「僕からは何も聞きません。」
弱まってきた雨の中、背中におぶった最強無敵のアイドルに傘を持たせて家路を歩く。
帽子を深く被らせて顔の見えなくなった彼女にそう言ったのは、良くも悪くも彼女がプロの
身に染み付いてしまった在り方というのはそう易々と変えられるものじゃない。
だから僕が『何があったの?』なんて聞いても本当の答えは帰ってこないだろうし、自分自身それを聞きたいとは思わない。
だから、それについての愚痴は吐きたくなったら吐くでいいんだ。
ステージ上じゃない時ぐらいはただの女性で。
「え、私は聞くよ?
ほーらうりうり、彼女とか出来た〜?」
「ちょっとやめンフ、ンヌフハハハハハハ!」
......そんな気遣いが届いてるのかいないのか。
腰のあたりを足で挟んで安定した体からこちらの脇腹に魔の手が迫り、くすぐりに思わず口角が緩んだ。
というか彼女なんて出来るわきゃない、たかが数ヶ月しか経ってないのに。
「そうなの? 残念、優しいのに── へくちっ。」
「ほら言わんこっちゃ無い、ちょっと走るから掴まっててくださいね。」
水たまりを避けながら走り出す。
家に風邪薬はあったかな、母親はちゃんとメッセージを見てくれたかな。
そんなことばかり考えていた。
なぜかと問われれば、そうしなきゃ背中にいる関係を断ち切ったはずの彼女を意識してしまいそうだから。
うっすらと浮かんだ笑みはくすぐりによるものか、それともまた会えた嬉しさからか。
わからないけど、どっちでも良かった。
「寒ーい、カイロとか無いの?」
「『使わないですよ、幼稚園の頃それで火傷しそうになったんだから。』」
だって演技してないと正気を保てない。
脳内を簡略化し、言語化してみよう。
──抱きつかれてる抱きつかれてる良い匂いする足細ッ、落ち着くんだ...... 落ち着いて走れば何事も『ムニッ』?
......うわぁぁぁあ!!? 当たっているッ!? ナニとは言わないが柔らかいものが?!
がぁあああ!!!
......これでも取り繕っている方だ。
そんな嵐の中を抜け、ついに家へと辿り着く。
屋根の下にまず彼女を下ろし、すっかり濡れてしまった上着から鍵を取り出して扉を開けるのと同時にドタドタと母親の走ってくる音が聞こえてくる。
ちょっと心配だったのだろう、珍しくスリッパを履いておらず素足だ。
こちらを見るや否や『彼女でも連れてきたのか』と言わんばかりにオロオロとしている。
「え、えーっと、寒いわよね、お風呂沸いてるから入って!」
「彼女じゃないよ。」
「えっ、じゃあどなた?」
「こんにちはー。」
そう言って帽子を取った彼女を見て何かを察したらしく、口を手で押さえてただ頷くだけの人間と化してしまった。
まあ騒がれるよりは都合が良い、風邪をひいてはまずいだろうということでアイを風呂場へ案内し、揶揄われる前にそそくさとリビングへ向かった。
そこではなんとも言えない顔のお母さんとお父さんが待ち構えており、どうしたものかと言いたげな雰囲気を醸し出している。
どうしたんだろなーと他人事の様にリンゴジュースに手を伸ばそうとしたが、よくよく考えてみれば不味いな、と。
『じゃあ適当なネットカフェでシャワーでも使えば──』
『えー、どうせダイチくんの家のが近い。
嫌だなぁ、そんなふうに女の子を扱ってたらモテないよ?』
いや、セーフか?
家に連れてくるのってそりゃ許可を得ていなければダメだが、今回はそれを良しとして...... わからない。
これでアイが『無理やり連れてこられました』とか言い始めたらきっと僕は死ぬ。
お父さんの筋肉ムキムキラリアットを食らって死ぬ。
せっかく冷蔵庫から取り出したジュースを仕舞って、リビングにある椅子に家族3人で座った。
重苦しい空気が流れる。
「なあ......」
「うん。」
「アイドル...... アイドルをさ、連れてくるってさ。
お父さんお前がそんな、そんな
「ち・が・う!!!
そういう関係じゃないの、僕には恋人とかいーなーいーのー!!!
そもそも現役アイドルでしょうが! 迷惑になるんだからそういうウワサとかを憶測で話すな!」
流石にキレる。
そもそも僕は人助けのつもりで彼女に傘を差し出したわけで、その結果家に連れてきたら
オウこら反抗期の子供を見る目を向けるな、こちとら正当な理由で怒っとんねん。
「でも現役だって幸せくらい掴んでも良いと思うのよね。
ほら、お父さんだって昔はボディビルダーで、大会で優勝した後私にプロポーズ──」
「ぅわあこんな所で親の馴れ初め聞きたくなかった?!
知らんわそんなこと、幸せを掴むかどうかは彼女次第でしょ?!」
「お風呂出たよー?」
「ありがとう!」
自分の家で使われているシャンプーの匂いがすれ違ったアイドルからする、なんて不思議な状況にいっぱいいっぱいになりながらも風呂場へ向かって歩き出す。
なんだか変な気分だ。
シャワーで洗い流そう、そうしよう。
「......?」
素のダイチくんをひさしぶりに見たかもしれない。
最後に見たのは彼が『大好き』と言ってしまった時で、思えばあの時もらった消毒液は時折同じものを買うくらいには好き好んで使っている。
肌が荒れないっていうのはアイドルにとって良いことだ。
お風呂上がりに柔らかくなった体を伸ばしていれば、彼の親御さんがおもむろに立ち上がり、いそいそと食事の準備を始める。
なんとも言えない疎外感。
替えの服を借りこそしたが、雨があがったらさっさと帰るべきなのだろう。
そんな事を考えていれば『ちょっと』と声がかかった。
思わず身構える。
どこに行ったかわからない母親の幻影が頭の隅をチラつくが、次に自分へかけられたのは罵声ではなく、優しいちょっとした質問。
「見たところ雨も上がらないみたいだし...... あなたもご飯食べて行くといいわ。
チンジャオロース、苦手?」
──そっか。
彼らはお母さんとはちがう。
殴らないし物を投げることもない、きっと白米の中にガラス片が混じってることもない。
ちょっとだけわかる。
これがこの人達なりの愛なんだって。
「──大好きです!
お手伝いしますね!」
「あらいいの? じゃあご飯茶碗によそってもらえる?
好きな量入れて良いわよ。」
「アイスもあるから──って、体冷やしたらまずいか。
......みかんでいいか、デザートにでも食べるといい。
なんやかんやで、君はダイチと俺たちの恩人だからね。」
「ふぅアー...... ぜんっぜん落ち着けない......!」
風呂を出て体拭いて服を着て、軽いストレッチをしながら呟く。
よく考えてみてほしい。
自分の好きな
僕は良くて一分が限界で、あとはずっと頭にシャワーを掛け続けていた。
......結局、アイはどうするんだろう?
服は洗濯機が回っているところを見るにまだまだ乾かないし、加えて外の雨も止む気配がないどころか強まってきている。
今日一日この家にいるのはまだ良いとして、翌日以降もなんてありえないことが現実になれば、スキャンダルとして撮られてしまう可能性だってあるだろう。
要らぬ心配、おせっかいか。
と、こんな事を考えていてもお腹は減る。
ちょうど良い匂いもしてきたという事でリビングへ向かえば、そこには美味しそうなチンジャオロースと談笑する3人。
ちょうどアイの横が空いており、『どうぞ〜』といった感じで僕の茶碗が置かれている。
......もう吹っ切るしかないのか。
椅子に座って箸を受け取る。
「あ、アイちゃん泊まるわよ。
ベッド貸してあげてね。」
「いやまぁ、良いけども。
臭かったら申し訳ない。」
まあこの程度は予想していたので驚かない。
どうせ1日だけだ、それなら別に──
「──二日だから、その間。」
「ちょっっっと待って。
......なんで?」
だが、しかし、待ってほしい。
おかしい。
だってアイがここにいる理由はないはずだ、それこそ事務所が許してくれやしないだろう。
困惑と懇願の目で彼女を見れば、その無垢な表情で何の迷いもなく頷いた。
「事務所には『友達の家に泊まる』で通してあるから!
よろしくね。」
「ヒエッ......」
そう言って見せられたスマホに写っていたのは、おそらく事務所の社長であるサングラスの男性。
多分バレたら殺されるんじゃないかな。
その日のご飯は味がしなかった。
でも──
「おいしー!」
「嬉しい、家族じゃない人からそう言われると自信がつくわ!」
楽しい食卓ではあった。
久しぶりにこんな騒がしいご飯を食べた気がする。
前にこうやってご飯を食べたのは...... オーディションに合格したあの日が最後かな。
「ねえ、ダイチくんのその火傷、どうしてついたの?」
電気を消した自室。
長方形の底辺上辺の関係みたいな距離で、アイが一つの疑問を問うてくる。
誰に言う気もなかった。
勿論それはシノやアイにも。 だが──
『私は君の顔、嫌いじゃないんだけどな〜?』
そう言ってくれた人だ。
上半身を起こし、少しだけ床に敷いた布団をベッドに近づけて机の上からライトを下ろす。
優しいオレンジの光に照らし、昔のアルバムを本棚から引っ張り出してある写真を指差す。
「......誰にも言わないで。
親にも隠し通そうとした事だから。」
それは僕が登りかけた階段の話。
ただひたすらに努力をした、今は亡き夢の旅路である。
日刊加点ランキング(二次創作)に入れました。
ありがとうございます