「おい、何だあれは!?」
海上の町エリセン。王国に流通する海産物の多くが水揚げされ、亜人にも拘わらず王国から保護されている海人族が漁業に従事するこの町で、騒ぎが起きていた。
「あれは、船なのか?」
エリセンに駐留している王国兵士の一人が呟く。彼らが目撃したのは、エリセンのすぐ側に横付けしている金属製と思わしき灰色の船らしき物体だ。上面は平坦だが、後方から構造物が上に突き出ており、この世界における船とは全く異なるので、船とは断定できない。
問題なのは、その船のような物体が急に水中から浮上してきたことだ。船は水上を行くのが普通であり、わざわざ水面下に沈むなど想像の範囲外である。
エリセンの一角にはすでに多くの王国兵士や海人族の自警団が詰めかけていて、船らしき物体を警戒している。海人族の子供が拐われたこともあり、特に自警団は殺気立っている。兵士が止めなければ、それに襲いかかっていただろう。
やがて、物体の横側が開いて通路がエリセンへと渡される。武器を構えて警戒する一同の目の前に現れたのは黒髪の男女であり、その片割れには見覚えがあった。
「せ、聖女様ではありませんか?! お前達、すぐに武器を降ろせ! 無礼だぞ!」
「すいません、驚かせてしまったようで……」
聖女……もとい香織は王国兵士の隊長と思わしき人物に謝罪する。最も名前と顔が知られているのは彼女であるため、誘拐の件で殺気立っているであろうエリセンとの交渉役を買って出たのだ。
「しかし、神の使徒……それも聖女様がこんな辺境の地までいらっしゃるとは……一体、どのようなご用件で?」
「実を言うと、こちらの冒険者の彼が誘拐された海人族の女の子を保護してまして、こちらまで送り届ける依頼に同行させてもらったんです」
「なんと、見つかったのですか?その子の両親もさぞ喜ぶでしょうな」
表情が堅苦しかったはずの隊長の表情が僅かに綻び、喜んでいるのが読み取れる。拐われたのが亜人の海人族であろうが、彼には差別意識はないらしい。
「聖女様、それは本当かい?」
「ミュウちゃんが、その船に乗ってるんだな?!」
「その姿を見せてくれ!」
そして、隊長を押し退けるようにして海人族の自警団が香織に詰めよってくる。隊長が剣を抜いて制止しようとするが、その前にハジメが割って入る。
「落ち着け。ミュウならそこにいる。ミュウ、早くこちらへ!」
「お師匠!分かったの!」
すると、船の内部から小さな人影が飛び出てくる。素早くハジメの側へと来ると、その長身をよじ登って特等席へとINした。
「エリセンよ、ミュウは帰ってきたの!」
特等席の上で、ミュウが意気揚々と宣言する。自警団だけでなく野次馬の海人族達がどよめき、盛大に騒ぎ始めた。
周囲が騒がしくなる中、ハジメは隊長に依頼書とステータスプレートを提示する。
「……なになに……〝金〟ランクだとっ!? しかも、フューレン支部長の指名依頼!?」
イルワの依頼書の他、事の経緯が書かれた手紙も提出した。これはエリセンの町長と目の前の駐在兵士のトップに宛てられたものだ。彼はそれを食い入るように読み進めた後、ハジメに敬礼した。
「……依頼の完了を承認する。ナグモ殿」
「できれば、この子をすぐにでも家族と合わせてやりたいんだが、構わないか?」
「構わないが、あの船らしきものは王国兵士として無視できない。使徒様があのようなものを持っていれば有名なはず……ナグモ殿のものですかな?」
「あれは俺のものだ。だが、今は時間がない。今後、時間ができれば話させていただく」
なお、話すとは言っていない。時間ができたらなので、時間がなければいいのだ。
「そうか……分かった。とにかく、話す機会があるならいい。その子の家族のことだが、母親は怪我を負ってかなり弱っている。聖女様ならば治せるかもしれんが……」
「任せてください。ミュウちゃんのお母さんのことは私が診ますから」
どうやら、ミュウの母親は怪我を負っているらしい。目の前で娘を拐われた上、自身も怪我を負ってしまったのだ。精神的に参っていることは容易に想像できる。
「ミュウ、お家に帰るの。パパとママに早く会いたいの!」
「そうだな、会いに行こうか」
「楽しみだね、ミュウちゃん」
ハジメの手を懸命に引っ張り、急かしてくるミュウ。彼女にとっては、約二ヶ月ぶりの我が家と両親なのだ。無理もない。彼女の案内で、彼らは町中を進む。
「ねえ、私もお父さんとお母さんに会いたくなっちゃったな。何ヵ月も経ったけど、捜してくれているのかな……?」
「香織……」
そう言われ、横を行く香織の顔を見てみれば、不安な表情を浮かべている。これから両親と再会するミュウを見て、同じく引き離された自身と重ね合わせたのだろう。
「いきなり会えなくなるなんて思ってなかったからさ……早く会いたいよ……えっ?」
ハジメは咄嗟に香織と手を繋いでいた。彼女の手よりも大きな手が包み込んでくれている。その手は温かく、優しさに溢れていた。
「香織、必ず君を元の世界に帰してみせる。だからこそ、共に頑張ろう。君の両親にも報告したいことがあるからな」
「もう、ハジメ君ったら……私のお父さんは怖いけど、その時は何て報告するつもりなの?」
「“娘さんは戴いた”とでも言おうかと……」
その瞬間、香織は吹き出してしまった。
「フ、フフッ……ハジメ君、それじゃ怪盗みたいだよ。こういう時はね、“娘さんを私にください”って言うの」
「そうなのか? 清水にこう言えと教えてもらったのだが……」
「それ、騙されてるよ……」
「ハハハッ……清水、お前を感電させた上で氷漬けにしてやる」
「清水君、御愁傷様です」
ウェイブビームによる感電からのアイスビームによる凍結が待っている清水であった。スーパーミサイルがないだけ温情かもしれない。
そんな会話をしていると、通りの先で騒ぎが聞こえだした。若い男女の声がメインで、周囲にも何名かの男女がいるようだ。
「レミア、その足じゃ無理だ!ミュウのことは僕が迎えに行く、君は待っているんだ!」
「そうだよ、レミアちゃん。ミュウちゃんならちゃんと旦那さんが連れてきてくれるから!」
「いやよ! ミュウが帰ってきたのでしょう!? 私のせいでミュウが拐われたのよ? なら、私が行かないと! 迎えに行ってあげないと!」
どうやら、玄関から飛び出そうとしている若い女性を、その旦那と知り合いが抑えているようだ。おそらく、知り合いがミュウの帰還を夫婦に伝えたのだろう。
そのレミアと呼ばれた女性の必死な声が響くとミュウが顔を輝かせ、玄関口で倒れ込んでいる二十代半ば程の女性に向かって、精一杯大きな声で呼びかけながら駆け出した。
「ママーー!!」
「ッ!? ミュウ!? ミュウ!」
勢いよく走るミュウ。そのまま、玄関先で両足を揃えて投げ出し崩れ落ちている女性、母親のレミアの胸元へ笑顔で飛び込んだ。二人は固く抱きしめ合い、その外側から父親が広い胸板で二人を包み込んでおり、周囲は温かな眼差しを向けている。
「ごめんなさい、ミュウ……」
「あの時、僕が付いていれば……」
両親の後悔は海溝よりも深いものだろう。母親は目の前で拐われてしまったことを、父親はその場に居なかったがために何も出来なかったことを悔いているようだ。
ちなみに、父親の方は筋肉モリモリのマッチョマンだ。海人族は泳ぐことで全身の筋肉が鍛えられているのでマッチョが多いが、彼は平均以上といったところだ。彼なら誘拐犯を返り討ちにしているだろう。
「大丈夫なの。ママ、パパ、ミュウはここにいるの。だから、大丈夫なの」
そんな二人を安心させようと、四歳のミュウは自分が無事であることを伝えて慰める。
互いに見つめ合う三人。家族だけの空間が出来上がっており、何者も割り込むことは許されない。ハジメと香織は、彼らの様子を自分達に重ね合わせ、優しく見守っていた。
そんな中、ミュウが突如として悲鳴じみた声を上げる。彼女の視線はレミアの足に向けられており……
「ママ! あし! どうしたの! けがしたの!? いたいの!?」
抱きしめ合いながらも、肩越しにレミアの足の状態に気がついたらしい。彼女のロングスカートから覗いている両足は、包帯でぐるぐる巻きにされており、痛々しい有様だった。
これは隊長からも聞いていたことだが、レミアは拐われそうになったミュウを助けようと抵抗したが、魔法が使えない亜人である上に戦いの心得もないために出来ることはなく、魔法攻撃を受けて歩けない程の重傷を負ったのだ。
帰りが遅いことを心配した旦那が率いる自警団が駆け付けて救助され、一命は取り留めたものの神経をやられてしまったので、もう歩くことも今までのように泳ぐことも出来ない状態になってしまった。
「お師匠! お姉ちゃん! ママを助けて! ママの足が痛いの!」
ミュウが助けを求めたのは、家族の次に信頼を置いているハジメ達だ。二人はマリーディア親子へと近づき、挨拶した。
「初めまして、私は南雲ハジメ。ミュウを保護した者です。もし良ければ、その足を治療させていただいても構わないだろうか?」
「わ、私は白崎香織です。治癒師の資格を持ってます。私が診るので安心してください」
いきなり現れた人物に二人は驚いていたが、香織の顔は似顔絵で見たことがあったので、最も高度な回復魔法を行使できる聖女に対して感謝の意を伝えていた。
「旦那さん……名は何と言ったか」
「ええ、僕はシド・マリーディア。シドと呼んでくれて構わない」
「シドさん、まずは彼女を屋敷の中へ。そこで香織が診てくれる」
ミュウの父親、シドはレミアをお姫様抱っこして家の中へと運び、ソファーの上に寝かせる。そして、香織が診察を開始した。
「香織、どうだ?」
「ちょっと見てみるね……レミアさん、足に触れますね。痛かったら言って下さい」
「は、はい……」
聖女に診察されているという事実にレミアは緊張していたようだが、香織が優しく声をかけたので安心したようだ。そうこうしているうちに診察も終わり、足は神経を傷つけてはいるものの回復魔法できちんと治癒できることが伝えられた。
「ただ、少し時間がかかります。デリケートな場所なので、後遺症なく治療するには、三日ほど掛けてゆっくり、少しずつ癒していくのがいいと思います。それまで、不便だと思いますけど、必ず治しますから安心して下さいね」
「あらあら、まあまあ。もう、歩けないと思っていましたのに……何とお礼を言えばいいか……」
「ふふ、いいんですよ。ミュウちゃんのお母さんなんですから」
「そういえば、皆さんはどのようにしてミュウと? 貴方のことをお師匠と呼んでいましたが……」
早速、治療が始まる。その間、レミアの疑問に答えるべく事の経緯をハジメが説明する。フューレンでのミュウとの出会いと騒動、お師匠と呼ぶようになった経緯などだ。全てを聞いたレミアは、深々と頭を下げて涙ながらに何度も何度もお礼を繰り返した。
「本当に、何とお礼を言えばいいか……娘とこうして再会できたのは、全て皆さんのおかげです。このご恩は一生かけてもお返しします。私達、夫妻に出来ることでしたら、どんなことでも……」
報酬の類いは要らないことを伝えたが、マリーディア夫妻としては娘の命を救ってくれた恩人に礼の一つもしないでは納得できない。そして、夫妻は自分達の家を使ってほしいと訴えた。
「どうかせめて、これくらいはさせて下さい。子の屋敷はかなり広いですし、皆さんの分の部屋も空いています。エリセンに滞在中は、どうか遠慮なく。お仲間が何人かいるようですが、彼らも構いません」
レミアによるとマリーディア家は海人族の中でも良家であるらしく、人間族との共存の歴史を紡いできた一族なのだという。そのため、客人をもてなすために屋敷はかなり広かった。
現在、エリセンに来ているのはハジメと香織、ユエ、シア、ティオ、清水、ティオのみだ。総勢七人というわけだが、それでも屋敷に余裕はあった。
なお、ノクサスは戦いに向けて何かしらの準備をしている最中だったらしく、フリードとの遭遇を受けて準備を急ピッチで進めるために再び離脱している。
ハジメ達はマリーディア夫妻のご厚意に甘えることにした。翌日からは大迷宮の捜索・攻略に備えて準備をする必要があるため、しばらくはここが拠点となるだろう。
それはそれとして、清水は電気ビリビリと凍結の刑を受けてしばかれた。