★ (夜十時頃)神奈川県橘樹郡中原村・藤の花の家紋の家
十三夜の月が、雲のない中空に座る。
明るい月明かりに隠れ、漆黒の夜空に、数多の星が煌く。
林が点在する村、一際面積の広い屋敷がある。
白木で造られた立派な門構え。門扉に大きく、焼印で描かれた丸い藤の花、中央に『藤』の文字。
家屋は平屋造りで、庭には藤棚。夜露に濡れた花々が、仄かに浮かぶ。
その邸宅、中庭に開けた縁側に腰を下ろす、キリエの姿。
背後の障子は閉まり、部屋の中から煌々とした灯り。
障子の向こうから、サンタミカエラと蜜璃の声。
姿は見えないが、楽しそうに、はしゃいだ会話がずっと聞こえてくる。
キリエ、それを背に、庭に向かって縁側に腰掛け、庭を眺めている。
障子越しの灯りで、夏草の茂る中庭が照らされている。
チ、チ、チ・・・と、何かの虫の音。
満月に近い、盆のような月が、蒼白い光を上書きしている風景。
すっ、と立ち上がり、庭の黒土を踏み、数歩歩むキリエ。
天空の月に、じっ、眼差しを注いだまま。
虫の音が、止む。
入れ違いに。突如。
小芭内「・・・鬼にも月を眺める情緒があるのか?」
振り向くと、小芭内が縁側に立っている。
相変わらず、ねめつけるように、鋭い視線を送ってくる。
キリエ、ふっ、と口端を緩める。
キリエ「(自嘲気味に)太陽は、嫌いだから」
すい、と身体を正対させ、小芭内に目線を繫げるキリエ。
数歩の距離で、縁側の上と庭とで、向かい合う。
少しの、間。
小芭内「(一段低い声で)お前は、米国の鬼の首魁の娘だそうだな」
キリエ「しのぶさんから聞いたの?」
小芭内「いや、胡蝶から甘露寺、甘露寺から俺へと伝達された。お館様からも鴉が来た。何でもこの日本に来ているのだろう? お前の父親、黒衣の者とやらが。鬼になる病を流行らせるそうだな。無惨だけでも忌々しいところに、迷惑千万なことだ」
キリエ「(きり、と鋭い目線で)同感ね。早く見付け出して斃さないと」
ピク、と片方の眉を上げ、目を半分閉じる小芭内。
据わった視線へと転化させ、キリエを凝視している。
小芭内「(ふう、と短く息を継ぎ)・・・理解出来ないな」
キリエ「(一瞬、きょとん、として)何が?」
小芭内「お前は自分に致命的な銃弾を使い、日輪刀と同じ銃剣を携え、自分と同じ鬼を斃すという。鬼に恨みつらみや怒りがある訳でもなさそうだ。ましてや利で動いているとも思えない・・・(ずぬぅ、と右手人差し指でキリエを差し、絡み付くような声で)何がお前をそうさせる? 何がお前を突き動かす? お前の斃していく屍の先に、一体何がある? 黒衣の者とやらを斃せば、お前は鬼でなくなるとでも言うのか?」
僅かの、後。
俯き、ぎゅっ、と両手を拳にして力を込めるキリエ。
キリエ「(沈んだ声質)黒衣の者を殺しても、私が血の渇きから解放されることはない・・・死ぬまで吸血鬼のまま・・・呪われた血は、ずっと私の身体にあり続ける・・・」
途端。
小芭内の両眼が、今まで見た中で一番大きく、剥かれる。
息を深く吸い、そのまま停止。
沈黙。
沈黙。
何の言葉も、返ってこない。
キリエ、顔を上げ、小芭内に目線を結ぶ。
小芭内の目の焦点が、合っていない。
ずっと遠くを見ているように。
虚空に目を奪われているように。
まるで、キリエの言葉の何れかに、驚いたように。
眉を顰め、彼の様子を窺う空気を纏うキリエ。
キリエ「(少し意外そうに)どうしたの?」
ハッ、と我に返ったように、視界をキリエに合わせる小芭内。
目線を外し、顎を引き、微かに顔を伏せる。
小芭内「(虚ろな声色で)・・・何でもない・・・」
間を置かず。
小芭内、再び、硬めの目線をキリエに送る。
小芭内「ならば、何故・・・」
キリエ「(彼方を見る視線になり)・・・〝明日〟」
眉根を寄せ、訝し気な表情を浮かべる小芭内。
対して、遥か彼方へ焦点を合わせるような眼となる、キリエ。
両の瞳に、決意の、堅固な色彩。
キリエ「狂血病を撲滅出来る唯一の手段が、黒衣の者の心臓を搾り出した血清から作られるワクチン。それさえあれば、もう狂血病で苦しむ人も、泣く人もいなくなる。他に方法はない、たったひとつの〝明日〟・・・」
小芭内、じっ、とキリエを見詰めている。
キリエ、改めて視線の位置を小芭内まで戻す。
小芭内「その血清があれば、お前も鬼でなくなるのか?」
キリエ「(首を左右に振り)私には、効かないと思う。判るの、何となくだけど」
小芭内「ならば一度死んで生まれ変わらない限り、お前の血は浄化されない、という訳か」
キリエ「(自虐的に)どうかしら・・・生まれ変われないような気がする。神様は転生を説いてないけど、例えあったとしても、私だけはそんな輪から外されているかも知れない」
言葉の端から零れる、諦念感。
やや、間を置き。
キリエ「でも・・・(ふっ、と微かに笑んで)神様は嫌いだから、信じてもいいかも知れないわね、生まれ変わり」
軽く小首を傾げるキリエ。
言葉を返さず、庭に立つ彼女を見ている小芭内。
数拍後。
キリエ、小芭内の表情を窺うような仕草。
キリエ「貴方は、信じているの? 次の転生」
小芭内、ふっ、と短く息を継ぐ。
小芭内「(冷めた声色で)さあな・・・ただ・・・」
急に、小芭内の眉間に、深い皺が刻まれる。
それから、ずぬぅ・・・と全身から昏い気を湧き立たせ、一気に纏う。
殺意と、断罪の色彩。
小芭内「(一段、重い声で)死ぬのは、無惨を斃してからだ。それで俺の血は・・・」
突然。
小芭内の言葉が、切れる。
ハッ!と何かに気が付き、再び目の焦点をぼやけさせ、停止。
続く発言も、動作もない。
言ってはいけないことを口にしてしまったかのような、顔。
キリエ、ただひたすら小芭内に視線を繋ぐ。
何も言わず、待つ。
暫くの、間。
更に、過ぎ。
緩やかに、静かに、小芭内が視界と意識を戻し、普段の様相に落ち着く。
ただ、視線の先は横に外れ、キリエを見ていない。
小芭内「(掠れた声で)いや・・・今の言葉は忘れろ・・・」
刹那の、後。
けたたましい笑い声が、障子の向こう側から轟く。
キリエも小芭内も、思わず目を移す。
障子に影絵となり、そっくり返るサンタミカエラの姿と、両手を叩いている蜜璃の姿。
話の内容にはしゃいだように、楽しそうに、嬉しそうに。
同時に、目尻を緩める、縁側と中庭のふたり。
キリエ「(ふう、と溜め息をつき)賑やかね、ふたりとも」
小芭内「(ふっ、と短く息を継ぎ)甘露寺は明るいからな。あいつは、誰とでも話せる」
キリエ「良かったんじゃない?」
小芭内「(キリエを向き、二拍ほど空け)・・・何がだ?」
キリエ「サンタミカエラが女の子で。男の子だったら伊黒さん、気が気じゃない、と思って」
ギラッ・・・と、小芭内の両眼が、鋭く光る。
障子の向こうの雰囲気とは相容れないような、抉る如き眼光。
小芭内「(やや怒りの色を含め)・・・何を言っている?」
キリエ「ミルクホールで甘露寺さんを見てた伊黒さんの眼、物凄く優しかったもの」
まったく怯まず、言葉を返すキリエ。
二拍、置き。
ぐうっ・・・と喉の奥を鳴らして、眉を顰める小芭内。
見透かされたような、且つ、悔し気な表情。
そのまま、黙る。
反論出来ない事実が、彼の根幹に固定されているという、雰囲気。
視線だけは、抗う如く折れていない。
キリエ、ふっ、と小さく息を漏らす。
キリエ「甘露寺さんのこと、大事に想っているのね」
急に。
小芭内、目を伏せ、やや項垂れる。
まだ、言葉は発さず。
暫く、そのまま。
長い、間。
漸く。
小芭内「(重苦しい声で)俺は・・・甘露寺の近くにいていい人間じゃない・・・」
それは、余りに物悲しい声色。
世の中の罪をすべて背負い込んだような、嘆きの色。
キリエ「理由は聞かないけど・・・(静かな口調で)貴方も自己否定が強いみたいね」
キリエの顔に、穏やかな彩りが宿る。
今も顔を伏せている小芭内に、数歩歩み寄る。
ふと、小芭内の首元に巻き付く白蛇と、目が合う。
白蛇は、鎌首をもたげた状態で、じーっ、とキリエを凝視している。
キリエ「(蛇を見詰め)この子は、ずっと一緒なの?」
小芭内、すい、と顔を上げる。
その表情は元の様相を取り戻し、視線もいつもの、ねめつけるようなものに回帰している。
小芭内「鏑丸だ。俺は生まれ付き、右目がほとんど見えない。鏑丸が補佐してくれている」
キリエ「(鏑丸に視線を合わせ)貴方も赫いのね、両目」
鏑丸、ちろ、ちろ、と赤桃色の舌を出したり引っ込めたりしている。
妙に、キリエに懐こうとしている様子の仕草。
襟元の鏑丸と、眼下に立つキリエを、交互に見遣る小芭内。
キリエが、鏑丸の舌先目掛けて、左手を差し出し、人差し指を伸ばす。
直後。
小芭内、くるっ、と身体を返し、キリエに背を向ける。
鏑丸が、名残惜しそうにキリエに鎌首を向け、ちろ、と舌を出す。
左腕を体側に下ろし、小芭内の背に目線を投げるキリエ。
小芭内「(突き放した声)明日は朝早い。太陽が嫌いだろうが何だろうが、遅れたら置いて行く。愚図愚図するな」
そして、縁側を歩き、廊下の奥へと進み、姿を消す小芭内。
入れ替わりに、障子の向こうからの明るい声。
サンタミカエラと蜜璃、今も愉快そうに会話を続けている模様。
キリエ、身体を庭に向け、上空を見上げる。
煌々とした蒼白い月光が、網膜の奥に映る。
誰にも見られていない彼女が、微かな、柔らかい笑みを口端に湛える。