★ (五時間後・深夜午前三時)恩方村・醍醐地区への街道・恩方の湧き水付近
既に、月は山の端に沈んでいる。
大部分の夜空を覆っている、厚い雲の波。
漆黒で塗り潰された夜の山中の、幅3メートルほどの街道。
杉の森の谷間を、蛇のように畝って伸びている。
方々から、ホウ・・・ホウ・・・と、掛け合いをするような、何羽かの梟の鳴き声。
街道沿い、湧き水が出ている箇所が、ある。
一本の杉の根元、小さな岩に差された、半円の竹の樋。
そこから、途切れることなく、トクトクトクトク・・・と流れる、湧水。
岩場から染み出た水が集まり、樋を通じ、落ちている。
壺のような窪みに、延々と零れ続ける。
簀の子状に組まれた細い丸木が、街道から1メートルほどの幅で並べてある。
その傍らに、人影。
真っ黒な紬の、女性らしき姿。
遊女のようにやや着崩し、横縞模様の帯、黒い下駄。
頭に手拭いを冠り、端を顔の左右に垂らし、片端を咥えている。
顔を伏せており、陰になっていて表情を窺えない。
身動ぎもせず、立っている。
声も立てず、黙って。
長い、時間。
更に、時が過ぎ。
そこから左方向、西の街道奥から、スタ、スタ、スタ・・・と足音。
小さい歩幅で段々と、この場所まで接近してくる。
薄紫色の小紋に、赤紫の帯を締めた、少女と思しき姿。
深紫色の御高祖頭巾を被り、両目以外を隠している。
頭巾は首元と両肩を覆い、和装の襟まで被さる。
両腕を、だら、と体側に下げ、両掌は袖の中に入れており、見えない。
湧き水の近くに立ち竦む女性、動きはない。
尚も、街道を歩いてくる、影。
やがて。
女性の正面まで、少女が到達。
ふたつの姿が、街道上で向かい合う。
顔を向け、2メートルほどの距離で対する頭巾の少女。
やや、間を置いて。
少女「・・・こんな夜中に、どうかしたの?」
手拭いを冠った女性、顔を伏せたまま。
女性「(か細く、切なそうに)・・・お腹が・・・空いたの・・・」
眼前の少女、じっ、と女性に視線を固定している。
少しの、後。
少女「ごめんなさい。私、何も持ってない。近くから貰ってきてあげるわ」
女性「(抑揚のない声で)まあ・・・ありがとう・・でも、そんなものより・・・」
突然。
ざわわわわ・・・と、周囲の木立の枝葉が、震える。
辺り一面の空気が、ずううぅぅ・・・と澱む。
女性の口元が見え、その両端が鋭角に引き上がる。
女性「(低く、残酷気に)お嬢ちゃんの方が・・・美味しそうだわ・・・」
女性の顔が上がり、ずる、と手拭いが擦り落ちていく。
纏めていた髪が解け、重力に従って左右と背中側に広がる。
膝辺りまで伸びる、長い黒髪。頭部で左右に分け目を入れている。
闇に同化している長髪は、漆黒で艶やかだが、面妖な照りを放つ。
眼球が、灰黒色。瞳は黄金色を帯びた褐色。
ニヤアァ、と嗤った、大きく上下に開かれた口。
その腔内に、ズラリ、と並んだ鋭利な牙。
飢えを我慢していたかのような唾液が、牙と牙とを繋ぐ。
少女、大きく息を飲み、止める。
一拍。
ザッ!と素早い動きで踵を返し、街道を元来た方向へと走り出す。
着物の裾が纏わり付き、小走りになる。
女性の黒い目が、向けられる。
すると。
女性の左側の長髪が、ゆらり・・・と上がり、蛇のように鎌首をもたげる。
途端。
ズアアアァァッ!と、一直線に延伸する髪の毛。
一瞬で、少女の正面に回り込み、そのまま、ぐるっ、ぐるっ、と巻き付く。
まるで、触手。
肘から上、胸元まで幾重にも巻き付かれ、停止する少女。
少女「(息を飲んで)髪が!?」
女性「(愉悦そうに)ふふふ・・・驚いた? 私の髪は自由に伸びるのよ。しかも髪は細い管になっててねぇ、それで血を啜るのよ」
少女、藻掻きながら身体を返し、相手と対峙する姿勢になる。
5メートルほどの距離。
巻かれた髪が、ぐううっ・・・と締め付けを強める。
頭巾の奥から、少し苦しそうな喘ぎを漏らす少女。
少女「・・・貴方・・・鬼ね?」
女性「ご名答。この辺りの街道で待ち伏せて、来る連中を喰ってたのよ。あんたみたいな獲物を、ね」
少女「さしずめ・・・『待ち伏せ鬼』ってとこかしら・・・」
待ち伏せ鬼、一層口端を歪め、ニタァ・・・と嗤う。
今度は、右側の長髪が、ぬう、と独りでに上がる。
髪先を紙縒りのように纏め、錐の刃先に似た形状に変化させる。
待ち伏せ鬼「(楽しそうに)目玉を刺して、ほじくり出してあげましょうね」
突如。
少女から、立ち昇る気配。
ズウッ・・・と、澱んだ空気を上書きして、尖った雰囲気が溢れる。
周囲の宙が、ビリッ、と震える。
ピク、と眉を動かし、訝し気に眼を向ける待ち伏せ鬼。
待ち伏せ鬼「あら?・・・妙な気配? あんた・・・」
少女が、満身の力を込め、右腕の肘から下、前腕部を上げていく。
ぐぐぐっ・・・と、巻き付く髪に逆らい、右袖ごと。
肘を支点に、右腕が90度を成した、時。
ヴォゾーンッ!と、銃声。
少女の右袖の袂を突き破り、銀の銃弾が空を裂く。
しかし、到達した弾丸は、鬼の左腕上腕を掠めたのみ。
その後、後方の樹林の彼方へと消える。
少女の着物の袖には風穴が開き、そこから硝煙が立ち、揺らいで昇る。
茫然と立ち竦む、待ち伏せ鬼。
何が起こったのか、判断しようとしている様子。
そうしている内に、鬼の腕の銃創は、塞がっていく。
少女「(ぎり、と奥歯を噛み)外した・・・」
待ち伏せ鬼「(唖然としつつ)鉄砲? 女の子が?・・・しかも・・・」
待ち伏せ鬼、右側の長髪を、ズアッ、と伸ばす。
少女の頭部に達すると、乱暴な動きで、頭巾を剥ぎ取る。
キリエの顔。
赫い瞳が、爛々と闇の中で輝く。
噛み締めた牙が、唇の隙間から垣間見える。
頭を少し振って、黒髪を整えるキリエ。
首元に、彼女の普段着のハイネックと首輪。
洋装の黒服の上に、和装の着物を重ね着している模様。
よく見ると、足はブーツのまま。黒い爪先が可視出来る。
待ち伏せ鬼、怒りの顔に変化。
待ち伏せ鬼「(睨んで)あんたも鬼ね!」
直後。
ヒュウウウゥゥ・・・と、風が逆巻く音。
キリエの後方から、一気に距離を詰めてくる、足音。
ターンッ!と、地面を蹴る音。
連続して起こった三つの音色と共に、闇を破って、炭治郎が登場。
ハッ!と顔を上げ、目を見開く待ち伏せ鬼。
炭治郎の跳躍は、キリエを飛び越し、間に張られた鬼の長髪の真上。
刀を左肩より後方に振り被り、深く呼吸し、空気が白い霧となって吸い込まれている。
炭治郎「(深い声色で)水の呼吸・・・壱の型・・・」
そのまま、身体ごと飛び込んでくる炭治郎。
途端。
刃から、ザザザザ・・・と音を立て水が湧き、幾筋の帯となって尾を引く。
炭治郎「(腹の底からの声)水面斬り!」
渾身の力で、右腕を前方、水平に振り抜く。
日輪刀が、劈く。
空間を広範囲に、水が拡散。
ザアア――――ッ!!!と、噴水機で蒔く如く。
キリエ、驚きで両目を丸くして見遣る。
キリエ《水!? 水が拡がった!?》
三日月型の円盤状に、水飛沫が空間に滞留。
その水の範囲内に、待ち伏せ鬼の伸ばした髪。
ザシュウウウッ!と、一気に両断される。
斬り口から、バラッ、と解けて地面に落下する、鬼の長髪。
キリエを束縛していた力がなくなり、ポロ、と髪の先端側が解かれて落ちる。
すたっ、と街道上に着地する炭治郎。
キリエと鬼の中程に降り、日輪刀を正眼に構え直す。
炭治郎の足元、赤土の路面やその周辺に視線を飛ばすキリエ。
地面は、乾いたまま。
キリエ《(凝視して)でも、何処も濡れていない・・・実際に水が湧いた訳じゃないの?》
一旦、炭治郎の背に目を移す。
それから、自分の胸元から腹部を見下ろす。
待ち伏せ鬼の髪が巻き付いた辺り、研磨紙を掛けたように毛羽立っている。
キリエ、慣れない手付きで、それでも速い動作で帯を解く。
路面に落とし、着物の襟に手を掛け、素早く脱ぐ。
それを、ぽい、と左方向に放り投げる。
黒服の、いつものキリエの姿。
キリエ「(ふう、と息をついて)やっぱりキモノは動きづらい」
炭治郎「(待ち伏せ鬼に向いたまま)怪我はないか? キリエ!」
キリエ「(頷いて)少し締められたけど、問題ない。しのぶさんに貰ったキモノは駄目にしちゃったけど」
炭治郎「それより、すまない。〝匂い〟を辿るのに手間取った」
キリエ「大丈夫よ、夜だもの。(僅かに口角を上げ)相手が釣られたみたいだから、囮になるって言い出した甲斐があるわ。結果良し、として」
キリエ、右手に銃を下げたまま、二歩前進する。
鬼から見て、炭治郎、後方にキリエ。
嘲るように、くい、と顎を上げて目線を放る待ち伏せ鬼。
いつの間にか、伸ばしていた長髪が戻っている。
待ち伏せ鬼「来たのね、鬼狩り。獲物に夢中で気付くのが遅れたけど、こちらも若くて美味しそうな子」
直後。
右側の山の斜面から、ターンッ!と地面を蹴る音。
杉木立の間隙を縫って、空間を跳んでくる禰豆子。
街道上空に現れ、ぽいっ、と何かをキリエに向けて投げる。
キリエ専用の武器、仕込み傘。
右手の銃をホルスターに、チャッ、と収納するキリエ。
即座に、放物線を描いて落下してくる傘を、パシッ!と右手で鮮やかに受け取る。
禰豆子、スタッ、と路面に着地し、すぐさま半身になって腰を落とす。
そして両脇を締め、拳を握り、構えを取る。
キリエ「(禰豆子を見て、頷いて)ありがと、禰豆子」
禰豆子「(キリエを見て、意気高々に)んーん!」
炭治郎の後方、キリエと禰豆子が並ぶ。
待ち伏せ鬼、三人を見渡し、眉を顰める。
待ち伏せ鬼「あら? 鬼がもうひとり? ふたりも鬼を連れてるの? 何なの、変わった鬼狩りね。まあ何でもいい」
対峙する距離、約4メートル。
ペロ、と一度口端を舐め、愉悦そうな表情を浮かべる待ち伏せ鬼。
待ち伏せ鬼「(自慢げに)私はこの四十年で、九十九人喰ってる。前にもひとり、鬼狩りを殺して喰ってるのよ。あんたら誰かで、丁度百人目・・・」
キリエ「(ぴく、と眉を動かし)40年?」
きっ、と鋭利な視線を刺すキリエ。
キリエ「殺す前に、答えて。(尖った、重厚な声で)貴方をオニにしたのって、黒い服のオニ?」
待ち伏せ鬼「(ふん、と鼻で嗤い)黒い服の鬼? 何それ?」
待ち伏せ鬼の両眼が緩み、心底嘲った顔となる。
炭治郎、身体を起こし、右腕で日輪刀を突き付けるように、翳す。
炭治郎「鬼舞辻無惨を知っているな?」
突然。
待ち伏せ鬼、ビクッ、と肩を跳ねさせる。
先程までの見下す気配が失せ、顔を反らし、目線を泳がせる。
待ち伏せ鬼「(震える声で)し・・・知らない・・・何それ?・・・」
眉を寄せ、刀身の延長線上に、待ち伏せ鬼を凝視する炭治郎。
少しして、キリエを振り返り、目を向ける。
炭治郎「こいつは無惨に鬼にされている。『黒衣の者』は知らないらしい」
キリエ「〝匂い〟で判ったの?」
炭治郎「(こく、と頷き)ああ。無惨の名を出した途端、恐怖の〝匂い〟がした。無惨に鬼にされた者は、無惨の名を口にしただけで死ぬ。そういう呪いを受けているんだ」
キリエ「(眉を顰め)えげつない・・・」
目の前の遣り取りを見て、ギリ、と歯軋りをする待ち伏せ鬼。
待ち伏せ鬼「(苛立った様子で)ごちゃごちゃ五月蝿いわね。もうそろそろ喰われてくれる?」
鬼の長髪が、左右に、ぬうぅ・・・と生き物のように動き、持ち上がる。
一拍の、後。
ドン!と空気を叩き割り、一気に炭治郎目掛けて延伸する髪。
上下左右に、細い、何十本の分かれた黒髪の触手。
チャキッ、と即座に、日輪刀を正眼に構える炭治郎。
口を開け、ヒュウウウゥゥ・・・と深く、とても深く息を吸い込む。
風が逆巻くような、震える響き。
炭治郎、日輪刀を下段に構える。
炭治郎「(深い声色で)水の呼吸・・・肆の型・・・」
待ち伏せ鬼の髪の先端が、錐のように尖り、襲い来る。
到達しようとする、寸前。
刃から、ザザザザ・・・と音を立て水が湧き、幾筋の帯となって尾を引く。
炭治郎「(突き抜ける声)打ち潮!」
日輪刀が、閃く。
切っ先が、∞の線を二度、空中に描く。
同時に発生する、ザッパアァァァン!!!という波が叩き付ける轟音。
岸壁に打ち寄せる波濤のような、大量の水が湧き、空間を塗り潰す。
見事な流線の波形が、可視範囲に、幾重の帯の如き。
飛沫を散らし、飛来した鬼の長髪を、細切れに裁断する。
両眼を開く、待ち伏せ鬼。
斬られた髪が、パラ、パラ、と地面に落下していく。
それらは路面に転がった後、チリチリチリ・・・と砂のように崩れて、消える。
キリエ、炭治郎の技を見惚れるように見詰めている。
禰豆子、兄の背に視線を繋ぎ、頼もしいと言いた気に、眉を下げる。
炭治郎、改めて日輪刀を正眼に構え、きり、と目を据える。
待ち伏せ鬼、不快気に眉を顰め、それでも顎を上げて見下す視線。
待ち伏せ鬼「(嘲るように)面白い技を使うのね。それで私の頸を斬るつもり?」
炭治郎「(弾けるような発声)そうだ!」
待ち伏せ鬼「坊やたちに出来るかしらねぇ・・・」
再び、鬼の長髪が、ズアアアァァ・・・と羽根のように広がる。
全身を覆う、どす黒い、おぞましい妖気。
対峙する三人の瞳に、勇ましさが宿る。
仕込み傘を両手に持ち直し、ガシャコ!と一度リロードするキリエ。
日輪刀の切っ先越しに、真っ直ぐ正面に視線を送る炭治郎。
正中線を隠した半身で、左右の指先の爪を、ジャッ!と尖らす禰豆子。
夜空を覆う厚い雲が、中程で一直線に薄くなり、割れ始める。
それは、緞帳が上がる如き。
舞台が開幕するかの如き。
【 To be continued...『試練に耐えうる人は、幸いなり(後編)』 】