【完結保証】鬼目と名無しくん(仮)   作:奥州寛

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吐き気

――八月二十九日・八月三十日

 

 

「落ち着いたかな」

「はい……」

 

 アイに引きずられるようにして、俺はサンライトの事務所まで戻ってきていた。既に日付が変わりそうなことを時計は示していたが、眠気は全く無かった。

 

 彼女は鉄棒にこびりついた血を洗い流すためといって、下の階へ行ってしまった。どうやら、このビル全てがサンライトの物で、一階が洗い場で、二階が受付と事務所、三階以降は倉庫のようだった。

 

「報告はアイから聞いている。スコピオ以外のターゲットは処理済み、覚醒者の妨害があり、それを打倒したものの、スコピオ本人を取り逃す――これで間違いないな?」

 

 部屋にいるのは、レオただ一人だった。熱帯夜の暑さを引き受けるには力不足な扇風機が、生暖かい風を送ってきて、俺はまた吐きそうになるのを何とか抑えた。

 

「はい……」

 

 殺害や死亡ではなく、打倒という言葉を使ってくれたことに感謝をする。俺はあの時引き金を引いたことに強いショックを受けている。それは自覚していた。

 

「さて、ではここからスコピオとその母体への追撃を行う訳だが、君は付いて来れそうか?」

 

 レオが投げかけた質問に、俺はすぐに答えられなかった。恐らく、これをやると決めた時に見た幻覚は、もう起こらない未来となっている……と、思う。

 

 だとすれば、俺がこの危ない橋を渡る必要もないんじゃないか、レオだって能力があるみたいだし、彼の相棒的ポジションの人もいるはずだ。俺がもう関わらなくても、この人たちは上手くやるだろうし、そもそも俺は普通の世界の住人だ。こんなことをするのは荷が勝ちすぎている。

 

「……俺には、無理です」

 

 ひりつく喉の感触をのり越えて、なんとか口にしたのはその言葉だけだった。

 

「君に手伝ってもらえると、非常に助かるんだが」

 

 俺の言葉を受けて、古びたデスクに肘をついたレオが口を開く。

 

「っ……」

 

 この人に逆らってはいけない。本能で直感する。だけど、できないと分かっていることを「やります」と言えるほど、俺は勇敢じゃない。

 

「そうか、残念だ」

 

 怒鳴られるか、却下されるか、不安が渦巻く沈黙が終わり、遂にレオの目が伏せられた。こめかみに拳銃を押し付けられているような錯覚は、ようやく去ってくれた。

 

「やる気がない奴を迎え入れても、迷惑するだけだからね」

 

 いつの間にか、俺の背後には一人の女性が立っていた。狼の毛並みを思わせる銀色の長い髪と、青い瞳。服装は男と同じようにスーツだが、スラックスとジャケットは所々ほつれていて、ブラウスに関しては上から三つほどボタンが取れていた。

 

「えっと、あの――」

「そもそも、もっと攻撃的な奴を入れようよ、ボクみたいなさぁ」

「ロボ」

「だってレオ、本当だろ?」

 

 レオの獅子瞳がたしなめるように彼女を睨んで、ロボと呼ばれた彼女は唇を尖らせる。

 

 二人が話しているのを聞きながら、俺は二人の興味が自分から離れてくれたのが嬉しかった。早く帰りたい。帰って眠って、忘れてしまいたい。

 

「アイ本人の希望だ。私達が口を挟むことじゃない」

「あーあー、わかったよ。レオが正しいのはいつもの事だしね。じゃあこの子は解放しちゃっていいんでしょ?」

 

 急に俺が話題に上がって、背筋が跳ねる。

 

「ああ、そうだな」

 

 獅子瞳の男――レオは、俺に再び視線を向けて、目を細めた。

 

「だが、キミの能力は非常に優秀だ。気が変わったら連絡をくれ」

 

 言う割にその瞳には、何の感情も籠っていなかった。

 

「ふふっ、でもかわいそうだよねぇ、アイも」

「ロボ」

「家族を殺されてサンライトに参加して、ようやく打ち解けたと思ったらバディがボランティアの最中に殉職、おまけに新人は腰抜けと――」

 

 彼女の言葉は、何かが弾けたような音と共に遮られた。見ると、彼女の頬には一筋の血が滴っており、その後ろにはナイフが一本突き刺さっていた。

 

「プライバシーは尊重しろ」

 

 彼の口調は、至極落ち着いたものだったが、彼自身が纏う雰囲気は、非常に剣呑な物だった。向けられた本人ではないというのに、呼吸が詰まる。そんな空気を当てられた本人であるロボは、悪びれもせず肩をすくめて「悪いね」とだけ言った。

 

「あの、今の話って……」

「私の口から言うのは野暮だろう。詳しくは本人から聞くことだ」

 

 レオは先程の剣呑な空気をすぐに消失させて、穏やかにそう提案した。

 

 

――八月三十日 昼

 

 

「おい、志藤、おーい」

「……んあ、ごめん、何?」

 

 昨日と同じ喫茶店、結局昨日は一睡もできず、沢村に何度か身体を揺すられていた。

 

「ったくよー、最終日前だってのに徹夜でゲームなんかするかぁ?」

「沢村と違って宿題終わってるからなぁ」

「うーわ、出た出た優等生アピ、きっしょ」

「いや八月三十日で終わってない連中の方が少数派だからな?」

 

 こいつもこいつで、危機感が無いのか今日も問題集を開ける気配がなかった。

 

「ま、最悪九月になっても、初授業までに終わらせりゃ良い訳だし」

「お前それやったら流石に助けてやれないからな」

 

 どこまでもサボるつもりの沢村に、俺は半ば呆れ気味にツッコミを入れる。

 

「そうやってなんだかんだ言いつつ、手伝ってくれるくせによー」

「いや、流石に今回は助けねえ」

「その台詞、長期休みとテスト前の度に言うよな」

 

 ぐっ……これに関しては、俺の事を良く知っている沢村の方が一枚上手という事だ。

 

「はぁ、分かった分かった。お前も明日半べそ書いて問題集写したく無いだろ、ほら」

 

 観念して俺は沢村にノートを手渡す。

 

「おおー、神じゃん! サンキュー志藤」

「そのまんま写すなよ、期末の課題でそれやって怒られただろ」

「分かってる分かってるぅー」

 

 ウッキウキでノートを写し始めた沢村にあきらめにも似た感情を抱きつつ、俺は喫茶店の隅に置かれたテレビを見る。

 

『最近のスポーツ選手は科学・医学の発展でよりよい結果を出すようになりましたよね』

『この表を見てほしいんですが、二十年前のオリンピックと比べると、あらゆる分野で桁違いの能力を持った選手が現れています。特に昨年は重量挙げで一〇〇〇キロ、つまり一トンというすさまじい記録を出したアメリカの――』

 

 コメンテーターとリポーターが話す言葉を反芻しながら、昨日の事を思い出す。

 

 二十年前のナノマシン散布事故により発生し始めた、超人的な能力を持つ人間たち、確かに、検索してみるとその頃に事故があったらしいという事はすぐに分かった。だが、それが具体的にどういう作用をもたらしたのか、詳しく分析しているのは、いわゆる陰謀論系のユーチューバーだけだった。

 

 その動画を詳しく見る気は起きなかったが、とにかく、世界的にはこの能力たちは「無い物」として考えられているという事が分かった。

 

 俺自身も、自分で体験しなければ調べる事すらしなかっただろう。現に今ブレているような視界が見えていることに、未だ違和感が残っている。

 

「おっと」

 

 くしゃくしゃのストローが刺さったフラペチーノが、倒れる幻覚が見えて、俺は思わず手を出していた。

 

「いけねっ」

 

 その瞬間、沢村の手がコップを弾いて、フラペチーノが俺の手に収まる。

 

「気を付けろよ」

「悪い悪い……てか志藤、お前コップが倒れる前に手を出してなかったか?」

「付き合い長いからな、絶対倒すだろうって思った」

 

 適当にごまかすと、沢村は華奢な手でフラペチーノを受け取って、ずるずると飲んでから邪魔にならない場所に置きなおした。

 

「――うっ……!」

 

 なんとなく使ったが、昨日、俺はこの能力を使って人を殺したんだよな。そう考えた瞬間、胃の中から酸っぱい液体が昇ってくるのを感じる。

 

「志藤?」

「悪い、ちょっとトイレ」

 

 それだけ言って、俺はトイレに駆け込むと、便器に向かって吐瀉物を吐き出す。昨日から何も食べていない。だから出るものもないはずなのだが、酷い臭いの液体が溢れ出す。それが胃酸だという事は、直感的に分かっていた。

 

「違う……違う……」

 

 一瞬でも想像してしまった。この能力を使って、沢村を殺してしまう事を。

 

 何が「フォーチュン」だ。この能力は、簡単に人の命を奪うことができる。死神――「デス」の方がお似合いだろう。

 

 自分がその意図で使うつもりが無くても、そうできるという選択肢が見える。それが怖くてたまらない。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 なんとか、吐き気が落ち着いて立ち上がる。悪臭の立ち込める便器の水を流して、俺はうがいをして顔を洗った。

 

 ペーパータオルで顔を拭って自分の表情を見る。寝られなかったにしても、酷い顔だった。

 

「ごめん、ちょっと調子悪くてさ」

「お、帰ってきたか」

 

 笑ってごまかしながら席に戻ると、沢村は熱心にノートを写していた。このペースなら、問題なく今日で最後まで写しきることができそうだ。

 

「……ってすげえ調子悪そうだけど、大丈夫かよ」

「寝不足っぽいなー、ノート貸してやるから家帰って寝ていいか?」

 

 出来れば、誰もいない環境で静かにしていたかった。誰かを見ていると、不意にさっきみたいなことが起こるかもしれない。

 

「んー、でもなぁ、志藤がいないとアタシやる気しねえし、借りてもしょうがねーって言うか……あ、そうだ。じゃあアタシの家行こうぜ」

「は?」

 

 男が女の家に招待される。その意味は寝不足の頭でも十分わかっていた。

 

「変な意味じゃねえよ、お前は昼寝ができる。アタシは集中できる。ベストじゃねーか」

「いや、親御さんとか――」

「昼間は仕事で居ねーし、気を遣う間柄でもないだろ。志藤ん家より近いし何の問題もないだろ」

 

 そう言われると、俺は何も言えなくなってしまう。ここはもう彼女の提案に従うしかなさそうだ。

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