トレセン学園での全授業が終わった放課後の午後3時。
アタシは更衣室で制服からジャージに着替えると、昨日マサトに作ってもらったたくさんのドライフルーツクッキーが入った大量のジップロックの袋とスポーツバッグを手に持つ。
向かう場所は中等部の校舎。その生徒会室。
時々ヒマになった時や、友人であるルドルフと遊んでもらいたくなる時に行っている。
忙しい時は行ってもすぐ帰るけど、今日は事前にルドルフにメールを送って忙しくないのは確認済み。
いつも生徒会室にお邪魔してばかりで、たまには感謝の気持ちとして全員分のおやつをあげようと思っている。
作ったのはアタシじゃないけど、もらったんだから自由にする。それに、これはすんごくおいしいし。
市販で比べるのより優しい味がする。
そんなふうに今日は生徒会の人たちに優しくしようと思い、中等部の生徒会室前にやって来た。
耳を澄ますとルドルフから聞いていたとおり、中の人たちはのんびりと雑談をしているみたい。
「やっほールドルフ、生徒会のみんな。遊びに来たよ!」
元気に声掛けをしつつ、クッキーが入ったジップロックの袋全部をルドルフが座っている机の前まで行って手渡す。
腰まである長く濃い茶色のロングヘア。前髪は三日月を思わせる白い一房のメッシュがある髪。
美人なウマ娘であるルドルフは制服姿で書類を見ていたけど。アタシが突然来たことに一瞬だけ驚いたようだけど、やれやれと言った感じで受け取ってくれた。
そしてすぐにお菓子休憩を取ったかと思うと、生徒会室にいた子それぞれが飲み物の準備を始めていく。
それを待っていると、アタシとルドルフにはコーヒーが入ったマグカップを渡してくる。
受けとって一口。砂糖とミルクが入ったコーヒーは口当たりが優しくていい。
アタシとルドルフはお互いにコーヒーを飲みながら話を始める。
「今日はどうしたんだい、シービー。お菓子をたくさんくれるだなんてひさしぶりだね。いいことがあったのかい?」
「あったよ、たくさん。最近はね、楽しいことばかりだよ」
「重畳。それはなによりだ。これは君の手作りかい?」
「ううん。前にご飯作ってあげたらお返しとして作ってもらったんだ」
「実家に帰ったのか。親孝行をしたのは素晴らしいことだな」
「え、違うけど。同じ歳の男の子だよ?」
ルドルフが推測したのと違っていたので、素直に答えると一瞬にして生徒会室のあらゆる音が止まった。
不思議に思い、あたりを見回すとルドルフだけじゃなく他の子たちも目を見開いてアタシを見ている。
えっと、アタシ、なんか変なこと言っちゃった?
この沈黙が10秒ほど続き、さすがのアタシも焦りはじめちゃう。
生徒会の人たちに何が悪かったか聞こうとした途端、ルドルフ以外の3人の子が一斉に悲鳴、いや違うかな。耳が痛くなるほど歓喜の黄色い声が部屋いっぱいに響く。
「シービー先輩、恋人いたんですか!?」「先輩なら女の子とくっつくと思っていたんですけど」「自由すぎる先輩の彼氏になってくれる変な人がいただなんて!」
と、後輩たちが色々言うけどさ、そう言われるほど男の子にお菓子を作ってもらったのは予想外だったってこと?
人付き合いはよく選ぶほうだけど、こうまで言われるほどだったなんて。
それからも色々と熱心に恋愛がどうこう言ってくる子たちが怖く、耳と尻尾を下げてしまう。
ルドルフはそんなアタシを見て苦笑し、生徒会の子たちへ静かにするような仕草を手でやってくれたおかげで部屋は静かになる。
「シービーは男の子に作ってもらったというだけで、まだ恋人だなんて言ってないぞ? ……さてシービー。そのあたりはどうなんだ?」
生徒会の子と同じくルドルフまでもが目を輝かせてアタシの言葉を待っている。
いやー、そんなこと言われても。別に面白いことなんてないんだけど。
むしろ聞きたいのはこっちだよ。あの堅物のルドルフがこういう話に興味を持つだなんて。
特に言うことはないけど、こうも期待されていると無視するわけにはいかないから、かるーくマサトとのことを喋ろうか。
「そのビスケットを作ってくれたのは最近知り合った同い年の男の子でね。あ、食べながら聞いていいよ。出会いは……」
隠し事や嘘が嫌いなアタシではあるけど、そのままを喋るとプライバシーの問題になる?
初対面の出来事が、男の子の上半身裸を見たことから始まるし。場合によってはアタシが痴女と言われるかもしれない。
「ちょっと待って。本人から許可を取るから」
「君は本人から許可を取るぐらい変なことをしたのか?」
「うーん、ちょっとね。アタシとしては問題ないかなぁと思うけど、後からマサトに怒られるのは嫌だし」
つい先日にお互いの連絡先を交換したばかりなので、連絡するのは初めてになる。
送る内容は『後輩たちにクッキーを持っていったら作った人のことを教えてくれって言われたんだけど』っていう内容。
スマホでその文字を入力している間にも、アタシが男の子の名前を下のほうで呼んだために黄色い声がまた響く。
「え、なんで今のでそんな声になるの?」
「男性を下の名前で呼べば、おのずと仲がいいというのがわかるじゃないか。君にも春が来たということか」
まったく理由がわからず、不思議そうにあたりを見回すと、ルドルフまでもが尻尾をぶんぶん振り回しながら他の子たちと同じようにウキウキとした興味津々な笑顔を浮かべてくる。
きっとアタシとマサトは恋愛関係になっているって思っているみたいだけど、まったくそんなのじゃないのに。
マサトの方だってアタシの胸をじっくり見てくるとか、下心な視線や感情は滅多に感じられない。だからこそアタシは仲良くできている。
でも、堅物でレース以外興味がないといったルドルフまでもがこういう興味を持つだなんて。
ルドルフも年頃の女の子だなぁと思っちゃう。
「いやぁ、本当にそういうのじゃないんだけどなぁ。……あ、返事きた」
男の子の手作りクッキーを持ってきただけでこういう騒ぎになるなんて思いもしなかったよ。
噂になるのも面倒だし、誤解を解いておこうと思ったらマサトから返事が返ってきた。
その文章は『名前と恥ずかしいことを言わなければOK』というものだった。
「本人から条件付きで許可が下りたから言うけど、出会いは彼の上半身裸を偶然見たところから始まったんだよね」
マサトの体はいい具合に鍛えられていたから、これは恥ずかしくない。上半身裸で気持ちよさそうに外の空気を浴びていたのは隠すけど。
素直に出会ったとこを言ったのに、今度は黄色い悲鳴はなくまったくの無音になった。
「あれ、どうしたの、みんな」
「……シービー。君はその、変なことをしていないだろうね」
「え、なんでそうなるのさ。ただ見たことをそのまま……あ、いや違うよ? シャワー上がりの体を冷やしていたから見れただけで」
「そうだとしてもそういうシーンになっているというのは、その、あれだ。風紀に違反するのだが」
困り顔で言うルドルフにアタシは理解が追い付かない。
いったい何が変なんだろう。シャワー上がりだから上半身ぐらい裸でもおかしくないのに。
他の子たちに聞こうとすると、何人かが恥ずかしそうな表情になっていて気付いた。
これ、エッチなことをしたと思われている……?
「いや、違うんだって。偶然ベランダから見ただけで」
「シービーはそんなことをするようなウマ娘ではないと私は信じていた。だが好奇心が強いあまりにベランダから裸を覗き見していたと言うのか!?」
「なんでそうなるのさ!? 違うって。ただ、お隣さんだったから」
「隣に住んでいる人の裸を至近距離で見ただと!?」
「違うって! ベランダで外の風を浴びていたら、アタシに気づかない状態でベランダに来たんだってば!!」
的外れな推測を大声で言うルドルフに対してアタシも同じく大声で言い返す。
おかしいな……。嘘偽りなく事実だけを言っているのになんでこうなるんだろう。
こう変なのになると、裸を見たお返しとして下着姿を見せたって言うのはやめておこう。
これ以上言うとマサトがアタシの下着姿を見て、恥ずかしがっていたっていうのは約束破りになるし。
まったく。ルドルフはアタシが恥ずかしいことをしたって言うかのような言葉はどうかと思う。
「簡単に言うとベランダに出たら偶然会って、それから仲良くなったってだけだよ。ルドルフは興奮しすぎだって」
「いや、しかしだな。こう、男の子から手作り料理をもらうというのは……」
省略して必要最低限なことで話を終わらせようとしたけど、ルドルフはまだ引っかかっているらしい。
確かに今のだとアタシだけが一方的にお菓子をもらっているっていうことになるからね。
そこのところは説明しておかないと、恩返しのしない失礼な子って思われちゃう。
「もらっているだけじゃなく、アタシも料理を作って持っていってるから大丈夫だって。一方的な関係じゃないよ」
「…………シービー。君は女性向け恋愛漫画を読んだほうがいい」
「えー?」
ルドルフが次になんて言うのか待っているけど、浅くため息をついて首を振ってくる。
その意味がわからなくてアタシはまわりの子たちを見るけど、みんなルドルフに同意するかのように一斉にうなずいている。
「そのうちわかる時が来るさ。君が楽しいのなら何よりだ」
「それはもちろん。今度ガンプラっていう種類のプラモデルの作り方を教えてもらう約束もしたし。面白かったら趣味にしたいとこなんだよね」
「ガンプラか……。私はまったくわからないがシービーがそれほどに興味を持つのならどういうものか調べてみよう」
「アタシが知っていることなら教えられるよ?」
「その話に興味はあるがシービーと仲がいい男の子の話はここまでにしよう。このまま続けると生徒会の皆が気にしすぎて仕事に手がつかない」
「ふーん。そういうのなら終わろっか。あ、クッキーは全部食べていいからね」
そう言ってから、アタシがちょっとずつ飲んでいたコーヒーを飲み干したマグカップをルドルフの机の上へと置く。
空いた手でマサトから別にもらっているクッキーを手につまんで食べていく。
あ、レーズン入りおいしい。
そうしてクッキーを味わっていると、他の子たちも集中して食べ始める。
たくさんある、と言ってもここにいるのは食べ盛りなウマ娘たち。500gか600gあると言っていたクッキーはすぐになくなってしまう。
生徒会室の壁にかかっている時計を見ると、もう少しでアタシの教官である人の練習が始まる。
そろそろ行こうかなーと思っていると、ルドルフが少し心配そうな声をかけてくる。
「シービー、走るのは楽しいか?」
「ちょっとだけね。同じ教官のとこで1番になるって言って練習を頑張りすぎる優等生な子がいてね。性格はつまらないんだけど走りには期待できそうなんだよ」
「下級生の子に冷たくしすぎないようにな」
「アタシの気分が向いたらね」
苦笑して気をつけるよう言ってくるルドルフだけど、別に冷たくしているわけじゃない。
ただ興味がない人とは話をしなく、そっけない対応を取るだけで。
事務的なことを伝えるのは別だけど。
「君に合うウマ娘やトレーナーがいてくれれば私も色々と心配しなくて済むんだが。ストレスが溜まると学園を抜け出すのが気になっていてね」
「トレーナーのほうは新人で女の人がアタシに興味を持っているし。気に入ったら契約するよ」
「それなら安心はできるな。ストレスが溜まったら私に相談をしてくれ。友人であるシービーの力になりたいんだ」
「ルドルフはもうアタシの力になっているし、今は毎日が楽しくなっているから滅多に抜け出していないよ?」
「その理由はいったい何だ? ぜひ教えて欲しい」
心配顔だったルドルフは途端に好奇心を隠せない声色になる。
「走ること以外でアタシを楽しくさせてくれる男の子、マサトと出会えたからなんだ。作ってくれるお菓子はおいしいし、一緒にいると面白いんだ」
「それほど気に入った人物なら、私も会ってみたいものだ」
「ルドルフもきっと気に入ると思うよ」
そう言ってアタシはルドルフに手を振りながら生徒会室を出ていく
アタシと仲良くできる人。そのことを友人であるルドルフに知ってもらえたのが嬉しくてたまらない。
こうしてアタシがアタシでいるための自由な世界は、少しずつ広がっていく。
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