右京と尊の姿は宮崎県高千穂にあった。
九州の中でも屈指のパワースポットであるこの地は、日本神話で有名な天孫降臨伝説やら、神々が集ったという国議りの地など、数々の伝承に彩られている。
しかし、観光のために訪れたわけではない二人はそれらの観光地に立ち寄ることなくかつて雨宮吾郎が勤務していた病院を訪れていた。
街から少し外れた山道を車で登った先にあるその病院は、療養施設を兼ねているのか、宮崎の山間部には珍しい大きな建物であった。周囲を深い山々に囲まれており、都会の喧騒とは程遠い静寂に包まれている。
駐車場に車を停めると、二人は受付に向かい、尊が入館記録に記帳をする横で右京は慣れた様子で受付に向かって警察手帳を提示した。
受付の看護師も突如現れた警視庁の刑事を名乗る二人の姿に驚いた様子であったが、かつてこの病院に勤めていた雨宮吾郎医師について話を聞きたいと説明したところ、すぐに上司にかけあってくれて、雨宮吾郎と同じ産婦人科に勤めていた一人の看護婦から話を聞くことができた。
ビジターカードを受け取った二人がロビーで待つことしばし、一人の看護婦が受付に顔をだした。
年のころは30前後であろうが、川村恵理子と名乗ったその看護婦は、病院の敷地内のベンチに腰掛けながら、尊たちが差し出した名刺を見て首を傾げた。
「警視庁特命係……あの、東京の刑事さんがどうして雨宮先生のことを調べているんですか?」
「東京で起こったある事件の捜査をしている中で雨宮先生の名前が出てきたのですが、如何せん未だに行方が分からない方ですので、その関係者の方から色々とお話を伺う必要がありまして。ただ、申し訳ありませんが、我々にも守秘義務があるものですから、雨宮先生がどんな事件に関わっているかまでは説明できません」
尊がそう説明すると、恵理子は納得したのか大きく二度ほど首肯し、そしておもむろに口を開いた。
「雨宮先生がいなくなったのは、確か先生が受け持っていた患者さんの出産予定日でした。あの時は、本当に大変だったんですよ……」
「大変だったと言うと?」
「患者さんの陣痛が始まって、すぐに雨宮先生に連絡したんですけど応答がなくって。代わりに別の先生が対応したんですが、患者さんのお腹の子は双子で、しかも患者さん自身小柄な方だったんで、中々赤ちゃんの頭が出てこなくって。ギリギリまで帝王切開をするかどうか決めかねてました。まぁ、結局は母子無事で済んだんですけどね」
「因みに、その日は雨宮先生は出勤されていたのでしょうか?」
「ええ。出勤されてましたよ。患者さんの陣痛が起こる少し前に、私は先生と一緒に患者さんの容態を見てましたから。ただ、先生がその患者さんの病室を出て行った後は一度も先生の姿を見ていません。先生、たまに患者さんの病室でサボってアイドルのライブ映像を見てたりしていたものですから、てっきりまたサボっているんじゃないかって思って患者さんの陣痛が始まった時に病院で手が空いてるスタッフ総出で病院中を探し回ったんですが、どこにも先生の姿はありませんでした」
右京の問いに、恵理子はその時の状況を思い出したのか、どこか疲れ切った表情を浮かべていた。
「アイドルのライブ映像ですか」
「ええ、ほら今ニュースですごい話題になってるじゃないですか、コンサートの当日にストーカーに殺されたB小町のアイ」
尊の呟きに、恵理子は苦笑しながら答えてくれた。思いがけず興味深い情報を聞いた右京の目に光が宿った。
「あのB小町のファンでしたか」
「先生、そのB小町の筋金入りのファンで、彼女達がデビューして間もない中学生くらいのころからのファンだって言ってましたよ。ああ、布教って言うんですか?患者さんにもCD聞かせてたし、配ったりしてたって話も聞いたことがあります。人当りもいい優しい先生で、患者にも真摯に向き合う人望のある先生だったんですけど、アイドルに夢中になってる姿はチョット呆れるしかなかったですね」
「それで、その出産があった日の後、雨宮先生は?」
右京が質問すると、恵理子は少し言い淀みながらもその続きを話し始めた。
「結局、雨宮先生はその後一度も出勤しませんでした。先生には家族もいなかったそうですし、自宅にも帰った形跡がないらしくて、全く連絡も取れないものですから産婦人科の責任者が警察に捜索願いを出したって聞いてます。こんな田舎の病院ですから、人員に余裕があるわけでもないし、すぐに補充の先生が入れられるものでもないので、雨宮先生がいなくなってからしばらくはすごい大変でしたよ」
「川村さんは、先生が失踪された原因に何か心当たりは?」
「さぁ……先生のプライベートのことはよく知りませんが、少なくとも職場では何かに悩んでいるような様子もありませんでしたし、最後に会った日も特に普段と違うところは何もなかったと思います」
「では、雨宮先生の姿が見えなくなったあの日、何か他に気になることはありませんでしたか?」
「気になることですか?……とは言っても、4年近く前のことですから」
「何か覚えていることがあれば、何でも結構です」
右京の言葉を受けて、恵理子は顎に手を当てながら考え込んだ。そして、しばらくするとハッとしたように目を見開いた。
どうやら何か思い出したらしい。
「そういえば、あの日……変な男の人がいました」
「変な男の人?」
尊が聞き返すと、恵理子はゆっくりと首肯した。恵理子の話によると、その男は雨宮吾郎がいなくなった当日、この病院に現れたというのだ。
服装や背格好は4年近く前のことということもあり覚えていないが、20歳前後の若い男だったという。
その男は院内をキョロキョロと見渡し、誰かを探すかのように病室のあるフロアを歩き回っていたのだという。その動きに不信感を覚えた恵理子は男に声をかけたところ、男はしどろもどろになりつつもその場を立ち去ったとのことだ。
「その日以降、その不審者の方を見かけたことはありますか?」
「いいえ。それ以降は見てないと思います」
「そうですか」
恵理子は時計をチラリと見て、申し訳なさそうに立ち上がった。
「すみません。仕事があるのでもうよろしいですか?今日予定日の患者さんがいるんです」
頭を下げ、仕事に戻ろうとする恵理子だったが、右京はそれを呼び止める。
「あぁ、もう一つだけ」
右手の人差し指を立てながら呼び止めた右京に、恵理子は怪訝そうな顔を向けた。
「先ほど僕たちはこの病院の受付で入館記録の記帳をしました。入館記録の記帳は4年前もありましたか?」
「入館記録は書いていたと思います。ただ、本当に名前と入院患者さんの名前を書いてもらうだけで、入院患者さんの確認がなくても記帳さえしてあればビジターカードをもらえて病院に入ることができました。今ではウチの病院、入院患者さんのいる病棟に入る時はビジターカードをつける決まりになっていて、そのビジターカードをもらうにも入院患者さんから予め内諾をもらう決まりになってるんですけどね。刑事さんは例外ですけど」
何か思い出したのか、恵理子はああ、と思い出したように声を上げた。
「そういえば、この時の不審者をきっかけに、ウチの病院はビジターカードの交付に入院患者の内諾が必要になったんでした」
恵理子は右京たちに頭を下げると踵を返し、足早に去っていった。
病棟へ向かう彼女の背中を見送りながら、尊は右京に囁いた。
「入館記録、4年前のものが残っているといいですね」
「このビジターカードを返却に行くついでに、受付で確認してみましょうか」
右京はそう言うと、尊と共に再び受付カウンターへと向かった。
ここまで書いてようやく出せた……
「あぁ、もう一つだけ」
右京さんを登場させてるのにこの台詞を言わせないなんてありえませんよ。