が猫のように縦に細長い。
口に、横向きに青竹を咥え、噛んでいる。
桃色の麻の葉文様の着物に、褐色と薄紅色の市松柄の帯を締めている。
その上に黒の羽織を纏う。
身長はキリエよりやや高い。
幾分、ぼーっ、としているような雰囲気。
しかしその目線は、真っ直ぐにキリエに注がれている。
箱の蓋を閉め、炭治郎も踵を返し、少女と並んで立つ。
ふたりに向かい合って、未だに驚いた表情を変えていないキリエ。
炭治郎「(微笑んで)紹介するよ。妹の禰豆子だ」
小さく小首を傾げ、キリエと眼差しを絡める禰豆子。
キリエ「驚いた・・・そんな小さな箱に入ってたなんて・・・(炭治郎を見て)オニなんでしょ、この子」
炭治郎「(首を上下に振って)ああ、今は鬼だ。身体の大きさが変えられるから、この背負い箱に入れるんだ。太陽の光を浴びられないからね。鬼だけど、俺のことはちゃんと判る」
禰豆子、じーっ、とキリエを凝視している。
数秒後、突然。
一歩距離を詰めて、すっ、と右手を伸ばして、キリエの頭を撫で始める。
柔らかく、愛おしむように。
いきなりの行為に、かあっ、と赤面して身を凍て付かせるキリエ。
キリエ「(やや裏返った声)ちょっ! 何をっ!」
禰豆子「(目を細めて)ん・・・んーむ」
炭治郎、小さく頷いて、にこやかに頬を緩める。
炭治郎「そっか、キリエを妹みたいだと思ってるんだな」
キリエ「(赤くなったまま)妹って! この子、私より年下なんでしょ!?」
炭治郎「(頷いて)ああ、俺が君の一歳下だから、勿論」
キリエ「でも『妹みたい』って何!?」
炭治郎「(ふん、と鼻息を高く)竈門家の長女だからな! 禰豆子は!」
禰豆子「(にこ、と笑顔で頷いて)ん! ん!」
炭治郎、両手を腰に据え、どうだとばかりに胸を張り、ふんぬ!と鼻を鳴らす。
禰豆子も、キリエから手を下ろし、炭治郎と同じ格好で胸を反らし、ふぬ!と小さく鼻息。
兄妹揃って、同じ姿勢で、自慢げな笑み。
対して。
キリエ、顔の上半分に陰を下ろし、ジト目で、思い切り呆れた顔になる。
キリエ「(重量感のある声)何なの、この兄妹・・・」
ふと、落ち着いた表情を取り戻すキリエ。
キリエ「ところで、今夜は何処まで行くつもりなの?」
炭治郎「俺がお世話になってる『蝶屋敷』だよ。ここに向かう前に、鴉を飛ばしておいたんだ。キリエのことも簡単に書いた文を届けてもらってる。多分、着く前にしのぶさんから返事が来ると思う」
キリエ「シノブさん? 誰?」
炭治郎「『蝶屋敷』の主で、蟲柱の胡蝶しのぶさん。煉獄さんと同じ〝柱〟なんだ」
間を計ったかのように。
バサ、バサ、と羽音と同時に、上空を過ぎる影。
高さ10メートルほどの、半月の明かりの空域を、くるり、と旋回する。
そのまま、急速に下降し、炭治郎に向かって滑空してくる一羽の鴉。
キリエ「(凝視して)真っ黒な鳥?」
炭治郎「戻って来たな。(キリエに目線を投げ)米国には鴉はいないの?」
キリエ「(視線を返して)見たことない。あんな黒い鳥は初めて見たわ」
鴉、炭治郎の真上、地上3メートル付近で、羽ばたいて浮遊。
天王寺松衛門[鎹鴉]「(高慢気な声で)蟲柱ノ許可ガ下リタ! 娘ヲ連レテ来イ! カアァ!」
キリエ、驚愕。
瞬間、跳び上がらんばかりに、ビクッ、と身体を反応させる。
両目が、正円。
キリエ「(天地がひっくり返るような声で)ジャパンの鳥は喋るのっ!?」
炭治郎と禰豆子に目線を放り、それから上空の鴉を交互に見るキリエ。
二の句が継げる気配がない。
炭治郎、左人差し指で、ポリポリ、と頬を掻き、苦笑。
炭治郎「まあ、鎹鴉は訓練されているから喋れるんだけど・・・」
天王寺松衛門[鎹鴉]「(ふん!と息を継いで)ソウダ! 怖レ敬エ! カアァ!」
キリエ、未だに開いた口が塞がっていない。
禰豆子が、少し遅れて、やや困ったような顔で、兄と同じ仕草で左人差し指で頬を掻く。