シービーが俺の前で手と背中をピンと伸ばして美しい土下座をしている。
土下座した人を見ることが人生で初めての今。
土下座という行為は強い謝罪の気持ちという意味があるが、される側としては困惑しかない。
そんなことをされても話ができないし、周囲に人がいればこっちの評価が逆に下がる可能性が高いと思う。
土下座について考えているのは学校が終わり、家へ帰ってくるとドアの前にいたシービーが俺の姿を見るなり素早く土下座をしてきたからだ。
制服姿の女子高生がそんなことをしていると世間体が悪くなるが、幸いにも2階廊下であるため人に見られることはない。
しかし、いったいなぜだ。
今日からは新しいトレーナーと初練習をすると言った昨日はうきうきして興奮を抑えきれず、俺を外に連れ出して一緒に走るぐらいだったのに。
結局は2kmという短めな距離を走ったら解放してはくれたが。
それほどに元気だったシービーが何も言わずに土下座姿勢をしたのにどう対応すればいいんだ。
ここまでして謝られることをされた覚えはない。
考えられることとすれば、ベランダから入ろうとして窓をぶち破ってしまった? もしくは壁をうっかり壊して2つの部屋が1部屋に合体?
他に何かあるだろうかと悩み、ふと出会った時のことを思い出した。
あの時は俺の裸をまじまじと見つめていたから、それに関係することか!?
「俺のパンツを奪ったのか……?」
「アタシ、そこまで変態さんじゃないよ!?」
恐る恐る質問をするとシービーは床へと付けていた頭を勢いよくあげ、ピーンと耳をまっすぐに伸ばして目を見開いては気合が入った大きな声をあげてくる。
俺の脳を揺るがすほどの大声を出せるぐらいの元気な姿を見て一安心だ。
「だってシービーが土下座するぐらいのことはわからない。あ、パンツじゃなければシャツか?」
「そこから離れてよ! もし欲しがるなら堂々とお願いするって! アタシはこっそりやるなんてことは嫌いだからね!」
「そうだよな。シービーなら俺がシャワーを浴びている時を狙うもんな」
「というか下着は取らないし狙わないよ!? マサトはいったいアタシを何だと思っているの!?」
「……フェチ欲を持て余す系女子?」
土下座姿勢から勢いよく立ち上がり、俺へと両手を伸ばすもすぐに力なく腕を下ろす。
何もかもをあきらめたような顔をしてウマ耳はしょんぼりとし、力なく揺れる尻尾を見るとからかいすぎたらしい。
「悪かった。シービーは健全で素敵な女の子だ」
「健全って付け足されるとなんとも言えない気持ちになるんだけど」
「土下座なんてするからだ。反応に困るんだからな。それでいったい何をしたんだ?」
「え、あー……その、ね? マサトに悪い知らせがあって。落ち着いて聞いて欲しいんだけど」
「遠慮せず言ってくれ。言ってみると意外と気にしないことかもしれないぞ」
「アタシの後輩である、雰囲気が上品でマサトの妹って言っている赤い髪をしたツインテールのダイワスカーレットって子が──」
俺に強い嫌悪感を思い出させるのは、ことあるごとに俺を言葉と力で縛り付け、自由を奪った妹の名前。
スカーレットのせいで小学校、中学校と友達と遊ぶことは減り、残ったのは1人で遊べるプラモだった。
それさえも引きこもりになるからダメだと言われ、母に助けを求めるも妹の味方ばかりをし、よく強制的に一緒に筋トレやランニングといった運動をさせられた。
普段から俺に対して「私の兄さんは1番でないとダメよ!」と言われ続け、勉強と運動は頑張らされた。
このことを母に言うも俺に勉強をさせたがっていたから塾に行けと言われ、渋々行った。
反抗はした。でもダメだった。
勉強はするからスカーレットと一緒に運動はやりたくないと言っても男の子なんだから頑張って、と言って助けてくれない。
母と妹にはゲームやプラモと言った趣味は嫌がられ、俺は走ることに打ち込むしかなかった。
中学になって学校の陸上部に入ると、家族と接する時間が減って学校で心の安らぎを得る。
でもそこまで走る才能はなくて能力がない俺を放ってくれるに違いないと思った。
でも母は優しく、仕事に余裕がある時は家族3人でランニングをすることは多かった。俺にはその優しさが非常に嫌だったが。
一緒にいることは家族として当然かもしれない。
母は仕事で家を空けることが多く、俺とスカーレットのふたりでいることが多かった。
だが母は時間を見つけて一緒にいてくれようとする家族想いだ。
でもそれが俺にはただただ辛い。
スカーレットは俺を『兄さん』と呼んで慕い、甘えてくれるがそれさえも怖い。
スカーレットが思う理想の兄でなければ、この甘えもなくなって見下され、暴力だけを振るわれると想像してしまって。
外では上品な雰囲気だが、家の中だとおおざっぱな感じになるギャップの違いにも戸惑う。
それに理想の兄を演じているのは、だましているようで少し心苦しかった。
このまま嫌うだけじゃなく、お互いに相手を許容し仲良くなればいいとは思うんだが。
家族から逃げた俺が思うのもあれだが。
「大丈夫? 顔色が悪くなっているけど。ごめんね、でもこのことを言ったほうがいいと思って」
「それでいい。言ってくれて助かる。……今は昔のことを思い出して気分が悪くなっただけだ」
俺はシービーの手を借りて立ち上がると、廊下の壁へと背を預けて痛む胃を手で押さえながら深い深呼吸を何度もする。
気分はまだ悪いものの、落ち着きを取り戻していく。
「なんでスカーレットが中央のトレセンに? あいつは地方へ行くって言っていたが。いや、どうして俺の妹だとわかったんだ?」
「マサトが作ってくれたクッキーがあるでしょ? それをあげたら味で気づいたみたいで」
「味で? それだけでわかったのか?」
「うん。それがきっかけで今度はアタシに質問してきたんだ」
スカーレットは市販のお菓子よりも俺に作らせたお菓子を好んで食べていた。そのためか、味だけで俺が作ったとわかるのは恐ろしい。
それでスカーレットはクッキーを持ってきたシービーが俺のことを知っていると察し、でもシービーは俺が作ったことを内緒に。
スカーレットはシービー以外に聞くため練習を抜け出し、シービーと仲のいい子から俺の名前や関係を聞いたという。
「でも俺がどこにいるかわからないだろう? 今まで会わなかったんだから、この東京でそう会うわけがない」
「それなんだけどね、アタシの隣の部屋に住んでいるってことも知られて……。あ、でも住所まではバレていないからね!?」
ひどく気まずそうに言ってきたシービー。
その言葉を聞いた途端、さらに気分が落ち込んで深いため息をつく。
今日明日といった短い期間で会うことはなさそうだが。
対策をすぐにでも考えないと。
持っていたカバンから家の鍵を取り出し、中へと入ろうとする。
だがその直前にシービーが両手で俺の手を掴んできた。
「えっと……ごめん」
「あいつが学園にいるってことがわからなかったんだから仕方ない。少し1人にしてくれ」
スカーレットがいると知って、恐怖と不安。そのあとにシービーがいなければバレなかった! という気持ちが湧き出てくる。
それを懸命に抑えて八つ当たりをしないようにして家に入る。
鍵をきちんと閉めたところで、俺は全力で持っていたカバンを壁へと全力で投げつける。
それでいらついていた気持ちは少し落ち着き、恐怖と怒りで混ざっている気持ちに自分自身が困惑する。
今日まで楽しく暮らしていたのに、なんでスカーレットがやって来る?
俺を探しているようだし、何をしてくるつもりなんだ。
自分に取って悪いことを考え続け、このままじゃよくないから行動をする。
まずはここへ引っ越しをする助をしてくれた祖父に電話をする。
家の中をぐるぐると落ち着きなく歩きながら話をすると、スカーレットが中央のトレセンに入るのは知らなかったとのこと。
だから今回はお互い偶然の出来事だ。
祖父は一時的に戻ってくるか? と聞いてくるが、それは断る。
祖父の家に戻りたい気持ちはたくさんあるものの、もうスカーレットに怯えて逃げるのは嫌だ。
前に逃げた時は話をしなかったが、今回はしっかり話をすれば俺にきつく当たっていた理由を聞き、今後は会わないようにしようと話をしたい。
母が絡むと面倒なことになりそうだから、スカーレットと1対1で。
……でもふたりで話をすること自体が怖く、そうなった時にはシービーに助けてもらおう。
対処法を考え付いたことで落ち着くために冷蔵庫から炭酸の缶ジュースを取り出し、一気飲みをする。が、むせてしまう。
ここまできて、自分から苦しむことで一時的に悩んでいたことを強制的に忘れることでやっと精神が落ち着く。
ジュースを飲み干したところでひとまず部屋でくつろいで心の疲れを取るか、と思った瞬間に視線を感じる。
その方向にはベランダがあり、いつかの時のようにシービーが窓越しにやってきては俺をじっと静かに見つめていた。
それに驚くものの2回目ということもあり、すぐに窓の鍵を開けて中へと入れる。
「玄関から来てくれないのか?」
「チャイムの音が今は嫌がるかなって。でもマサトが心配だから、どうしても見守りたくてベランダに来たんだよ」
「ベランダから来るのは驚くが……俺が女の子だったらシービーに惚れていたよ」
「や、アタシは女の子なんだけど!? 普通は男の子が惚れるって言うでしょ。アタシみたいな美人な子ってそうはいないからね」
「自信たっぷりに自分で言うほどか」
「自分を理解し、自信を持つことで人は美人になると思うんだ」
そんなことをかっこよく言うシービーを見ると、自然と笑みが浮かんできてしまう。
シービーは本当にいい子だ。心配しすぎることもなく、いてほしい時にシービーがいる気持ちが明るくなる。
窓を閉めると俺は座布団がある場所に座り、シービーはいつも来ているとおりにちゃぶ台を挟んで俺の反対側へと座った。
「それで引っ越しやホテルに泊まるとかする?」
「逃げ続けるわけにも行かないし、このまま会わずに済むことを期待しておく」
「本当!? よかったぁ、マサトがいなくなったらつまんない生活になるとこだったよ」
「シービーはいつだって自由に生きているから、また楽しいのを見つけるんじゃないか?」
「そうかもしれないけど、マサトと一緒にいる時間は心が安らぐからね。マサトと出逢えてアタシはすごく嬉しいよ」
そんな直球な言葉を言われると、俺は恥ずかしくて顔をちゃぶ台の上にぶつけるほど勢いよく伏せてしまう。
なんでこんな恥ずかしいことを自然と言えるんだ! 本人は平然としていたし。
いや、さすがのシービーも今回ばかりは恥ずかしがっているに違いない!
ちょっとだけ顔をあげて目の端でシービーを見ると、不思議そうにこっちを見てくる。
「どうしたの?」
……俺だけ恥ずかしがっているのは負けた感がある。
いつかシービーを思い切り恥ずかしがらせてやりたい。
「ひとまず祖父と状況確認もしたし、スカーレットに家がばれたら逃げることにする」
「それは困るなぁ。……あ、そうだ。逃げるならアタシの実家においでよ」
シービーの実家? なんでそんな発想になるんだ?
その言葉の間の過程をどれくらい吹っ飛ばしているんだ、こいつは。
伏せていた顔を上げる、名案を思い付いたとばかりに明るい笑みを浮かべている。
「実家って近いのか」
「走って10分ぐらいの距離だよ。ウマ娘基準でだけど」
「近いな、それ! ……近いよな?」
「うん、近いよ? 歩きだと30分と少しぐらいかな。距離がこことそんなに離れていないからだからマサトの負担も少ないし、暇になったら実家に帰ればマサトがいてアタシは楽しいし!」
「そういうのは親に確認してから言ってくれ」
「うちの親がいいって言ったら、マサトは住んでくれる?」
「住まない。一時的に泊まるだけだ」
シービーがからかってこないように落ち着いて言うが、もう内心はどっきどきだ。
シービーの実家に泊まれば、ホテルよりは安くなるのはわかる。わかるが、いきなり見ず知らずの男なんて泊めないだろ。
それが娘と仲のいい男ともなれば警戒心たっぷりだろ?
親的にはなんでこんな男なんかを!! と怒るに違いない。間違いなく!
いくらシービーが自由な生き方をしているといっても、それはシービーのご両親も同じなわけじゃないと思う。
家へ泊まる提案を受け入れたが、シービーの両親は断るだろう。
妹に家を特定され、身を隠す事態にならないことが1番ではあるがやれることはやっていきたい。
しかしお泊りや場合によっては引っ越しをするとなれば、シービーと一緒に過ごした時間が減ると考えるとなんだか寂しくなってしまう。
「じゃあ、アタシはこれから走って行ってくるね!」
「電話じゃダメなのか?」
「こういうのは直接会って話をしたほうがいいんだよ。あ、そうだ。マサトの写真を撮ってもいい? 説明するのに使うから」
「ああ、適当に撮ってくれ」
「それじゃあ遠慮なく」
そういってスカートのポケットから出したスマホで角度を変えて俺を何度か撮っていく。そして俺と肩を並べてツーショットのも。
こういうのは体全体の写真1枚でいいんじゃないのか。と思うが、シービーが必要として撮っているのならいいか。
「それじゃあ1時間で戻ってくるから、いい子にしているんだよ?」
「なんだ、その弟的扱いは」
「アタシからすれば、マサトはかわいい弟みたいなものだよ」
そう言ってシービーはうきうきとした様子で家から出て行った。
なんでうきうきとしていたんだ? 俺を弟扱いできたこと、または俺の助けになれるからだろうか。
逆の立場で考えると、俺が普段から自由に生きているシービーを助けられる状況になったら……まぁ、同じように嬉しくなるか。自分が力になれるのは嬉しいし。
困っているなら助けようという気持ちは持つが。自分の実家に泊めることの何がいいんだろうか。
シービーのことだから非日常的な出来事は楽しいって可能性もある。
成功する見込みはあまりないと思うが、シービーが助けてくれるのは嬉しい。
嬉しいのならお礼としてお菓子を作るか。前にシービーが食べたいって言ってた菓子の材料は買ってあるし。
シャツを腕まくりし、今回作ろうとするのはイタリアお菓子のアマレッティ。
シービーが食べたい理由は、友達と会話してた時に楽器でアマティの話が出てその流れでアマレッティの話になったらしいが。
トレセン学園ってなんか優雅で上品な会話をしているんじゃないかと気づきそうだ。
お嬢様という子がそれなりにいるそうだから、一部では他にも俺が想像にもつかないドラマや映画のような話をしているかもしれない。
空想が現実にあるという、それだけでわくわくしてしまう。
今回シービーにお願いされて作るのは初めてなもの。マカロンの原型と言われるアマレッティ
初めてのものだからスマホにレシピを出し、そのままのものを作る。
1度作ればアレンジはするが、初めて作る時は変に手を加えるとまずくなってしまうからな。
材料はアーモンドパウダー、グラニュー糖、卵白。
それらを使って作っていくが、シービーのために新しいお菓子を作るのは初めてだなと思う。
今までも食べてもらっていたが、それは妹のために覚えたもの。
今回は妹も食べたことない、シービーだけに作るお菓子だ。
卵白を混ぜたものに、アーモンドパウダーとグラニュー糖を混ぜた生地
最後は電子レンジのオーブン機能で焼けば完成だ。
今回のお菓子作りで余った2個の卵黄は夕食にでも使うとするか。
卵黄をプラスチック容器に保存し、冷蔵庫にしまう。使った道具を洗い、電子レンジを見るとあと15分で焼きあがる。
それまではスマホで適当な動画を見て時間を潰すと、終了の電子音が鳴る。
電子レンジを開けると、香ばしい匂いがしてくる。
完成したアマレッティを見るとこげ茶色をして、クッキーをふくらませたような見た目になった。
できたてをお皿に移してちゃぶ台に持っていこうとしたところで突然ドアが勢いよく開き、片手に大きく膨らんだビニール袋を持ちって満足げな笑顔のシービーが立っていた。
「マサト聞いて! 許可を取ったよ!!」
「マジか。泊まれるの、俺」
「アタシの友人で男の子だよって言ったらなんでか喜んでた。あと条件として、マサトが泊まる時はアタシが一緒ならいいんだって!」
「近いうちに1度挨拶に行ったほうがいいか」
「お父さんも話がしたいって言っていたから、予定日はいつがいいか聞いておくよ」
……なんだろう。
ただ緊急時に泊まりに行くって話なのに、シービーのご両親に挨拶に行くっていうのは違くないだろうか。
まるで娘さんをくださいって言うやつに思えてくる。
別に付き合っているわけじゃないのに。そこのところを会ったときにはしっかりと話しておこう。
ここで誤解ができてしまうと面倒なことになりそうだ。
「それで手に持っている袋はなんだ?」
「これ? これはね、ステーキ用のお肉。男の子はこれくらい食べるでしょってお母さんが買ってくれた。トレー4つ分だよ! それと娘がいつもありがとうって言ってたよ」
「それならありがたくもらうが……俺が焼くと炭の肉になるんだが」
「大丈夫。ふたりぶんあるから、こっちでアタシが焼くよ。だからそれ、ちょうだい!」
きらきらした目で、できたばかりのアマレッティを見ているシービーは大きく口を開ける。
俺が手で直接あげろと? そんなのを美人なシービー相手にしたらドキドキしてしまうんだが?
「自分で取れよ」
「お肉を持っているから無理」
「……仕方ねぇなぁ」
大きくため息をつき、渋々やっている雰囲気を出して俺が緊張しているのを誤魔化す。
こんなのは誰だって戸惑うだろ。女の子の口へ直接お菓子を入れるだなんてことは!
俺は作った中で1番大きいのを選び、それを手に持ってシービーの口の中へ放り込むように入れる。
だが、その時に唇に一瞬ふれてしまった。
なんなの、シービーの癖に柔らかかったんだけど!?
マシュマロみたいな感触なのに、つやつやすべすべだ!!
「ん!? んー、おいしい! これ、後で写真撮ろうっと」
俺が密かに慌てていると、それに気づかないまま褒めてくれたシービーは家へと上がって料理の準備を始める。
その後ろ姿を見ると、これがいつもの日常だと安心する。
さっきまでは妹のスカーレットがトレセン学園という近場にいて落ち込み、怖がっていた。
でもシービーが一緒にいてくれたから、そんな気持ちはかなり減っている。
昔のように妹の機嫌をうかがう生活なんてのじゃない。今の暮らしが自由で楽しく、なんとかこの生活を続けていきたいと強く思う。
そのためには頑張ってスカーレットと話をしよう。
予定としては心構えができる半年か1年後に。