日本武道館を埋め尽くすペンライト、歓喜の叫び。
普段は柔道や剣道などのスポーツやプロレスなどのエンターテイメント、果ては学校の入学式にTV番組の生放送で使われるメイン会場にまで。
幅広く使われるこの武道館であるが、この瞬間だけはアイドル── B小町の独壇場。
ラストの最も大事な場面。
ここでミスをすれば、失敗してしまったら。
その様なマイナスの意思に縛られることなく笑顔を見せた彼女たちの姿は、まさにこれからスターダムへと駆け上がっていく運命を暗示させる。
一瞬途切れた音楽の中で一糸乱れぬコンビネーションを決め、息を呑むと同時に盛大な歓声が武道館を包み込んだ。
ステージ上にて美しい汗を弾けさせながら、彼女は言う。
『愛してるよー!』
......と言うわけでリモコンの停止ボタンを押し、いそいそと部屋の電気スイッチへ手をかける。
明るくなった小さい部屋は武道館と比べてしまうと豆のように小さく、かつ少々殺風景。
でも僕にとってはとても心躍る場所でもあった。
「──やっぱB小町のライブ
生で見たかったってのはあるけどDVDも悪くないっしょ、ダイチさん。」
「たしかに。
......でも、流石にさん付けやめにしない?
なんだかんだでシノとは半年以上の付き合いがあるわけだし、そろそろ呼び捨てでも良いんじゃないかなって。」
そう、ここは田仲シノの家。
始まりは先日、僕が『ライブDVDを観たことがない』と話した事から。
『勿体ねぇよダイチさん?!』
というわけで休みを使い、彼と共にライブを楽しんでいたのである。
これまでライブというのは基本生で見ていたわけだが、こうしてDVDを見てわかった事がある。
それはいい音質、細かく見やすいカメラワーク、そして好きなタイミングを見直せるという安心感だ。
音質に関しては説明不要、ライブ会場では聞き取りづらかったであろう声やメンバーそれぞれの盛り上げなども鮮明に。
次のカメラワーク、これが最も衝撃を受けた点だ。
いかんせん地下アイドルの存在からメジャーアイドルとなったB小町のライブには、たとえライブのチケットが抽選に当たって手に入ったとして、苦虫を噛み潰したような苦痛に耐えねばならない時がある。
それが
悪い席、というのは結局主観でしかないが、それはステージから遠すぎるとか、周りの人間がうるさかったり体臭のすごい人だったりがいてライブに集中できない席のことを、僕は悪い席と呼ばせてもらっている。
──このDVD観戦において、その様な事は断じて無し。
ただ純粋に大好きなアイドルの大好きな姿を目に焼き付けられる。
このストレスフリーさに加えて好きなタイミングでの一時停止や巻き戻し。
至れり尽くせりという他ないだろう。
......と、少々熱く語った今の点が、僕のライブDVDへの感想。
気づかせてくれたシノには感謝感激。
一息つこうと思い、『勝手に取って飲んでいいよ』と言われていたコーラを二つのコップに注ぎ、未だ余韻に浸った様子のシノへ手渡した。
興奮に乾いていた喉を潤し、談義に花を咲かせる。
「やーっぱりアイなんだ、僕の中では!
デビュー当時から洗練され続ける彼女の
「わかるっスねー、常に進化をやめないアイドル......
カワいさの裏に内包された、オレ達を引き摺り込む
テレビにも出始めて、まるで我が事の様に
「というか、よく中学生のお小遣いでこんなに揃えられるね?
結構羨ましい......」
殺風景な部屋の中で一際異質な棚へと視線を移せば、そこは好きを形にした様なB小町だらけのコーナー。
もちろんそうやって置いてあること自体に悪い事はないのだが、気になるのはどこからその財力が出てくるのか。
聞いてみれば、彼は少し憂鬱そうな顔をしてから口を開く。
「......オレ、元々孤児で。
それで金は入ってくるんスけど。」
「......役者、なんだ。
すごいじゃん、スーツアクターってヒーローとかの。」
その答えに驚き、同時に納得もした。
僕のスマホを落下直後にキャッチできたのはその仕事からくる身体能力が故。
......しかしどうしても、中島ユキと田仲シノでは役者という言葉のベクトルが違う。
前者は華々しく、大衆にも拍手で迎えられる様な存在。
しかしスーツアクターとは
あくまで中身としてそのキャラクターを動かし、たとえ何があっても話題の主役になる事はない。
陰と陽。
光と影。
シノは頭を軽く掻いてから、ソファの背もたれに体を預けて天を見上げた。
「でも、これで良いのかって。
このまま行けばスーツアクターとして生きることになるだろうし、別にこの仕事が嫌いなわけじゃないんス。
ただ、B小町の様に進化するのでも無くこの立場に甘んじて、本当にいいのかって。」
これは彼にとって苦しい問題だ。
拾われた恩、そして自分がやりたい事でもあるスーツアクター。
それを続けて、その先に何があるのか?
彼が考えたのはきっとそこ。
僕の言葉では気休め程度にもならないだろうが、自分を崖に突き落とすか引き返すかで迷っているその手。
その手の震えを止める程度ならやれるはずだ。
「好きな事やってアイドルに想いを馳せて、飯食べて寝る!
それで良いんじゃない、僕らの生き方なんて。
やりたい事があるならそれをやり通すべきさ。
いつどこで、そのやりたい事をさせてくれる船から叩き落とされるかわかんないんだから。」
「......そうっスよね。
自分を活かせる場にいて、迷ってたら怒られちまう。」
きっとまだ悩んでいるだろうが、僕にできるのはここまで。
他人の人生はその他人が決めなきゃ。
どこまでも責任を取れはしないだろう?
と、シノは徐に立ち上がってある箱を机の下から取り出す。
宅急便の段ボールの様で、慣れた手つきでそのガワを剥がすと中から驚きのものが現れた。
それは先日発売されたB小町の初回限定生産CDボックス。
特典にはメンバーと2人で写真を撮れるチェキ会のチケットが全7種、ランダムで一枚封入。
ちなみに僕は買えなかった。
「だから迷わず開封すんだ。」
「──くっ、ゔゔぅ...... 良いなぁ......!」
「......ここか。」
数日経って、来たのはチェキ会の会場。
だいたい
既に会場内は熱を持つファン達がひしめいており、こう見えてライブやリアルイベントなどに腰が引けて行けていなかった自分の
黒いロングコートの下から見えるスポーツウェアを平手で叩き、痛みを通して自分に喝を入れる。
送り出してくれた友との違いを果たすため、いざ。
「フゥ〜......
いざ行かん、最後尾──
『おぉ?! すごい、めっちゃおめでとう!!
......僕? いやいいよ、これはシノのものでしょ?
そうだな...... じゃあ撮ってきたら見して!』
そう言ってチェキ会に送り出した友人。
自分にこのチケットが訪れたのはなんの因果か。
前の人間がいなくなると同時に光が差した。
蛍光灯やLEDの様な光ではなく、もっと強くて優しい光。
その眩しさに眩む視界から抜け出すと、そこに居たのは
「こんにちはー!」
「こ、こんちわ......」
不動のセンター、アイ。
目の前にしてみると
嬉しい、嬉しいが......
「──? 君、何してるの?」
「いや......その...... 滅茶苦茶嬉しいんスけど、笑えなくて。
こうやって笑おうとしてるんスけど......」
左右の指を口に突っ込んで口角を上げようとするが、話にもならない馬鹿のような光景に目の前のアイドルから疑問符が出てくる。
そりゃそう、としか言いようがない。
しかし彼女は笑った。
「アハハ! 君、面白いね!
ところで並んでる時、ずーっと下向いてたけど悩みでもあるの?」
加えての質問。
そんな事されるなんて夢にも思わず、すぐさま口から指を引っこ抜いて答える。
まあ、だいたいダイチさんに話した内容と同じだ。
すると彼女は『んー』と少しだけ考え、見覚えのある表情でその疑問に答えを出す。
「やりたい事があるなら、それをやればいいと思う。」
『やりたい事があるならそれをやり通すべきさ。』
友と彼女が重なる。
その時、まるで気怠くて動けなくなったオレの心に二人が肩を貸してくれたような気がして、少しだけ体が軽くなった。
やりたい事を、やるべきなのだ。
至極単純でありながら、選択肢の多い
撮ったチェキを受け取り、生で見た初めてのアイドルに背を向けて写真を撮った、
そこに写る自分は笑っていないが、心はちゃんと──
「......あー、もしもし、爺さん。
うん、オレもう少しやってみるよ。」
「ありがとうございましたー!」
武道館のライブもちょっと前のチェキ会も成功して、今月出したシングルの売り上げも上々。
このまま行けばB小町がトップになる日も近い── って、そう言ってた社長が嬉しそうだったから、私も笑う。
私自身もアイドルという仕事を始めて変わらなかったわけじゃない。
愛の伝え方も貰い方も知らなかった私が、『愛してるよー』なんて嘘を吐けば吐くほどファンの人達も私たちのことを愛してくれる。
こんな気持ちを言葉にして仕舞えば怒る人もいるんだろうけど、私にとって嘘はマイナスじゃなくて、愛の伝え方。
私の嘘は愛なんだというだけ。
街路を行きながら、疲れて気分の上がらない気持ちが自然とエゴサに向く。
そこには心に優しい言葉もあれば、ただ自分の予想をこの世の総意かのように語る人もいる。
『アイって裏でイケメンの男とよろしくやってそうじゃない? 好きになれないんだよね。』
「......そっかー。」
変な納得の声が漏れる。
アイドルは見る側にとって人間じゃなくて、ただファンを熱狂させるマシーン。
どれだけ苦しくても、どれだけ努力していても、人にとっては『明るく楽しく笑えば良いだけ』と捉えられる。
文句を言うことすら許されず、かと言って嫉妬して手を出せば少し前の脱退騒動みたいにこの世界にいられない。
......社長の若い子贔屓、色々言われてるの知ってるのかな。
もちろんファンだって理想の
そこに偶像の幸せを持ち込む事は許されなくて、永遠に甘い言葉を囁いて壊れるか飽きるかまで、心を奉仕に出さなくちゃならない。
アイドルに
『愚痴ぐらい吐いても──』
......や、完全にゼロなわけじゃないけど。
それでも私はアイドルだ。
理想でなくちゃ、どんなに辛くても愛を伝えなくちゃいけないこんな仕事、向いているはずがないのに何で私はやってるんだっけ?
そんなちょっとしたアンビバレント、それが私の原動力で。
後は...... 愛する対象が欲しくて。
二人ぐらい愛せるかもって人はいたけど、結局よくわからないまま今日も私は彼のところに行くだろう。
『アイって裏でイケメンの男とよろしくやってそうじゃない? 好きになれないんだよね。』
「うーん、私もそう思うかなー。」
ダイチくんも彼女とかできてるかな?
あの子いい子だもん、大切な人の一人や二人、ぽこじゃか出てきて...... ぽこじゃかはやめようか。
「......ん。」
スマホにメッセージの通知が入り、今日はどこで待ってるとかの簡単な言葉だけが届く。
彼にとって私はなに?
疑問を踏みつけて歩き出そうとした時、そのメッセージの一番下── 『大事な話をしたい』という言葉にちょっとした予感を覚える。
まあ、いっか。
でも......
「──この関係、やめにしましょうか。」
私はどっちを選べばよかったの?
今日はあと一話更新します