夏の夜は虫の鳴き声がよく響く。
リィリィリィっていう鳴き声は車が通る音や周辺の生活音に混じってもよく耳へと届く。
窓を開け網戸にして外からの様々な音を聴きながら、黒ジャージ姿の俺は立って壁に寄り掛かりながらスカーレットと日課になってしまいつつあるテレビ通話をスマホでしていた。
それを始めたのは1週間前。スカーレットと出会った翌日から、シービー経由でやろうとお願いされ続けたのを解禁した。
話す時間は30分と限定して。
そうでなければスカーレットは延々と話すだろうし、それはお互いの生活に取って悪い。
体調が悪ければ無理して電話をしなくてもいいとは言ったが、スカーレットのことだからベッドに入りながらでも電話をしてくるはずだ。
そんなことが起きないように、スカーレットと同室で仲のいいウオッカという子にお願いをした。
その子はすっごくいい子で、こういう子なら妹にしてもいいかもと思ってしまうぐらいに。
元気だし、はきはきして趣味が男の子っぽいから仲良くできそう。
スカーレットが何か迷惑をかけたら、電話をしている時でも叫んでくれと事前に伝えてある。
直接会ったことはまだないものの、シービーとスカーレットを通してあげた、お願いを聞いてもらう代わりのお菓子をおいしいって言ってくれたから会う時にはお土産をたくさん持っていこうと決めている。
電話で話すとスカーレットの気持ちが変わってくれたのは、とても爽やかなイケメン系ボーイッシュな子のおかげだなと実感する。
友人ってのは自分の生き方にすら影響を与えてくれる大事な人になるよな。
今だって画面に映っていて、スカーレットの後方にいるし。ベッドに寝転がってバイク雑誌を読んでリラックスしているのがよくわかる。
彼女がスカーレットのルームメイトで本当によかった。
俺にシービー、スカーレットにウオッカがいなければ電話をするような関係にはなれなかっただろう。
小学校、中学校と友達付き合いが希薄だったからこういうのはすごい貴重だ。シービーとの関係はずっと大事にしていきたい。
『兄さん、聞いているの?』
「あぁ、聞いている。ウオッカと仲良くできて毎日楽しいってことだろ?」
そう考えていたらスカーレットとの通話に意識をやってなかった。聞き流すつもりはなかったが、結果的にそうなったのは反省する。
でも部分的には聞いている。レースでの走り方や目標、学校での勉強。色々なことをウオッカと話をして、遠慮なくぶつかり、でも仲がいい。
そういう関係が俺とスカーレットもやりたかった。できなかったのは年齢差か、性別の違い。またはルームメイトという距離の近さだろうか。
『ウオッカとなんて仲良くないわよ! ウオッカがいつも何をしているか教えたら、きっと兄さんは幻滅するわ!』
「スカーレットの大切な友人だろ? お前と気が合う子なら幻滅することなんてないと思うんだがなぁ」
『じゃあ教えてあげるわ! 4日前のウオッカはね、この部屋にある椅子の逆側に乗ってバイクの音を口で──』
『うわあああぁぁぁ!!』
『ちょ、ウオッカ! 何すんのよ! 兄さんと大事な時間の途中なのよ!? スマホを取り上げようとしないで!』
『だったら俺の恥ずかしいことを言うんじゃねえよ! お前の兄さんに変な女なんて思われたくないんだって!』
ウオッカの秘密を話し始めたスカーレットだが、後ろに写っていたウオッカが飛び跳ねるように起き上がってはスカーレットへと襲い掛かっていた。
激しく揺れる画像だったが少ししてスカーレットの手からスマホが離れ、寮部屋の天井を映すだけに。
流れてくる声を聞いていると、プライバシーについての話がお互いの暴露話になってしまっている。
好き嫌いがどうだとか、転んだ瞬間の表情が変だったとかそういうの。
『お兄さん! 今日プールで勝負した時にスカーレットは速く泳ぐ生き物をイメージしたんですけど、それ何だったと思いますか!?』
『ちょっと! やめなさいよ、ウオッカ!!』
『イメージしたのは魚で、自分の髪色と同じように赤いからってことでたいいいいいぃぃぃぃ!?』
スカーレットのひと際大きな叫び声とウオッカの断末魔によって興味がすごくある話題は中断し、スカーレットとウオッカの戦い、いや、いちゃつきっぽいのが始まっている。
仲がいいのはなによりだ。
しかし、スカーレットよ。速く泳ぐ生き物で鯛をイメージするのは悩んでしまうんだが。
速いのか、あれは。
鯛について悩みながら通話を切るかと思っていると俺の後ろの方から声が聞こえる。
「今日も元気でなによりだね」
楽しそうにそんなことを言ってきたのは寝転がっているシービーだ。
学校から帰ってきてからは制服姿のままでずっと俺の家にいる。
夜になれば一緒にご飯を食べたあと、いったん家に戻って本を持ってきてからは座布団を頭に敷いて仰向けで本を読んでいる。
扇風機の前で風を浴びながら読んでいる本は、トレーナーから渡されたスポーツ外傷とリハビリに関する内容だ。
「シービー、スカートの中が見えてる」
「あ、ごめんね。でもスパッツだから大丈夫だけど。もっと見たい?」
「見ない。ほら、さっさと直せ」
スカートが上の方までまくれあがり、黒スパッツの一部分が見える。
俺がそのことを指摘しても恥ずかしがる様子もなく、ごく普通にスカートの乱れを直す。
スパッツを見たからって興奮するでもない俺が思うのもあれだが、女らしさはどこへいったんだ。
別にシービーにそういうのを求めてはいないが、レースを走るウマ娘的に普段からそういうはじらいがなくていいのかと疑問に思う。
まぁ、そういうところがいいというファンもいるんだろう。問題だったら俺が言わなくてもシービー担当のトレーナーさんが言うだろうし。
シービーは放っておくことにし、スマホの通話画面へ目を向けるがまだ天井しか映っていない。
スカーレットはウオッカと楽しく言い合いをしているし、1日30分までという約束の時間は過ぎているので通話を切った。
賑やかだったのが一瞬で静かになり、扇風機とシービーが本のページをめくる音がよく聞こえる。
壁にある時計を見ると、もうすぐで午後10時。
夜遅くまで男の部屋に、女子高生がいるのは世間体が悪い。とはいえ、誰にも文句は言われないんだが。
一緒にいるのは落ち着くが、かといって日を超えるまでいた場合は、次にシービーのご両親と会った場合に居心地がすっごく悪い。
「もう遅い時間だが、帰らなくていいのか?」
「邪魔だった? それなら帰るけど」
「そういうわけじゃないが。こう、男の部屋に遅くまでいいのかと気になって。……シービーを襲いたいとかそういう意味じゃなくてだな!?」
「わかってるよ。でもさ、そういうマサトだからこそ居心地がよくて。ほら、1人でいる時って急に寂しくなったりするでしょ?」
「そういう時は走りに行くイメージがあるんだが」
「うん、走るね。でもそうじゃない時はこういう風にやることなくても一緒にいたいんだ」
シービー、なかなか恥ずかしいこと言ってないか?
信頼してくれるのはすごく嬉しいが。
一般的な男女の友人同士ってどんな感じだろうか。創作物だと大げさにやるか、恋愛になるっていうイメージだ。
リアルのはさっぱりわからん。いや、そもそも他と比べる必要がなかったな。
俺とシービーの関係は、俺たちだけの物なんだから。
「こうしてシービーと一緒にいるとふたりで暮らしているっけ、とか思うよ」
そう苦笑して言うと、本をちゃぶ台の上に置いたシービーは勢いよく起き上がって目を輝かせながらあぐらで座る。
「それ、いいね! すぐは無理かもしれないけど、将来はルームシェアしよっか!」
「お互いの進路によって住む場所は変わるだろ?」
「アタシはレースで勝てるようだったらずっと走り続けるから大丈夫! 卒業してからなら、レース場周辺に住めばいいから選択肢はあるよ?」
唐突な意見だが、いいかもしれない。俺は料理が下手だから、困った時はシービーに作ってもらえばいい。
いや、ずっと作ってもらうばかりは情けないから料理の勉強はしようとは思っている。まぁ、いまだお菓子についてしかやってないから機会は遠いだろうが。
しかし、言われて考えるほどにいい意見だと思う。
ただ、俺は母親とスカーレットから離れて暮らすことしか考えていなかったから将来はどうしたいとか思えなかった。
「俺はまだ将来について考えていないんだが」
「進学するか就職するかも?」
「ああ。今の高校だって普通科だから特殊な技術は学べないし。在学中に資格を取るっていうのもいいが」
かといって取りたい資格もない。目標があれば欲しい資格はできるとは思う。
それに問題もあって、資格を取るというのはお金がかかる。そこを祖父とどう相談するか。
祖父は必要なら金は出す、とは言っていたがアパート代など多くの物を払ってもらっているのが心苦しい。
うちの母さんから学費分はもらっていると言っていたけど。
お金を出してもらうために母に会いに行くにはまだ気持ちの準備がないし、会ったら何を言われるかが怖い。
「お母さんが気になる?」
「母さんと仲直りするかはまだ……。スカーレットの時とは違って、そうしたいとは思えないんだよな」
「そっか。それなら急ぐ必要はないよ。したくもないのに急いだっていいことはないからね」
「そうだな。スカーレットと仲良くできたのはシービーがいてくれたからだ。もし隣にいてくれなかったら、電話をするような仲には戻らなかった」
「でしょ。もっと褒めてよ」
「あー……シービーの隣に引っ越してきてよかった。シービーがいたから俺の人生は明るくなったんだ。自由さは俺の悩みを忘れさせてくれる。
これくらいでいいか?」
シービーから視線を外し、恥ずかしくなりながらも感謝の気持ちを伝えていく。
言い終えて5秒経つが反応がなく、気になってシービーを見ると、目をつむって自分自身の体を両手で力いっぱい抱きしめている。
尻尾はばっさばっさと高く大きく振り、耳はピンと俺の方を向けて言葉を真剣に聞いている。
「マサト! ハグしよう、ハグ!」
満面の笑みを浮かべて立ち上がったシービーは、俺へ向けて両手を横に広げては唐突に意味不明なことを言う。
ハグ? ハグってのはつまりお互いに抱きしめ合うのだろ?
そういう展開だっけか、今。
「初ハグ記念にちょうどいいと思うんだよ、今日は! 本当はね、寂しくなった時にしてもらおうと思ったんだけど、マサトが嬉しすぎることを言ったから今しよう!」
「シービーが喜んでくれたのは嬉しいが、そういうのって恋人同士でやるもんじゃないか?」
「ルドルフやエースにだってやっているから特別なことじゃないって。仲がよければ性別なんて関係なしに誰だってやるよ!」
そうはいうものの抵抗感がある。こっちは女性慣れしてないんだが?
シービーは女性を相手するような感覚ではないが、そういうのとは別というか。妹のスカーレットよりも身近な関係ではあるんだが。
言葉にすると、恋愛感情がない仲良しな男女?
これ以上の最適な言葉が見つからん。
「ほら、怖くないからやろう?」
「シービーがそこまで言うなら。俺がなんか変なことをしたら放り投げてくれ」
「マサトはそんなことしないよ」
シービーからの高い信頼に答えるべく、シービーの尻を揉むということは絶対にしないよう心がけるか。
意識しつつも緊張で心臓がどきどきしているところを、シービーが勢いよく俺の背中に手を回して抱き着いてきた。
シービーは俺よりわずかに背が高いから、向かい合って抱き着いているとシービーの息遣いが耳にかかってくすぐったい。
ぎゅって抱きしめられると色々な感触がやってくる。
幸せ、という一言で全てを表現できる。
ふわふわなおっぱい、温かい体温、優しい抱きしめ方。
服越しではあるがシービーのおっぱいはグミやマシュマロのような柔らかい感触があるし、癖っ毛が強い髪の毛は俺の耳にあたってくる。
鍛えられている体で抱きしめられると、シービーの体温が感じられる体は走るウマ娘なんだなと実感する。
そうやって抱きしめ続けられていると、ふいに耳元で小さい声でささやかれる。
「ほら、マサトからも抱きしめてよ」
「あー、背中に手を回せばいいのか?」
「うん。思いっきり抱きしめて」
何もしていなかった両腕をシービーの背中に回して抱きしめる。
背中の筋肉がすっげぇあるなと言う感想と、ブラ紐の感触があると急に緊張してしまう。
シービーは女性なんだというリアリティを感じて。
いや、間違いなく女性ではあるんだが。性別を通り越しての友人関係の仲だと思っているから、変な感じだ。
不思議といい匂いがするし。
「ハグって落ち着くね」
「俺は心臓がばっくばくなんだが?」
シービーは落ち着いた声だが、俺のほうはうわずった声が出てしまう。
手を繋ぎたいなとは思ったことはあったが、抱きしめられるのは違う。
こういうのは慣れていないと落ち着かないと思うんだが。さっき言っていたが、シービーは抱き着き慣れをしているからか。
つまりは俺もハグし、ハグされるのをやっていけば慣れるってことか。
……慣れるだろうか。自分では世間一般の男子高校生よりは性欲が少ないと自覚はしているものの、これでも男だからそういうのはどうしてもある。
「こういうのは段階を踏んだほうがよくないか?」
「んー、何度かすれば慣れるよ。エースだって嫌がっていたけど、1カ月もすれば抵抗しなくなったし。それにね、抱きしめて抱きしめられると安心するんだ。癒しだなぁって感じて……よし、アタシが練習で疲れたら毎回やろう。いいよね?」
シービーの声が耳元でささやかれると、この知らない気持ちよさがやってくるんだが!?
さっき言っていた、ルドルフやエースはこういうのを体験しているのか!? あぁ、でもずっと抱きしめ合っていると慣れてきた……かもしれない。
ウマ娘同士だと耳の位置が違うから、俺が言ってもささやきなんてのは感じないのか。
「マサトの匂いは落ち着くね。これ、寝る前に毎回したら寝やすくなりそう」
そういえばスカーレットからも一方的に抱きしめられていたことが何度もあった。そうやって俺を力いっぱい抱きしめたあとはスカーレットの寝つきがよかったのを思い出す。
こういうのは年齢関係なく、癒し効果が出るのか?
抱きしめ合う効果というのを考え始めたとき、急にシービーが足を踏んできて鋭い痛みが走る。
「いっってぇ!!」
「ダメだよ、マサト。違う女の子のことを考えちゃ」
「そういうのってわかるのかよ」
「そりゃあね。恋人ができて一緒にいる時は考えないようにするんだよ。何を考えているかは雰囲気でわかっちゃうから」
「マジか。雰囲気でわかるって怖いな」
女って怖い。
そんなことを思い、会話が止まったなかで俺とシービーはお互いを抱きしめ続ける。
静かになった部屋で。
聞こえてくる音はほんの少しだけ。
扇風機がファンを回して風を出す音。
網戸越しの外から聞こえる自動車が通っていく音。
そして間近に聞こえるシービーの息遣い。
はじめは緊張していたが、時間が経つにつれて落ち着いてくる。
抱きしめ合っているのはお互いの体温で暑くなるが、このままずっと続けていたいと思ってしまう。
こういう関係が続けられるなら、一緒に暮らしてもいいと思う。
そして、シービーが俺の姉だったら小さい頃から人生は楽しくなったんだろうなとも。
過去は変えられないからこそ、こうなればよかったなんていう想像が出てしまう。
人生を良い方向にしようと努力すれば、未来は今よりずっといいものに変わっていくかもしれない。
まずは行動。ダメだったらあきらめよう。そんなふうに気楽な考えと広い心を持ってやっていきたい。理想であり、実際はそうはならなそうだが。
こうして今のようにシービーに甘えながら。
「シービーがいれば、俺の人生はなんとかやっていけそうだ」
「おおげさだって」
「恋人ができるまでは仲良くして欲しい」
「アタシはずっと仲良しでいたいと思っているんだけど?」
「あー……今のは俺が悪かった。これからも仲良くしてくれ」
「うん、わかった」
しばらく抱き合って俺とのハグに満足したシービーは体を離すと、手を振って楽しそうに帰っていく。
俺1人だけになり静かになった部屋は寂しく、将来は一緒に暮らすのもいいなと前向きに考える。
友人で頼りになる隣人のミスターシービーとすぐ近くにいるなら、どんな時も楽しいに違いないと思った。
終わり