ベヒモスとの死闘から生還したクラスメイト達は主に三つの道に別れた。
一つは、ハジメの死がトラウマとなり戦いを拒否する者達だ。彼らはあの日、戦いが死と隣り合わせであることを知ってしまい、冒険者になることすら拒否していた。
当然、教会からはよく思われていない。教会としては、彼らの殆どが自らの力を理解し、戦いに残ってくれるだろうと期待していたからだ。確かに、彼らは自らの能力の強さを理解していたが、平和な世界からやって来た彼らの頭からは、死ぬ可能性というものが完全に抜け落ちていた。
まあ、ハジメによって志願制が決まっていた以上、教会としては彼らが生産に従事することに文句は言えないのだが。教会の人間の中には、彼らに対して戦いに参加するように促してくる者もいたが、愛子先生がそれに抗議した。
愛子先生の天職は“作農師”というものだ。トータスにおける食料事情を一変させる可能性を秘めており、戦争においてもキーマンというべき存在である。その彼女は農地開拓に派遣され、大迷宮での訓練には参加していなかった。
ハジメの死を知り、彼女は寝込んでしまった。自分が安全圏にいる間に生徒達が危ない目に遭い、一人が帰らぬ人となったことを知り、責任感の強い彼女はショックを受けたのだ。
もう、誰も死なせなくない。そんな思いを胸に抱く彼女としては、戦えない生徒達をこれ以上戦場に送り出したくなかった。彼女は自らの持つ能力や発言権を盾にして抗議し、関係の悪化を避けるために抗議を受け入れた教会は、戦争への参加を促した教会関係者を処罰した。
二つ目は、農地開拓や改良を行う愛子に護衛隊として同行し、各地を巡る者達だ。一つ目の集団の中から分岐した集団であり、戦争への参加や冒険者となることを拒否したが、先生を守るためならば戦うことを厭わない者達だ。彼らについては、現時点で語ることはない。
三つ目は、戦争に参加する者達だ。彼らは打倒ベヒモスを掲げ、再びオルクス大迷宮に挑むことになっていた。
所属しているのは、光輝が率いる勇者パーティと、永山重吾という大柄な柔道部の男子が率いる男女五人で構成された永山パーティ、檜山不在の旧小悪党組である。近藤達はパーティとしての体をなしておらず、各パーティの補助に入ることになっている。
リーダーは当然、勇者である光輝だ。彼は戦争参加組の中で最も強く打倒ベヒモスを掲げていた。彼は、自分達がベヒモスを撃破することで、戦意を喪失したクラスメイト達が再び立ち上がることを期待していた。
彼らは今日も、これまで以上に訓練に励んでいる。全ては、自分達を危機に陥れ、仲間が死ぬ原因となったベヒモスを倒すために……
香織が目を覚ましてから、数日が経過した。彼女は毎日欠かさず訓練しており、今日も訓練をしていた。彼女が立っている場所から五十メートルの地点に直径約一メートルの的が複数設置され、彼女と親しい女子達が見守る中、彼女は聖弓を構える。
聖女専用アーティファクト“聖弓”は、光の矢を放つ弓型の武装である。持ち手を除く部分が金色で縁取られており、まるで芸術品のようだ。
一方、香織の服装は白を基調とする女神官のようなものになっており、彼女が美少女であることもあって神秘的な雰囲気を醸し出している。
身に付けているのは白い衣装だけではない。弓を持たない右腕にはアーティファクトの籠手を装備している。この籠手には回復魔法や光属性魔法の魔法陣が刻まれており、あの日も装備していた。また、ファンタジーの弓使いが持っていそうな胸当てを装備している。
香織はいつも通りに弓の横に右手を添え、後ろに引く。すると、出現した光の矢が三本に増えた。手を離すと三本の矢は飛んでいき、それぞれが別の的に命中する。全ての矢が的の中央に命中していた。
この聖弓が放つ光の矢は、使い手の意思に応じて形を変化させたり、同時発射数を増やすなど、バリエーションが豊かになっている。その変化にも限度があるが、使い手の練度次第で変わってくる。
先ほど放った三本の矢はその機能によるものだ。香織は医者の指示で安静にしている間もイメージトレーニングを重ねており、いくつかの変化を編み出している。それによって彼女の戦闘能力は高まったといえる。
香織はハジメへの想いを胸に魔法や聖弓の訓練に力を入れ、時には残されていたハジメの制服の匂いを嗅いで元気を出しつつ、訓練に励んでいた。
「カオリン……とても神秘的……もはや天使だよね」
うっとりとした表情で香織を見守っていたのは、クラスのマスコット的な存在である谷口鈴だ。
「鈴の言う通りだよ。白い翼と光る輪っかがあったら、天使になりそう……」
「エリリンもそう思うよね! この世界じゃ大きな声で言えないけど、今すぐにでも信仰したい気分だよ」
人間族の世界はエヒトを中心に回っている。そんな世界で別の存在を信仰すれば、異教徒扱いされて排斥されるのだから。まあ、エヒトから遣わされた存在にすれば信仰は可能だろうが。
「恵里ちゃん、鈴ちゃん、お疲れさま」
二人の所に香織がやってきて、労いの言葉をかける。二人も同様に、労いの言葉を香織にかけた。もう訓練は終わりの時間であり、疲労が溜まっていた。
「香織ちゃん、お疲れさま」
「お疲れさま。カオリン、前よりも訓練に力を入れていて凄いよね!」
「鈴ちゃん、ありがとう。ハジメ君のことを想うとね、いつも以上に頑張れるの」
「愛の力ってやつだね」
女子三人の会話が続く。話す内容は歳相応のものであり、戦闘に備えるための訓練という非日常に身を置いていたとしても、彼女達が若い学生であることには変わりない。そんな中、空気を読めない乱入者が現れた。
「香織! 香織はいるか?!」
「光輝君? どうしたの?」
その乱入者の正体は、勇者の天之河光輝であった。彼は香織に近付くと、開口一番こう言った。
「香織、君の優しいところは好きだ。だが、いつまでも南雲に囚われてちゃいけない! 南雲のことは忘れるんだ!」
「「「は?」」」
香織達は困惑した。おまえは何を言っているんだ?と。彼がどうしてこんなことを言ったのか。それは、香織が訓練をしている間に遡る。
(何故だ!! どうして香織は俺のことを見てくれない!? 南雲はもういない! だから、香織は南雲に囚われる必要は無いんだ!)
ハジメへの想いを胸に訓練に励む香織を見て、光輝は激情に駆られていた。
今まで、香織の近くにいたのは幼馴染の光輝だった。しかし、ハジメが現れてから香織は完全にハジメのことしか見なくなった。それを、光輝は香織をハジメに奪われたのだと認識していた。
光輝はハジメが消えたことで香織が再び自分のことを見てくれるのではないかと期待していた。だが、見ての通り香織はハジメのことしか考えていない。
(香織は南雲の呪縛に囚われている! 香織、絶対に君を解放する!)
相手の事情を一切考慮しない、光輝の自分勝手な正義感。香織が絡んでいることもあって冷静な判断を欠いた彼は暴走特急の如く突き進み、今に至るわけだ。
「香織は南雲の呪縛に囚われている! 南雲の物をいくつか持っているみたいだが、全て捨てるんだ! そうすれば、君は苦しみから解放される!」
そこに、カリスマのある光輝はいない。いたのは、一人の女に執着する小物と化した光輝のみだ。
「光輝君、どうしてそんなことを言うの?」
ハジメに関する物など、ハジメを想っている香織に捨てられるはずがない。
「酷いかもしれないが、これは君を救うためなんだ。大丈夫、俺が傍にいる。俺は死んだりしないし、もう二度と誰も死なせはしない」
そのイケメンフェイスで口説くようなセリフを言い連ねる光輝。しかし、香織には響かない。
「私は、光輝君のことが信用できない」
「俺を信じて欲しい。俺は南雲のようなヘマはしないし、ベヒモスだってきっと倒してみせる!」
その時、香織の中で何かが切れた。
「ハジメ君はヘマなんてしてないよ! そもそも、あの時に光輝君が意地を張ってベヒモスに挑まなければ、こんなことにはならなかったのに!」
クラスの女神と呼ばれる香織は、滅多に怒らない。また、大迷宮における光輝の失態について批判もしていなかった。しかし、彼の失言が怒りの導火線に火を付けた。
次の瞬間、パンッ!という乾いた音が訓練場に響く。それは、怒りのあまり香織が光輝をビンタした音だ。
「香織…!?」
光輝はヒリヒリする頬を手で押さえ、目を見開いて香織を見る。
「ごめん、光輝君。どうしても我慢できなくて……私のことを心配して言ってくれたのは分かったけど、私にも譲れないものがあるの……大丈夫、私は勇者パーティーを抜けるようなことはしないから……」
元々の優しい性格もあり、やり過ぎたと思ったのか謝罪する香織。そんな香織は女神の如き微笑を浮かべているが、その目はハイライトが消えており、目だけ笑っていない。それどころか、その背後に般若の幻影が浮かんでいた。
「あ…あぁ…その、すまなかった…!」
光輝は初めて香織に恐怖を覚え、思わず少し後ずさりする。何とか謝罪の言葉を捻りだした後、逃げるようにして訓練場から去った。
「エリリン、今の見た?」
「う、うん……香織ちゃんの背後に般若みたいなス○ンドが見えたような気が……」
香織を決して怒らせてはいけない。それが、二人の間での共通認識となった。
清水幸利は決意した。ここから離脱して冒険者となることを。
その一番の理由は、ハジメが消えたことにあるだろう。あの時助けてくれたハジメがいなければ、檜山不在とはいえ小悪党組によって訓練と称した暴行を再び受けてしまう可能性がある。そのため、王宮に残る理由は無いし、トラウムソルジャーに殺されかけた経験から大迷宮の攻略に赴く気も更々無かった。
近々、志願した生徒達が護衛隊として各地を巡る愛子先生に同行するらしいが、誰も自分のことを知らない世界に行きたいと考えていたため、清水は冒険者の道を選んだというわけだ。
清水の天職は闇術師であり、闇属性魔法を一番得意としている。闇属性魔法には相手の精神や意識に作用したり、闇のエネルギーで相手の体を拘束するような魔法が多く、基本的には敵にデバフを与える魔法とされている。攻撃魔法も存在するが、その方面の研究をする者がほぼいないらしく、数は少ない。ただし、清水には闇属性以外にも風属性と雷属性への高い適性があるため、攻撃手段に乏しい訳ではない。
彼はオタクだ。様々な漫画やアニメに出てくる魔法や技の知識が豊富であり、特に闇属性を愛していた。清水はこの世界の闇属性魔法に失望していることもあり、冒険者として活動しながらも攻撃魔法の開発に力を入れるつもりだった。
そして、清水はクラスメイトの大半が起きていないであろう早朝に王宮から抜け出そうとしていたのだが、ここでとあるクラスメイトと遭遇してしまう。それは…
「ええっと、清水君よね? こんな時間にどうしたのかしら?」
「八重樫さん……」
清水が遭遇したのは、早起きして鍛錬している八重樫雫だった。彼は完全に失念していた。彼女が早朝に鍛錬しているということを。
(まさか、八重樫さんに遭遇するとは…それにしても、八重樫さんは綺麗だな。黒髪ポニーテールの美少女……最高だ)
実を言うと、清水にとって八重樫雫はドストライクな女性だった。美人なのは勿論のことだが、彼の好みは黒髪ロングであり、その長い髪を縛ってポニーテールにしていると更に好みになるという。
清水はそんな彼女に対して、自分が王宮から抜け出して冒険者になろうとしていることを包み隠さず話した。
遭遇したのが別の人だったのなら、ここまで話すことは無かっただろう。しかし、雫は意中の人である。清水は、少しでも彼女の記憶の片隅に残りたいと考えていた。もしかすると、二度と彼女と遭遇できない可能性だってあるのだから。
「なるほどね。別に、清水君を引き留める気はないわ。せっかく異世界に来たんだもの、冒険者になるのもいいと思うわ」
雫は清水がしようと思っていることを否定しなかった。その事実に、清水は内心驚いていた。そして、もう少し彼女と話をしてみたいと考えた。
「八重樫さんは、こんなところを抜け出したいと思ったことは無いのか?」
「私だって、逃げられるなら逃げたいと思うわよ。でも、光輝が何をしでかすか分からないし、幼馴染として傍にいてあげないとダメな気がするから……」
雫には光輝を見捨てる選択肢など存在しなかった。たとえ、かつて光輝のせいでイジメに遭い、己の親友である香織に対して彼が酷いことを言ったとしても。
「よく見捨てないな……」
「光輝のせいで酷い目に遭ったこともあるわ。空気は読めないし、他人の事情は考慮しないし、思い込みで突っ走るし、挙げたらキリがないけど、光輝は悪人というわけじゃないの」
「悪いことの方が多くないか?」
清水はツッコミを入れる。
「実際そうだもの。けど、光輝は正義感で動く存在だし、決して嘘をつくような真似はしないわ。でも、このままだと光輝はいつか現実を見て狼狽えることになる。その時、誰かが傍にいてあげないと……」
「そうか……八重樫さんは苦労人だな」
清水は雫に同情する。光輝が彼女の幼馴染でなかったら、雫はここまで光輝のことを考えていないだろう。光輝の幼馴染……その肩書きが雫を拘束していると言っていい。
「清水君は人と話さないイメージがあったけれど、意外と話せるのね。光輝よりも話しやすい気がするわ」
「軽くディスられてる気がするけど、ここを出ていく前に話したのが八重樫さんで良かった。それじゃあ……」
清水は王宮の外を目指して歩き始める。そこに、背後から雫が声を掛ける。
「清水君、また何処かで会えるといいわね。その時はまた、お話ししましょうね」
「あぁ。八重樫さん、お元気で……」
その日、清水は王宮から去った。