ある日のインタビュー。
映画館前。
『えっインタビュー!?
おお、よろしくお願いします......』
『どうしてこの映画を見に来たか......
ま、簡単に言えば教え子の晴れ舞台だからってところですね。
色々と大変だったのを知ってますから。』
『適度に生意気で、適度に頭良くて。
ちっこい弟みたいな奴だと思ってたのもそんなに前じゃないのに、遠くに行ってしまったなと。
喜ばしいことではあるんですけどね。』
『願うこと?
恋人作るなり結婚するなりして、身を固めてくれれば安心ですよ。』
最後にライブへ行ってから数ヶ月経っただろうか。
一応あの『大好き先走り事件』からもう一度だけ見に行ったりもしたのだが、観客がねずみ算の様に増えていくせいで身長の低い僕はステージが見えなくなってしまい、その結果あまり楽しめていないというところがある。
そうなってくるとファンである以前に楽しもうとしてライブを見に来た心は『うーん』と唸り声をあげてしまうわけで、毎月千円のお小遣いの事と合わせて考えるとちょっと控えようかな、となってしまった。
いや、別にB小町のファンを辞めたわけではない。
今は更新が止まってしまったブログの
とはいえ足が遠のいているのも事実で、サインを貰った身としては何とも、だ。
「......」
『──私も!』
ファンというのは奴隷だと誰かが言っていた。
どれだけ裏切られたとしても、どれだけ自分の理想とは違う存在だと知っても、その光に目を焼かれて追い続ける事しかできない奴隷。
アイドルも役者も、人に夢を見せて真っ黒い沼の渦へ連れて行くのは変わらない。
沼の底に人を引き込まなきゃあ生きていけない世界。
アイはその引き込む点においてプロと言ったところなのだろう。
ポケットから取り出した手鏡に映るのは
いくら考え込んでもわからない事だらけ、鏡を仕舞って『やめた』と呟いてからおしゃれな店の前で息を呑んだ。
──さて、今日はこの足りない頭でどうこう考える為に散歩をしていたわけではない。
陸川ダイチ、あと数ヶ月で小学五年生。
この年で初めてスターバッカスコーヒーにチャレンジしようとこの店へ赴いたのだ。
始まりは1週間前。
仕事帰りのお母さんから貰ったキャラメルなんとかって名前のコーヒーを飲んでびっくり、とても美味しい。
コーヒーを飲んだことがないわけではないが、覚えているのは良い香りがするだけの泥水みたいな......まあ良い思い出がない、というべきだろう。
そんな僕の中にあるコーヒーの固定観念を砕いたソレをもう一度飲みたい、そういうわけで来たはいいが。
「......どれが何?」
メニュー見ても何が何だかわからない。
マキアートって? フラペチーノとは何?
何か適当な単語を三つ入れてからフラペチーノって入れれば良いと思ってるだろうこれは。
マンゴーパッションティーフラペチーノって何だ、パッションの意味がわからん。
キャラメルって名前がついているものだけで二つ以上あるし、もとより一番安いやつを頼もうと思っていたから良いが、トールとかベンティは何なのだろう。
本来ここは東京、その中の珍しくもない通りのはずなのに、富士樹海に何のヒントや知識も無く放り出された様な孤独感。
久しぶりに感じた知らないものに挑戦する孤独。
どうしたものかと睨めっこしていると、後ろから帽子を剥ぎ取られた。
「ぎゃあ?!」
何事か、ひったくり?
そんな気持ちが逆巻く心のまま周りを見渡せば、犯人は自分のすぐ横で帽子をひらひらとさせながら笑っている。
正直キレていた。
サングラスと黒い帽子で顔を隠したその女性から帽子を奪い返そうとするが、華麗な身のこなしで触れることすらままならない。
決死の覚悟で飛びかかって取り戻そうとしても、『おっと』と余裕そうに避けられて僕の体は硬い硬い地面に叩きつけられた。
痛い。
特に顔の左側。
泣きそうになっていれば、犯人は少しだけ焦った様子でこちらに駆け寄って来てサングラスを取る。
見覚えのある顔だったが、今はそれ以上に荒らし尽くされた心を鎮めるので精一杯。
またアイドルに会えた事を喜んでる暇なんて、存在していなかった。
「からかい過ぎちゃった、大丈夫?」
「......」
「あれ? おーい?」
「ぎら゛い゛」
「えー......?」
店内の椅子に座り、複雑な心境で
さっきはやられた行動と痛みのせいで喉から『きらい』なんて言葉が出て来てしまったが、別に本当の意味で嫌いと言ったわけではない。
ついつい出てしまった事で。
というか、返してもらった帽子を大事に被っている時点でわかってくれ。
「はい、キャラメルマキアート!
それと私の抹茶フラペチーノ、君の奢りね?」
「ひどい?!」
「うそうそ。」
注文してもらった物を受け取るや否や繰り出されるアイのからかいに疲れながら、何故か1ファンがこうして対象のアイドルと共に居れる状況に焦りを感じる。
こういうのって週刊誌に撮られたりはしないのだろうか?
アイドルはそういう事を最も警戒する人種だと思っていたのだが。
彼女は僕のそんな考えなど梅雨知らず、美味しそうに抹茶フラペチーノを喉へ流し込んでいく。
「本当、
弟とかいたらこんな感じだったのかな?」
「......ダイチです。
まあ、色々覚える事とかあるでしょうから名前忘れてても...... 苦!?」
「混ぜたほうがいいよ、キャラメル。
んー...... 私、名前覚えるの苦手だし。」
母親のくれた物とは別物の様な苦味が舌を包み込み、蓋を開けた時に鼻腔をくすぐった甘い香りは嘘だったと味覚が脳へ伝達する。
『飲む?』と勧められた抹茶を断り、痩せ我慢をして身を震わせた。
「そういえば最近のライブ、来てないね。
なんかあった?」
「うぇ...... いや、大した理由じゃないけど、どうにも身長のせいでステージが見えないんですよ。
そうなってくると行かなくてもいいかなって。」
「ふーん。
......じゃあ次は来てよ、見えるようにするからさ。」
「え、まあ、じゃあ。」
その一方で、彼女はどこか物憂げに外を見ながらストローを口につける。
彼女もアイドルである前に人間、何か嫌なことでもあったのかもしれない。
アイドル。
彼女は相当ぶっきらぼうだし、それに加えてさっきみたいにイタズラも仕掛けてくる。
芸能界は縦のつながりも横のつながりもある社会だと事務所の元先輩は言っていた。
そこで好かれるには純粋さを持つことだとも。
B小町はデビューした同期と比べると新進気鋭と言えるグループであるが、それゆえにセンターを張る彼女がこういう感じだと、どこかで伸び悩むのでは?
試しに劇団のワークショップにでも── と、これはお節介か。
......でも、僕が聞いたところで何かが変わる事もないだろう。
部外者でしかない小学生の言葉が誰かを救えることなどありはしない。
濁ったキャラメルマキアートへ視線を落とし、それを一度机の上に置いてから手鏡を取り出す。
──久しぶりに演じてみる事にした。
僕の
「そうだなあ。
『......アイが何で悩んでここに来たか、どういう気の変化で僕にイタズラしたのかはわからないけど、愚痴の一つや二つ溢してみればいいのに。』」
「え?
......でも、そんな事したらダイチくんは失望しちゃうでしょ?
彼女はその後に『おしゃれでもないしね』と付け加えて自分を卑下する。
アイドルはアイドル、その人はその人として見れない人がいる。
そういう人は、例えばアイがアイドルとして成功していけば勝手に恋をして、もし彼女がただの人間として幸せを掴むために結婚すれば、怒って勝手に失望するだろう。
僕もそうかもしれない。
もしこれでアイから『好きな人がいる』なんて愚痴を引き出したなら、帰ってから二ヶ月間くらいは凹んで立ち直れないはずだ。
それでも、だ。
頭に被った白い帽子を指差し、にっこりと笑う。
「『僕は終身名誉ファン一号だ。
アイが辛そうだったらきっと僕も辛いし、どんな形でも嬉しそうだったらこちらも嬉しい。
たとえ貴女の在り方が嘘だとしても、元気にアイドルをやってほしいから。
それに、ほら。
キャラメルマキアートみたいな物だよ。』」
下のコーヒーを素のアイ。
上のミルクとキャラメルをアイドルのアイとする。
片方づつ飲めば対して美味しく無いが、これを混ぜるとどうだろう。
とても美味しくなる。
これは表と裏、
清濁飲み込む事、清濁飲み込ませる事。
常にアイドルという嘘を貼り付けていては何処かで破滅的な行動に身をやつしてしまうから、それだったらここで吐き捨てればいい。
ファン一号がその程度で失望するものか。
「『だから不平不満くらい
間違えた、どうか聞かなかった事に......」
まずい。
やはりブランクがあったか、大事なところで間違えた。
僕は彼女の弟で無いことは周知の事実であろうが、心のどこかに彼女の言った『弟とかいたら』の言葉が引っかかっていたのだろう、ぬるりと出て来てしまった。
恐る恐る顔を上げれば、いつのまにか迫って来ていた両手が両頬を捕らえてもみくちゃにする。
「──やだ。
そこまで言ったんだから、嘘でも聞いてもらうからね?」
「
「実はさ、近くのコンビニに売ってたハーゲンダッツが高くなって!」
「何円くらい?」
「325円!」
「ガリガリくん四本買えるじゃん......」
『来月またここに来てね、愚痴聞いてもらうから!』とだけ言い残して帰った彼女を見送り、大切に大切にマキアートを飲む帰り道。
彼女の前で演じた自分に少しだけ失望していた。
感情の乗りも、笑顔の作り方も、何もかもが劣化している。
既に燃え尽きたと思っていた
不定形の感情がだんだんと新たな柱を作り出していく感覚。
この不思議な感覚に心が呑まれないよう、必死に自分を抑えていく。
歪に変化した思いが一つ、焦土に目を出した。
ちなみに次のライブ。
言われるがままに来て、いつものように後ろ側へ位置取る。
小さくペンライトを振って始まった歌を聴いていれば、彼女たちの取った行動に息を呑んだ。
振り付けの中にジャンプを入れて来たのだ。
確かにそうすれば身長の低い僕に見える。
「最高のアイドルだ。」
僕はやはり、彼女の
『たとえ貴女の在り方が嘘だとしても、元気にアイドルをやってほしいから。』
「......ふーん。」
私の嘘を肯定したのは二人目。
一人目はスカウトに来た社長だった。
『嘘でも言い続ければ本当になる』なんて、文字通り嘘か本当かわからないけど、私はそれに乗った。
そして今回も、彼の甘言に誘われてみる。
何が嘘で何が本当か、私の吐いた言葉ですらわからないけど、『元気にアイドルをやってほしい』ってファン一号の言葉は裏切れない。
私は
だから純粋なダイチくんの前ではそうであり続ける。
嘘はとびきりの
......名前、覚えれたみたい。
「もしもし社長?
うん、この前のプロデューサーから勧められたワークショップ、受けてみる。」
今度会う時からは少し、身なりに気を付けてみようか。
キャラメルマキアートは混ぜないと苦かったです(中学生当時)
スターバックスコーヒーではなくバッカスなので許してください