★ 蝶屋敷・母屋
夜半近く。
蝶屋敷邸内、治療棟とは離れた別棟。
日本文化の推移を集めたような、立派な造りの、母屋。
様々な低木樹に囲まれた赤土の庭があり、大変に広い。
初夏の花々が、生命を謳歌する如く、随所に、多数咲き誇る。
その花と花の宙を、揚羽蝶が、ひら、ひら、と嫋やかな羽ばたきで行き交う。
夜だというのに、無数。
月光に翻り、踊る蟲の、不規則な群舞。
母屋の縁側、そこに面する部屋の障子が、大きく開かれている。
八畳の和室に、三組の布団が、川の字に並んで敷かれている。
中央の布団には、禰豆子が掛布を肩まで被り、両目を閉じて寝息を立てている。
左側の掛け布団の上には、炭治郎が胡坐をかいて座る。
右側の掛け布団の上には、キリエが膝を立てて抱えて座る。
キリエと炭治郎は、同じ薄緑色のパジャマに、上下を着替えている。
禰豆子は、薄紅色の和装の寝間着に着替えて、布団に潜っている。
開け放たれた障子、縁側越しに、見える庭。
蒼白い月の光が溢れるそこを、時折眺め、互いに視線を交わし、会話をしているふたり。
間に挟まれている状態の禰豆子、すう・・・すう・・・と、深い寝息。
炭治郎「(笑顔で)そうか。しのぶさんが調べてくれるなら、助かるな」
安堵したように一度息をつき、キリエを見詰める炭治郎。
何となく、窺うような表情になり、炭治郎を見詰めるキリエ。
キリエ「彼女から聞いたんだけど・・・家族をオニに殺されてるの?」
炭治郎「(頷き)ああ、鬼舞辻無惨に」
キリエ「私もオニよ。憎くはないの? 今更聞くのは遅いと思うけど」
炭治郎「(一際大きく頷き、即答)ああ、憎くない」
すぱっ、と鮮やかに斬り込むような、返答。
キリエ、怪訝そうな顔色を浮かべる。
キリエ「私を吸血鬼だって知った人は、大抵怯えるか、憎らし気に見るか、殺そうとして銃を向けるかしていた。だからそうじゃない反応されると・・・(目を伏せ)何て言ったらいいのか・・・」
炭治郎「君と出逢った人の全員が、君に悪意を向けた訳じゃないだろ?」
キリエ「そうだけど・・・(一段と重い声で)私のことを友達だって言ってくれた人は、みんな死んだわ。親しくなってくれた人も、大勢・・・だから、反って悪感情を持ってくれた方が・・・」
炭治郎「それは出来ないな」
キリエ「(顔を上げ)どうして?」
炭治郎「君は〝明日〟を手にしたいんだろ? これ以上誰にも、悲しい思いをさせない為に」
言葉に詰まる、キリエ。
炭治郎の発言には、躊躇や惑いがない。
炭治郎「(深い響きの声質)俺も同じだから。鬼が増えることで、悲しむ人を無くしたい。もう誰にも、悲しい思いをさせたくない。だから無惨を斃す・・・(優しい声で)俺と同じ、自分と同じ志を持つ君に、悪い感情は持たない。安心してくれ」
真摯で、揺るがない、言質。
炭治郎、真っ直ぐ一直線の目線を、キリエに送る。
尚も、言葉を発することが出来ない、キリエ。
炭治郎「(にこ、と笑い)大丈夫だ、君と親しくなっても死なない奴がいるって、俺が証明するから」
キリエの両の眼が、静かに、丸く見開かれる。
息を飲み、すべての仕草を停止。
更に一歩、踏み込んできた、炭治郎の発言。
自分の中心核にある何かが、打ち震える。
涙腺が、緩む。
喉の奥に、つん、とした感覚が湧く。
奥歯を、ぐうっ、と思い切り噛み締め、それ以上表情に出さないようするキリエ。
突然。
炭治郎、きり、と眉を吊り、ふんっ!と鼻息を荒く吹く。
炭治郎「(明朗に、勇ましく)竈門家の長男だからな! 折れても挫けることは絶対に無い!」
そして腕組みをし、どうだ、とばかりに胸を張る。
彼の両眼が、キラ、と得体の知れない勇ましさで輝く。
一連の流れを見遣り。
キリエ、ふっ、と緊張を解いたように顔を緩める。
キリエ「(微かに口角を上げ)・・・何なのその、長男理論」
そう返されても、尚も自信満々さを保っている炭治郎。
ふと。
禰豆子が、小さく寝返りを打とうとして、ごそ、と身体を動かす。
ふたりの視線が、同時に彼女に注がれる。
キリエ「(禰豆子の寝顔を、じっ、と見詰め)よく眠ってるわね・・・」
炭治郎「禰豆子は人を襲わない。血肉を喰わない。鱗滝さんの話では・・・(キリエに視線を向け)鱗滝さんは俺の師匠でね、鱗滝さんが言うには、禰豆子は眠ることで体力を回復してるかも知れない、ってことなんだ」
キリエ「そう・・・(炭治郎と視線を絡め)私も眠って体力が回復出来れば良かったかもね」
ふ、と小さい笑みを口元に浮かべる炭治郎。
腕組みを解き、右掌を差し出し、禰豆子の頭に乗せる。
そして柔らかく、且つしっかりとした動作で、撫でる。
炭治郎「俺がきっと、禰豆子を人間に戻してやる。兄ちゃんが、絶対に・・・」
眼差しを緩め、その様子を眺めているキリエ。
炭治郎が、愛しむように手を動かしている間、ずっと。
暫くして。
キリエ、徐に顔を上げ、室内を、ぐるり、と見回し、再び炭治郎に視線を繫げる。
キリエ「(ふう、と溜め息を吐き)それにしても、ジャパンの住居って、変わってるわね。慣れるのに時間が掛かりそう。(右手人差し指で下を差し)タタミとフトン、だったっけ? 使ったことない」
炭治郎「(身体を起こし)病室のベッドが空いていれば、使えるかもな。しのぶさんに聞いてみようか?」
キリエ「(首を左右に振って)いいわ。怪我人優先だし・・・何とかなると思う」
炭治郎「そっか。頑張って慣れるんだぞ、キリエ」
キリエ「(くす、と小さく笑み)寝るのにそんな気合はいらないんじゃない?」
炭治郎「(つられたように、笑って)それもそうだな」
炭治郎、すっくと立ち上がり、縁側に歩み寄る。
障子の引手に手を掛け、左右から、スーッ、タン、と閉じる。
純白の障子紙を通して、月の光が柔らかく変化し、室内を照らす。
それから、布団に戻った炭治郎の動きを見真似、布団に潜り込むキリエ。
炭治郎「おやすみ、キリエ。ゆっくり休んでくれ」
キリエ「ええ、貴方もね、炭治郎」
仰向けになったキリエの瞳に、木張りの天井が映る。
港に着いてからの数日間の出来事が、頭を過ぎる。
やがて。
不意に強い微睡みを覚え、両の瞼を閉じるキリエ。
数刻後。
三人の、規則正しい寝息が、八畳間に流れ始めていく。
★ (同時刻)東京府・何処かの山中の街道
月が雲に、出たり隠れたりしている。
漆黒の闇に埋められた、山中、樹々の間。
細い沢沿いに、黒土の長い道。
山並みと山並みの間を抜ける、峠越えの街道。
湧き水が、コポ、コポ、と噴いている、規模の小さな岩の側。
和服姿の、若い女性が立っている。
頬かむりから溢れるように、真っ黒な長い髪が伸びて下がる。
面妖な、雰囲気。
女性の足元、街道の路面上に、仰向けに倒れている壮年男性。
頸が横に真っ二つに裂け、大きく開いて固まった口、上半身が血塗れ。
男性の両眼は反転し、白目。
呼吸がされていない。
絶命している模様。
それを見下すような姿勢で、だら、と両手を垂らして立つ女性。
口の周囲と顎先まで、鮮血で塗れている。
女性「(ニヤアァ・・・と嗤い)あとひとり・・・あとひとりで・・・」
鋭利な角度で上がった口端から、ずらり、と見える牙。
おどろおどろしい空気が、周囲に漂い、充満。
それを四散させるような風がなく、閑さが山を支配している。
【 To be continued...『試練に耐えうる人は、幸いなり(中編)』 】