ようやく推しの子側の人物が話します。
「それで、どうするんですか、杉下さんは」
トリオ・ザ・捜一の去った事件現場で、杉下はいつものように四方八方にキョロキョロと視線を展開して気になるものを探していく。
この気になるものがないか視線を巡らす行為を尊は勝手に内心で右京レーダーと呼んでいる。この右京レーダー、一見事件には何の関係のないものにもよく反応するのだが、よくよく調べていくと、被害者の知らない一面が見えてきたりするので、確度は結構高いのだ。
早速、右京レーダーに反応があったのか、右京はアイのもとに近づき、屈みながら興味深く死因となった腹部の刺し傷を眺めている。
相変わらず死体が苦手な尊はそんな姿をチラチラと横目で見ながら、右京に問いかけた。
「おなかの傷、何が気になるんですか?」
「傷ではありません。その周りです……米沢さん」
声がかかった米沢が右京のとなりに屈む。
「ここ、生活反応がありませんか?」
米沢は眼鏡の角度を僅かに直し、注意深く右京が指さす場所を見つめる。
「……確かに、傷の周囲だけ圧迫され続けたような痕跡がありますね」
「確か、被害者は子供を抱きしめた状態で救急隊員に見つかったんですよね?なら、抱きしめられた子供の身体が傷を圧迫していたんじゃないですか?」
尊の指摘に右京は淡々と反駁する。
「アイさんは女性です。それも、腹部からの出血で意識が朦朧としていたであろうことは想像に難くありません。そのような状態で生活反応が残るほどの圧迫痕が残るほど、子供を強く抱きしめられたとは考え難い」
「確かに、今際の際の力で強く抱きしめたとしても、そう長く持つものじゃないでしょうね」
「それに、圧迫痕は非常に小さい。
「ちょ……ちょっと、待ってください。
「ええ。保護されたという男の子、その子の手なら、おそらくこれぐらいのサイズでしょう」
右京は驚きを隠せない米沢と尊の前で、さらに続ける。
「圧迫痕が残るほどの力で子供が力を加えたとなると、おそらくは全体重を手に乗せていたのでしょう。そして、圧迫痕は傷の周囲にのみ残っている。腹部からの出血に対する初期対応としては最善を尽くしていると言えるでしょう」
「いや、あの写真からすれば子供たちは4歳かそこらのはずですよ、そんな子供が母親の応急処置って……」
「ひょっとしたら、母親の出血を止めたい一心で傷口をその小さな手で塞ごうとした結果、偶然最善の医療行為になったのかもしれません。ですが、傷口を圧迫して止血を行う応急処置が適切になされていたのであれば、刺されてもしばらくはアイさんには意識があったのではないでしょうか。もし、犯人が顔見知りであれば何か彼女の最後の言葉にヒントがあるのかもしれません」
尊は渋い顔をする。
「しかし、最後の言葉を聞いてるのが4歳の子供ですからね……」
「母親を目の前で刺されている状況となれば、大人ですら冷静ではいられないでしょう。ましてや……」
米沢も唸る。事件解決のために、子供たちの証言が必要なのは理解できるが、母親を失ったばかりの子供に、母親を失ったときのことを詳細に聞くのは酷であり、気乗りしないものだ。下手をすればその子はPTSDを発症しかねない。暗に、後回しにすべきなのではという意見を含ませる二人だったが、真実の追求に妥協のない右京はここで怯まなかった。
「話を聞けるかどうかは分かりませんが、まずは様子を見に行きましょう」
米沢と尊はそろって表情を硬くした。
アイが住んでいたマンションの一室、住民向けのゲストルームにアイの子供たちはいた。
女の子--星野瑠美衣は駆けつけた関係者とみられる女性に抱きかかえられながら眠っている。その隣でよく似た風貌の男の子--星野愛久愛海が呆然と椅子に座りながら天井を眺めているが、焦点が定まっているようには見えず、何も考えることができていないようだった。
無理もないことだと尊は思った。
物心つくかつかないか、そんな年齢の子供が肉親の殺害現場を目の当たりにしたのだ。彼らの体験した悲劇は、察するに余りある。
刑事の入室に気づいたのか、男の子に寄り添っていた男性が立ち上がり、右京たちに歩み寄った。
「警視庁特命係の、杉下と申します」
「同じく、神戸です」
警察手帳を見せた右京たちに、男は軽く会釈した。
「株式会社苺プロダクションの代表、斉藤です。あちらで女の子を寝かしつけてるのが家内です」
斉藤と名乗った男の表情は険しい。
「さっきの刑事さんにも言いましたが、あの子たちに今すぐ話なんて無理ですよ。ルビーは泣きつかれて寝てるし、アクアはショックが大きすぎたのか放心状態だ。私はあの子たちの親じゃないが、だからといってあの子たちを傷つけるような真似は許せない」
「分かっています。でしたら、斉藤さんから少し、お話を伺わせてもらえませんでしょうか」
「さっきの刑事さんにも言ったが、熱狂的なファンなんて腐るほどいる。ここで話せることなんてほとんどないぞ。私もアクアを置いて離れたくは……いや、待て」
その時、頭をガシガシと搔いていた斉藤の手が止まる。
「刑事さん、あんた、特命係の杉下さんなんだよな」
「ええ、そうですが」
「野崎春菜*1に村瀬真奈美*2、両方とも、アンタが豚箱にぶち込んだって話だ」
斉藤のあげた二人の女性の名前に、尊も心当たりがあった。自分が特命係に配属される前、前任の亀山薫と共に右京が解決した事件の記録の中に両名の名前があったのだ。まさか、芸能関係者にまで右京の功績が伝わっているとは思わなかったが。
「申し訳ありませんが、無関係の事件について詳細を明かすことはできません」
「はっ!!難事件に首を突っ込んであっという間に解決していく変人刑事の話はこっちの界隈でも知る人ぞ知るってところでな。聞く話じゃ、八木沼リカ*3もあんたが捕まえたんだろ?あんたの実力は俺も知っている。木っ端刑事が入れ替わり立ち代わりくるならいちいち相手してられるほど俺も暇じゃねぇから追い返すとこだが、アンタは別だ、杉下警部」
斉藤が右京に対して鋭い視線を向ける。
「平成のホームズと讃えられるほど推理力がずば抜けてるアンタなら、アイを殺した犯人を捕まえることができるよな。……いや、できねぇなんて言わせねぇ。だから」
まるで胸倉をつかむかのようなすさまじい剣幕で斉藤は右京に詰め寄った。
「何が知りたい。俺に答えられることならなんでも答えてやる」
「では、お言葉に甘えましょうか」
右京は普段と同じやわらかい笑みを浮かべ、斉藤を事件現場へと誘った。