「…………え? ここは、モンド?」
彼女の声が耳元でした。
さらさらと風に吹かれてたなびく金髪が、目の前に広がっている。
未だ縛られたままの腕と足。
地面へと寝転んでいる俺に覆い被さるような体勢をとっていた彼女は、やがて立ち上がると辺りを見回しそう言った。
首だけを動かして周りの景色を探ってみると、そこには懐かしさすら覚えるモンドの巨木が聳えている。
初期リスポーン地点にでもなっているのだろうか。
どうやらチートさんは緊急避難の行き先として、俺のテイワット生活の始まりの地を選んだらしい。
「…………よくわからないけど、とりあえず縄を解くよ? 動かないでね」
混乱が収まらない中、彼女は手に持った剣をこちらに向けた。
「――ッ!」
そして、一閃。
彼女は惚れ惚れするほどに滑らかな剣筋で、手足を拘束していた縄を断ち切った。
「……少し痕が残っちゃった。でも、怪我はないみたいだね。間に合ってよかった」
そう言ってから、立てる? と手を差し出してくる金髪の少女。
「…………ぁ、ぇ……っ」
「……どうかした?」
脳細胞が隅から隅までアルコール漬けにされてしまったような感覚。
感動と困惑と後悔と混乱と歓喜とが、綯い交ぜになって心の中がぐちゃぐちゃになる。
呆然と、反射的に差し出されたその手に自らの手を載せる。
そして、その体温を感じ取ったところで、ようやく目の前に立つ彼女が何であるのかを、正しく理性が認識した。
それ即ち、俺の最推しにして原神の女主人公――蛍様だった。
不遜にも彼女に触れていた手を急いで引っ込め、ガバッと後方へと飛び退きながら立ち上がる。
「ぇ……っ、と、あのその……」
何を言えばいいんだ? お礼か? 挨拶か?
いや、まずはこんな場所にいることについての説明をしないと――――
「大丈夫だよ、落ち着いて。もう宝盗団は近くにいないから」
あ、無理。もうやだ。顔が、顔がいい。めっちゃ可愛い、惚れる。惚れた。もう完全に惚れました。なにこれ、すごい。生きててよかった死んだけど。衣装もめっちゃ似合ってるし雰囲気は思ってたよりも穏やかだけどそれはそれで全然いいというかむしろオールオッケーと言いますか何でしょうこの沸々と胸の奥から湧き上がるこの感情は。声とかヤバい。そっと語りかける感じから伝わる慈愛の心がヤバい。何がヤバいって俺の語彙力がヤバいしかなくなるくらいにはヤバい。手とか触れちゃってすいません。けど、めっちゃ柔らかかった。心臓止まったもんいやマジで本当に。
「好きです」
「……ぇ? あ、うん、ありが、とう?」
や っ ち ま っ た 。
「ぴぇ」
「…………気絶しちゃった。あの、起きて?」
「はい起きます起きてます大丈夫です」
「落ち着いて」
「はい落ち着きます」
やべぇ、体の制御が全く効かない。
理性が完全に仕事を放棄してやがる。
「……今までに、あったことのないタイプの人」
『バカなんですか?』
しまった。
蛍様を困惑させてしまった。
あと、チートさんはシンプルに口が汚い。お母さん、そんな子に育てた覚えはありませんよ。
『提言:そこはせめてお父さんでは?』
それは、本当にそう。
いや、今はそんなことどうでもいいのだ。
いい加減に意識をオタクモードから切り替えねば。
一度、ため息を吐く。
瞼を落としてから、トントンと数回自身の胸を軽く叩いた。
鼓動のタイミングと重なるように。
呼吸のリズムを整えるように。
そっと意識を鎮めていく。
「……ん、すいません。取り乱しました」
さて、まずはお礼と挨拶をしようか。
「俺は天華。さっきは助けてくれて、ありがとう」
「私は何もしてないけど……あなたがそう言うなら、どういたしまして。私は蛍。それで、ここは?」
「ご推察の通り、モンドだよ。悪い、蛍……さんのことを巻き込んじまった」
不慮の事故といえばその通りなのだが、俺が彼女に迷惑をかけたことは事実だ。
死ねと言われたら迷わず違わず即決で自決してみせよう。
まあ、蛍がそんなことを言わないのも知っているし、なんなら言われたところでこちらとしてはご褒美的なところがあるのだが。
「呼び捨てでいい。名前で呼ばれるのは、少し新鮮な気分だけど」
「…………ッ! わ、わかった。蛍も俺のことは好きなように呼んでくれ」
「なら、そうする。よろしくね、天華」
「…………こ、こちらこそ、よろしくな」
何これ何これ何これ、夢? 夢かな? 夢だよね?
笑顔の破壊力やっっっべぇぇええ。
よく耐えた。
よく耐えたぞ、俺。
一瞬、意識が飛んだけど、ギリギリで再起動が間に合った。
本当に、よく踏み止まった偉すぎる。
さては俺って天才かもしれない。
『苦言:私より人間離れしてどうする』
ねえ、今サラッと苦言って言わなかった?
いつもの提言と同じノリで、あっさりとバカにしてこなかった?
「天華、それで私を巻き込んだっていうのは?」
「…………え、っとだな……それは……」
ひとまず、精神を真面目モードへと叩き戻した。
さて、どうしようかなぁ、これ。
正直に話すべきだろうか?
ほんの僅かな沈黙の間に、全速力で思考の回路をぶん回す。
もし仮に彼女に俺の持つ能力のことを話したとすれば、間違いなく彼女の意識の中に俺という存在は刻み込まれることになるだろう。
この世界の彼女がワープポイントを使えるかどうかは置いておくとしても、少なくとも自由にテイワット大陸をワープできる人間がそういないことはこの世界の常識だ。
……いや、まあ、アビスが使用するワープとか、散兵遭遇時のモナの緊急脱出転移とか、完全にないと言いきれないのが、原神世界人たちのすごいところなんだけどさ。
それはともかく。
ステラのこと、チートさんのこと、転生のこと、どれを話したとしても、俺が蛍からパンピーAさんとして認知される可能性は皆無となってしまうだろう。
正直、最推しの彼女と話ができるこの状況は、もう本当にただひたすらに幸せだとしか言い表しようがない。
今だって気を抜けば、つい先ほどまでのトリップ状態になりそうなところを、ギリギリで耐え凌いでいるのだ。
叶うのならば、ずっと彼女の隣でその物語の結末を見届けたい。
そんな願いが無いと言えば嘘になる。
……なんか悪寒がすごいな。
具体的に言えば、ゴミが大好きな灰髪の誰かさんからの精神的な圧を感じる……さすがに気のせいだよね?
だがそれと同時に、同じくらい彼女に干渉したくない、干渉してはいけないという想いが俺の中にあるのも事実なのであった。
だって、そうだろう?
この世界において、俺という存在は不純物に過ぎないのだから。
俺の言動で彼女の運命が変わる。
その重みに耐えられるほど、俺は自分に価値があるとは思っていない。
そこまで俺は、自惚れていない。
思考。
黙考。
熟考。
結果、その選択の決断をしたのは、情けないことに俺ではなかった。
『バカじゃないですか』
脳内に響く無機質な声には、ほんのりと熱がこもっているように感じた。
その声はいつもより少し早口で、その言葉はいつもよりずっと重たかった。
『関わりたくないとか、もう手遅れに決まってます』
そもそもですね、と言葉を繋いで。
『端から推しとやらを相手に嘘なんか吐けないくせして、何悩んでやがるんですかこのおバカ天華』
チートさんは初めて俺の名前を呼びながら、呆れたようにそう言った。
✳︎
「…………つまり、モンドまでワープしたのは天華の特殊能力で、宝盗団から逃れようとしたタイミングに私が天幕に入ってきたと」
「そういうこと。重ねて謝る。態々助けてくれようとした気持ちを無駄にした挙句、迷惑かけることになるとはな」
詳しい事情の説明を受けながら、隣に腰掛ける天華の様子を私は観察していた。
話を始めた最初の頃に幾度か垣間見えた動揺や吃りのようなものはすでに見る影を無くし、そこには淡々と思考を重ねる少女(男)の姿がある。
第一印象がアレだったからか、どうにもその姿に違和感を覚える自分がいた。
「……あなたは悪くないよ。お互い、運が悪かった」
「そう言ってもらえると助かる……じゃあ、早速なんだが、現状の問題打破についてだ。腹割ってとまでは言わないが、もう少し事情に踏み込んだ話をしたい」
……なんか、妙に視線を逸らされているような気がしないこともないけれど。
「…………」
「あ、あの、何でしょうか……その沈黙は?」
やっぱり、露骨なまでに目が合わない。
私、何か悪いことでもしたかな?
それとも怖がられている?
「………………」
「ぁ、近っ、無理無理無理――――コホン、じゃあ、俺の方から話しますね」
「何で逃げるの?」
一歩、距離を詰めると三歩分ほどの距離を取られた。
その意図を問うと思いがけない回答が返ってきた。
「ふ、不用意に女の子が見知らぬ男に近づいちゃいけません!」
「…………男?」
「男ですよ、どっからどう見ても立派な男だよ。だから近づいちゃダメなの。頼むから本当に自分が可愛いこと自覚して生きてくださいお願いします」
「……えっと、うん。わかった、ごめんね?」
恐らく天華自身何を言っているのかわかっていなさそうな混乱具合と、その勢いに気圧されるようにして、距離を保つ。
よくわからないけど、あんな見た目でも彼は歴とした男の人で、同時に少しシャイな性格であるという認識をしておけば問題ないだろうか。
「はぁ、はぁ……ほんっとに心臓に悪い…………まあ、いいか。話の続きに戻るけど、俺が速やかに解決したい問題は同行者との合流だ。今回の騒動で、灰髪長身の女性と離れ離れになっている。蛍の方は何かあるか?」
「…………私も旅の仲間と離れ離れになった。パイモンっていうぷかぷか空に浮いている白い仲間なんだけど」
すごく今更だが、このワープによってパイモンと別れる形になってしまったことに気がついた。
出会ってからはいつだって私の近くにいてくれたあの非常――仲間がいないとなると、少しばかりの寂しさを覚えてしまう。
パイモンが一人きりという状況も中々に珍しいだろう。今頃、不安にさせてはいないかと心配になってきた。
「…………わかった。ダメ元で聞くけど、逸れたときの集合場所とかって決めてたりします?」
「特には決めてない」
私の返答を聞くと天華はふむと口元に指を当て、深く考え込むような仕草を見せる。
「だよな……蛍は戦える人か?」
「うん。戦闘は任せて」
「そりゃ、頼もしい限りだ」
「天華は?」
「全くできない……じゃなきゃ、宝盗団に捕まったりはしないだろ」
「それもそうだね」
聞けば、武器の一つも持ってはいないとのことだった。
潔いというか、諦めが早いというべきか、戦闘は同行者の一人に任せきりなのだとか。
「…………パイモンが、無事だといいけど」
同じく武力を持たぬ仲間のことを考えながら、空を見上げた。
星々がその存在を控えめに主張する夜空。
周囲は暗く、視界は悪い。
どう考えても、人探しをするには適さない環境だった。
決めた、と天華がボソリと独りごちた。
その後、私の方を向いて彼は一つの提案をする。
「…………時間も時間だ。一応、場所だけは向こうのワープ地点に移して、それから明け方まで体を休ませよう」
「……そうだね。その方が効率は良さそう」
彼の言葉に頷いて、私たちは動き始めた。
振り返って思えば、このときはまだ私は正しい理解をできていなかったのだ。
隣に、パイモンがいないというその意味を。
✳︎
覚悟はあるのか。
再三と問いかけ続けたその問いに、答えることは出来なかった。
けれど、その疑問を首をもたげる度に、チートさんに叱られたことを思い出す。
「……やっちまったもんは、しょーがねえ」
パチパチと音を立てる焚き火を前にぼうっとしながら、そう呟いた。
隣を見れば、毛布を被った状態で眠りにつく最推し様の姿がある。
すやすやと眠るその無防備な姿は、ぶっちゃけ目の毒でしかない。
どうしてそんなに警戒せずに眠れているのやら、と呆れそうになったのが彼女が眠りに落ちた最初の頃の感想。
だが、やがて彼女が譫言を言うかのように、何やらを呟き始めた姿を見て、その感想が酷く間違ったものであったことを理解した。
「…………ぃちゃん……んで…………どう、して…………」
「…………まさか、兄と会ったばかりだ、なんて言わねえよなぁ?」
「お兄ちゃん、なんで」と顔を歪めて、そう繰り返す彼女の姿を見ていられなかった。
その姿を、誰かに重ねてしまいそうで。
無意識の内に伸ばしたその手を宙で止める。
「チートさん、飲み物もらえる?」
『……はい』
冷たい水で喉を潤して、思考を整える。
暫くの間、パチパチと爆けては飛び、宙を舞っては地面へと落ちていくそんな火の粉の様子を一人眺めていた。
覚悟はあるのか。
問いかけては放り投げてきたその疑問。
余計なことをするな。
美しい世界を壊すな。
お前は愛したそのシナリオを崩すつもりか。
「ああ、でも――だからってさ」
泣いてる推しをただ眺めているだけってのは、オタクとしてどうなんだろーな?
最後に一口、冷たい水を口に含んだ。
8話にて旅人の章・前半が終了です。
後半も書き上げの見通しがついてからまとめて投稿したいと思います。
もし、あげるとしたら閑話だと思います。
感想、評価、どれも有り難く受け取っております。
モチベという名の燃料となりますので、少しでも次に期待してくれる方がおりましたら、感想でも評価でもいつでも歓迎しております。
原神とスタレ 本作読者の履修状況確認用
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両方やってる!
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原神だけ!
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スタレだけ!
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どっちも知らんが読んでやろう!