★ 森久保集落・堂山
景色は、仄か。
純黒の闇が剥がれ、かなり先まで可視出来る風景。
森の一部が、100メートル四方に拓け、枯れている。
樹海に囲まれたその土地の中央に、高さ20数メートルほどの低い山。
全体は円錐型、裾が前後左右に綺麗に拡がる。
小型の富士山の如き、コニーデ型の輪郭。
全面の黒土の色彩で、一本の樹すら存在しない。
点在する数箇所の切り株。しかも完全に枯れ、崩れている。
夕方にキリエたちが立ち寄った場所、堂山。
静かに鎮座する、小山。
しかし、急に騒がしくなる。
鳥が数羽、喚きながら、慌てたように森から飛び立ち、空へ。
その方向から、樹の間を縫って、タタタタタタタ・・・と、キリエが駆け出して来る。
右手に仕込み傘を下げ、凄まじい速度。
周囲が開け、キリエ、眼前に堂山を確認する。
走りを落とさず、ちら、と後方を振り返る。
文字通り、鬼の形相以外の何物でもない、待ち伏せ鬼が迫る。
ドドドドドドドドド!と、草叢を削るような、猛烈な駆け方。
目を大きく剥き、牙を晒して、口を上下に開け、キリエを睨み付け。
全身から、殺気と怨嗟を垂れ流しながら。
待ち伏せ鬼、森を抜け、堂山の敷地に入る。
キリエ、小山の頂上を凝視。
走駆の勢いのまま、ドンッ!と枯草を蹴る。
堂山の山肌に足が掛かり、そして、ダーンッ!と上前方へと跳ねる。
急斜面に点在する朽ちた切り株を足場に、タン! タン! トーン!と跳び渡る。
見る見る高度を上げ、山の頂へと登っていくキリエ。
鮮やかに、宙を軽やかに舞う。
まるで、踊るように。
だが表情は固く、両目は鋭利に、眉間に皺を刻んでいる。
その後方からキリエを追う、待ち伏せ鬼。
枯草を千切り、落ちている枝を蹴散らし、轟音を上げ、接近。
待ち伏せ鬼も、堂山の斜面に突入。
急な角度も物ともせず、ドドドッッッ!と、黒土を抉りながら登坂していく。
キリエ、20数メートルほどの高さの山頂に到達。
そこは、直径10メートル程度の、円型の平たい場所となっている。
勾配との境、円地の縁に、トッ、と着地するキリエ。
すかさず、くるっ、と踵を返し、身体を反転。
眼下から迫り来る、待ち伏せ鬼。
相対距離、15メートル。
キリエ、きっ、と一際鋭い目線。
荒れた呼吸を整えつつ、仕込み傘を両手で持ち直し、両足を肩幅に広げ、胸を張る。
キリエ「(突き抜ける声)来なさいっ! ここで殺してあげるっ!」
待ち伏せ鬼「(怒り狂い)許ざない! 殺じでやるゥ! 殺じでやるゥ!」
待ち伏せ鬼が、指を鉤型に曲げ、両腕を広げる。
既に、燃やされていた髪が1メートル以上に伸び、回復している。
その黒髪を左右に、ブワアッ、と羽根の如く展開し、いくつかの紙縒り状に構成。
髪の触手を数本、蟹の脚のように構える。
すべての尖端は、キリエに向く。
距離、10メートル。
瞬きもせず、血走った両眼で睨み、尚も駆け上がって来る待ち伏せ鬼。
眼球には、キリエしか映っていない。
他は、何も見えていない。
殺意が、鬼の躯体を動かしている。
距離、5メートル。
斜面最上部のキリエに向かい、歩幅を大きく、黒土を蹴る。
キリエ、動かない。
仕込み傘を両手に持ったまま、引鉄にも指を掛けていない。
距離、3メートル。
待ち伏せ鬼、跳躍。
ドォン!と、右足で踏み切り、右腕を頭上に振り被り、爪を立てる。
溜めていたように、長髪の触手が、ズドン!と延伸する。
待ち伏せ鬼「(激怒の声)死ねェェェェッッッ!!!」
相対空間を埋め尽くす、錐の形状となった、幾本もの鬼の長髪。
キリエ、奥歯を、ぐっ、と締める。
傘を持ち直し、右手に、だら、と下げる。
同時に、待ち伏せ鬼の右腕が、振り下ろされようとする。
【スローモーション】
突然。
閃光。
東方向の、山の稜線から。
何かの爆弾が炸裂したかのような、光。
一瞬で、白橙色の絨毯が、押し寄せる。
樹海を、森林を、見える範囲全面を染め上げる、波濤の如き勢い。
待ち伏せ鬼、攻撃を繰り出しながら、右側に顔を向ける。
網膜に、光の輪がプリズムを醸し出しながら、飛び込む。
愕然。
灰黒色の眼が、はち切れんばかりに拡大し、見開かれる。
顎が落ち、今までにないほどに口が拡大。
憤怒の顔が、あっという間に崩れ、恐怖と怯えの表情となっていく。
キリエ、唇の端を噛み、眉間に皺を寄せる。
揺るがぬ視線は、待ち伏せ鬼に固定した状態。
来たのは。
日の出。
生命の根源から放たれる、真っ直ぐの陽光。
遮蔽物のない堂山の山頂に、届く。
更に、この山肌の片面を飲み込み、周囲全面に満ち溢れる。
すべてが、明るく照らされ始める。
【スローモーション終了】
待ち伏せ鬼、陽光を浴び、急停止。
直後。
ジュワアアアア――――ッッッ!!!と、鬼の体躯が、灼け出す。
瞬時に皮膚が真っ赤になり、ケロイドが全身に拡がる。
朦々と湯気が皮膚から立ち昇り、シュウウウウウウ・・・と噴出して膨れ上がる。
待ち伏せ鬼「(絶叫)ギャアアアアアアアッッッッ!!!」
一直線に届く陽の光を、両手と長髪を掲げて防ごうとする。
しかし、その髪も灼け始め、ブスブスブス・・・と燻った煙を発している。
待ち伏せ鬼「(悲鳴)灼けるゥゥ! 嫌アアアァァァッッ!」
掌を必死で翳し、陽光から逃れようとする待ち伏せ鬼。
だが、身を隠す場所は、ここ堂山にはない。
皮膚の延焼は、止まらない。
火傷は赤色化し、更に茶褐色、そして炭黒色へと。
太陽は、一片の慈悲もなく、鬼を穿つ。
待ち伏せ鬼、虚空を藻掻き、両腕を振り続ける。
全身を隈なく、ケロイドが覆い切る。
ピシッ、ピジッ、ビッ、と亀裂が入っていく、待ち伏せ鬼の身体。
空を掻き毟りながら、キリエを横目で、視界に映す。
待ち伏せ鬼、ハッ!と、灰黒色の眼球を正円に見開く。
キリエは、ずっとこちらを見ている。
対峙距離、2メートル前後、斜め上から。
堂山の山頂の縁に、真っ直ぐ立って視線を向けている。
眉を顰め、苦しそうに荒い呼吸をしている。
しかし、こちらと同様の灼熱化が、まるでない。
待ち伏せ鬼、息を飲んで、引き攣る。
信じられないという、表情。
待ち伏せ鬼「(驚愕)何で・・・何であんたは平気なの!? 鬼なのに!」
キリエ「(苦悶の声で)平気じゃないわ・・・我慢しているだけ・・・」
わなわな・・・と、口端が震え出す、待ち伏せ鬼。
遂に、足掻きが終わる。
だら・・・と両腕を下げ、茫然とした顔で、キリエに目線を投げる。
限界が来る。
鬼の躯体が、崩壊開始。
長髪が、ザアアアア・・・と、先端から散り散りに消えていく。
ボロォッ、と右腕が、肩から割れて落ちる。
ビシイッ!と、両脚の太腿付近が、真横に折れ、左右に倒れていく。
支えを失った腰から上部が、一気に地面に落下し、ドスン、と音を立てる。
崩れ落ちた四肢が、ゴロン・・・ゴロン・・・と斜面を転がり落ち、更に細かく砕ける。
黒い紬の内側の身体にも、無数のひびが入り、ゴロン、ボロン、と四散していく。
頸が両断し、頭が、ドスン、ゴロッ・・・と黒土の上に転がる。
頭部以外の部位、ジュウウウウウ・・・と燻り、次々と形を失う。
焦げ臭い、白い煙が空域を埋めている。
待ち伏せ鬼、頭だけとなる。
その頭部も、徐々に髪の毛の端から崩れている。
鬼の目が、一直線にキリエに注がれている。
目頭に、涙。
残っている頬に、幾筋か伝う、光の筋。
諦念。
絶望。
そして、陽を浴びても滅びないキリエへの、羨望の眼差し。
とうとう、最後の崩壊が、来る。
待ち伏せ鬼「(段々と消え入る声)ああ・・・あとひとり・・・あとひとり・・・で・・・ひゃく・・・に・・・」
直後。
一気に、崩れる。
ザ・・・ザアアアアァァァァ・・・と、砂のように。
チリチリチリ・・・と、燃え尽きながら。
待ち伏せ鬼、滅される。
流砂の如く、体組織を散らし、山肌の黒土へと混じって消える。
ヒュウウウ・・・と、なだらかな風が、堂山へと吹き込む。
躯体から立ち昇っていた煙が、一息で大気の流れに乗って、薄くなっていく。
静寂。
静寂。
長い、間。
尚も、間。
やがて。
キリエ、傘を広げ、自分の左肩に掛ける。
陰が、彼女を癒す。
ふううう・・・と、肺の空気を全部吐き出すような、息。
両の瞼を閉じ、肩の力を抜き、幾度か深呼吸を繰り返す。
ゆっくりと目を開け、待ち伏せ鬼が居た位置に視線を投げる。
あるのはただ、元の風景。
朝日は既に顔を覗かせていて、景色を白橙色に染め上げている。
キリエ「黒衣の者がいたこの場所で、まさかオニを斃すことになるなんて・・・」
ふと、振り返るキリエ。
堂山の山頂を、改めて見渡す。
直径10メートルほどの円地に、朽ちた切り株が数箇所。
その中心付近に、小さな石仏がある。
キリエ、近寄って屈み込み、じっ、と凝視する。
高さ50センチほどの、地蔵菩薩が鎮座している。
目を閉じている、深く安らいだ穏やかな表情。
初めて見る石像に、小首を傾げて、尚も見詰めるキリエ。
キリエ「〝祈りの山〟か・・・(ふっ、と静かな笑み)通じたのかしら、ね」
ガサッ、と小山の麓の方から、音。
キリエ、弾けたように身体を起こし、山頂の縁から森の方を見下ろす。
樹々の間を縫い、炭治郎が現れる。
右手に日輪刀を下げ、背負い箱を担いでいる。
ふら、ふら、とした、覚束ない足取り。
キリエ「(短く息を飲んでから)炭治郎!」
表情を引き締めて、ダン!と黒土を蹴るキリエ。
登った時と同等の、トン! トーン! タンッ!とした軽やかな跳躍で斜面を降りる。
高さ20メートルほどを一気に下山し、その速度で炭治郎へと駆け寄る。
キリエの姿を確認した彼が、顔を上げ、安堵の表情。
途端。
炭治郎、ふらあっ・・・と、前のめりに身体が傾く。
ガシイッ!と、キリエの両手が、真正面から炭治郎の両肩を掴み、力を込める。
仕込み傘を後方に放り、間一髪で、倒れんとした彼の身体を支える。
炭治郎、苦笑いを浮かべ、荒い呼吸を繰り返している。
炭治郎「(申し訳なさそうに)すまない、キリエ・・・君は、大丈夫か?」
キリエ「(首を左右に振り)こっちの心配はいらない。人の心配より、自分の心配して。(炭治郎の身体を見渡し)怪我はなさそうだけど、無理して動かないで」
炭治郎「ありがとう。でももう動けるよ。(キリエの背後に目を遣り)鬼は、斃したのか?」
キリエ「(頷いて)ええ、朝日に焼かれて、骨も残ってない」
炭治郎「(ほうっ、と息と継いで)そうか・・・キリエが頑張ってくれた・・・本当にありがとうな」
キリエ「(炭治郎の背負い箱を見て)禰豆子は、いる?」
禰豆子[箱の中から]〔(高めの声で)んーん!〕
キリエ「(安堵した様子で)良かった。間に合ったわね」
ふう、と小さく息を継ぐキリエ。
眉を下げ、安心した顔となる炭治郎。
全員がそれぞれ、生還した事実を噛み締め合う。
少し、そのまま。
暫くして。
キリエ、炭治郎の肩を、ポン、と一度叩いて、身体を翻す。
広げたまま地面に落ちている傘を拾い上げ、改めて左肩に掛け、差す。
炭治郎、日輪刀の切っ先を鯉口に掛け、カシュン、と収納する。
そして改めて炭治郎に歩み寄り、彼の左側に立つキリエ。
それから自然な動作で、右手で炭治郎の左腕を取り、ぐい、と自分の肩に持ち上げ、回す。
僅かに驚く炭治郎。
キリエ、傘を持つ左手で炭治郎の左腕を押さえ、しっかりと引き寄せ、繋ぎ止めている。
肩を組み、支える姿勢。
身体を寄せ、炭治郎に目線を注ぎ、微かに笑むキリエ。
眼差しを絡め、目を細め、柔らかい微笑を醸す炭治郎。
キリエ「(静かな口調で)帰りましょう」
炭治郎「(柔らかい笑みで)ああ、帰ろう。和尚さんにも報せておこう」
禰豆子[箱の中から]〔んっ!〕
そして、二人三脚の体勢で、歩を進め始める。
堂山を背に、傍らの街道へと。
三人が、集落の方面に、去っていく。
やがて。
誰もいなくなった堂山に、静けさが訪れる。
雲が大きく南北に分かれた、天空。
朝の陽が、生命力溢れる光を、惜しみなく降り注いでいる。