【短編】ウルトラマントリガー~Pull the Trigger by Commonplace Alchemist~ 作:???second
それから長い時間が経過した。数時間、いや半日以上?それとも、数日以上?
時計どころか太陽の光が決して届かないために、時間がどれほど経過したのかさえわからない。
現実から乖離しつつあった意識の中、ハジメのもとに誰かが近づいてきた。
赤い髪の、今のハジメより数歳ほど年下の幼めの少年だ。
「あ、あぁ…」
ハジメは彼に向けて、不意に手を伸ばす。伸ばさずにいられなかった。ずっと待ち臨んでいた相手が、ついに目の前に現れたのだから。
「マルゥル…来て、くれたんだ…」
涙で顔を濡らしハジメは彼に手を伸ばし続ける。
…だが、赤い髪の少年にハジメの手は届かなかった。
赤髪の少年は、ハジメの手をすり抜けてしまう。呆然とするハジメに、新たな景色が浮かぶ。
赤髪の少年を、大多数の同年代と見受けられる子供たちが取り囲んでいた。彼らは赤髪の少年に対して、石を投げつけ、木の棒やバットで殴り付けたりと散々に痛め付ける。
「や、やめろ!」
赤髪の少年に対する子供たちの暴行を、ハジメは止めようと子供たちに飛びかかる。だが、ハジメの体はその子達ともすり抜けてしまう。
赤髪の少年に暴行を加える悪ガキたちをすり抜け、通り越したハジメは、後ろを振り返って悪ガキたちと赤髪の少年の方を振り返る。
ハジメは、息を飲んだ。悪ガキたちの暴行に耐える赤髪の少年の後ろで、もう一人黒髪の少年が傷だらけになって他の悪ガキたちに取り押さえられていた。
その顔は、ハジメがもっとも知ってる顔だ。なぜなら…
その少年は、数年前の自分自身だったから。
(これは、僕の記憶…)
ハジメは理解した。今のこの、赤髪の少年と悪ガキ、そして過去の自分…これらは全て、かつての自分の体感したキオクだったのだ、と。だから赤髪の少年も、悪ガキたちもハジメの体からすり抜けた。
この記憶は、外で赤髪の親友…マルゥルと携帯ゲームで通信対戦をしていた時のものだ。
二人ゲームで盛り上がってところ、近所で評判の悪ガキ大将が取り巻きを連れて現れ、
『なんだよ、面白そうなゲームやってんじゃん。俺にやらせろよ』
自分にも、ハジメたちがやっているゲームを遊ばせてくれと申し出る。
『…ごめん、今二人でやってるところだから』
ハジメ少年たちは断った。当然、親しいわけでもないのに、それも初対面で、いきなり現れてなれなれしくゲーム機を渡せと言ってくるような相手に好き好んで渡す者がいるはずがない。だいいち、この悪ガキたちの評判はハジメたちの耳にも入っている。体が大きくて喧嘩が強いことをいいことに、他の子どもたちを力づくで言うことを聞かせ、逆らう者を平気でいじめる、しかも親は我が子を甘やかしてばかりで、こちらが注意を入れても逆切れするモンスターペアレントとして有名だった。貸したところで、適当なことを言って借りパクしてくるのは目に見えていた。
『けちくせぇこというなよ。ほら、さっさと寄越せよ』
厚顔無恥なことに、強引にハジメとマルゥルからゲーム機を取り上げようとした。
『ハジメの言った言葉が聞こえなかったのかよ。だいたい、それが人にものを頼む態度か?』
当然マルゥルも、この礼儀知らずな態度にムッとして反発する。
『俺に逆らうのか?調子乗んなよキモオタが!』
『な、なにする…ぐあ!!』
そのガキ大将は卑劣なことに、力づくでハジメたちを殴りつけ、取り巻きたちも下卑た笑みを浮かべながらハジメたちに一方的なリンチを仕掛けた。力でも頭数でも敵わないハジメとマルゥルは、一方的に殴られ蹴られ、ゲーム機を取り上げられてしまう。
悪ガキたちは二人から取り上げたゲーム機を持ってそのままどこかへと立ち去ろうとする。
『か、返せ…!それは俺様とハジメのものだ!』
これを見て、ハジメより先にマルゥルが立ち上がる。
『やだね、こいつらは今から俺たちのもんだ』
『いやぁ、ラッキーだな親分!俺たちの小遣い浮くじゃん!礼を言っとくぜキモオタ君たち♪』
ガキ大将と取り巻きたちは、ハジメの懇願を無碍にし、ゲーム代が浮くからというふざけた理由で返却を拒否する。
『っざけんなよてめぇら…!人からものを取り上げて、ただの犯罪やらかして恥ずかしいとは思わねぇのかよ!』
『あ?うぜぇんだよ。チビ雑魚の分際で俺に意見すんな!』
『っが!!』
『マルゥル!』
親のことを引き合いに出され、説教されたことが気に食わなく思ったガキ大将は再度マルゥルを蹴り上げる。
蹴られながらも、マルゥルはガキ大将にしがみついてゲーム機を取り返そうとする。ガキ大将はマルゥルを引っぺがそうとするが、ハジメたちから取り上げたゲーム機を持ったままなためかすぐに引きはがせない。
『んの!しつけぇんだよ!お前ら!』
ガキ大将はさっきのリンチと同様に、しかし今度はマルゥルのみをターゲットに絞り、彼に暴行を加えていった。
『やめてよ!ゲーム機ならあげるから、マルゥルをこれ以上傷つけるな!』
ハジメはマルゥルが傷つくくらいならと、ゲーム機のことは諦め、マルゥルを解放するように呼びかける。
『っへ、そっちのやつは聞き分けいいじゃねぇか。でもやだね。てめぇらにはちっと仕置きってもんをしてやらねぇとな。お前ら、そいつ抑えろ』
ゲームを差し上げる旨を伝えたのに、こともあろうかガキ大将はハジメたちに歯向かわれた腹いせに更なる暴行を加えようとした。
ガキ大将の命令で、取り巻きたちは強引にハジメを取り押さえ、最後に残った一人がニヤニヤと笑いながらハジメの前に立つ。すると、その最後の一人の取り巻きが、ハジメを他の仲間が取り押さえ身動きを封じていることをいいことに、バットで一方的にサンドバック代わりに殴りつけ始めた。
『おら!!』
『っぐ…っが…!』
『や、やめろお前らぁ!』
マルゥルはガキ大将のもとを離れ、ハジメを殴っていた取り巻きを突き飛ばし、ハジメを取り押さえていた面々にも歯向かう。その拍子にハジメは解放され、幾度か暴行に耐えたところでマルゥルはハジメを守ろうと彼の前に立った。
『っち、いちいち気に入らねぇな。いいか、このゲームはもう俺たちのもんだ。遊ぶのも、ぶっ壊すのも俺たちの自由なんだよ。欲しけりゃ新しいもんをママに買ってもらっとけよ。ぎゃはははは!!!』
まるで反省の色を示さず、マルゥルとハジメを鼻で笑うガキ大将と取り巻きたち。
…だが、彼らは調子に乗るあまり、虎の尾を踏みつけていたことを思い知ることになった。
『……いい加減にしろよ、このクソガキ共があああああああ!!』
ついに我慢の限界を超えたマルゥルがブチ切れるあまり絶叫した。
その瞬間、ハジメたちを見下し嘲笑っていた悪ガキたちは、一気にその表情を青ざめた。
『な、お、おまえ…!!』
赤い髪の少年の姿から、マルゥルは一瞬にして全く別の姿へと変貌していた。
赤く細長い、黄色い発行体を無数に顔に埋め込んだ、…異形の姿へと。
そう、マルゥルは宇宙人……幻覚宇宙人『メトロン星人』だったのである。
『う、宇宙人!?』
『ひ、ひいい!!!化け物!!』
メトロン星人としての姿を露にしたマルゥルは、両手を悪ガキたちに突き出す。その時…
ババババ!と彼の両手から花火のように光の弾丸が放たれ、悪ガキたちに浴びせられていった。
『っう、うわああああ!!?』
『痛!?やめ…ぎゃああああ!!』
『い、痛えええええええよ母ちゃああああん!!』
散弾銃のように放たれた光弾は次々と悪ガキたちに直撃していく。止めてくれと言う悲鳴も中から響いていたが、それでもマルゥルはやめない。さっきまであの悪ガキたちも、ハジメがゲームを差し出してまで暴行を止めてくれと懇願したのに、歯向かわれた腹いせと言う浅ましい理由で蹴ったのだ。なのにやめてくれと懇願するなど虫が良すぎる話だ。
『ま、マルゥル!やめて!』
まずいと思ったハジメは、マルゥルの手を掴んで妨害する。マルゥルの報復もまた過剰防衛とも言えただろう。地球人と比べて身体的にも優れた異星人の力は、地球人の子供には手加減しても威力が強いのは想像にたやすい。
『…安心しろよハジメ。ちゃんと最低限の加減はしておいた。おもちゃの銃で撃った程度のもんだよ』
しかし、マルゥルはふっと軽く笑った。
なんでそんな悟ったような、安心したような穏やかさをここで露にしたのだろうか?そんな疑問がハジメの頭をよぎると…耳に『いてぇよ母ちゃん…』等という声が漏れ出ているのが聞こえた。
いじめっ子たちの間抜けな悲鳴を聞いたことで安心したものの、うっかり殺してしまったにではないかとヒヤッとさせられた。
この事件以来、この悪ガキ一行はトラウマを刻まれ一気に大人しくなり、悪さを一切しなくなった。
…が、この件は寧ろ悪い方向に状況が転がった。少なくともハジメと、何よりマルゥルにとって。
異星人が、自分たちのすぐ傍で人間に紛れて暮らしていたという事実。すでに異星人の地球侵略事件が多発し、それに対し世界各国の防衛組織が手を焼かされていたこともあり、この件のマルゥルを筆頭にSNSで世界各国の至るところで異星人が潜伏していたという事実が次々と明るみになった。
と言っても、これで明らかになった異星人はいずれもマルゥルのように地球で静かに平和に暮らすことを希望する、常識のある情愛深い者が大多数を占めていた。だが、侵略宇宙人の脅威に晒され続けるあまり、大勢の地球人が宇宙人そのものに疑心暗鬼となっていた結果、各地で異星人排斥運動が起こり、宇宙人というだけで地球人類は宇宙人が地球で存在することすらも許さなかった。ちなみにこの反対運動には、光輝も賛同していた。これについては、地球侵略を目論む異星人ばかりがニュースや新聞で取り沙汰された結果、光輝は宇宙人を邪悪な種族としか思わなくなったことが大きい。
しかも裏では、同じ人間ですらも侵略宇宙人だと決めつけ弾圧する事件も起きた。理由は、行動がただなんとなく怪しいと思った、人間というには奇行に走りすぎてるとか、酷い時には身体や精神面で障がいを抱えているからという理由で同じ人類を宇宙人と決めつけ差別すると言ったものであった。最悪の場合殺害するという凶行に走ることも…当然これらの件で犯人となった地球人が厳正な法のもとで裁かれたのだが、宇宙人がますます地球で穏やかな生活を送るのが不可能に向かっていくことに変わりなく、宇宙人たちは平和的な種族、個人問わず宇宙へ帰らざるを得なくなっていった。また、地球…正確には同じ地球人を見限った地球人もその中に混じっていたとも噂が出たという。
『ハジメ、悪い。俺、メトロン星に帰ることにした』
マルゥルも例外ではなかった。
彼が帰ると聞いて、ハジメはそれを駄々をこねるように嫌がった。この先も続くと思っていた彼との楽しい日々が終わる。当時のハジメにとってこれほど絶望と悲しみを覚えたことはなかった。
でも、彼がハジメとその両親を社会的な側面から守るためにも、離れる意思を固めていたこともあり、ハジメは彼を引き留めることを諦めてしまう。
『…そうだ、こいつをお前に預けとくぜ』
マルゥルはそう言うと、ハジメの手を開き、彼の掌に、菱形の青い宝石をあつらえたペンダントを渡した。
『これは?』
『そいつは、俺様がこの街に住む前に、ちょっとした伝手で手に入れた骨董品
「トルグの紋章」さ。
ここだけの話だけどな。こいつには、ある特別な力が宿っているんだ。もしお前がやばくなったらそのペンダントに込められた力が、お前を助けてくれるはずだ』
ハジメは、マルゥルの話を聴きながら、菱形のペンダント…トルグの紋章を見つめる。月並みな感想だが、綺麗な石だ。不思議とこの光に引き込まれる。きっと貴重な物のはずだ。そんな大事そうなものを彼は自分に託してくれたのか。
『…これを持っていれば、いつかこれを引き取るために、この街に帰ってくるってこと?』
『ま、そういうこった。大事に取っておけよ』
大事なものを預けてまで再会を約束する赤髪の親友の覚悟を受け止め、ハジメは受け取ったトルグの紋章をぎゅっと握りしめる。
『わかった。約束だよ。嘘ついたら』
『おう、宇宙ケシ百本飲んでやるよ』
奇妙な言い回しをする赤髪の少年に、黒髪の少年は苦笑いする。
『それをいうなら針千本だろ。相変わらず変な使い方だよなぁ』
『こっちが宇宙共通ってやつだよ。寧ろ針千本なんてこの星だけだろうが』
二人の少年は互いに笑い会うと、最後に寂しげな笑みを交わしあった。
『…また会おうね』
『おう。またな』
マルゥルが、ハジメ少年から背を向け、歩き去っていく。進む道の先の空の上には、開かれた二枚貝のような形の宇宙船が浮遊していた。
「待って…行かないで!行くなマルゥル!!」
ハジメはマルゥルに向けて、止まるように手を伸ばして懇願する。でも、所詮過去の幻影。過ぎ去った光景が映像としてその目に焼き付いているだけに過ぎない。円盤から降り注ぐ光にマルゥルを包み込んだその宇宙船は、彼の一族が気に入っていたという夕日の彼方へと飛び去って行った。
その日以来、ハジメは勉学に励んだ。
ゲーム会社の社長である父と、漫画家である母と同じ道を進むために。自分の好きなことを将来に役立てるために。でもそれは同時に、マルゥルともう一度会う時までに、叶えたい夢があったからだ。
その夢のために、ハジメは周りからどう言われようがどう思われようが勉学と、捜索活動、そして両親の仕事の手伝いをアルバイトとして励んだ。
実際のところ、唯一の友達だったマルゥルを失った心の穴を埋めたかっただけなのかもしれない。そうだとしてもハジメは、この道を迷わず選んだ。
が……現実は非情であった。
ただ自分が悪口や嘲笑に晒されるだけなら良い。でも…どうしても許せなかったことがある。
マルゥルたち善良な宇宙人が地球で肩身の狭い思いをすることになったことだ。
それも、自分と同じ地球人のせいで。
それがたとえ、侵略宇宙人たちによる地球侵略のトラウマが原因だとしても、それが罪のない宇宙人たちまで害して良い理由にはならない。それどころか、宇宙人だと誤解したことで同じ地球人にすらも手にかける地球人の浅ましさと残虐さに、次第にハジメは失望していく。
自分が入学した高校のクラスメイトの多くは、それが顕著であった。それも、天乃河光輝というクラスのカリスマが、傲慢(当人は無自覚だがそれがなおさら質が悪い)ともとれる正義感から、宇宙人の存在を全面否定している。
地球人にも救いようのない悪がいるという現実があるのに、光輝は人間が相手なら『何か理由があるはずだから』と存在否定はしないくせに、相手が宇宙人だとその善性を働かせない。寧ろ正義を振りかざす分だけ残虐だ。他の連中も、光輝に媚びを売っていい思いをするために、光輝同様にろくに宇宙人のことを知らないで彼らを差別する。
そんなクラスメイトに嫌気がさしていた矢先に、今度は異世界転移だ。最初はほんのちょこっと喜んでいたのは否定しない。捜索でしか見られないであろうファンタジーな世界が現実にあるというのは夢に溢れていて、憧れでもあった。でも実際には、有用な戦争の駒として呼び出されただけにすぎず、この世界も神の意志が絶対でありそれに逆らう者には容赦がない。たとえ逆らわずとも、亜人や魔人族ならば差別対象、無能なステータスならば嘲笑の対象。地球と比べてもくそくらえと言いたくなるような要素がありふれた常識同然に認識されている。
共に奈落へ落ちた、数少ない理解者でもあったミウラは自分を庇って、散っていった。自分は神水という貴重な回復手段を手に入れたが、自分が殺されるのが怖くて、ミウラを生き延びらせるだけのわずかな可能性に手を伸ばすこともできなかった。
地球だろうが異世界だろうが…
次から次へと、現実はハジメから大事なものを奪い続けていた。
自分の異星人への考えが理解されないこと、自分や両親の趣味と家業を否定されること、否定してる奴らが自分の醜さを棚に上げる現実。ようやく出会えたミウラという新たな理解者すらも自分の目の前から消えていき、その理解者を救えたかもしれないのに恐怖におびえて自らその可能性を捨て去ってしまう。
これまでの記憶を夢として見せつけられ、次第に思考が、ハジメ本来のものから逸脱していく。
少なくともクラスメイトには仲間意識を持っていた、心優しく勇敢であった頃の彼から…
―――――なぜ
天井を仰ぎながら、ハジメは死のうにも死ねない、死にたいけど死にたくない、そんなぐちゃぐちゃで朦朧とする意識の中にいた。
なぜ僕がこんな目に逢うんだ
オタクだから?
ふざけるな
人の趣味にいちいちケチをつけるな
宇宙人を擁護したから?
ふざけるな
人間にも救いのないクズがいるのに、なぜ宇宙人ってだけで悪だと決めつける
白崎さんに構ってもらっていたから?
ふざけるな
向こうの方から話しかけてくるんだ。無視をしても彼女に無礼を働いただの傷つけただのとぬかす癖に。大人しく話をしたところで妬んで来るくせに。だったらどうしろって言うんだ。
ミウラさんを救えなかった?
無茶を言うな
無能ステータスの自分がベヒモス相手に足止めできただけでも奇跡なのに、それ以上の怪物が蔓延る世界で、どうやって彼にあの水を飲ませてやれるというのだ。
これが、人間だと言うのか。
これが、
醜さしか見受けられないではないか。
口先ばかりの綺麗事で全てを語り、己の穢れを棚に上げて、あたかも自分が正しいことを言っているように振る舞っては見下して…
そして、そんな奴らを否定してる自分もまた、自分が生き延びるために他者を見捨てた…臆病な卑怯者。
愚かで汚らわしくて、実に不愉快ばかりではないか。
まるで…人間こそが害をなす怪獣…否、
『知性を持った癌細胞』ではないか
これならばいっそ、
消し去ってしまうべきだったのだ
『そう、人間は愚か』
ハジメの耳に、妖艶な女の声が聞こえる。実際に聞いたことはない、でも…聞き覚えのある声。
『だからこそ、我ら闇の一族は生まれたのです』
次に聞こえたのは、口調は紳士的だが、どこか怪しげな裏の顔をのぞかせる声。
『この世の穢れを、滅するために』
最後に聞こえたのは、豪気な純然たる戦士たらしめる声。
3人の声の主と思われる、異形の人影が、ハイライトを失って濁り目となったハジメの前に佇む。
『あんたは、あの女の口車に乗せられて、人間側に着いた。でも、もうこれでわかっただろう?人間共に価値なんて、何もないってことを。
人間でいたって、寧ろ損だったんだよ。だから…』
妖艶な女の声の主は、ハジメの耳元に顔を近づけると、どこかハジメに対する慈しみと慈愛を帯びた声で囁きだした。
『戻っておいで…■■■■』
ハジメは、妖艶な女の声に向けて、誘惑に抗えず、抗おうともせず、手を伸ばしていった。
伸ばしていったその腕が、次第に…
歪な鎧のようなものを纏ったような異形の腕へと変貌していった。
だが、そんなハジメの腕を、後ろから白く光る華奢な手がガシッと掴んだ。
(…誰だ…)
ハジメは邪魔をされた不快感を覚えながらも、後ろを振り返る。
そこで彼の目に入ったのは…まばゆい光。形らしいそれはなく、ただ光り輝いているに過ぎない光。
―――君…!
雲…君…!!
『南雲君!!』
「!!」
光の中から自分の名前を呼ぶ声に、ハジメは正気に返った。
自分はいったい何をしていたのだろうか。そう思っている間にも、光の方から必死に『南雲君!』と自分を呼ぶ声が聞こえる。
(この声って…)
ハジメは、自分を闇へ誘おうとした妖艶な女の声に背を向け、彼方の先に輝く『光』へ向けて手を伸ばした。
「南雲君!しっかりして!なぐ……!」
香織は必至に腕の中に収めたハジメの名を呼び続けていた。
ミウラに促され、ハジメの逃げ込んだ洞穴をひたすら潜り抜けていった先の、不自然にも開かれた空洞。その中にハジメが今にも死にかけの容態で倒れていたのを発見し、気が付いたら彼を抱きしめ、彼の生死を確かめんと名を呼び続けていた。
「っつ……あれ…僕は…」
名を呼ばれ続けたのがようやく功を期したのだろう。ハジメはついに目を覚ました。
「っ!!南雲君!!」
「うわ!」
急にぎゅっと抱きしめられ、鼻にふわりと花のような良い匂いが漂い、ハジメは混乱した。
なにこれ!?今どういう状況!?
さっきまで闇堕ち一歩手前の思考だったのに、すっかり元の思考に戻っていた。
「良かった……南雲君、死んじゃったんじゃないかって……不安で…私…私…ぃ…」
そんなハジメの耳にすすり泣く声。抱きしめた主のその声が誰なのか、ハジメは思い出した。
「まさか、白崎さん!?」
なぜ彼女がこんなところに?さっきとは違った意味で混乱しかけるハジメだが、香織はまだしばらく泣き止みそうになかった。
香織が泣き止んで、奈落に落ちてからのお互いの状況を交し合った。
ハジメが落ちた直後、自分も彼を助けようと自ら奈落に身を投じた香織。それを聞いて、ハジメは絶句した。
(僕を助けるために、まさかここまで思い切ったことをするなんて…)
あまりの香織の大胆とも無謀ともいえる行為に走った事実に耳を疑ったが、現に香織は今ここにいる。それも、傷一つ見受けられない状態で。ここにはベヒモス以上にやばい魔物たちがいたはずなのだが、運がよかったのか、それとも彼女が奴らを退けられるだけの力があったからなのか…
(もしかして…)
そういえばと、ハジメは香織に対して戦闘面においても不思議に思ったことが一つあったことを思い出す。詠唱無しでロックマウントの攻撃を弾き飛ばしたときのものだ。実際その通りで、香織はその力によって守られたこともあってここまでたどり着けたと言っても過言ではない。
でもそれ以上に、重く受け止めたことがあった。
ミウラ隊員の死だ。
(やっぱりミウラさん、あの時僕を庇ったせいで…)
自分の無力さとふがいなさ、そして極限状態での生物としての生存本能…つまり臆病さが原因でミウラが死んだのだと思い知らされ、ハジメの中に拭えない罪悪感が生じる。
そんな香織も、ハジメとミウラが奈落に落ちてからの今に至るまでの経緯を聞き、とにかく長い沈黙の果てに、香織はハジメに詫びを入れてきた。
「………ごめんなさい、南雲君」
自分に向けて聞こえてきた謝罪の言葉に、ハジメは顔を上げる。その目はひどくクマができあがっていて半ば死人のようであったが、香織の目から流れる大粒の涙を見て、驚きと共にわずかな活力が戻った。
「…何で、君が謝るの?」
「だって、君を狙った魔法…クラスの誰かが、君を狙って…
私が、南雲君と関わったせいで…ミウラさんだって…」
ハジメがミウラに香織への苦手意識とその理由を聞いたこともあり、香織は今自分たちが…いや、ハジメとミウラがこの奈落に落ちたのも、ミウラがこの光無き奈落の底で最期を迎えたのも、全ては…自分が原因だと悟らされた。
仲間であるはずのクラスメイトの方からのフレンドリーファイアがきっかけで奈落に落ちた。つまり仲間の中に、どさくさに紛れてハジメを殺そうとした下劣な裏切り者がいるというのも、そいつが自分とハジメが少しでも仲睦まじくなることを気にくわなく思ったから。ハジメのことしか見ていないあまり、周りの皆の感情に鈍感だった香織も、今ならそれを理解できた。理解したことで、今までハジメに対して知らぬ間に多大な迷惑をかけていたことを自覚していた。
「…白崎さんは、悪くないよ」
ハジメは、香織を責めなかった。
「誰と仲良くしたいかなんて、その人の自由だ。誰かが口出しすることじゃない。そりゃ、ちょっと不思議には思ってたけど…」
直接的に、迷惑を受けました…とは言えなかった。少なくとも彼女に悪意はないし、ただ自分とコミュニケーションを取りたがっていただけに過ぎない。それに加え、自分もクラスメイト達の嫉妬と侮蔑の視線に委縮していたとはいえ、自分も何も言わなかったことも、普段の生活態度で周囲からの印象を悪くさせた遠からず一因している。人によっては彼女を責めたがる者もいるだろうが、自分が香織に関わってこないよう言わなかった時点で、そんなのは自分の行いに責任を持たず、他者にそれを擦り付ける、短絡的で無責任な考えだ。どうして香織を責められようか。
「…南雲君、変わらないね。苦手だって言ってたこんな私に、こんな時も優しくしてくれる」
「え?き、気づいてたの?」
本心ではずっと迷惑がっていただろうに、そう思いながらもハジメの心遣いに香織は儚げに微笑した。一方でハジメは、自分が香織に苦手意識を持っていたことを知られていたことに目を丸くした。
「ミウラさんと図書館で話してたの、聞いたんだ」
「…ごめん」
あの時の会話を聞かれていたのか。ハジメは香織を傷つけてしまったことを詫びた。
「うぅん、南雲君が謝ることないよ。寧ろやっぱり、南雲君の気持ちも都合も考えてなかった私が悪いの。結果として、こんなことになっちゃったから…ハジメ君だけじゃなくて、ミウラさんまで巻き込んで…
私のせいだよ…」
光輝たちが聞いていたら怒りを向けていたであろう自分の陰口を、香織は受け止めている。連中の一方的な蔑みと嫉妬の視線もあるから放っておいてほしかったのは本心だが、何も彼女を傷つけたかった訳じゃない。ハジメは、辛そうな表情を浮かべる香織に、罪悪感を覚えた。
「…気になってたんだけど、どうして白崎さんは僕に接してきてくれたの?」
ハジメは、ずっと香織に対して思っていた疑問を彼女に向けた。こんな場所に来てまで助けに来てくれたことも、気でも触れたのではとすら思えてならなかった。もちろん、感謝はしている。嬉しくないわけがない。でも、それだけに不思議なのだ。
「覚えてるかな?3年くらい前、君が不良の人に絡まれてるお婆さんと子供を庇ってた時のこと」
香織は中学時代に、ハジメが不良に絡まれた老婆と孫を庇って土下座したところをたまたま見かけていたことを明かした。
「それで、あんなに僕のこと…なんって言うか、恥ずかしいところを見せちゃったね」
自分に構ってきたその理由が、自分でも忘れていた過去のことだった。言われてみてそんなこともあったなと思い出しつつ、それをまさか香織に見られていたとは思いもしなかったハジメは驚いた。
あの時子供とぶつかった拍子にタコ焼きで服を汚された不良が、子供の祖母であっただろう老婆に金をせびってきて、それを老婆が怯えながら渡し、調子に乗った不良がさらに金を巻き上げようとしたのを見たハジメは、自分でも不思議なくらいにプツンと来た。でも力では敵わないのならばと、彼は全力土下座で大声で許しを乞うという手段に出た。
「そんなことない。だって南雲君、見ず知らずのお婆さんと男の子のために頭を下げてたんだもん」
端から見れば随分恥ずかしいところを見られたなと、一時中二病を患っていた時並に恥じたが、香織は首を横に振り、ハジメの勇気ある行為を肯定する。
「強い人が暴力で解決するのは簡単だよね。光輝君はよくトラブルに飛び込んでいって相手の人を倒してるし、龍太郎君もそれに乗っかっちゃってる。
でも、力が弱くても立ち向かえる人や他人のために頭を下げられる人はそんなにいないと思う。実際あの時、私は怖くて……自分は雫ちゃん達みたいに強くないからって言い訳して、誰か助けてあげてって思うばかりで何もしなかった。結局見て見ぬふりしてたんだ。
だから、私の中で一番強い人は南雲君なんだ」
「白崎さん…」
「高校に入って南雲君を見つけたときは嬉しかったよ。君みたいになりたくて、もっと知りたくて色々話し掛けたりしてたんだよ。南雲君直ぐに寝ちゃうけど……」
それは申し訳ないことをしたな、とハジメは思った一方、やたら自分を勇気あるものとしてまっすぐに自分を肯定し続ける眼差しと言葉から目を逸らした。
「…僕は、そんな立派な人間じゃないよ。
僕はただ面倒事を避けてるだけだよ。自分が弱いことを知ってるから。
だから、嫉妬や劣等感とか嫌な気持ちで一杯で。白崎さんが見てたその時だってそうだし、この世界に来てからずっとそうだよ。皆と違ってお荷物だし、取るに足らない存在だよ。
そんな僕だから…こんなことになったんだと思う。僕が弱いせいで、結局ミウラさんが…」
自分の無力さ、無能さが、ミウラを殺した。香織は自分の責任でこうなったとは言うが、自分だって己の無能と無力さが、香織とミウラをこのような危険な場所に追いやった。もし自分が皆のように高いステータス値を持っていれば、こんなことにならなかったではないか。ベヒモスの攻撃からも香織に、奈落にいた蹴り兎と爪熊からミウラにただ守ってもらうだけで…。
力が足りなければ知識で補おうとしたのも、無駄だった。結局悪い意味で何も変わらず、最悪な現状に追い込まれただけであった。
「それに、この結晶から落ちる水を見てくれよ」
ハジメは、香織の自身への失望を促すかのように…いや、実際にそのために言葉を綴っていた。
香織が神水を滴らせる神結晶に目をやると、ハジメは失望を買うであろう言葉を告げる。
「この水は、僕の怪我や疲労感を一気に治してくれた。最初は考えたよ、この水があればミウラさんを助けにいけるんじゃないかって。でも、ダメだった。外に出たら、今度こそあの熊に…殺されるのが怖くて、結局ここでじっとし続けてたんだ。笑っちゃうよ…食べ物も何もないここでじっとしてても辛いなら、いっそ殺された方が楽だなんて思って、いざそうしようとしたら体が震えて、動けなくなるんだ。
その結果、ミウラさんを死なせたんだ。助けられたかもしれない恩人を、僕は……
なのに今でも怖いんだ。僕もミウラさんみたいに、あの熊にズタズタにされる…そう思うだけで、体が震えるんだ。動けなくなるんだ。自分が助かりたい、安心したいって…誰の何の力にもなってないのに、死にたくないから、危険な目に遭いたくないからってびくびくし続けてる!」
うずくまり、脳裏によみがえる爪熊の、こちらをただの食事としか思っていない血に飢えた恐ろしい眼差しを思い出し、体の震えが止まらなくなる。
「結局…世の中全部、力なんだよ。力がなければ、何も守れないんだ」
そして、初めてステータスプレートを配布された時も感じた、皆と比べてあまりに貧弱な自分の無力さ、無能さへの絶望、失望が、彼の心を奮い立たせるのを許さない。
「初めてだね、南雲君が弱音を吐くところ」
香織は、ハジメがこれまで見せたことのない、恐怖と罪悪感に慄く姿に最初こそ驚いた。少なくとも彼女の知るハジメはそんなところを一度も見せたことがない。
そりゃそうだよ、と頭に加えてハジメは次のように吐き捨てる。
「わかっただろ?僕は君が思ってるようなご立派な男じゃないんだ。寧ろそこら辺にごろごろしている、ありふれたオタクにすぎないんだ」
こんなところまで追ってくるほどまでに、自分を大事に思ってくれる人に対する言葉ではない。きっと彼女は失望したことだろう。でも、変に期待を寄せられ、後で一気に落胆されるよりは良い。勝手に持ち上げられると、その分だけ後が辛い。なら、自ら失望に値する存在だと前もって尾も知らせた方が良いに決まってる。
「…そうだね。南雲君だって、人間だもんね。弱さを見せない方がどうかしてる」
香織は、自分のハジメを見ていた目が十分ではなかった、心のどこかでハジメを普通の人間として扱ってなかった、やや盲目的に見ていたかもしれないと自省した。
しかし、彼女は「でも」と頭に加えながら話を続けた。
「それでも私、信じてる。南雲君は、誰よりも強い人なんだって」
「なんで?」
尚も、香織はハジメの強さを肯定し続ける。やや投げやりな言動になりつつも、ハジメは未だ自分に失望せずにいる香織に問う。
「力が弱いならこれからつけていけば良いんだよ。でも心の強さって、簡単じゃないから。誰にだって、もちろん私にだって心の醜さはあるもの。力がないことを言い訳にしてるのも、そんなところがあるからだって思う。
私が憧れたのは、自分の力が弱いと分かってても、いざという時に誰かのために動き出せる君の勇気なんだ。
だから南雲君は凄いんだよ」
力があるから、誰かを救える。だが力がないのなら誰も救えない。多くの人は、力の有無でことを判別しがちなところがある。力がないのに行動するものは勇気ではなく、ただの無謀だとも。
でも、それでもハジメは老婆と孫の男の子を救うべく動いた。周りにドン引きされるとわかりながらも、力関係の上で無謀だと理屈でわかっていても、自分がその後でどのような目で見られ用途も、それでも大声で全力土下座という手段で老婆たちを救って見せた。
これはもう、無謀などではない。
真の勇気だ。
そんな勇気ある行動を見せたハジメだから、香織にはその姿が誰よりも眩しく、魅せられた。
だが一方で、その勇気ある行い故の不安を明かした。
「でも同時に、不安だったの。南雲君が、無茶しちゃって傷つくんじゃないかって。
だから、君がベヒモスに潰されかけたあの時も、南雲君がいたから、私も勇気を出せたんだ」
ベヒモスとの戦闘、その時も香織は怖くて仕方がなかった。異世界でも勇者と言う天才ぶりを発揮したあの光輝でも敵わないのならば尚更だ。でもその時でも、ハジメは他の皆を救うべく動き出し、ベヒモスを見事足止めして見せた。その時の香織は、ハジメが不良に土下座した時の景色が蘇っただけに、ハジメが無茶な行い走ったことに対する不安が、先日彼が闇の巨人へと変貌した悪夢と折り重なった。
ハジメが傷つく。ハジメが死ぬ。ハジメが消える。それらに対する香織は、『嫌』としか思えなかった。
「だから、ね」
香織はハジメのもとへ近寄ると、彼の震える手をそのしなやかな両手でそっと優しく包み込んだ。
「私が南雲君を守るよ。君がベヒモスに立ち向かった時みたいに、ミウラさんが私たちを助けてくれたように…君が、無茶して危ない目にあったりしないように」
たとえ彼に好かれなくても、ハジメに死んでほしくない。それ以前に傷付いて欲しくない。その願いに従って見えた自分の答えは、ハジメを守りたいというシンプルな答えであった。
「白崎さん…」
「今は疲れてるんだよ。だから今は休んで。また元気になったら、一緒に頑張ってこの迷宮を脱出しよう?大丈夫、いざってなったら私が殿になって南雲君を逃がす。見捨てたって良いから、またあの時みたいな、本当に強くてかっこいい南雲君を見せてほしいな」
そう言いながら、香織はハジメに、ミウラの遺品であるGUTSハイパー等の装備品一式を差し出し、ハジメもそれを徐に受け取る。
「それとも、私じゃ…やっぱりだめかな?」
自分が苦手に思われていたことによる一抹の不安を明かしつつ、守らせてほしいと願う香織。
まっすぐに自分を守ると誓った彼女を見て、ハジメは香織の思いが本気であることを悟った。
ミウラといい、香織といい…
――――こんなにも自分を認めてくれる他人が、あいつ以外にいるなんて
まるでこの暖かみは…
『ハジメ。あなたは、光であり…』
『彼女』のような…
手から伝わる温もりが、とても心地よかった。
「…ありがとう…白崎さん」
胸の奥から、込み上げてきた。
久しぶりに感じた、家族以外でここまで自分のことを思ってくれる人の温もりと繋がり。
死しても尚自分を守ろうとする戦士の心強さ。
その暖かさを噛み締め、ハジメの頬に涙がこぼれた。そのハジメの涙を受け止めようと、香織は我が子を慈しむ母親のように、ハジメをギュッと抱き締めた。
その時であった。
香織の薬指の指輪が、仄かに白く光りだした。