強い日差しに瞼を貫かれ、目を閉じているのに眩しいと言う矛盾めいた感情に突き動かされながら体を起こした。
既に部屋の隅っこに敷かれた布団から彼の姿は消えていて、立ち上がり一番最初に見るであろう机の上には『朝ごはんをちゃんと食べて、休みなのだから英気を養うこと』と少々説教臭い一文が書かれた紙が一枚。
人差し指と親指でそれを摘み上げヒラヒラと揺らしてから、無意識に微笑んでゴミ箱に投げ入れて伸びをする。
いつだったか、ダイチくん── というかもう呼び捨てでいいか。
ダイチを『弟の様だ』と評したのは。
私のイタズラに多少嫌な顔をしながらもそれを受け入れ、かつゴシップを手に入れようとする記者たちの様にズカズカと入り込んでくるわけじゃない。
付かず離れず。
その関係の維持に命をかけている様にも思えるが。
正直、彼の存在は私の弱さ。
ちょっとだけ『うーん』ってなりながら互いの事を考えて関係を切ったのに、それでも少し傷付いたらダイチを頼っちゃって。
多分雨の日に出歩いてたのだって、心のどこかで彼が現れてくれるのを期待してたから?
どうなのかはもうわかんないけれど。
......
多分スタバで話したあの時、ファンとアイドルの垣根を超えてしまったあの時から。
アイドルとしての
社長も、元カレ......うん、元カレも、その目の向こうには
でも、ダイチはどうだろう。
『ガリガリくん四本買えるじゃん......』
誰がお高いアイスとガリガリくんを比べるか。
......それは重要じゃなくて。
お高いアイスの中に隠された安くて価値の薄い
もちろんライブの時はアイドルのアイを見てたけど、二人きりの時は──
「ずっと、見てくれてたもんね?」
「あらおはよう。
ダイチはランニングに出かけちゃったし、もうお昼だけれど...... 軽くか
「ちゃんとでお願いします!」
寝癖を直すことにものぐさの自分が現れ、もう良いやって事でリビングに降りる。
既にダイチは出かけた様で、残っていたのは休みの母親と私だけ。
日差しが強かった理由にも昼だからと言う理由がつき、自然の目覚ましを受けながら椅子に座って水を喉に流した。
少し待って出てきたのは定食の様な一汁三菜の料理たちで、今まであんまり家で食べたことのないタイプの昼ごはん。
箸を受け取り、いただきますと呟いてからメインの鮭をほぐして口に運ぶ。
適度な塩味、そして鮭本来の旨みが広がり、白いご飯に手を伸ばせばまさに至福の一食目と言ったところ。
そこに流し込む味噌汁と、食感で飽きを来させないサラダが合わさってひとつの息を吐く。
安心からくるものか、満腹から来るものか。
どちらにしても幸福から来るため息であることに変わりはない。
ごちそうさまでしたと満足を示す言葉を漏らせば、母親はクスリと笑って持っていたコーヒーを机に置く。
こちらをみるその目は優しく、しかし寂しそう。
何かやっちゃったかな。
そう思って頭の中を探る直前、彼女は嘘を剥がす様にコーヒーの水面に顔を写し、少し迷った風に口を開く。
「──アイちゃんは、あの子から火傷のことを聞いた?」
どう答えるべきだろう?
これってなかなかセンシティブな話題で、どう答えれば正解なのかがわからない。
テレビとかインタビューと違ってこの言葉に返せる
嘘で塗り固められた私という存在と相性が悪すぎる問いに言い淀んでいれば、彼女はまた申し訳無さそうな笑いを見せて言葉の意を見せる。
まるでコーティングが剥がれた様。
「そのね、問い詰めようって訳ではないの。
むしろアイちゃんには感謝しているのよ?
ただ...... ただ、あの子と笑い合ってたはずの子達はみんな、あの火傷で消えていった。
あんな風にした子を
軽く言い放った言葉に戦慄する。
何もふざけているからとか、そういう人間だからその言葉を吐き出す為の引き金が軽い訳じゃないんだ。
私が嘘と混ざり合って戻れないように、彼女も殺意と親心に挟まれて。
それじゃあ確かに、ダイチも本当を言えない。
「でもね、ダイチはそれを望まないだろうから。
親だもの、自分を殺してでも子供の幸せ、やりたい事に理解を示してあげるべきだからね。」
「──そう、なんですか?」
親だから。
そう言った彼女の言葉に、私は思わずハテナを浮かべて首を傾げる。
これはその考えが理解できないってわけじゃなくて、自分の母親がそれとは全く違ったから。
単純に母親がそういうものだと知らなかった。
「そうよ?
貴女も母親になればきっと分かるわ。
自分の子供ってとーっても可愛くて、なんでもしてあげたくなっちゃう!
......中にはそう思えない人もいるだろうけど。
アイちゃんはアイドルである前に一人の女の子だもの、自分の幸せをちゃんと探してね?」
自分の幸せ。
彼女はそれを、子供を作ることだとか誰かを愛することだとは言わなかった。
では私はどうだろう?
誰かに本当の愛してるを言いたくて、そうやって愛せる対象ができるかもって思ってアイドルを始めたけど、その先にある幸せって?
嘘が本当になる事?
それともどんな形であれ、心の底から愛してるって言うこと?
ブー、とその二つに
そう言えばランニングに行ったんだった。
画面には友達から送られて来たものだろう、『今度の休み、また小町のDVD見ません?』と。
......ちょっと妬いちゃうな。
私にはそこまで仲良しな人はいないのに、彼にはいるの。
まあその辺は後で聞こう。
スマホを手に取り、着替える為に部屋へ戻る。
そうそう、彼女の言葉に答えるのを忘れずに。
「......私の幸せ、手に入れてみます!」
そう、
「──あれ。」
朝に家を出て、もう昼過ぎ。
特別疲れたこともないがやはりお腹は減るもので、ちょっと早めに帰ろうかと思ったその時。
信号の向こう側で手を振る女性がいた。
信号が青になるのと同時に駆け寄れば、既に被っていた帽子を奪い取られてまた別の帽子が頭に乗せられる。
それは今の今まで彼女が深く被っていたもので、交換のような形になった。
色褪せた白、うさぎの缶バッジ。
またこの帽子をかぶる日が来るとは思いもしなかったが、その時はどちらかと言うと嬉しい気持ちの方が強かったかもしれない。
「スマホ忘れてたよー?
ちゃんと持っておかなきゃ私に盗まれちゃうかもなのに。」
いや、忘れた訳ではないのだが。
むしろランニング中くらいは一人になりたくて置いて行っているわけで、そういう面から考えると彼女のやった事はお節介みたいなものだが......
まあ、これも優しさだろう。
たまには人が横にいての散歩も悪くない。
しかしいただけない。
メッセージアプリを開いて最初に目についたのは、新しい友達の欄。
当然のようにいる『アイ』の二文字に頭をクラクラさせながら、何がどうしてこうなのかを問うてみる。
「ねえこれ......」
「え、聞いちゃう?
デリカシーに欠けてるなぁ、乙女の繊細な心くらい読み取らなきゃ!
......嫌だった?」
うーん、弱い。
まさか身長が伸びる事で上目遣いに弱くなってしまうとは。
もとより女性耐性がないのもあるだろうが、その行為に僕は小さく唸り声をあげて『ヤじゃない』と漏らすことしかできない。
ランニング終わりでただでさえ動いている心臓を、どうかこれ以上いじめないであげてほしいが。
そうして彼女の行為を肯定すればさっきまでの申し訳なさそうな顔はどこへやら、転じて楽しそうに喜びながら密着してくる。
心に関しては幸いにして先日ほど荒波な訳ではない。
「ねえ、ダイチって好きな人いる?」
「アイ。」
ノータイムで問いに答えると、彼女は目を開いてちょっとだけ頬を染める。
ファンがアイドル様を好きじゃない理由は無いし、なんなら陸川ダイチとして恋していると言ってもいい。
四年前からずっと。
もちろん、アイドルではないアイの事もである。
特別慌てふためいている訳ではないが、これまで僕の心を弄んできた彼女に強烈なカウンターを喰らわせた。
その事実にちょっと気分が良くなり、足早に歩こうとすれば思い切り脛へと衝撃が走る。
「痛い?!」
「......ズル。」
──なんと言えばいいのだろう。
アイはアイドルとしてみればトップクラスで、その姿に魅了される人間も僕含めて少なくない。
しかし人間的にはここまでやられた通り。
イタズラするし照れ隠しもする、年相応の女の子。
一番最初、確かに僕が好きになったのはアイドルの彼女だった訳だが── いつのまにか、こうやって取り繕わない彼女に恋をし始めていたのだ。
......とはいえ、一度断ち切った関係が再度繋がるなんて事は考えていなかったもので、どうしたものかとこれからを思案する。
この帽子だって着ける気は無かったのだけれど...... まあ、いいだろう。
「帰ったらずーっとくすぐるから!」
「まじで死んじゃうからダメです。
笑って死にたいけど笑い死にたいわけじゃないから。
苦痛と満足は違うんで......」
「違うの?」
「流石に違うでしょ。」
「......ねえ。」
「......」
「ねーえ?」
「勉強中。」
「そればっかりー。」
両親の出かけた夜、彼女に自分にとって唯一の得意料理であるパスタを振る舞い、そのうち始まる期末試験に向けて勉強を開始した。
──のはいいが、一人で集中する為さっさと彼女を風呂に突っ込んで来たというのに、ワークを数ページ進めたところですぐに帰って来てしまったのは予想外。
リビングでテレビを見るよう勧めれば『面白くなーい』。
かと言ってここでアイに構えばこの学習が進む事はないだろう。
だからこうしてそっけない態度を取る。
心は痛むが、こうでもしなければ今後の進路に支障が出る。
致し方のない事だ。
不満そうな面持ちで横にあるベッドを揺らす彼女は大事そうに枕を抱えていて、その姿のひとつでも写真に収めたくて仕方ない気持ちがない訳ではない。
「──じゃあなんの勉強してるの?」
「そんなに面白いものじゃないけど。」
軽く言葉を濁す。
なんの勉強をしてるのかと聞かれて楽しくはないと答えるなんて、相当的外れな返答ではある。
やはりと言うかなんと言うか、この雑な論点ずらしで躱せるわけもなく、彼女はベッドから降りてするりと僕の後ろに立っては揶揄うように耳元で喋り始めた。
息がかかることによるくすぐったさに顔を強張らせ、後ろ抱きによって触れる背中への温かさが少しの安心感を与えてくれる。
「そうなんだ〜? それなら
「お姉さんて...... 」
いや、でも、お姉さんと言う歳の差ではあるのだが。
どうにも姉という気はしない。
さて、何を隠そう僕が勉強しているのは保健体育。
他の教科は良くて7割、悪くて5割とそこそこのアベレージでテストを迎えられそうであるが、この保健体育に関してはその限りではない。
良くて5割、悪くて3割。
もちろん原因はあって、教師の話し方の問題か何なのか、どうしても入れたはずの知識が脳内からずり落ちてしまうのだ。
結果、その教科だけ点数が著しく悪いというアンバランスになってしまった。
だがこれでも努力家。
ちゃーんと考えて、今回は自分自身で色々試行錯誤しながら学ぶことにした。
まるで自分自身に教えるように丁寧に丁寧に。
とは言え理解しづらいことも多いが。
一方のアイは開かれたページに書かれた男体と女体を凝視しながら、一度二度と息を吐く。
確かめるように、考えるように吐き出されたそれの後、ヤルべき事を見つけたが如く艶めいた声が耳を撫でた。
「──私、教えられるよ?」
とても魅力的、かつ、蠱惑的。
僕の目を惹きつけて離さないその毒牙のような振る舞いに囚われれば、もう視線を外すことなど不可能に近い。
またするりと首筋から腕を抜き、こちらの視線が向いているという確信があるからこその笑顔を見せながら、ぺたん、と柔らかくベッドの上へ腰を下ろした。
さっきまでのむくれた顔とは違って、今度はまるで挑発するような大人びた余裕の表情に意識は持っていかれ、もう逃れる事はできない。
「いや、でも......」
「ほら。」
逃れる事は、できない。
少しの理性すら連れて行かれ、手を引かれるままにベッドの上へと導かれて。
──その次の日、僕は朝のランニングを諦めた。
それだけのことがあったという事は僕の心とアイの記憶の中でだけの秘密。
休みが終わって二人とも元の道に戻る日、ボーッとしたままの頭で歩いていれば、思い切りつまづいて盛大に転げ回る。
僕はこれほどまでに動揺しているというのに、アイはいつも通りに笑って倒れた僕を覗き込んだ。
「あはは、大丈夫?」
「恥ずかしー......」
でも、そうだな。
これほどまでに心から笑った顔が見られたのなら、たまには盛大にすっ転んでみるのもいいのかもしれない。
こんな顔になっていなければ出会うことも無かった縁だから。
それからメッセージなどでやり取りをして、次に顔を合わせたのは──
おおよそ、
感想等ありがとうございます。
見れたら返信を返していきます