英雄cp妄想 作:あほうどり
椅子のクッションに身を預け、ぐるぐると同じ思考に耽る。
こうして悩み初めてどれくらい経ったか。 壁の時計の秒針は、とっくに100や200では足りないくらいにそのリズムを刻んでいる。
視界は部屋の真っ白な壁を写しているものの、俺の脳は視覚からの情報を受け取ってはいない。 ただひたすらに無駄に考えをめぐらせてはそれを消去するだけの繰り返し。
ほんのついさっきまではお腹を空かせながらLoLに興じていたのに、今はゲームをする気にもならなければ、何かを食べる気にもならない。
思考の重さに引っ張られ、体のコンディションも随分と落ちてしまっているみたいだ。
このまま無駄な時間を重ねたくはない。 だが、頭の中で考えが、返事が上手くまとまらない。
『良かったら、近いうちに一緒にご飯食べに行きませんか』
LoLの休憩中に気がついた、discordに届いていた簡素なメッセージ。
内容は、そのまま受け取るならば、何でもないただの食事の誘い。
例えばこれがイブラヒムや三枝明那といった仲のいいメンツからの誘いだったなら、特に悩むこともなく予定を確認するか、さっさと断ってしまって終わりだっただろう。
だけど今回、このメッセージを送ってきたのはねこたつ──猫汰つなだった。
俺とは別の事務所でライバーをやっている異性で、尚且つ、それなりに親しくしている存在。
どんなに劣勢だろうと1人残っているだけで逆転の目が残っているくらいゲームが上手くて、その上どんなに苦しい状況になろうと笑顔でいつも明るい、ゲーマーとしても人間としても尊敬ができる女性だ。
そして、その他の配信で関わってきた大多数の人達と同じく、今まで一度もオフで会ったことの無い相手でもある。
これまで幾度となく同じゲームをやってきたし、チームメイトとして肩を並べてFPSの大会にも臨んだ分、仲自体は良いと感じている。 だが、こうしてオフで顔を合わせるような誘いを受けるのはこれが初めて。
これまで、オンライン上とはいえ、ねこたつとは配信中でも配信外でも相当の時間を過ごしてきたが、その長い時間の中で、俺とねこたつで一緒に食事に行くなんて約束をした記憶は一切無い。
ゲーム内での約束ならともかく、俺もねこたつも、お互いのそういったそういったプライベートな部分に踏み入ることは今まで無かったはずだ。
つまり、今回のこのDMはねこたつに何かしらの、オフで俺と会う必要のある事情なり目的なりがあるということ。
それが何かは分からないけど、こういった誘いに思い当たる節が無い訳でもなくて。
その『思い当たるもの』の存在が、俺の頭を酷く悩ませていた。
大前提、俺の考えが間違っている可能性はある。 というか間違っている可能性の方が高い。
俺が自意識過剰で、ただの考えすぎだと言われればそれまでだ。
だけど、たとえ間違っているとしても、1%でもその可能性があるのなら無視することなんて出来ない。 一人の人間として、それはあまりにも不誠実だと思う。
だが同時に、VTuberなんてやっている俺が同じVTuberの、しかも別事務所で異性のねこたつとオフで会うという行為へのリスクも決して無視していいものではない。
いかなる理由であろうとも会った事が流出した時点で火種になるのは確実な以上、そのリスクは避けるべきだとそれなりにライバーを続けてきた経験が叫ぶ。
ただの俺の思い違いとして断るか。 だけどもし俺の想像が当たっていたのなら……。
脳裏にチラつくねこたつの姿。
いつも楽しそうな彼女の表情が曇るのを想像すると胸が張り裂けるように痛む。
どちらを選ぶにせよ彼女が悲しむ可能性はある。 なら、俺も一緒に背負える分、炎上の方がまだマシなのかもしれない。
ようやく覚悟も決まり、無駄に繰り広げていた思考を深呼吸で吐き出す。
送られてきたメッセージで途絶えていたねこたつとのDMを開き、キーボードに指を走らせた。 やけに自分の心臓の鼓動がうるさい。
『いいですよ。 いつにします?』
普段ならライバーからのオフの誘いなんて断るのが殆どなのだが、今回は例外。
俺が想像してしまったその可能性が、ただの思い上がりや杞憂であることを願うしかない。
★☆★
待ち合わせ場所のスタバで、ついさっき注文したホットコーヒーを傾けながら時間を潰す。
時間にかなり余裕をもって到着したので、眠気覚ましも兼ねて朝日のよくあたる窓際の席で合流を待つことにした。
待ち合わせの時間まではあと8分ほど。 ねこたつからは『もうすぐつく!』とメッセージが入っている。
さらに早めに来た俺が考えるのも変だが、こういう時に待ち合わせ時間より前に到着するよう動くのは何故なのか。
忙しなく動く街の景色を眺め、そんな瑣末なことを考えながら暖かいコーヒーのさっぱりとした苦味を楽しむ。
今日は天気にも恵まれていて、家を出てから今に至るまで、まだ1度も雲を見かけていない。
これだけ天気が良いなら、例えこの誘いがなかったとしても、きっと今日の俺は散歩をするため外出していただろう。
窓越しに降り注ぐ陽の暖かさで肩に入っていた力が抜ける感覚。
平日の朝でも店内にはそれなりに人がいて、俺と同じ1人客と複数人の客が凡そ半々くらい。 だが、店内の人数に反して周囲から会話らしい会話は殆ど聞こえない。俺の耳に届くのは窓を隔てた向こう側の喧騒ばかり。
街を行き交う人の波は俺がこの席に座ってから一度も休むことなくあちこちに動き続けていて、まるで全員が一丸となって時間の流れを作っているようにさえ感じられた。
そんな、人に話すと笑われかねない事を考えながら、尚もコーヒーを片手に街の流れる様をボーッと見つめ続ける。
基本的に一日の大半を何かしらの画面を見て過ごしている分、こうしてただ外を眺めているだけの時間は思いのほか新鮮で、そう悪くはない。
「おとなりいいですか?」
聞き覚えのある声。
完全な意識外からの不意の声に、まるで見えないスイッチを押されたかのように、ぼんやりとしていた意識が一瞬で現実に引き戻される。
声の聞こえた方向──俺の右隣の席へと視線を移す。
いつの間に到着していたのか、湯気の立つカップを持ったねこたつが俺の隣に腰を下ろそうとしていた。 いいですか? と聞いてきたのに、俺の答えを聞くつもりは特にないらしい。
スマホで時計を確認すると、今は待ち合わせ時間の大体5分前だった。
「今日めっちゃ早く来たんだね? うちも早めに家出たのに」
「まぁ、なんかね。 俺も思ってたより早く着いた」
遅れないようにと注意はしていたものの、ここまで早く到着したのは俺も予想外。 俺も家を出る時はねこたつと同じで、丁度このくらいの時間に到着するつもりだった。
当たりのタクシーを拾えたとか、信号に殆ど引っかからなかったとか、理由は幾つか考えられるけど、実際のところ俺にもよく分かってないのが本当のところ。
そんな曖昧な俺の返答に何を思ったのか、ねこたつは、ふ~んと嬉しそうな声を出しながら右手で頬杖をつく。
「うちと会うの楽しみにしてたんだ?」
俺を見つめてどこか照れているような、それでいて嬉しそうな、緩んだ笑みを浮かべるねこたつ。
その笑顔がとても可愛らしく見えて、言葉に詰まった俺は何も答えることが出来ない。
「……ねぇ、照れないでよ。 うちも恥ずかしくなるじゃん」
「ごめん、一旦落ち着く」
停止した脳を動かすために冷めつつあったカップの中のブラックコーヒーを一気に流し込む。 口に広がるコーヒーの苦味とカフェインが熱を帯びていた思考を落ち着かせる。
「よし。 大丈夫です」
「ほんと? なんかめっちゃ緊張してない?」
「緊張するよぉ。 リアルで会うのはじめてだもん俺たちぃ」
「ねぇやめてよ~、なんかうちまで緊張するじゃん」
過剰に弱々しくアピール俺につられたのか、ねこたつは笑いながらも何度か深呼吸。
ねこたつもねこたつで、俺ほどでは無いにせよ普段よりも肩に力が入っているみたいだ。
「今日は、なんか色々楽しませてくれるんですか?」
「はい、もう任せてくださいよ。 英雄さんの好みに合うかはわからないですけど」
「いやいやいや、ねこたつさんのチョイスならそれはもうすごいですよ」
事前に何度か連絡を取り合ったものの、俺は今日の予定に関して殆ど何も知らない。
連絡を取り合う中で何度か聞いてはみたのだが、「当日のお楽しみ」の一点張りで全く情報を貰えなかったのだ。
「じゃあそろそろ行く?」
「行こうか」
僅かに残っていたコーヒーを飲み干し、ねこたつの半歩後ろに続いて店を出る。
歩道はスーツの人々がまばらに歩いてはいるものの、二人並んで歩いても特に問題は無さそうな具合。
タクシーやバスを使う気配が無いことから、行き先は徒歩でも行ける距離みたいだ。
「あ、そうだ。 えびおさん、うち見て何か言うことない?」
「え?」
突然立ち止まったねこたつの不意のその問いかけ。 あまりにも急だったこともあり答えが浮かばず、俺はただねこたつの顔を見つめる。
美形と呼ぶに相応しい整った顔立ちに、綺麗に透き通るような琥珀の瞳。 特徴的な緋色の髪はストレートに下ろされていて、陽光をキラキラと反射している。
……普段はなんともないのに、こうして真正面から見つめ合うと途端に恥ずかしさが込み上げてきて顔に熱が集まってくる。
見つめ合うだけで照れてしまったのがバレたくなくて、咄嗟に右手で口元を覆い隠して目を逸らす。
「ねぇ! そっちが恥ずかしがるとこっちも恥ずかしいんだけど!」
そう主張するねこたつの顔は確かに、俺に負けないくらいに赤く染まっていた。
元々が色白なだけに紅潮した肌はよく目立っている。
「いや、ごめん。 あんま女の人と見つめ合うの慣れてなくて」
「うちもだよ!? 我慢してたけどいきなり見つめられてめっちゃ恥ずかしかったからね!?」
照れた言い訳をする俺に、ねこたつの猛抗議が襲いかかる。
「ほら! ちゃんと見て!」
全身を見せるためか、ねこたうはその場でくるりと数回ターン。
その動きを見てようやく、俺はねこたつが求めていた言葉をようやく理解した。
「あ〜、服ね。 服めっちゃ似合ってる。 ねこたつらしい」
「でしょ? かわいいでしょ」
「かわいいです」
きちんと求められていた返事をできたようで、ねこたつは胸を張ってニッコリとご満悦の表情。
赤と黒を基調にしたガーリーなコーディネートは、まさしく俺のイメージする猫汰つなそのまま。
フリルやリボンの意匠が散りばめられた『可愛い』を全面に出したファッションに、同じく可愛さを強調するようなメイク、ねこたつスタイルの良さ。 それが完璧に合わさることで、今のねこたつはすれ違っ誰もが思わず振り返るような超がつくほどの美少女だ。
俺がねこたつにピッタリなそのファッションに太鼓判を押す。 すると、ねこたつは探るような視線とともに俺との距離を一歩分詰めた。
「えびおさんの好み的にはどう? 合ってる?」
下から俺の顔を覗き込みながら、服を強調するように両手を軽く広げて見せる。
その質問にどういう意図があるかはあまり考えるつもりはないが、好みかどうかに関して、俺の答えはひとつしかない。
「いや、俺あんまり女性の服に好みとか無い。 本人の着たい服着てほしいタイプ」
「えー、じゃあ強いていえば! もっとこういう色が好き〜とかさ」
俺の返答に食い下がってくるねこたつはいかにも、納得がいく答えが出るまで逃がしません! というオーラを醸し出している。
本当に俺は着たい服を着てくれるのが一番良いのだが、ねこたつはお気に召さないご様子。
好みと言われても正直あまり思いつかないので、俺は自分の知っている数少ない女性服の知識の中でねこたつが着たら似合いそうな服を頭の中で選定する。
「……白いワンピース、とか?」
それは、頭に思い浮かんだ様々な服の中で、俺の中のねこたつのイメージに一番噛み合ったファッション。
自分で言って気付くのも変な話だが、確かに改めて考えてみれば俺はそういう清楚系の方が好みかもしれない。
意外にもパッと出てきたかなり会心の答え。
ねこたつはふ〜んと小さく頷いて、自分の身体を見下ろす。
「白ワンピかぁ。 透け対策と、あと日焼けも気になるか」
「いや、別に着て欲しいとかではないよ。 似合うだろうなぁってだけ」
「まぁまぁまぁ……。 えびおさんのイチオシは次の機会にね」
くるりと前へ向き直り、再び歩き始めるねこたつ。
……次の機会、か。
ねこたつはなんでもないように話したけど、俺は正直、会うのは今日きりにするつもりだった。
こうして会って話して改めて実感したけど、二人で会うのはリスクが高すぎる。 それに……
「えびおさん、最初ちょっと映画見に行こうよ」
俺へと僅かに首を向けながら指さす先は少し離れた場所にある、道を挟んだ向こう側の映画館。
「……えびおさん?」
「ん、いいよ。 何みんの?」
「うち気になってる映画あるんだよね〜。 えびおさんって恋愛系見る?」
「いや〜見ないね。 けど別に、俺からは見ないだけで全然見れる」
「そう? じゃあ良かった」
上機嫌に歩みを進めるねこたつ。
その背中を見つめながら、俺は待ち合わせからこれまでの僅かな時間を思い返す。
まだ会って十数分しか経っていないのに、俺は普段とは比較にならないほど感情が揺れている自覚がある。
これはきっと『そういうこと』で間違いない、と思う。
「どうすればいいんだ……」
今日の事。 これからの事。 ねこたつの目的。 俺の、目的。
見えていたはずの答えはいつの間にか見えなくなっていて、今の俺はねこたつの後について行くことしか出来ない。
ねこたつがあれだけ頼ってくれていた俺の脳みそは、俺の頼りにはなってくれそうもない。
★☆★
一歩進む度に右手に下げた紙袋がガサガサと音を立てる。
袋の数は二つだけで大したことが無いものの、中に入っている洋服はそれなりに量があって俺でも少し負担を感じる。
「ねぇ、やっぱうちも持つよ」
隣を歩いていたねこたつが申し訳なさそうな顔で俺の握る紙袋へと手を差し出す。
店を出る時から何度か交わしたやり取りだが、俺はねこたつに紙袋を渡すつもりは一切ない。
「まぁまぁまぁまぁ、そんなそんな」
「さっきからそれなに?」
俺が適当に答えをはぐらかすとねこたつの曇っていた表情が苦笑へ変わった。
荷物持ちをさせて申し訳なくなる気持ちも分かるけど、自分より体格の小さい女の子に荷物を持たせるわけにはいかない。 こればっかりは俺のプライドを優先させてもらう。
「やさしいね」
俺の表情を伺うように下から見上げたねこたつは、心の底からの嬉しそうな笑顔とともに俺とねこたつの間にあった距離をぐっと詰める。
……スタバで合流してから約八時間。 俺達は出会ってからまず始めに、ねこたつの希望で流行りの恋愛映画を見た。
そして映画を観たあとはカフェで感想を語り合いながら軽く昼食を食べ、その後に二人並んで色々な店を巡ってウィンドウショッピングを行った。
正直に言って、楽しかった。
俺一人では絶対に見ない映画に入らない店、やらない行動。 そのどれもが新鮮で、何よりねこたつが──猫汰つなが隣に居たからこそ、俺は今日のこれまでを楽しい時間だと思えた。
そして、楽しい時間だったからこそ、その中で気になることもあった。
それは例えば映画を見ているとき。
座席の肘置きに置いていた手が、暗闇の中でずっとねこたつの手と触れ合っていた。
例えば二人で歩いているとき。
俺はねこたつと少し距離を開けて歩いていたはずなのに、何故か度々ねこたつの肩が俺にぶつかった。
食事の時も四人席にも関わらず何故かねこたつは俺の隣に座ったし、二人で洋服や靴を見ていた時は気がつくと自分の真横にねこたつの顔がある、なんて事が何度も起きた。
いちいち指摘する程でもない、ただの偶然や気の所為と言われればそれまでのこと。
だけど俺には、ねこたつが自分の意思で俺との距離を詰めていたように思う。
……今のように。
「じゃあそろそろ行きますか?」
「ん、もしかしてねこたつさんオススメのお店ですか」
「予約十九時だから、このまま歩けば丁度いい時間に着くと思う」
「いいですねー」
気が付けば日も随分と傾いている。
宵色に染まりつつある街にはチラホラと人口の光が輝き始めていて、遠くを過ぎ去る人々は輪郭だけの影。
俺達は街頭や店から漏れ出る光を辿りながら、今日最後にして一番初めの目的地を目指す。
「えびおさん、今日楽しかった?」
「久しぶりに外でたけど、めっちゃ楽しかった」
「そっか。 それなら良かった」
そう言って笑うねこたつの声は、明るい顔とは裏腹にどこか緊張を含んでいた。
今から行く店が俺の好みに合うかを気にしてくれているのか、それともかなり格式高い場所なのか。
それとも……。
横目で様子を伺おうとした俺と、何故か不安そうに眉を下げるねこたつの視線が交錯した。
今日何度目か、小さな肩が俺に触れる。
赤色の少女は大きく息を吐いて、決意を固めたように瞼を開けた。
「ね。 手、繋いでもいい?」
ねこたつの手の甲が俺の手の甲に触れる。
俺を見上げるねこたつの瞳には期待と不安の色が浮かんでいて、問いかける声も言葉尻が微かに震えていた。
ねこたつの真意をここで問うべきか。
正しさを求めるなら間違いなくここで聞くべきだ。
ずっと俺との間合いを詰めようとしていた意図を聞いて、ねこたつの目的が俺の想像と違うならば、最低限周りの目を気にしつつ食事をして終わり。
もしも答えなかったり、俺の想像通りだったりしたなら、謝罪とともに今日の残りの予定をキャンセルしてそのまま暫く距離を置くのが立ち回りとして1番正しい。
だけど、今日一日のこれまでを一緒に過ごした上で態々それを問うのは遠回しな拒絶と同じだ。
俺はリスクがあるのはちゃんと理解していて、その上で、今日一日を二人で並んで過ごした。
なのに今更正しさがどうだとかそんな事を言うのは、他でもない俺自身への裏切りで、猫汰つなという人間からの卑怯な逃げだ。
俺がどうしたいか、答えはとっくに気づいていた。
「ぁ……」
握った手のひらは俺よりも二回り以上小さくて、絡めた指先は折れてしまわないか不安になるほど細い。
深く考えず勢いに任せたのは良かったが、時間経過と共に顔が尋常ではないほど熱くなる。
だけど、これでいい。
「えびおさん……」
「行こう、ねこたつ。 遅れたらやばい」
動揺で震えた声は隠せないと割り切って、ねこたつの手を引いて歩みを再開する。
冷静になればなるほどあまりにも自分に似合わなさすぎる行動に、しばらくの間ねこたつと顔を合わせられそうにない。
恐らくバレているとはいえ赤くなった顔を見られるのが恥ずかしくて、意識して半歩前を歩く。
大の大人がこの程度で、と思われるかもしれない。
だけど、これまでの人生の大半を英雄とVTuberの二つだけで構成してきた俺にとって、意識している相手と手を繋ぐのは生まれて初めてのこと。
この先どうすればいいかは全く分からない。 冷静な思考も取り戻せない。
後はもう、気合とガッツで当たって砕けろだ。
★☆★
タクシーに揺られながらえびおさんを食事に誘った時のことを思い返す。
私はその日、以前から幾度となく送ろうとしては消していた文章をついに勇気を振り絞って送信した。
元々、えびおさんが誰かとオフで会うことがほとんどないことや、それどころか外出自体をしないことは知っていた。
あくまでも失敗前提。 ダメ元というやつだ。
とはいえ送信するまでに掛かった時間が長い分それなりに期待は大きくなってしまうし、断られたらかなりへこんでしまうのは私の中の冷静な部分で理解していた。
なんと分の悪く、オマケにリターンの読めない賭けなのだろう。
メッセージを送って、一分、二分と時間が進み、ソワソワとした気持ちでスマホを見つめて返信を待つ。 だけど、待てども待てども返事は返ってこないし、discordが入力中の表記を教えてくれることもない。
やがて五分が経ち、私はため息を吐いた。
……まぁ、えびおさんも忙しいか。
仮にも大手事務所所属のVTuber、何かしらの予定が入っていてもおかしくない。
そもそもえびおさん自体返信速度が速いという訳でもないし、単純に気づいてないと考えるのが妥当だろう。
無視は……流石にされていないと信じたい。
期待感と不安感が凄かっただけに肩透かしのような気分を味わいながらベッドの上に転がる。
返信は何時頃来るのだろうか。
催促なんかするつもりは無いけど、OKにしろNOにしろ、返事は早めに知りたい──
そう思った矢先、ピコン、と握っていたスマホが震えた。
反射的に目の前に翳す。
通知は他でもない、待ちに待ったえびおさんからの返信。
急激に加速し始めた高鳴る胸を抑えて、内容を確認する。
『いいですよ。 いつにします?』
声にならない叫び。
もしもこの時私が居た部屋が防音じゃ無かったら、きっと私の絶叫は隣や上下の部屋の人に丸聞こえだっただろう。
私は感情のままにベッドの上で大きく腕を掲げ、何度もガッツポーズをとり、枕に顔を埋めて足をバタバタと暴れさせた。
OKを貰えた。 えびおさんから!
まだ出かける約束を取り付けただけなのに、私はすっかり有頂天で当日の理想のプランを頭の中で組み立てる。
えびおさんは多分私のことをそこまで意識してないだろうし、告白するには多分、まだ早い。 だから、まずは何かしらのアクションを起こしたい。
枕に伏せたままぐるぐると頭を回転させて来るべき日の目標を設定する。
いずれは、あの英雄の心を射止める為に。
「…………そうだ」
パッと思いついた、私を意識させるための第一歩。
えびおさんと手を繋ごう。
さり気ないボディタッチ程度じゃ気づかれるか分からないけど、初デートでいきなりベタベタしすぎるのもきっと印象が良くない。
だから今回は手を繋ぐのを目標にしよう。
えびおさんは優しいから、きっと私がお願いすればなんだかんだ手を繋いでくれる。
そしてえびおさんは、そのお願いで私の気持ちを大なり小なり察してくれるはず。
それに何より、一番は……
「手を繋いでデート、めっちゃ良い……!」
なるべく早い段階でお願いして、ずっと手を繋いで過ごせたらいいな。
………………そう思っていたのに。
繋いでいた手が離れたことで、右手に感じる喪失感。
結局私がえびおさんにお願いできたのは最後のレストランに行く直前。
一応帰り際も手を繋いではいたが、直ぐにえびおさんが呼んだタクシーが来て別れてしまった。
目標自体は達成したものの、本当はもっと色んなところを手を繋いで歩いて、あわよくばカップルと間違えられたりしたかった。
だけど、目論見が外れた私の気分は落ち込むどころかずっとふわふわと浮ついたまま。
タクシーの窓に映る私の頬は赤く色付いている。
『ねこたつ、一個だけお願いしたいことあるんだけど、いい?』
『これからねこたつのこと、つなって呼んでいい?』
食事を終えての別れ際、タクシーへと向かう私にえびおさんから掛かった声。
えびおさん側から関係を一歩進めようとしてくれた。 それだけでも今日の成果としては十分なものだったのに。
『……ごめん、やっぱ待って。 ちょっとチキってたわ。 やっぱあともうひとつだけあった。 いい?』
『好きです。 もし良かったら、また俺と出掛けてくれませんか』
私だけを映した空色の瞳に宿る、私と同じ熱。
その熱に惹かれて胸の奥の想いが一気に溢れた。
あんまり手を繋げなかった、なんてもう気にならない。
だって……。
窓ガラスに映る自分の唇に触れる。
食事の後に塗り直したピンクのリップは薄くなって、私の頬の色に負けてしまっていた。