まずは春の話から。
風に吹かれ、またひとひら桃色の花びらが舞い落ちる。
それを目で追いながら、自分は桃色に
この花が咲く頃になると、いつも思う。
あんな人生しか与えてやれなかった彼女の事を。
おまえは、幸せだったのだろうか——と。
こんな自分などと一緒になって、それで良かったのだろうか——と。
だが、何度問いかけても、それに答える者はもういない。
自分は、彼女の口からその答えを聞くことは永遠に叶わないのだ。
そう、あの日から——
「すっかり葉桜になっちまったな……」
学校へと続く長い桜並木の坂道をゆっくりと歩きながら、俺は呟いた。
町でも有数の桜の名所であるこの坂道は、春になると満開の桜で薄桃色に染まる。
風に吹かれてひらひらと舞い散る花びらが下の並木道に溜まり、まるで薄桃色の絨毯を敷き詰めたようになって、毎日この長い坂道を登る生徒達の目を楽しませ、
だが、花が散ってしまった今、目の前に続く味気ないアスファルトの坂道を見ると、やっぱりうんざりする。いくら土地が安かったからって、何も山の上に学校を建てなくてもいいだろうに——と。
「はい、少し淋しい感じがします。でも、若葉の緑も綺麗ですから」
そう応え、渚は並んで歩く俺に微笑んだ。
「若葉の緑ねぇ……」
新緑など、この時期何処だって見られる。代わり映えのしない風景だ。
だが、どんなモノにでもそれのいい処を見つけられるのは、渚の美点だろう。
先入観や偏見など持たず、他人の言葉にも左右されない。あるがままにそれを受け入れ、自分の目と心で見て感じたものをただ信じる。こいつはそういう奴だった。
——だから、不良なんて言われている俺なんかとも、こうやって付き合えるんだろうな…
でなければ、あの時この坂道で気紛れに声を掛け、その後も何となく放っておけなくて世話を焼いたくらいで、俺が校内でも有名な不良だと知った後でも全然怖れもせず、こんな俺を頼りにして頑張ろうなどとしないだろう。
——そんな奴だから俺は、こいつの力に少しでもなれたらと、ガラにもなく思ってしまったのだ。
「部員、どうすっかなぁ……」
俺は部活休止となっている演劇部再建の為の部員集めに、ここ数日声を掛けた数少ない知り合いの顔を思い起こし、小さく溜息をついた。
まぁ、皆受験で忙しい三年なのだから断られても無理ないのだが、他にアテもない今、部員集めは前途多難だった。
「すみません、私なんかの為に。岡崎さんには色々と骨を折って頂いたのに……」
「別におまえが謝ることねぇよ」
うなだれる渚に、俺は慌てて言った。
「手伝うって言ったのは俺なんだし、むしろ全然役に立ってない俺の方が悪い——」
と言いかけて、俺は言葉を途切れさせた。
渚は急に話すのをやめて立ち止まった俺を不思議そうに見やり、その視線の先を見た。
そこに、坂道の真ん中で
その顔に渚も見覚えがあった。
「確か創立者祭の時、クマの着ぐるみを着ていた——」
「智代……」
坂上智代——この春この学校の二年に転入してきた。美人で人望があり、ケンカがやたらと強い。俺と同じ不良と言われている悪友の
毎回俺はそれに付き合っているものの、一度も春原に加勢した事はなく、ただ見ているだけだった。春原のやられっぷりを見るのが面白いから。
ちなみにこの間、春原が盛大に蹴り倒された後で、智代を演劇部に勧誘してみたが、これから生徒会長選挙で忙しくなるからと、きっぱりと断られた。
「何をしているんでしょうか?」
「さぁな……」
あんな所に突っ立って何を見ているのか、桜並木の上に何かあるようには見えないが。
小首を
「おい、智代」
いきなり名を呼ばれ、驚いた様に智代は振り返った。
「岡崎……」
「おまえ、そんな所で何やってんだ?」
「別に、ただ桜の木を見ていただけだ」
明瞭簡潔に智代は応え、チラッと俺の隣にいる渚を見た。
ぺこりと渚が頭を下げる。
それに軽く会釈を返し、智代は俺に視線を戻した。
「おまえこそ、こんな所で何をやっている?」
「何って、学校に行く途中だが」
それ以外にどんな理由があるというのか。朝っぱらから制服を着てこんな長い坂道を登る。
「そろそろ行かないと、予鈴が鳴るぞ」
俺は自分の腕時計を示して言った。
既にこの坂道を登って登校してくる他の生徒の姿はなく、坂道の途中にいるのは俺達三人だけだった。
「そうか、もうそんな時間か」
軽く眉をひそめ、智代は頷いた。
「声を掛けてくれたことを感謝する。ありがとう」
そう言って智代は颯爽と
が、急ごうとしない俺達を不審に思い、足を止める。
「どうした、お前達。早く行かないと遅刻するぞ」
「ああ、まぁそうだな」
そう応えた俺の声に、予鈴のチャイムが重なった。
「急いだ方がいいぞ、智代」
と、俺は他人事のように言う。
「何を言っている。それはおまえ達も同じだろう」
「いや、俺達は後からゆっくり行くから」
今更急いだところでそう大差ない。HRはダメでも一限には十分間に合うし。
それだけでも、一限など殆ど出たことのない遅刻常習犯の俺にとって、渚と出会う以前に比べたら褒められるべき快挙だった。
だが、智代はその言い分を一蹴した。
「いいや、そうはいかない」
長い髪を翻して取って返し、俺の前に立つ。
「間に合うよう努力もせずに遅刻するなど、この私が許さん」
と、智代は俺の隣にいた渚の腕をむんずと掴んだ。
「え?」
「走るぞっ」
そう
いきなり腕を掴まれてびっくりした渚は、智代に引きずられる形でその後に付いて走り出すしかなかった。
一体何が起こったのか思考が追いつかず、俺は呆然と遠ざかる二人を見ていたが、ようやく事態を呑み込むと愕然となった。
渚が智代に拉致された事に。
「お、おいっ、待てよっ」
チャイムの音が鳴り響く中、俺は慌てて二人の後を追った。