【完結保証】鬼目と名無しくん(仮)   作:奥州寛

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沢村宅

「ま、座れよ」

 

 促されるまま二人掛けのソファに腰掛けて、俺は身体を弛緩させる。さっきから冷汗が止まらないし、耳の後ろ辺りで酷い頭痛が続いていた。

 

「悪いな」

「いいって事よ、いつも助けてもらってるしこれくらいはな」

 

 言いながら沢村は隣に腰掛けて、俺のノートを開く。問題集を開く素振りも無いのを、俺は注意したかったが、そんな気力も残っていなかった。

 

 力を抜くと、すぐに瞼が降りてきた。意識ははっきりしているという自覚はあったが、身体を動かすのが億劫で、俺はしばらくそのままでいることにした。

 

 かりかりという、ノートにシャーペンを走らせる音が聞こえる。あとは窓の外でトラックが通り過ぎる音とか、エアコンの風とか、平日の昼間の日常はこんなにも穏やかだったのか、俺はそんなことを考えた。

 

 昨日のひりつくような死と隣り合わせの世界と地続きだとはとても思えない。あの経験は夢か何かだったんじゃないかという気すらしてくる。

 

 目覚めた直後には、焦燥感に満ちた感覚で、夢かどうか判別がつかなくても、朝食を終えた頃にはそんな感覚も無くなっている。そんな夢を見ていた気がする。

 

 あのとき見た不吉な幻覚は、もう見ることはない。だとすれば、アイも、レオ達も、後は上手くやってくれることだろう。俺がどうこう考える事じゃない。

 

――お願い。

 

 あの時の表情が脳裏に蘇る。だが、俺はそれを考えないようにした。彼女が死ぬことはない。そして、俺があんな修羅場へ身を投げる事もない。それ以上を望むのは傲慢と言っていいだろう。俺とは関係ない。そういう世界の出来事だ。

 

 これから先は、いつも通り沢村と面白おかしくつるんで、それなりの大学に入って、平穏な人生を送るんだ。昨日の一件が起こるより前は、そのことに若干の不満もあったけれど、今は全くそんな事は無かった。あの時の彼女の表情を思い出すたびに、罪悪感が押し寄せてくるが、それでもこの生活に戻ってこれて本当に良かったと思えた。

 

 

「悪いけど、そういう事だから」

 

 昨日の夜、雑居ビルの入り口で、武器の手入れが終わったらしいアイに、俺はそう言って別れを告げた。

 

「え、なんで……?」

「俺は普通の人間だから、あんな危ない事絶対できない」

 

 それは、俺にしてみれば当然の事だった。

 

 それまで虫を殺したくらいの経験しかない人間に、いきなり人を殺す、人に殺される関係性の世界で生きて行けというのは、無理も良いところだ。

 

「でも、ナナシは――」

「俺はそんな名前じゃない!」

 

 なおも食い下がろうとするアイに、俺は言葉を荒げた。

 

「いい加減にしてくれ! なんで俺がこんな事しなきゃいけないんだよ? 家族もいるし、友達もいる! 普通の人間なんだよ!」

 

 言葉を荒げて一気にまくし立てた後、彼女の顔を見て我に返った。表情の乏しい彼女だったが、その時だけははっきりと悲しみの感情が読み取れた。

 

「ごめん。優紀」

「っ……! とにかく、俺は帰る」

 

 レオが帰り用のタクシーを手配してくれていたので、終電が通った後でも俺は帰ってこれた。家に帰り、寝ずに待っていた母親に怒られつつ、俺は風呂を済ませて布団にもぐりこんだのだった。

 

 

「……ん」

 

 目を開けると、周囲が既に暗くなっていた。どうやら眠れないでいたせいで体力が尽きていたらしく、身体は完全に真横を向いている。

 

「おう、起きたか」

「沢村……?」

 

 首を動かすと沢村の顔が覆いかぶさってきた。夕陽に透けて金色の髪がキラキラと光り、薄暗い空気の中、人懐っこい笑みが視界一杯に広がる。

 

「悪い。寝てた」

「いいって事よ、俺とお前の仲だろ? ……って言いたいところだけど、ちょっと恥ずかしいから起きあがってくれ」

 

 言われて、徐々に意識が覚醒する。薄暗い中だったからよくわからなかったが、彼女の顔が少しだけ赤い。そして、後頭部に枕でもクッションでもない柔らかいものを感じる。

 

「っ……さんきゅ」

 

 慌てて起き上がる。涎とか垂らして無いよな。と思って頭の置かれていた場所を見ると、赤く鬱血した沢村の太腿があった。

 

「感謝しろよ? 女子高生の膝枕だからな?」

「あ、ああ……」

 

 しどろもどろになって、何とか返事だけをする。男友達のように距離感が近いとはいえ、異性の膝枕で爆睡していた事実に、顔に血が集まってくるのを感じる。

 

「くっくっく、寝心地はどうだった?」

「ああ、えっとその……良かったです」

「えぇっ……お、おう」

 

 おどけたリアクションを期待していたのか、沢村は驚いたように視線を逸らした。そのしぐさが沢村らしくなくて、俺はまた心臓が跳ねた。

 

「あらあら、おはよう優くん。よく眠れた?」

「っ!? お、おはようございます!」

 

 唐突に部屋の電気が点く。てっきり二人きりだと思っていたら、沢村のお母さんが既に帰ってきていた。

 

「あらあら、そんなに慌てなくてもいいのに……よかったら夕飯も食べていく? お母さんには連絡しておくから」

「いえ、かえりま――」

 

 言いかけた瞬間、盛大に腹の虫が鳴り響いた。そういえば、吐くばかりで全然食っていなかったな。

 

「……お願いします」

 

 眠ったことで、少し気持ちの整理がついたようで、落ち着いてくると次は空腹感が襲って来た。せっかくだし、お言葉に甘えようかな。

 

「はーい、分かりました」

 

 おばさんは柔らかく笑うと、台所の方へ消えていった。なんでも彼女と俺の母親は、俺が生まれる前からの付き合いという事で、かなり仲が良かった。俺が沢村と引き合わされたのも、その繋がりだったので必然的に子供世代も付き合いが長くなる。いわゆる幼馴染という奴だ。

 

「そういや、夏休みの課題は終わったのか?」

「おう、適度に間違えて写しといたぜ」

 

 そう言って沢村は彼女自身のノートを開く、写すのが面倒になったのか、途中でミミズがのたくったような文字が含まれていたが、まあこれなら教師連中も文句は言わないだろう。写すならもうちょっと綺麗に写すだろうって思われるだろうしな。

 

「どーよ、これで明日は遊んで終われるぜ」

「宿題写させてもらってドヤ顔すんなよ」

 

 明るくけらけらと笑う沢村に、俺は溜息をつきつつも、笑みがこぼれた。

 

「で、明日の予定だけどよー、海いかね?」

「盆過ぎたらクラゲがいっぱいだから、やめたほうが良いとか聞いたことあるぞ」

 

 もう明日は二人で遊ぶ前提で考えられているのがおかしかった。だが、それが確かに俺にとっての救いになっていることも確かだった。

 

「大丈夫だろ、まだクソ暑いじゃん」

「うーん、まあどうしても行きたいならいいけどさぁ。海用の水着買ってねえんだよな、明日しか着ないのに買うの勿体なくないか?」

「学校指定の奴でいいじゃん。アタシはそれで行くつもりだけど」

「女の子があんな魅力ない水着を着て海に行くなよ……」

 

 しばらく考えた後、スマホを弄っていると丁度いいイベントを見つけた。

 

「おっ、明日深河で花火大会あるじゃん。昼間はそこら辺で遊んで、夕方これ見て帰ろうぜ」

「ふーん、花火大会ねえ、悪くねえじゃん。じゃ、それで」

 

 沢村は納得したように頷いて、スマホの目覚ましを設定する。まあ見た目通りというか、こいつは朝弱いからな……

 

 十二時待ち合わせでも「寝坊で」遅刻するような奴だし。

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