★ (翌日・宵の口)蝶屋敷・門の前
半月から太った月が、天の頂へと登る航路にある。
雲がほとんどない、明るい夜空。
格子戸が開け放たれた、蝶屋敷の数寄屋門の前の、路上。
トロリーケースを左側に置き、右手に仕込み傘を下げた、キリエが立つ。
向かい合って、左から順に、炭治郎、禰豆子、しのぶが並ぶ。
四人は、それぞれが穏やかな表情を浮かべている。
しのぶ「もう一晩滞在してもらっても、よろしかったのですよ。夜は鬼に遭遇します。キリエさんは闘えるとは言え、体力も気力も、温存することが大事です」
キリエ「お気遣い、感謝するわ。でもここまで黒衣の者の情報を掴めたんで、後は居場所を捜す。時間が惜しい。動ける内は動いておきたいの」
しのぶ「そうですか・・・(残念そうに)折角仲良くなれましたのに」
炭治郎「(しのぶに目を遣り)でもしのぶさん、夜だからこうして禰豆子も挨拶出来る。(禰豆子を見て)だよな?」
禰豆子「(目を細めて、頷き)んっ!」
キリエ、小さく首を縦に振る。
それからトロリーケースに目線を下ろし、再度しのぶを見る。
キリエ「(申し訳なさそうに)前に着物駄目にしちゃったのに、またくれるなんて・・・もったいないから、いいのに」
しのぶ「いいえ、キリエさんお似合いでしたから、是非米国でも着て下さい。着付けはお教えした通りです」
微かにはにかんだように、口端を緩めるキリエ。
しのぶ、右掌を上にして、すっ、と彼女に向けて差し出す。
しのぶ「『黒衣の者』の調査ですが、私も協力させてくれませんか? キリエさんが差し支えありませんでしたら、今回の恩方村の件も含めて、お館様にご報告したいのですが・・・」
キリエ「(目を瞬かせ)〝オヤカタサマ〟? 誰?」
炭治郎「俺たち鬼殺隊の頂点に立つ、当主の方だよ」
キリエ「報せてもらうのは、一向に構わないんだけど・・・黒衣の者を追うのは、私がひとりでやるから・・・(少し俯き)これ以上、迷惑を掛けたくない。過去の情報もいっぱい調べてもらったし、物凄く助かったわ。だから・・・」
しのぶ「(清廉な声質で)乗りかかった舟、ですよ。確かに『黒衣の者』はキリエさんが追うにしても、鬼殺隊の情報網なら、もっと早くも見付かるかも知れません。(小首を傾げて)ね?」
炭治郎「俺も何か判ったら、鴉を飛ばすよ。手は多い方がいいだろ?」
しのぶ「(炭治郎を見て、頷いて)そうですね。キリエさんはキリエさんで旅を続ける、私たちは情報を得たら鴉を飛ばす・・・それで決まりですね」
どこまでも歩み寄って来る、言動。
自分の裡に湧き上がってくる、感謝。
ぐっ、と喉元を鳴らし、キリエが三人を見回し、見詰める。
赫い瞳が、透明で綺麗な輝きを帯びている。
キリエ「この国に・・・ジャパンに、43年の時間を超えて辿り着いて、何も判らない私に・・・(嬉しそうに)親切にしてくれて、本当に、ありがとう」
途端。
炭治郎が一歩踏み出し、両手で、がしっ!とキリエの左手を包み込むように握る。
キリエの両目が驚きで丸くなり、瞬時に両頬が紅く染まる。
炭治郎「(溌溂な声)こちらこそ、礼を言わせてくれ。キリエがいなかったら、あの鬼は斃せなかった。君のお陰だ。本当にありがとう!」
キリエ「(戸惑った口調で)い、いえ・・・私は、何も・・・」
にこやかな、爽やかな笑顔の炭治郎。
静かにキリエの左手を離し、ゆっくりと体勢を戻していく。
キリエ、炭治郎の両手から、視線を外せずにいる。
痛ましい手。
ここからでも明確に認識出来る、傷が深く刻まれた皮膚。
硬くて、鍛え抜かれ、分厚い。
年下とは思えない、強靱な掌。
握られて改めて判った、彼の両手が語る事柄。
キリエ《炭治郎の、生き抜いた、証・・・》
感嘆の余韻の、時。
突然、ガバッ!と、禰豆子が飛び込んで来る。
両腕をキリエの背中に回し、一気に、ぎゅううっ・・・と抱き締める。
キリエ、再び驚き、禰豆子の後頭部に目を遣る。
禰豆子は、キリエの右肩に顔を埋め、瞼を固く閉じている。
微かに伝わっている、震え。
キリエ「(落ち着いた声色で)禰豆子・・・」
言葉を発さず、ただひたすら、キリエを抱擁する禰豆子。
伝播してくる、寂しさ。
キリエが頬を寄せ、同様に両目を伏せ、左手で彼女の髪を静かに撫でる。
キリエ「(透明で、深遠な声)人間に戻れるように・・・祈ってるわ・・・」
暫く、そのまま。
炭治郎としのぶが、温和な表情で見詰め続けている。
少しの、後。
禰豆子、名残惜しそうに身体を離し、下がる。
キリエと三人が、改めて向かい合って、立つ。
しのぶ「(厳格さを醸した声で)これからも君には、更に多くの艱難と試練が降り懸かってくるかも知れません。それに耐えうることが出来れば〝明日〟を取り戻せるでしょう。『黒衣の者』を斃し『狂血病』を無くし、誰も悲しむことのない日を、きっと」
しのぶの言葉に、一度大きく首を上下に振るキリエ。
表情に宿るは、凛。
真っ直ぐで、慈しい瞳を向けてくる炭治郎。
炭治郎「(どこまでも深い響きで)試練に耐えられる人は、きっと幸せになれるよ、キリエ」
キリエ、思わず炭治郎に、視線を送り返す。
絡む、眼差し。
共に闘い、力を併せた時の想いが、自分の裡に湧き上がってくる。
ふっ、と唇を緩め、穏やかな目で微笑むキリエ。
キリエ「(沁みるような響きで)その言葉、そっくり貴方に返すわ、炭治郎」
禰豆子が、眉を下げ、頷く。
しのぶが、目を細める。
やがて。
キリエ、左手でトロリーケースを持ち手を掴み、強く握る。
意を決した如く、ざっ、と靴底を擦り、踵を返す。
半身になり、三人を流れるように視界に映し、微笑を湛えて。
キリエ「それじゃ、これで」
しのぶ「旅のご無事を、祈念しています」
切なそうな顔で、肩口まで右掌を挙げ、小さく左右に振っている禰豆子。
柔らかい笑みで、胸元に右手を上げ、掌をこちらに向けているしのぶ。
思い切るように背中を向け、トロリーケースを引き始めるキリエ。
ゴロゴロゴロ・・・と、車輪が路面を転がる音が、高鳴り出す。
爽やかな表情で、右手を、バッ、と真上に突き上げ、右、左に大きな幅で振る炭治郎。
キリエと三人の距離が、どんどん離れていく。
炭治郎「(晴れやかな、大声で)元気でなー! 縁があったらまた逢おう!」
キリエ、歩みを停めず、振り返る。
万感の想いが、満ちる。
両目に映る三人は、ずっとこちらを見詰めたまま。
なだらかな下りの道を、進む。
蝶屋敷の竹塀を過ぎ、路の両脇は鬱蒼とした樹々が並ぶ。
いつしか互いの姿が、見えなくなっている。
進行方向に土の面に目線を放り投げ、少し俯くキリエ。
顔に浮かぶ、寂寞。
それでも尚、きり、と視線を前方に向け、表情を引き締める。
坂道を、降っていく。