★ 蝶屋敷・診察室
蝶屋敷の正門から入った左側の建屋、治療棟。
入院棟と機能回復訓練道場も隣接しており、巨大。
その一角に、しのぶの診察室。
部屋の各所にランプが灯り、室内は仄かに明るい。
診療用と思われる簡易ベッドが、白いシーツを被って片側に鎮座。
ガラス扉の本棚が部屋の隅に陣取り、書籍が所狭しと詰め込まれている。
窓際に近い事務机の上には、別のランプが置かれ、煌々と光を放つ。
机の前の、背凭れの付いた椅子に、しのぶが座している。
彼女に背中を向けて、丸椅子にキリエが座っている。
キリエは、上半身の洋服を脱いで、クロップトップの姿。
雪のような純白の肌が、卓上のランプに薄暮色に照らされている。
その背中を、滑るような動きで、行き来する聴診器のチェストピース。
聴診器の耳管の先、イヤピースが、しのぶの両耳に挿入されている。
キリエ、視界を何処に置いたらいいのか、判らない雰囲気。
目線が、診察室の方々に動き、覚束ない。
対して、しのぶ、キリエの背中に視線を固定し、落ち着いた表情。
暫くして。
しのぶ、チェストピースを戻し、耳管を自分の耳から抜いて首に引っ掛ける。
しのぶ「はい、もういいですよ」
その声に、ほおっ・・・と安堵したような溜め息を漏らすキリエ。
丸椅子に座したまま、くるっ、と反転して、しのぶと向かい合う。
しのぶ「申し訳ありません。勝手なお願いをしてしまって」
キリエ「(短く左右に首を振り)それは構わないんだけど・・・」
キリエ、上着を被り、頭と袖を通し、ぐいっ、と腹部まで引っ張り下ろす。
しのぶは事務机に身体を向け、カルテらしき紙に、万年筆を走らせている。
机の奥、壁際には多数の書物が並び、ブックエンドの間に収まっている。
その上方、壁には、びっしりと連なって貼り付けられた、薬の処方を書き留めた紙の数々。
キリエ「(怪訝そうに)何か変わったところとか、あったの?」
しのぶ「(カルテから顔を上げ)いえ、特段には。米国の鬼とお聞きしましたが、身体的には一般の方と同じ。脈拍が少し早いくらいです。健康体ですね」
にこ、と口角を上げるしのぶ。
しのぶ「鬼を診察したのは初めてです。(頭を少し下げ)貴重な機会を下さって、ありがとうございました」
キリエ「(やや戸惑って)いや、お礼を言われる程じゃ・・・」
しのぶ、改めてカルテに目を落とし、記載を続ける。
その穏やかな横顔を見詰め、不思議そうな表情となるキリエ。
ふと、先程の門の前での彼女を思い出す。
僅かに過ぎった瞳の色、眉間に覚えた感覚。
今の眼前の彼女の雰囲気と、まるで違う、何か。
キリエ《何か調子狂うわね・・・》
困惑した色を顔に浮かべる、キリエ。
黙々と走る万年筆の、カリ、カリ、という音が部屋に響く。
しのぶ「それと、診察中に話して下さった『狂血病』のこと・・・鬼になる病とは、初めて知りました。そんな病気が米国で流行していたとは、脅威としか言いようがありませんね」
キリエ「ジャパンでは・・・この国では狂血病は存在しないの?」
しのぶ「(顔を上げ、キリエを見詰めて)少なくとも私の知識としては覚えがありませんし、ここ何年かでも『狂血病』や同様の症例は聞いたことがありません。ただキリエさんのいた40年前、私は生まれてませんが、その時期のカルテや医療文献や記録書を調べてみれば、何か確認出来るかも知れませんね。ここ蝶屋敷は代々受け継がれてきた書物もありますし・・」
少しの、後
カルテの記入が止まり、万年筆にキャップが被せられ、卓上の筆皿に置かれる。
一呼吸置いて、しのぶが椅子を回し、キリエと真正面で向き合う。
しのぶ「(少し首を傾いで)数日掛かるかも知れませんが、調べてみましょうか?」
キリエ「(やや前のめりの姿勢で)いいの?」
しのぶ「(頷いて)はい。私も医療に携わる者として、不明なままにしておきたくはありません」
キリエ「助かるわ。私ひとりじゃ、そういう情報は調べられないし・・・」
それから、眉を下げ、申し訳なさそうな様相となるキリエ。
キリエ「・・・私の話、信じてくれてありがたいけど・・・普通に考えれば、私の話は異常だと思う。43年前のアメリカから来た、とか、狂血病や吸血鬼、黒衣の者のことだって、知らない人から見れば、何言ってるんだ、って思われて当たり前・・・」
しのぶ「まあ、未知の病気や存在をすぐに受け入れられないものですけどね。それでも私たち鬼殺隊から見れば、『吸血鬼』は鬼、『黒衣の者』は鬼舞辻無惨、と置き換えれば、納得がいきます」
キリエ「(少し間を置いて)炭治郎も、同じようなこと言ってたわ」
しのぶ「その炭治郎くんの紹介ですからね。キリエさんを疑う要素は、これっぽっちもありません」
キリエ「信頼されてるのね、炭治郎は」
しのぶ「彼は嘘が付けませんし、鼻が利きます」
相変わらず、穏和な微笑みを絶やさないしのぶ。
キリエ、ごく、と一度唾を飲み込む。
意を決したような、顔。
キリエ「ひとつ、質問したいのだけど」
しのぶ「(小首を傾げて)何でしょう?」
瞬時、言い澱むような仕草で視線を外すキリエ。
改めて、しのぶを見詰める。
キリエ「さっき門の前で初めて逢った時・・・(やや籠った声で)貴方から複雑な感じを受けたわ。親切にしてもらってこんなこと言うのは何だけど・・・(一段低い声質)殺気に近い、感覚・・・」
途端。
しのぶ、両眼を真円に。
笑顔が失せ、何らかの衝撃を受けたような、強張った顔。
キリエが映っている瞳が、思い切り開かれた状態。
そのまま、呼吸を止めて停止。
両者が、視線を宙で繋げ、黙る。
何拍かの、後。
漸く、しのぶ、姿勢を正して目を閉じ、ふうう・・・と長い吐息。
そして、降参したような諦念感を込めた、小さな微笑を湛える。
しのぶ「・・・初めて逢ったばかりの君に悟られるようでは、私はまだまだですね・・・感情の制御が出来ないのは、未熟者の証拠です」
キリエ、しのぶに視線を預け、固定してる。
数秒の、後。
しのぶの瞼が薄く開き、目を伏せて、視界を床に投げる。
しのぶ「(深淵から聞こえるような声)私は、両親と姉を、鬼に殺されました」
重苦しい、言葉。
しかし、単純な濃さではない、様々な色彩が包括された、口調。
葛藤しているような、藻掻いているような、複雑な。
キリエ、しのぶから目線を外さず、微かに頷く。
キリエ「それで、なのね。私がオニだから」
しのぶ、何の返答もしない。
長い、間。
尚も、間。
キリエの眼差しが、ふっ、と緩む。
キリエ「(静かな口調で)正しい感覚だと思うわ」
しのぶ「(思わず顔を上げ)え?」
キリエ「話した通り、私は吸血鬼・・・それが判った時の、みんなの怯えた顔、憎しみの目、怒りで向けられる銃・・・でもそうするのが、当たり前の反応だもの」
しのぶの視界が、キリエのみに集中している。
キリエ「(自嘲気味に)私は慣れているから、抑え込まなくても大丈夫」
再度、正円に見開かれる、しのぶの両目。
今度は、何かを射抜かれたような、驚嘆を全面に醸した顔。
改めて、キリエが映っている瞳が、思い切り開かれた状態。
もう一度、息を忘れた如く、停まる。
キリエ「それに・・・(重く沈んだ声で、顔を伏せ)私と友達だって言ってくれた人は、みんな死んだ。親しくなってくれた人も、いっぱい死んだ。そんな人をいっぱい見てきた。だから・・・(更に刹那気に)憎まれたり、疎まれる方が、本当はいいのかも知れない・・・」
諦め切ったような、沈痛な表情のキリエ。
それを目の当たりにして、僅かに唇を開き、茫然とした様子のしのぶ。
やがて。
しのぶ、ゆっくりと表情を緩和させていき、贖罪を覚えたように眉を下げる。
しのぶ「(深い声質で)私の至らなさで、嫌な思いをさせてしまいましたね」
キリエ「(顔を上げ、首を左右に振って)嫌な思いはしてないわ。事実だから、改めて自覚しただけ」
互いの視線が、何度目かの交差。
その後。
遠くを眺めるような眼となり、目を伏せるしのぶ。
しのぶ「・・・姉は、亡くなるまで鬼に同情していました。自分が鬼に命を奪われても、今際の際まで・・・私は姉の思いを継ぎ、鬼を斬らずに済む方法があるなら考えねば、と思い続けてきました。でも私が闘ってきた鬼は・・・自分の保身の為に嘘をつき、理性を失くし、本能を剥き出しにして人を殺す・・・(瞳に陰を落とし)とても、同情出来る存在ではなかった。両親と姉を奪った存在としか思えなかった。私の奥底には、暗い感情が積もっていった・・・」
発言が、止まる。
キリエ、言葉を発さず、ただしのぶを見詰め続けている。
ふと、しのぶが顔を上げ、両眼の端を緩める。
しのぶ「(清廉な声で)君は、逆の存在ですね」
キリエ「(意外そうな口調)逆?」
しのぶ「自分を守る嘘はつかず、理性もしっかりしていて、本能を抑えて、人の為に闘う。私の知っているどの鬼とも違う・・・しかも、鬼になる病『狂血病』を根絶する為に、災禍の中心『黒衣の者』を捜し、斃そうとしている・・・(芯の通った声質で)鬼舞辻無惨にひとりで立ち向かうようなものです。それはどれだけ大変で、勇ましく、気高い精神であるか・・・君の話を聞いた時には、感嘆すら覚えました」
しのぶの瞳には、翳りの欠片もない、明るめの色彩。
揺るがない、直球の眼差し。
直後。
ぐうっ、と何かを飲み込むように唇を締め、目を丸く開くキリエ。
瞬間で、頬に紅が差す。
今度は、キリエの視界に、戸惑いの色合い。
数拍。
キリエ、ぷい、と気恥ずかしそうに横を向き、壁に視線を放る。
キリエ「(小声で)・・・いい方に、捉え過ぎ・・・」
それを見遣り、和んだ表情を浮かべるしのぶ。
納得したような、理解が完遂したかのような、爽やかな面持ち。
しのぶ「それに・・・私の感情まで言い当てられて、その上、抑えなくていいって言って下さって、気持ちが楽になりました。むしろ清々しいくらいです。本当ですよ。(透き通った口調で)君は凄いです」
キリエ「(一層頬を染め、目線を戻し)・・・別に、大したことは言ってないし・・・炭治郎もやたら褒めてたたけど、聞いてるこっちが恥ずかしいくらい・・・」
しのぶ、背筋を伸ばして、姿勢を正す。
しのぶ「キリエさんは、禰豆子さんと一緒ですね。鬼でありながら、誰かを護り、身体を張って闘う・・・(真剣さを込め)であれば、鬼殺隊の一員です。私は君を認めます、キリエさん」
瞬時に、威厳の空気を纏うしのぶ。
少し、きり、と眉を寄せ、重厚さを醸し出す。
それは〝柱〟と呼ばれる者が持つ、不動感。
途端。
その姿を眼前にし、急速に落ち着きを取り戻していくキリエ。
キリエ《成程・・・この人も、きっと強い。煉獄さんみたいに、凄い人なんだろうな・・・》
直後。
急に、元の穏やかな優し気な微笑みへと転化する、しのぶ。
コロッと変わった彼女の表情に、目を瞬かせるキリエ。
しのぶ「(やや嬉しそうに)何か、君とは仲良くなれそうな気がしてきました。鬼と仲良くなれるのは、禰豆子さんに続いてふたり目です」
キリエ「でも・・・私と親しくなると・・・」
途端に、キリエ、不安そうな両眼でしのぶを凝視する。
対して、しのぶ、身体を前屈みにして、右腕を伸ばす。
彼女の右手人差し指が、柔らかい動きで、キリエの唇に触れる。
そして、ピタ、と封をする如く、塞ぐ。
自分の唇に感じる、しのぶの指先の温もり。
キリエ、瞳を鼻先に向け、寄り目となって、動きを凍て付かせる。
しのぶ「(艶やかな、甘い声)大丈夫、ですよ。心配しないで下さい」
至近距離に、互いの顔がある。
しのぶの、端正で美麗な顔立ちが、近い。
頬が熱くなり、とくん、とくん、と拍動が速くなるのを感じ取るキリエ。
そして、改めて眼差しを絡め合う。
最早、しのぶの目の中には、影が見当たらない。
淑やかで、また清々しく、深遠の紫の眼の光。
暫くして。
す・・・と指を離し、身体を戻して座り直すしのぶ。
キリエ、緊張感が去り、替わりに名残惜しさを覚えたような雰囲気。
しのぶ「文献調査の間、この蝶屋敷にいてもらって構いません。何か判りましたら、お伝えしますね」
キリエ「(少し柔らかい表情)・・・ありがとう。お言葉に甘させてもらうわ」
目を細くして、にこっ、と綺麗な微笑みを湛えるしのぶ。
安心し切った様子で、ほおっ、と肩を上下させ、息を継ぐキリエ。