夜凪景 in 推しの子   作:抹茶れもん

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主演オーディション

 

 かじかむような寒さの2月始め頃。

 俺と夜凪は監督に連れられてオーディション会場である芸能プロダクションを訪れていた。

 都心のど真ん中に聳え立つ巨大オフィスビルも今世ではすっかり見慣れた日常の風景だ。

 

 夜凪はせっかくの晴れ舞台だからと、いつの間にか仲良くなっていたルビーから借りた一張羅のワンピースでめかし込んでいた。

 こいつは大体いつも意味不明なダサT着てるからな。

 ちょうど良かった。

 

 馬子にも衣装と言うべきか、今の夜凪の服装はそれなりに見ていられるものになっていた。

 幾分か上品そうに見える。

 まぁ俺は稽古時のじゃじゃ馬っぷりを間近で見ているので一瞬鼻で笑いそうになったが。

 

「夜凪。原作には目を通してるか?」

「うん。アクア君から貸してもらったやつ。

 私、あんまり漫画とか読んだことなかったけどとても面白かったわ『今日あま』」

「……一応釘刺しておくが娯楽用に渡したわけじゃないからな?」

 

 今回のオーディションのために渡したんだ。

 せいぜい有効活用してくれよ。

 

 そりゃあオーディションを受けるにあたり、あえて原作を読まないという選択肢もある。

 先入観のある演技がかえって悪影響を及ぼすことも少なくない。

 

 だが、原作を読まなければ当然役作りもできないというデメリットがある。

 上手い演技をする役者というのは決まって事前に役を作って演技の方向性を定めている。

 

 夜凪の演技は核兵器並みの爆発力がある反面、まだ制御に難がある。

 加えてオーディションの内容が未知数ともなれば、役作りなしで挑んだ挙句暴走する可能性を野放しにはできなかった。

 

「会場ここ?」

「ここは控室。

 俺と監督は同伴できない。後のことは任せたぞ」

「うん。私に任せて」

 

 夜凪のコンディションは万全そうだ。

 適度に集中しつつリラックスできている。

 元より感情のコントロールの得意な奴だから別に心配はしていなかったが。

 

 役者は度胸だ。

 本番で実力をのびのびと発揮できる奴は強い。

 

「じゃ、全力出してけよ。夜凪」

「うん。あっ、でもちょっと待って。

 アクアく——」

「アクアぁ!!?」

 

 夜凪が俺に何かを言いかけた途端、突然遮るように幼さの残る少女のような大声が上がった。

 

「アクア、アクア!? あんた星野アクア!!?」

「いや、誰」

「はあ!? 覚えてないの!?

 私よ、私! 10秒で泣ける天才子役!

 昔あんたと映画で共演した有馬かな!!」

「あー、あの時の。久しぶりだな」

 

 良く手入れされた艶のある髪、あどけなさの抜けない童顔。

 トレードマークであったベレー帽が特徴的な美少女。

 すでに遠い記憶となっていた、いつかの幼女と面影が重なる。

 

 有馬かな。

 

 かつて天才子役として一世を風靡していた女優は順当に美しく成長していた。

 

「良かった。まだ役者やってたんだ……」

「いや、もう役者じゃない。

 俺は裏方志望でつい最近まで監督の助手みたいなことしてた」

「あ……そう、なんだ。

 って、カントク? それってあの髭面の?」

「誰が髭面だコラ。

 相変わらず歳上に対する敬意ってもんがなってねーな有馬かな」

「げっ、居たんだ……」

「さっきから居るわ。

 しっかし、お前見ない内にデカくなったなー」

「ぐっ!? いや、し、仕事はしてますよ、一応……!

 そりゃ子役時代に比べたら? アレですけども……!」

 

 確かに最近テレビでも見ないな。

 一時期はドラマにバラエティにと引っ張りだこだったが。

 まぁ子役時代に有名だった俳優にはありがちなことではあるが。

 

 しかしそれでも腐らずに今まで役者を続けてこれたなら、そのバイタリティは未だ健在なのだろう。

 多少、雰囲気も柔らかくなっているようで以前よりとっつきやすい。

 人付き合いも上手くなったのだろうか。

 

「でも、ちょっと安心した。まだこの業界に居たんだね」

「……」

 

 俺は呟くような有馬の言葉に返事は返さなかった。

 わかりやすく腐ってしまった身の上で、今でも必死に食らい付いている有馬に何かを言えるわけもない。

 

「ま、シケた話は置いておきましょ。

 それより聴いてよ!

 私、今回ついに主演級に抜擢されそうなのよ!

 十年ぶりの大チャンスだわ……! 絶対モノにしてやるんだから!!」

「ん? それって……もしかして『今日あま』?」

「えっ、なんで知ってんの!?

 あ、あんたまさか……私のストーカー!?」

自意識過剰か? 調子乗んな」

 

 しかし、なるほどな。

 つまり今日の夜凪の相手は有馬ということか。

 

「ふーん? ま、そういうことにしといてあげるけど?

 てか、知ってるならちょっと愚痴聴きなさいよ!

 今回のオーディション、元々は私でほぼキャスティング決まりかけてたんだけど、ギリギリになって新しい女優が滑り込んできたらしくって。

 なんか裏を感じるわよねー。

 ヤダヤダ、これだから真っ黒な芸能界はお先も真っ暗なのよ」

 

 有馬の言う通り、今回のオーディションは監督のゴリ押しという面が大きい。

 ほとんど直前の交渉だったらしいから、参加者は夜凪ともう一人だけという話だったが……よりにもよってその相手が昔の顔見知りだったとは。

 

 ……有馬にとっては割り込みをされたようなものだ。

 思うところがないわけではない。

 有馬には悪いことをしたと思っている。

 

「けどそんなのどうせコネの子よ。私が実力で黙らせてやるんだから!

 アハハ、どんな顔してんのか今から見ものよねー!」

「あー。盛り上がってるとこ悪いが、そのコネ通したの多分俺だ」

「………は?」

「で、そのお前の相手がこいつ」

「はじめまして。

 夜凪景。役者です。よろしく」

「………はあぁ〜〜〜?」

 

 さっきまで高笑いしていたのが嘘のように眉間に皺を寄せる有馬が、露骨に夜凪を睨み上げる。

 

 気持ちはわかるが止めてやれよ。

 いきなり敵意剥き出しになったせいで夜凪ちょっとビクッとしてるだろ。

 

「夜凪景とかいう女優、名前聞いたことないんですけど」

「私、まだCMの撮影しかしたことないから」

「へぇ、それでいきなりドラマの主演張ろうって? ハッ、笑わせないでよね」

 

 有馬は先程と打って変わって青筋を浮かべながら俺達を睨め付ける。

 

「あーあ。舞い上がって損した。

 いいわよ別に。やってやるわよ。

 私があんた達を完膚なきまでブッ潰して泣きべそかかせてやるんだから。覚悟しておくことね!!」

 

 そう吐き捨てて、有馬は控室の奥に消えていった。

 

「アクア君」

「なんだ」

「私、今からあの人の居る部屋で待たないといけないのよね?」

「……そうだな」

「気まずいわ」

「……がんばれ」

 

 ああ、畜生。

 余計な不安要素ができてしまった。

 

 オーディションはメンタル勝負なところがある。

 プライドの高い有馬が姑息な真似をしてくるとは思わないが、その存在自体が夜凪にプレッシャーを与えるなら無視できない要素だ。

 

「あー、夜凪。

 有馬のことだけど、あいつにも色々事情があるだろうから——」

「あ、そうだ。

 アクア君。私さっき言いそびれてしまったのだけどいいかしら」

「……何が?」

「一つ聞きたいことがあって」

 

 夜凪はそう言いながら、美しい濡羽色の黒髪をシュシュでサイドにまとめていた。

 

 そしてまるで無邪気な少女のように、トントンと数歩後ろに下がり、くるりとターンする。

 上品なワンピースが彼女の動きに合わせてふわりと弧を描き、夜空に浮かぶ一番星のような瞳が俺を射抜く。

 

 

「じゃーん! ね、どう? かわいい?

 えへへ、やっぱ大事な日はオシャレしなきゃだよねー!」

 

 

 …………はぁ。まったく。

 杞憂だったか。思わず乾いた笑いが出そうな程に完璧だ。

 

 元よりこの期に及んで俺にできることなんてない。

 せいぜい信頼して送り出してやることぐらいだ。

 

「悪くない仕上がりだよ。

 早く行った方がいい。もうすぐ始まる」

「うん! それじゃ、期待して待っててねー!」

 

 そうして夜凪は控室に入って行った。

 俺と監督もそれを見届けてからその場を去る。

 

 俺も別に思うところがないわけではない。

 有馬には申し訳ないことをしたと思っている。

 

 俺は有馬かなの天才性を知っている。

 実際にすぐ側で肌で感じた実感として、少なくとも有馬かなは天才子役の異名に恥じない実力があった。

 

 それでも悪いと思ってしまうのは。

 

 俺が夜凪の勝利をこれっぽっちも疑っていないからなのだろう。

 

 

★☆

 

 

 私の名前は有馬かな。

 小さい頃は天才と呼ばれ、皆からチヤホヤされていた。

 

 あの頃の私は客観的に見ても同年代の中で飛び抜けて売れていたと思う。

 まさに私にとっての黄金時代があの時期だった。

 

 ……でも。

 才能なのか、世間の気まぐれか、或いはもっと努力をするべきだったのか。

 それからしばらく経って、今まで順調だった私の芸能活動に翳りが見え始める。

 

 仕事が来なくなったのだ。

 

 需要とは絶えず流れていくもの。

 特に幼い頃の年齢による役柄の変化は大きい。

 今まで請け負ってきた仕事は徐々に目減りしていき、代わりに下の世代の子達に回されていく。

 そしてその子役が成長した時、またその下の子役へと仕事は回っていくのだ。

 

 仕事がない。

 需要がない。

 お前は必要とされていない。

 

 言外にそういう見えない圧迫感を感じて。

 実際にそう言われているのをネットで目にして。

 気付いたらいつしか私はオワコン子役と呼ばれるようになっていた。

 

 同世代の子役だった子達もいつの間にか皆ほとんど辞めてしまっていて。

 私もどうやら小学生あたりで終わってしまったと気付いたけれど。

 

 それでも諦め悪く地道にこの業界にしがみついて、ようやく掴めた待望の主演級。

 何が何でもモノにしたい。

 年齢的にも旬はどんどん過ぎていくのだ。私にはもう後がない。

 

 なのに。

 

 左隣のパイプ椅子に座る女を見る。

 羨ましいぐらいに長いサラサラな黒髪、陶器のように白い肌。

 自信に満ちた、夜空に浮かぶ星のように輝く眼光。

 ……いかにも鏑木さんの好きそうな整った顔の美少女だ。

 

 私なんて眼中にないみたいに、真っ直ぐ前だけを向いているその横顔にムカっ腹が立つ。

 顔が良いだけのコネゴリ押し無名役者と同列に扱われているようで。

 地道に頑張って磨いてきた演技の腕ではなく、顔面と知名度だけを参考にされていることを自覚しそうになって。

 イライラしてしょうがない。

 

 そもそも主演級のキャスティングのくせにオーディション受けさせられてる時点で既に相当ナメられている。

 

 ああ、クッソ腹が立つ……!

 

 今に見とけよポッと出のヒヨッ子め。

 けちょんけちょんにブッ潰してやる!

 この仕事は絶対絶対私のものだ!!

 

「さて。では早速オーディションを始めたいと思います。

 今回は人気少女漫画『今日は甘口で』の主人公『天海(あまみ)カレン』役を決めるオーディションです。

 まずは各自の自己紹介をお願いしたいのと、簡単な質問を。

 今回このオーディションをお受けになった理由は何ですか?」

 

 目の前に居る審査員は3人。

 プロデューサーの鏑木さんと、おそらく演出家と脚本家の人。

 

 先手は譲らない。

 私から行かせてもらう!

 

「はい! 有馬かなと申します。よろしくお願いします!

 今回のドラマで『天海カレン』役の話をいただき、この機を逃すわけにはいかないと思いました!

 私にできる全力で、この作品を良いものにしたいと思っています!!」

「そうですか。有馬さん、ありがとうございました」

「……」

 

 ……鏑木さんは私の方には目もくれていない。

 どうでもいいと言わんばかりだ。

 代わりにチラチラと隣の女に目を遣っている。

 

 まだだ。まだ焦るな。

 私の本領は演技力。

 私には作品のクオリティを最低限でも維持できる能力がある。

 この強みをアピールする機会はちゃんと用意されているはずだ。

 だからそのチャンスを逃さぬよう、集中して神経を研ぎ澄ませろ。

 

「では次、夜凪さん」

「はい! こんにちは!

 役者やってます、夜凪景15歳です!

 趣味は映画を観ることと、あとは可愛いTシャツを集めることです!」

 

 夜凪景と名乗った自称女優は、そう言って天真爛漫な笑顔を見せた。

 

 なるほどね。愛想が良い。

 身振り手振りが大きく、活発な印象を見る者に与える。

 そこはかとなくおバカっぽいキャラクターも親しみやすさを感じさせるし、何より姿勢や仕草、話し方に愛嬌が出ている。

 

 けどそれだけの女であるならこの業界にごまんと存在する。

 目を見張るべきは否応なしに人目を惹きつけるようなこのオーラ。

 

 まるで、かつての天才アイドル『アイ』を彷彿とさせる何かを感じさせる。

 アイとは一度仕事を共にしただけだけど、彼女は間違いなく売れるべくして売れた『本物』だった。

 

「このオーディションに参加したのは言っちゃえば事務所の意向なんですけど、私もその意向に納得していますし、今日は絶対役を貰うつもりです!

 よろしくお願いします!」

「なるほど。夜凪さん、ありがとうございました」

 

 けっ。しかも自信家ときたか。

 ますますイヤね。

 自信に満ちている俳優というのは、ただでさえ魅力的に見えてしまうものだから。

 

「それでは続いて実技審査に移りたいと思いますが——」

 

 きた!!

 

 ここだ。

 ここがこのオーディションにおける正念場!

 一発バシッと決めて、必ず主演の椅子を勝ち取ってやるんだから!!

 

「あー。その前に僕からちょっと言っておきたいことがあるんだけど、いいかな?」

 

 私がそう気合いを入れた瞬間、冷や水を浴びせるかのように今まで沈黙を保ってきた鏑木さんが声を上げた。

 

「今回、実技はまぁテキトーに今上がってる脚本の台本読みしてもらう予定なんだけどさ。

 勘違いされたままじゃ困るから言っておくよ」

 

 鏑木さんは、その言葉を夜凪景の方を見て言っていた。

 その目はまるで美術品の値打ちを見計らう鑑定士のような眼光を湛えていた。

 

「僕は役者でも監督でもない一介のプロデューサーだからね。

 演技の良し悪しは専門家ほどはわからないし、及第点さえあれば良い。スタンドプレーは求めていない。

 あくまで僕らが審査するのは君達二人のうち一人を主演に起用して『()()()()使()()()()()()()()()()()』ということだけ。

 結局のところ一番大事なのはそこなんだ。金にならない役者はいらない」

 

 ……私は鏑木さんともそこそこ長い付き合いになる。

 だから彼が重要視する項目もなんとなく察している。

 顔面至上主義にして金の亡者。

 それが鏑木勝也という男の基本軸。

 

 彼が主導の審査であるなら、このオーディションに有利なのはなおさら私だ。

 

 何せ夜凪景という役者の名前は聞いたことすらない。

 おそらく無名のモデルやアイドル崩れ。

 『知名度』という点において私は圧倒的なアドバンテージを有しているのだ。

 

 顔の良さでも負けてはいないと思うし、まして演技において遅れを取るつもりはさらさら無い。

 私は腐っても十年以上この業界で生きてきた実績と経験値があるし、座長としての責任も十分果たせる自信がある。

 それに昔取った杵柄とはいえ、相応に世間に浸透したネームバリューもあるのだから負ける要素は微塵もない。

 

 落ち着いて、いつものように演技をするだけ。

 それだけで私は私の『商品価値』を余さずアピールできるはずだ。

 

「それではまずは有馬さん、次に夜凪さんの順番でどうぞ」

「「はい!」」

 

 ちゃんと事前に原作を読んで、主人公役の役作りは済ませてきた。

 

 『天海カレン』。

 親に毒殺されかけたトラウマから、心を閉ざしてしまった拒食症の少女の役。

 渡された台本は原作冒頭、彼女がカーテンの閉ざされた暗い部屋の隅で蹲っているシーン。

 

『人間は嫌い。だって自分のことしか考えていないから』

 

 孤独。

 恐怖。

 心的外傷。

 人間不信。

 自己嫌悪。

 

 信じていたはずのものに裏切られ、何かを信じるということに恐れを抱いてしまった少女。

 その感情を構成する要素をかき集め、作り上げた役と自分の境界線を擦り合わせる。

 

 この役は暗さがウリの役だ。

 明るく天真爛漫?

 結構なことだ。それでどうやってこの役の魅力を引き出せるというのか。

 無名の新人ごときにそんなことはできやしな……

 

 

『人間は……嫌い。

 だって、皆自分のことしか考えていないから』

 

 

 ——その瞬間、全身が総毛立つ感覚を覚えた。

 

 先程までキラキラとした星のようなオーラを纏っていた少女から、一転して底冷えするほどの温度差が感じ取れたから。

 それまでの明るいキャラクターからの落差が、より役の特徴である暗さを引き出している。

 

 無邪気だった少女の絶望、他人に対する失望が観る者の脳を鷲掴みにして揺さ振るようだ。

 涙流すことさえ疲れ切った濁った瞳に、嫌悪感に引き攣らせた表情。

 

 それは、本当に『天海カレン』という少女がそこに現れたようで。

 

 私はその常軌を逸した芝居に感心するより先に、得体の知れない悪寒に身を震わせた。

 

「お、おお……これはすごい!

 鏑木さんから急遽オーディションを行うと聞かされた時は珍しいこともあるもんだと思いましたが、まさかこれほどの逸材とは!」

「僕のイメージしていたものより遥かに臨場感があります……!

 こんな迫真の演技、若手トップの女優ですら……」

「へぇ……」

 

 絶賛する審査員達の言葉で我に返った。

 

 そうだ。これはオーディション。

 このままじゃ不味い。今ので私の演技が完全に喰われてしまった。

 

 でもまだ終わりじゃない。

 決定権を持っているだろう鏑木さんはまだ何も言っていないし、私にもアピールできることが何か——

 

「……夜凪君。君の出演していたCMの映像、見させてもらったよ。あれも実に良い商品だった。

 僕は本業ほど目が肥えているわけではないけれど、それでもこの業界で飯を食ってきて数十年。腐るほど人を見てきたよ」

 

 そんな私の藁にもすがるような期待は、鏑木さんの目を見た瞬間ガラガラと崩れ去った。

 

 私だってこれでも女優の端くれだ。

 目の前の人間が誰に夢中になっているかだなんて、一目見れば十分だ。

 

「CMの時の君と、今の君。

 迫真の芝居をするという点では変わらないけど、僕にはまるで別人が演じているように見える」

「……」

「君、オーディションが始まる前からずっと演技しているだろう。

 そういう挑戦的なことする子、プロデューサーとしては扱い難くて敵わないけど……個人的には嫌いじゃないよ」

 

 その鏑木さんの言葉にくすりと笑みを溢したかと思えば、夜凪はするりと髪を結えていたシュシュを外した。

 

 

「オーディションは相性を見るためのお見合い。

 必勝法はないって聞いたんです。

 だったら、できるだけ色んな子を演じた方が有利だと思って」

 

 

 ばさっと長い黒髪を下ろした夜凪は、鏑木さんの言った通りまるで別人のような雰囲気を醸し出していた。

 先程までの快活さは鳴りをひそめ、今は静謐な月夜を思わせるオーラを放っている。

 

 

「まずは新しく友達になったルビーちゃんから始めました。

 ルビーちゃんは話す時に相手の目を真っ直ぐに見て話します。

 それからよく勝手に手が動いているし、笑う時は目も口もいっぱいに開いていて、あと誤魔化す時なんかは右斜め下の方に目を逸らしたりします」

 

 

 私は畏怖のような感情を抱きながら、淡々と解説をする夜凪を見ていた。

 

 

「形を真似ればだんだん心が見えてくる。

 そうすると不思議なんです。

 いつの間にか自分の中にあるはずのなかった、その人の記憶が浮かんでくる」

 

 

 心から楽しそうに笑っている。

 天使のように美しいその横顔が、私にはまるで牙を剥き出しにした餓狼のようにも見えた。

 

 

「人って相手によって態度や性格が変わるから、たった一人を真似るだけで何人もの人間を演じられる。

 色んな人の真似をしたけれど、特にルビーちゃんはたくさん顔を持っていたから私も色々演れてすごく楽しかった」

 

 

 しかしいつしか私の胸中には畏怖の感情に代わり、憎悪にも似た激情が渦巻くようになっていた。

 

 私はもう何年も自分が楽しいと思えるような演技をしていないというのに。

 コイツは演じることが至上の喜びであるかのように生き生きとしている。

 

 それが憎くて、羨ましくて、悔しくて。

 

「ははっ、こりゃすごい当たりを引いたね五反田監督は。

 ちなみに参考までに聞かせてくれないかな。

 夜凪君。君、一体中に何人入れてきた……?」

「6人かな。でもそれぞれ色んな顔を持っているから20人くらい?」

 

 妬ましくて仕方がない。

 

 

「20人全部合わないなら50人に増やすし、それでもダメなら100人に増やす。

 私、何だって演じられるから。だから私に役をください」

 

 

 思うさま羽を伸ばして自由に演技をするこの女に。

 そんな演じ方を捨てるしかなかった自分の不甲斐なさに。

 

 たまらなく、腹が立つ。

 

 

★☆

 

 

「『()()()()()()()()()()()()()()』だよ」

「ああ……『()()()()()』か。

 それなりに良い目の付け所じゃねーか、早熟」

「別に。こんなの基礎中の基礎だ。

 夜凪の『役作り』に少しその考え方を応用しただけ」

 

 夜凪と有馬がオーディションをやっている間、俺と監督はロビーにある自販機前のベンチに腰掛けて缶コーヒーを啜っていた。

 オーディションが終わるまでは暇なので、適当に雑談をしているところだ。

 

 その雑談の中で話題に上がったのはこの2週間、夜凪が取り組んだ役作りの方法について。

 まぁおそらく、監督なら目星が付いていただろうけど。

 

 『スタニスラフスキー・システム』。

 ロシアの偉大なる俳優にして演出家、コンスタンティン・スタニスラフスキーが提唱した、誰もが主演級の感情豊かな名演技をするための演技法。

 

 そしてこのスタニスラフスキー・システムの核となる考え方に『身体的行動』というものがある。

 これは簡単に言えば、行動にはそれに相当する感情が常に付随しているはずだという考え方のことだ。

 

 例えば缶コーヒーを飲む芝居をするのだったら、普段通りの缶コーヒーを飲む動作をすることで、普段缶コーヒーを飲んでいる時のリアルな感情を舞台上で発揮するとか。

 

 とにかく、『こういう行動を取れば、こういう感情が浮かび上がってくるはずだ』ということだ。

 

「夜凪は自分の過去にない(自分)は演じられないと言っていた。

 父親が好きな自分になんてなれない、そんな自分は存在しないってな。

 だから俺はこう提案したんだ。

 父親が好きな自分がいないのなら、父親を好きだと思っている役を自分の中に取り込んでみろ、って」

 

 人は皆、常に自分という役を演技している。

 そして俺達はそれを見て、他人という像を自分の中に構築している。

 

(他人)は喰える。

 そして(他人)は必ず自分の中に存在している」

 

 なら、次はどうやって(他人)を喰らうかの方法だ。

 その理論にスタニスラフスキーの身体的行動という考え方が応用できる。

 

「身体的行動は人間の行動には感情が密接にリンクしているという性質を利用したものだ。

 だから、とりあえず夜凪には身の回りの人間の物真似をさせまくった」

「自分の行動を再現すれば自然と感情を追体験できる。

 その性質を応用して、他人の行動を模倣すれば他人の感情も追体験できる、か。

 そうして得られた感情を組み合わせて、役の軸となる過去を自分の中に作り上げる、と」

「そういうことだ」

 

 あらゆる行動をトレースし、あらゆる感情をインプットする。

 そうして他人の価値観を喰らうことで、名実共に他人そのものを自分の中に息づかせる。

 

 これによって夜凪はあらゆる人間に化けることが可能となった。

 理論上、もうあいつに演じられない役はない。

 

「とはいえ、あのレベルの仕上がりは流石に予想外だったけどな。

 普通はあんな風に他人を丸ごとコピーするみたいな真似はできっこない。

 夜凪自身の才能の賜物だ。」

 

 いくら行動に感情が伴うものだと言っても、それほど確実なものではない。

 人間は大抵一つの行動に対して多くの感情を付随させているものだ。

 時には行動とは全く結びつかない感情を抱いていることもある。

 

 例えば料理中に音楽番組を流しているテレビから推しの声が聞こえた時とかだ。

 手だけは料理をしていても、感情はテレビの方に向いてしまっている。

 

 そんな複雑怪奇な人間の心を、さも当然であるかのように吸収してしまえるのが異次元なのだ。

 しかし異能とも呼べるレベルの鋭い感受性と観察能力がそれを可能としている。

 夜凪以外であったならこうも上手くは行っていないと断言できる。

 

 だからこそ、これは夜凪の才能をアテにした、夜凪にしかできない『裏技』だ。

 

「あらゆる役に適応できるなら、これほど使いやすい役者もいない。

 もしオーディションに落ちたとしても必ず次の仕事に繋がるだろ?」

 

 そこまで話したところで、見覚えのある人影が廊下の奥から出てきた。

 有馬かなだ。

 

「…………」

「…………」

 

 どうだった、と聞くのは野暮だろう。

 正直気まずい。

 俺はそっと有馬から目を逸らした。

 

「……あいつ、あんたの弟子?」

 

 口火を切ったのは有馬だった。

 

「いや。そんな大したものじゃない。

 そもそも俺が夜凪に教えられるものなんてほとんどないからな」

「……そ。あんたもあいつに折られたクチ?」

「別に。俺は端から役者を目指しているわけでもないし」

 

 やはり有馬は落ち込んでいるようだった。

 正直関係を悪化させたくはなかったんだがな。

 有馬が子役時代から順当に成長しているなら有馬から学べる部分も多くあるだろうし。

 夜凪は相変わらず演出家泣かせの芝居頼りだ。

 細かい技術の見本として有馬は最適だと俺は見ている。

 

 ……役者同士のコミュニティは大事なものだ。

 思わぬスジから仕事の話が来ることも多い。

 ここは今後の関係性を強化するためにも有馬に挫折されては困るのだが——

 

 

「だぁーーーっ!!! ムカつくムカつくムカつく!!!

 ったく何なのよあの女ァ! バケモンか何か!!?

 そんなに憑依が得意だってんならイタコにでも転職しなさいよ!!」

 

 

 なんか勝手に爆発した。

 有馬は被っていたベレー帽をスパーンと勢いよく叩きつけて豪快に地団駄を踏んでいる。

 仮にも女優の姿か、これが……。

 

「つーかこちとら十年ぶりの主演だって言ってんのに、なーんでまた私だけ割食わないといけないわけ!?

 こんなのもう腹立ちすぎて激おこカムチャッカインフェルノよ!!」

「それもう死語だぞ」

 

 こいつ相変わらず口悪いな。

 昔と変わって大人しくなったかと思えばこれだ。

 ……けどまぁ、口に出して発散できている分にはまだマシなのか。

 

「いい!? 後であの夜凪ってやつに伝えときなさい!

 次会う時は絶ッッッ対に負けないから!! 今度こそギャフンと言わせてやる!!

 あんな楽しそうに演技してる姿見たら辞められるものも辞めれやしないわ……!」

 

 有馬はそう言い残してズカズカと肩を怒らせながら去っていった。

 ……肝が太いな。

 ああいう奴がなんだかんだこの業界に最後まで喰らい付いていけるのだろう。

 

「アクア君!」

「! 夜凪か。遅かったな」

「うん。プロデューサーさん?に呼び止められていて」

 

 夜凪は有馬と入れ替わるようにして戻ってきた。

 ホクホクとした満足そうな笑みを浮かべている。

 その顔を見れば結果は大体察せようものだ。

 

「どうだった?」

「楽しかったわ!

 役作りの時も十分楽しかったけれど、やっぱり人前で思いっきりお芝居するのが一番気持ちいいわね!」

「そうか」

 

 手応えがあったなら良い。

 適度な成功体験はプラス要素だ。

 

「けど調子には乗るなよ。

 オーディションはあくまで役の選出段階に過ぎない。本番はこれからだ」

「わかってる」

「それに受かっているかもまだわからないからな。

 自分では手応えがあっても他人から見れば微妙なんてザラにあることだ」

「受かってるわよ。いっぱい演技見てもらったもの」

 

 夜凪はそう言って、むっと頬を膨らませた。

 拗ねさせてしまったか……面倒くさい。

 

「ま、とりあえず帰るか」

「そうね。今日の稽古もあるし」

「の、前にどっか昼飯でも寄ってくか。

 お前ら奢ってやるから好きなモン言え」

「奢り!!?」

「今日イチの大声出たな」

 

 こうして小さな波乱はありつつも、オーディションは無事つつがなく終わりを迎えることができたのだった。

 

 

★☆

 

 

「鏑木さん。キャスト陣はこちらで最終決定してよろしいですか?」

「ああ。オッケーだよ」

 

 主演役のオーディションから数日後、ネットドラマ『今日は甘口で』のキャスティングが正式に決定した。

 

「でも思い切りましたね。主演に演技未経験者とは」

「まぁ今回は新人に成長の機会を与えるための企画だし、このぐらい挑戦的でもなんとかなるでしょ」

 

 元々は大して力の入った企画ではなかった。

 ゆえに金も時間も最低限しか用意されていない。

 普通にやればそれなり以下の評判で終わるものになるだろう。

 

「でも、脇役とはいえ有馬さんの起用には驚きましたね。

 鏑木さん、あの子にはあまり期待していなかったでしょう。

 今回も落としたらそれきりだと思っていましたが」

「んー、そうだね。強いて言うなら、決め手はやっぱりあの()かな」

「目?」

 

 有馬かなという女優にはそれほど可能性を感じていなかった。

 子役時代ならいざ知らず、今の有馬かなにはこれから売れるだろうと思わせるスター性が感じられなかったからだ。

 今まで使っていたのはフリーゆえにギャラが少なくて済む割に客引きのための最低限のネームバリューがあったからだった。

 

 しかし、あのオーディションでの有馬かなは。

 

「ふふふ……今度のドラマ、思っていたより面白くなり(儲かり)そうだね」

 

 主演・ヒロイン役、夜凪景。

 ヒーロー役、鳴嶋メルト。

 友人役、有馬かな。

 ストーカー役、星野アクア。

 

 こうして、後に名を上げることとなる4人の若手俳優達が集った漫画原作ドラマ『今日は甘口で』の撮影が始まった。

 

 

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