スカーレットと土手で偶然の再会をした俺は、話し続けようとするスカーレットを説得してその場で別れた。
仲直りをし、以前のように恨みはなくなったものの胃の苦しみがあり、気持ちの整理がまだついていないからだ。
別れてからも、俺はスカーレットが後ろについてきてないかと入念に確認しつつ遠回りで自宅近くへと帰ってくる。
夕方とはいえ7月の今は暑く、だらだらと汗が流れていく。持っているハンカチで汗を拭いているが、もうぐっしょりだ。
そうやって後ろを確認しながら歩き回り、近くにスカーレットはいないことを確信して安心する。
後をつけられていないことがわかれば、トイレがある公園へと言って個室へと閉じこもる。
そして吐く。
今まで我慢していたが、もうダメだ。
スカーレットと会った時点では大丈夫だったが、体をさわられて少し経ったあとに段々と嫌悪感が増してきた。
別れるときにはもう苦しく、かといってスカーレットの前で吐いて楽になるのは問題だった。
もしそうしたら、心配したスカーレットが俺の家まで着いてくるだろうから。
あと好きでなくても妹だから。心配をかけたくない気持ちってのはちょっとばかりはある。
胃がすっきりしたあとは水を流し、水飲み場で口を何度もすすぐ。
口の中に残る嫌な味をなくし、吐いたことで疲れた体力と精神を戻すためにベンチへと深く腰掛けた。
しかし、あの感じだとブラコンに近い何かを発症しているんじゃないかという疑いがある。
今になって思うと、俺への嫌がらせをしてきた元をたどると、兄恋しさが理由だと思う。
それもこれもうちの母さんのせいだ。母の性格が悪いから父が離婚し、母さんは1人で子供ふたりを育てるために夜遅くまで働く。
そのことが原因で家族なのに、お互いのことをよく知らないという状況が起きてしまった。
一方的に母さんが悪いわけではなく、子育てを頑張っているのはわかる。育て方が変な方向に向かっているだけで。
それが1番の問題ではあるんだが。あとは俺に対して父さんの面影を見ているようにも思えるから、もう俺だけじゃどうにもならないかもしれない。
だから妹ともう少し仲が改善したら、今度は俺たちを止めてくれる人がいる祖父の家で母さんとも話をしたほうが良さそうだ。
そうじゃないと俺が力任せで解決や言葉巧みに言いくるめられてしまいそうだからな。
問題解決にはずいぶんと時間がかかりそうだ。あの教育熱心さと親に従え! 的な考えはそうは変えられない気がする。
気が重くなりながらもベンチから立ち上がって公園を出る。
あたりをぐるりと見回し、スカーレットの姿がないことを改めて確認する。
道路を歩いているのは5人もいないから、確実に誰かが判断できる。でもその中で気になったのが子供連れで母親と手を繋いで歩いている子だ。
高校1年生にもなって思うのもあれだが、母親と手を繋いで歩くのがいいなという憧れの気持ちがある。あんまりそういう機会がなかったからだろうか。
いや、繋いだことはあるはずなんだがなんか思い出せない。
……今度、シービーに手を繋いでもらおうか。代わりというのはすげぇ失礼になるが、もしかしたら
その親子連れを10秒ほど見たあとはコンビニに行き、口臭を消すためのタブレットを買って食べては自宅へと向かって歩き出す。
今日はシービーの実家訪問とスカーレットの再会で、精神力がごりっと削られた。
ため息を何度もしながらアパートにたどりつき、階段を上がるのにも疲労で苦労しながら登りきる。
そこには俺の家のチャイムを押そうとする姿のシービーがいた。
シービーは最後に会った時と変わらない服装で、俺を見るとなんだか嬉しそうな顔をしている。
尻尾は大きくふんわりと揺れ、耳はまっすぐにピンと立てて俺へと向いている。
太陽を連想するような明るい笑みで俺へと向かってくる。
「やぁ、マサト。帰ってくるのが遅かっ……アタシの知らない女の子の匂いがする。遊んでいたの?」
軽い感じでそんなことを言っているが、これが低い声だったら浮気をした気分になったに違いない。
いや、別に浮気をしているわけじゃないんだが、今だけは妹とはいえ他の女の子と会ったということに後ろめたく思う。
そう思ったのはきっとシービーのご両親と話をした時、娘と仲良くやっていってくださいと言われたからだろう。
もしかしたらシービーに罵倒されるのかと緊張しつつ、俺はシービーの好きなようにさせる。
シービーは汗くさいはずの俺にかなり近づいていて、首元や胸元の匂いを嗅いでいく。
「私以外に仲がいい女の子がいるんだね?」
スカーレットとは違い、目は輝くようで好奇心でわくわくしているみたいで安心した。
自然と大きくため息をつくほどに安心だ。
これでシービーまでが重く暗い感情を向けてきたら女という存在が嫌いになってしまう。
シービーからすれば俺は女の子と関わりがないと思われているが、まぁそんなにはない。
学校のクラスメイトや部活見学に行って遊びに行くようになった料理部の子たちだけ
「でもこの匂いは最近、似たようなのをどこかで……」
「これはスカーレットのだ」
そう言った瞬間のシービーは俺からすぐに1歩距離を取ると気まずいような難しい表情をする。
それを見るとシービーが苦手に思ったのは意外だ。
あの誰でも仲良くできそうなシービーの新しい表情を見れたのはなんだか嬉しい。
「この匂いはマサトの妹ちゃんかぁ」
「そうだ。話は中でする」
精神が疲れている俺は早く帰りたくて、ドアの鍵を開けて家へと入る。
部屋の中は窓を開けているとはいえ、生暖かい室温だ。
靴を脱ぐとすぐに冷蔵庫へと行き、冷やしている炭酸の缶ジュースを取って飲み始める。
「アタシにもちょーだい」
同じ缶ジュースを取り出し、玄関から上がってきたシービーに手渡す。
飲み始めたシービーを玄関へと置いて部屋に置いてある扇風機をつける。
そうしてから座ると、一気に体と心の疲れがやってきた。
今日1日にイベントが圧縮されるのはやめて欲しい。特にスカーレットは心構えができていなかったし。
ジュースを飲み終え、空き缶をちゃぶ台の上へ置くとぼぅっと放心状態になる。
「マサトの様子を見るに、そんな悪い結果じゃないみたいだね?」
「きちんと話をすれば、お互いのすれ違いが重なったということがわかってな。まぁ、それも時間を置いたからこそなんだが」
「それはよかったね。妹の暗い部分を見たんだから、後はいいところを見るだけだ!」
自分のことのように喜んでくれているシービーは俺が置いた空き缶を回収するとシービー自身のと一緒に、台所にある空き缶用ゴミ袋へと入れて戻ってくる。
そしてちゃぶ台を挟んで座り、いつもの会話モードな態勢になった。
「……いいところか。そういうのを素直に見れるかわからん」
「マサトなら大丈夫だよ。だってアタシと仲良くしてくれるでしょ。自由に生きているアタシについてこられるんだからさ。自分で言うのもなんだけど、アタシってば面倒な子だから」
それは俺を励まそうとしている言葉だが、どうしてか俺には少しだけ悲しく見えた。
シービーは自由だ。だが、気に入らないことははっきり言うし、正面から相手とぶつかって問題を起こしやすい。
そういう話をシービー本人から聞かされるし、ちょっとだけ俺とぶつかることもある。
だが、俺はシービーと言い争いをしても時間が少し経てば何もなかったように元へと戻る。
「好奇心が強いお前といれば、何をするのか気になって退屈することはずっとないからな」
「でしょう? アタシもマサトといると退屈しないし、おいしいお菓子だって作ってくれるからね。
だからさ、スカーレットと仲良く、までは難しいかもしれないけど仲悪くはならないで欲しいな。マサトが苦しむ姿は見たくないから」
「それなら時々話をする程度にするから大丈夫だ」
帰る間際に連絡先は交換したものの、俺から積極的にするつもりはない。
スカーレットと別れて10秒後、ほんの少ししか距離が離れていないのに、すっげぇいい笑顔でテレビ通話をしてきたのでブロック。
以前ほど嫌悪の感情は持っていないものの、過去にやったことがなくなるわけではない。今でもスカーレットを苦手とする気持ちが残っている。
そう、これは単に俺の気持ちの問題だ。これからは時間が経てば気持ちが落ち着き、スカーレットとも楽しく会話ができるに違いない。
気分がいい時にはこっちから連絡をしようと思う。だからブロックを解除するのは夕食後にしよう。
スカーレットに慣れるため、定期的に電話で話をしたほうがいいかもしれない。
と、ここでふと思った。
……もしかして俺はスカーレットに甘いんだろうか。
小さい頃からスカーレットのお願いや頼み事を断るなんてことはできなかったから関係に問題があったかもしれないが、成長した今の俺なら昔と同じようなことは起こさない。
ただ甘やかすだけの兄にはもうならない。
「それでいいと思うよ。嫌なことばかりされていたんだから」
「そうだな。それと住所はまだ教えてないからシービーもそのつもりでいてくれ」
「おっけーい。でもさ、マサトと連絡できるようになったんだからスカーレットはアタシと話をする機会なんてないんじゃない?」
「あー、それについては、その、すまん」
「待って。なんで謝るの? これからアタシに悪いことでも起きるの!?」
俺とスカーレットの関係はひと段落ついたが、1人暮らしを続けている理由がシービーのせいだと疑っている限りは苦労することになりそうだ。
スカーレットはシービーさえいなければ、俺と一緒に暮らせると思っているからどういう手段に出るかわからない。
シービーを敵対視して嫌がらせをするか、もしくは仲良くなって俺とシービーの関係に混ざってくるか。
そのどっちかだとは思うが。
「シービーの実家から帰る途中、川沿いの土手で再会したんだがな。あいつの行動は俺を独占したかったらしい。で、それが行き過ぎて俺は苦労した。
だからこれから俺とスカーレットは……あー、簡単に言うと俺の平和のために恨まれてくれ」
「省略しすぎじゃない!? アタシ、あの子に悪いことなんて…………しているね」
「心当たりがあるのかよ」
「お兄ちゃんが大好きなんでしょ? じゃあ、仲のいい女のアタシは邪魔だと思うんだ。それにお隣さんだから余計にね」
「迷惑をかける。ひとまず俺への愚痴を聞いてくれればなんとかなると思う。スカーレットにひどいことをされたら教えてくれ」
「わかった。マサトのためなら苦労するよ。最初の時みたいに怖い思いはしなさそうだからね」
スカーレットと再会した時のことは人に言うと恥ずかしくなるので省略をする。
だが、シービーには聞いて欲しい話がある。前に、母や妹に俺がどういうことをされたのかは少しだけ言った。
でも再会した今日は今までの怒りは弱く、スカーレットを突き放すことができなかった。俺が兄だからなのか、妹という存在のスカーレットには甘くなってしまう。
散々嫌なことをされ、家から出ていくほど一緒にはいたくなかったというのに。
昔を思い出すと、スカーレットはかわいく甘えてくるし優しいところもあったせいだろうか。
悪い部分よりもいい部分を強く思い出してしまう。
こういうことを愚痴としてシービーへ言う。
それをシービーは静かに聞いてくれて、気分が楽になる。
今度はシービーがスカーレットのことはどう思っているかと聞く。
シービーはスカーレットと会った時のことを思い出したのか、遠い目をして疲れた表情をするのはなぜだ。そんなに大変だったのか?
そんなにも大変だったのなら、これからも色々と頼りにさせてもらうシービーのために、近いうちに立派なお菓子をあげるか。
手作りでなくても、俺が作れない高いケーキをな!
シービーのことはあとでじっくり考えればいいし、まずは先にスカーレットのことだ。
スカーレットがシービーに悪いことをしないよう対策をしないといけない。
そのためには甘いお菓子で機嫌をよくしてもらうのが1番だ。
「明日のスカーレット対策にお菓子を作るか。シービーに何かあってもお菓子を渡せばなんとかなるだろ」
「それ、アタシも食べたい」
「家にある材料が少ないから1人分しか作れないんだ。今度にしてくれ」
「えー!?」
疲れてはいるが、これを後回しにして夕食後とかなら気力が足りなくて作れなくなりそうだ。
だから日中のうちにやっておこう。
ばしばしとちゃぶ台を叩いて不満そうに抗議してくるシービーを無視して立ち上がって台所へ向かうと、すぐ後ろにシービーがついてくる。
「どうした?」
「見ていてもいいかな。今までマサトが作るところを見たことがなくて」
「……つまみぐいはないぞ?」
「そんなの、お腹が減っていなければしないって」
ウマ娘は食べる量と食欲は物凄いし、執着心も強い。たとえば食事中に食べ物を奪うということがあれば、恐ろしい目に会うだろう。
映画やドラマでも食べ物をきっかけに物語が動き出すっていうのが多いし。
さて、家にある材料で簡単に作れるお菓子を作っていくか。
これから作るお菓子の名前はバナナケーキ!
ホットケーキミックスにつぶしたバナナに卵と砂糖、マーガリンを使うシンプルなものだ。
電子レンジをオーブンモードで予熱をし、用意するのはボウル。そこに黄色いバナナの皮を剥いて1本を入れる。
次にこれをフォークでつぶすんだが、隣から静かな威圧感を感じて見ると、シービーがバナナをじっと熱心に見ていた。
放置しておくと食べてしまいそうだな。
それならバナナもまだ余っているし、食べさせてもいいか。
新しくバナナを1本用意すると皮を全部むいて、白くなった部分を手で持つ。
つまみぐいはなしと言ったが、バナナ1本ほどは余裕があるからシービーにあげるか。
「シービー」
「なに?」
「口を開けてくれ」
俺が手に持ったバナナを見て、わくわくしながら口を開けたシービーの中へと突っ込む。
このバナナは結構甘いのか、または好物だったのか、もしゅもしゅと言った感じですごくおいしそうに食べていく。
この様子を見ると心が癒される。まるで大型犬に餌をあげているようで。
犬は飼ったことがないが、幼稚園だった時に大きい犬に骨っ子ガムをあげたのを思い出す。
ウマ娘は人と違う耳だし、この耳を集中して見れば犬にあげている気分になりやすいと思う。
頑張ってバナナを食べていく姿がかわいくて、シービーには動物的かわいさを見出してしまいそうだ。
ウマ耳がぴこぴこ揺れるのなんてすばらしい。今まで生きてきて、ウマ耳は世界最高にかわいいんじゃないかと思う。
「あのさ、そんなに見られると恥ずかしいんだけど」
「気にしないでくれ」
1度バナナから口を離したシービーが恥ずかしそうに目をそらし、ウマ耳を左右上下バラバラに動かしながら言ってくる。
ここまで恥ずかしいと思っているシービーの姿を見るのは初めてだ。これの何が恥ずかしいのかはわからないが。
俺の手からバナナを食べているだけのいったい何が恥ずかしいんだ。仲のいい友達なら食べさせ合いをさせるのは学校で見る機会が多いし、普通のことだろう?
妹ではあるが、スカーレットにもこういうふうによくやっていたし。
今まで俺が恥ずかしがることはあったが、こうやって逆の立場になるとなんだか嬉しくなる。
たまにはこうして恥ずかしがらせてやりたい。こういうシービーの反応は見ていると面白いからな!
またバナナを食べ始めたシービーにバナナを食べさせ終えた瞬間、シービーの舌が俺の指を舐めてきた。
「うひっ!?」
「なに、その悲鳴。男の子なんだからかっこいい悲鳴をあげてよ」
「急に舐められてびっくりしない奴なんていないだろ! それにかっこいい悲鳴ってなんだよ。悲鳴にかっこいいも何もないだろうが」
最後にシービーにいたずら返しをされたのは恥ずかしい。ちくしょう、やりかえしてくるなんてシービーめ!
このままじゃれあい続けるのも楽しいが、今の目的はお菓子作りだ。
手を洗って作業を再開する俺を、シービーは静かに見てくれている。
真面目にやるとなれば何もしてこないシービーに安心し、バナナをつぶした物に卵や砂糖、マーガリンを混ぜる。
それができあがるとホットケーキミックスをさらに混ぜて準備完了。
あとは祖父宅から持ってきた、ステンレスの型にクッキングシートを入れてから流し込んで焼くだけだ。
「ね、マサト。最後のそれ、流し込むだけでしょ?」
「……腹を壊すぞ?」
「食べないって! アタシ、流し込むのをやってみたいんだけど」
バナナを食べたシービーだから、バナナの味が気に入ってバナナケーキになる前の物まで食べると思ってしまった。
食べないのなら、型に入れるのをやってもらってもいいか。やりたくてたまらない、って感じでわくわくしているシービーにやらせない理由はない。
ボウルを渡し、型にシートを敷くとシービーは楽しそうに型へと流し込んでいく。
流し終わったボウルは流しへ置いて今度は電子レンジの前までそれを持っていくと、フタを開けて型を置く。
シービーがフタを閉めれば、俺が温度設定をして加熱。
後は待つだけで完成だ。
「うし。これでシービーに何かあってもバナナケーキを差し出せば問題はないな」
「問題ないほうがいいんだけどなぁ。ねぇ、明日スカーレットが来なかったら食べていいかな」
「おう。食べていいぞ」
やった! とガッツポーズをして喜ぶ姿を見ると微笑ましい。
俺が作ったものをこれほど喜んでくれるのは気分が良くなる。
今日は色々とあったから、1日の終わりでこういう穏やかに終わりつつあると気分が落ち着く。
これから俺とスカーレットの関係は誤解がなくなり、以前よりは仲良くなるだろう。
シービーの両親と会い、俺の家に入り浸っているけど俺が怪しい奴じゃないと説明もできた。
スカーレットから逃げたくなった時には、シービーを連れてお泊りもできるようになったからいいことばかりの今日だ。
ただシービーのお母さんから、暖かい目で見てくるのはやめて欲しい。
恋人じゃないと俺たちが説明しても受け入れてくれない。と、いうか恥ずかしがっているんだなぁ的なことを思っているっぽいんだが。
シービーとは清い関係なんだ。
シービーだって男女を意識しているわけじゃなく、困った友人を助けたいだけと言っていた。
もし泊まることがあったら、そこのところをシービーのお母さんにきっちり説明しておきたい。
誤解が続いたら俺とシービーに恋人ができた時には困るからな。