★ (午後十時)恩方村・住吉神社
夜空の半分を占める綿雲が、高い宙を行き交う。
天の頂へと昇っている、上弦を越え、やや太った半月。
街道から外れた山の中に、ぽつん、と鎮座する小さな神社。
獣道のような狭い、急な参道を昇った先に、鳥居。
鳥居の白木は長年の風雨に晒され、くすんだ黒茶色。
杉林に囲まれた、黒土の狭い境内。
高さ3メートルほどの、赤い屋根の小屋がある。
板張りの壁のその中に、2メートルほどの朱塗りの神殿。
細い注連縄が、ぐるり、と囲んで張られ、紙垂が間隔を開けて下げられている。
その手前、小屋の庇の下、二段の踏み石に腰を据える、ふたりの姿。
キリエと禰豆子。
庇越しに夜空を見上げ、杉林から差し込む月光を眺める禰豆子。
トロリーケースを小屋の片側に置き、傘を傍らに寝かせて、膝を抱えて座るキリエ。
鳥居の向こう、鬱蒼とした樹々の闇に、目を向けている。
考え事をしている、顔。
視線の焦点は、合っていない模様。
キリエ《それにしても・・・黒衣の者の目的は何なの? ジャパンで狂血病を流行らせるつもりにしては、余りに詰めが甘い。この国の人々を試すつもりじゃないの? 一体何を考えてるの?》
キリエ、思い切り眉を顰め、ぎり、と奥歯を噛む。
直後。
隣の禰豆子が、ひょい、と顔を向けて覗き込んでくる。
はっ、と気付き、目線を合わせるキリエ。
禰豆子「(小首を傾げ)んー・・・ん?」
柔らかい目付きで、真っ直ぐに視線を注ぐ禰豆子。
紅梅色の瞳が、どこまでも清んでいる。
ふっ、とつられたように表情を解くキリエ。
キリエ「(静かな口調で)貴方は血肉を食べなくても過ごせている・・・凄いと思うわ」
禰豆子、目を瞬かせる。
キリエ「私は、どんなに我慢しても血が欲しくて堪らない時がある。死んだ人のとは言え、血肉も口にしてるし・・・(ふっ、と自嘲し)一生治らないから、それは諦めてるわ。あとは・・・(重い口調)生きてる人を襲わないようにしなくちゃならない。いつまで自分を抑えられるか、判らないけど・・・」
言い終わり、キリエ、正面に向き直る。
少しの間、鳥居を潜った先の夜陰に視線を放り、それから俯く。
表情が、伏せた眼が、曇る。
彼女が全身に纏う、遣る瀬無さ。
口端を噛み締め、沈黙。
突然。
禰豆子の右腕が、すっ、とキリエの背中に伸びる。
そのまま柔らかい動作で、彼女の右肩を掴み、ぐい、と抱き寄せる。
不意を衝かれたキリエ、抗うことなく、上半身を引き寄せられる。
ぽす・・・と、羽根が舞い降りるように、キリエの顔が、禰豆子の左肩口に当たる。
キリエ、両眼を真円に開く。
更に禰豆子、左手を優しく、彼女の後頭部に置く。
まだ、何が起こっているか把握出来ていない様子のキリエ。
鼻腔に、仄かな甘い香りが流れ込む。
禰豆子の胸元から漂う、形容し難い芳香。
花弁か、蜜か、嗅いだことのない香水の如き。
漸く。
キリエ、自分が禰豆子に、両腕で抱き締められていることに気が付く。
自分の口元に彼女の左肩口があり、頬が襟足に触れている。
声が、出ない。
不思議と、上気しない。
禰豆子、両目を閉じ、キリエに回した両手に、少しだけ力を込める。
ぐっ、とふたりの身体が、密着。
その抱擁は。
母親が我が子を愛おしむが、如く。
姉が弟妹を慰めるが、如く。
刹那の、後。
静かに、瞼を閉じ、半身を禰豆子に委ねるキリエ。
力を抜き、両腕を体側に垂らし、顔を彼女の肩に埋める。
やや、泣きそうな表情。
それを全身で受け止めるように、緩やかに頬を寄せる禰豆子。
左掌で、彼女を艶やかな黒髪を、ゆっくり、ゆっくりと撫でる。
そのまま、暫く。
長い、時間。
言葉は交わさずとも、心情を交わし合う光景が、存在。
ふと。
人の気配が、鳥居の付近。
静かに瞼を開けたキリエの両眼に、背負い箱を担いだ炭治郎の姿が映る。
特に驚いた雰囲気はない、平静な表情。
途端。
ボワッ!と一気に赤面し、茹ったように湯気を出すキリエの顔。
思わず、禰豆子から身体を離し、目を見開いて視線を投げる。
キリエ「(焦ったように)炭治郎! これは! あの・・・」
禰豆子の目も、炭治郎に向けられる。
両腕は、今もキリエの背に置いたまま。
炭治郎、穏やかな眼差しで、柔和な微笑みを湛える。
炭治郎「キリエが良いんだったら、そのままでいいか?」
キリエ「え?・・・(目線が泳ぎ)でも・・・」
炭治郎「甘えてもらいたいんだよ、禰豆子は」
小さな境内を、歩を進める炭治郎。
キリエと禰豆子が座っている場所まで来て、ふたりの眼前に、片膝立ちでしゃがみ込む。
まだ、視線が安定しないキリエ。
どうしていいのか、判断が付かない模様。
禰豆子は、キリエの身体に両手を回した状態を、維持。
炭治郎「キリエのお母さんは?」
キリエ「(少し間を空け)・・・死んだわ。殺された。私は・・・死んだママの血を吸って・・・生き延びたの・・・」
炭治郎「(悲し気な表情で)そうか・・・つらかったな。君はお母さんの命を〝繋いだ〟んだな」
キリエ、思わず炭治郎に目線を固定する。
炭治郎の両の瞳に、慈しさの彩りが、宿る。
吸い込まれるような、どこまでも透明で、温かい眼差し。
炭治郎「(清廉な声で)どんなに失っても、失っても、生きていくしかない。どんなに打ちのめされようとも、生きていくしかないんだ。それが命を、意志を〝繋ぐ〟ってことなんだ」
キリエ「(重めの声質で)〝繋ぐ〟・・・」
言葉を、反芻してみるキリエ。
自分の裡に響かせるように。
僅かの、後。
キリエ、炭治郎と禰豆子を交互に見詰め、眦を緩める。
キリエ「・・・貴方たちも、そう、なのね」
炭治郎「(大きく頷き)ああ」
炭治郎の視線は、まったく振れず、また折れる感じがしない。
語る言葉と同等か、それ以上の堅固さ。
炭治郎「『黒衣の者』は『狂血病で人の魂を試している』って話で、ちょっと思ったことがあるんだ」
キリエ「(小首を傾げ)何?」
炭治郎「『黒衣の者』が本当にそうしているかどうか、判らないけど・・・キリエ、君も魂を試されてるような気がする。背負っている物が、余りに重い。でもそれに耐えている。試練に耐えている力強い〝匂い〟が途切れないんだ」
緩やかに開かれていく、キリエの両眼。
何かに気が付いたような、正鵠を射られたような、面立ちとなる。
口元を、きゅっ、と一度結び直し、目を伏せる。
キリエ「(芯の通った声で)あいつに試されてるんだったら、尚更、何があっても躓いてられない」
炭治郎「そうだな。躓くな、挫けるな、頑張れ、キリエ」
キリエ、俯く。
一層、唇の端を締め、何かを堪えている様子。
炭治郎と禰豆子の見詰める中、暫しそのまま。
少しの、後。
ぽす・・・と、禰豆子の左肩口に、自ら顔を埋めるキリエ。
キリエ「(小さな声で)じゃあ・・・今はもう少し・・・このまま・・・」
禰豆子、眉を下げ、再びキリエに回している腕に力を込める。
キリエ、抱擁され、全身を緩和させ、禰豆子に半身を預ける。
隠すように伏せた顔は、安らかな彩り。
炭治郎、優しさを溢れさせた、柔らかい微笑みを浮べている。
天の月が、雲の隙間から、暖かい光を境内に注ぎ続けている。