頼むからこれ以上伏線のないどんでん返しはないと信じさせてほしい……
芹沢は、伊丹に押し付けられた事件資料の借り受けのために長野県警の下佐久警察署を訪れていた。
資料の借り受けのための申請書類を手早く作成し、中園参事官から嫌味と愚痴を聞かされながら決済を受け、申請を態々FAXで送信し、電話で事前に資料を準備するように担当課にお願いし、諸々の根回しを終えてようやく芹沢が資料の借り受けのために警視庁を出たのは、日が少し傾き始めたころだった。
当然、ランチタイムも過ぎてしまっていたが、伊丹から急かされている以上、悠長に昼食をとっている時間はない。芹沢は警視庁を飛び出すと、車に飛び乗って長野に向かったのだった。
ヘトヘトになりながら下佐久警察署にたどり着いたころ、時刻はすでに午後四時を過ぎていた。
「すみません、先ほど連絡した警視庁の芹沢と申します」
芹沢は、受付の女性警官に話しかける。
「ああ、警視庁の方ですね。先にお連れ様が資料室の方でお待ちです」
「え?連れの方?」
芹沢は戸惑いながら女性警官の後を追った。
別荘地でのオフシーズンの空き巣への注意を呼び掛けるポスターを通り過ぎ、階段を上がる間にお連れの方とやらにあたりがついてしまったのだが、どうも嫌な予感しかしない。
だが、今更引き返すわけにもいかず、仕方なく後についていった。そして案の定、案内された資料室では予想どおりの人物たちが待ち構えていたのである。
「やっぱり……いつもいつも何でこう先回りできるんです!?」
「おやおや、お早いおつきで」
「お先に、拝見させてもらっております」
右京と尊は、いつもどおり涼しい顔で資料室に座っていた。
二人の前にはすでに何冊もの分厚いファイルや報告書が広げられている。
「あの、資料の閲覧、持ち出しの手続きは俺がやったんですけど?」
「ええ、その節はありがとうございました」
「いや、そういうことじゃなくてですね」
「それよりも、当時の捜査資料なんですがね、中々興味深いことがわかりました」
「聞いちゃいない……」
芹沢が申請した資料の閲覧手続きに勝手に便乗して、申請者よりも先に資料に目を通し終わっていた特命係の二人組に対して怒りを通り越して呆れるしかない芹沢だったが、もはや何を言っても無駄である。諦めた芹沢はとりあえず右京の話に耳を傾けることにした。
「姫川愛梨さんは当時、夫で俳優の上原清十郎さんと、ご子息の大輝君と三人で都内のマンションで暮らしていました。夫婦仲はお世辞にも良いとはいえなかったそうですよ」
「そうなんですか?」
「どうやら夫の上原さんは奥さん以外にも複数の女性と関係を持っていたそうですよ。また、上原さんは役者としてはさほど仕事があるわけではなく、専ら姫川さんの収入で生活していたそうです」
事件が発生したのは、平成一×年三月九日。
当時、姫川夫妻は平日は息子の大輝を保育園に預けていた。専ら夫の上原清十郎が車で送迎をしており、その日の朝も上原清十郎が大輝を保育園に預け、午後五時に迎えに来る予定になっていた。
しかし、予定の午後五時を過ぎても上原は保育園に現れず、また保育園でも上原や妻の姫川と連絡を取ろうと試みるも、一向に連絡がとれなかった。そこで保育園は姫川夫妻が所属する芸能事務所に連絡を入れ、どうにか姫川夫妻とコンタクトを取ろうと試みるが、所属事務所も二人の居場所を把握しておらず、電話やメールにも一切の応答がない。
姫川夫妻が何らかのトラブルに巻き込まれている可能性を危惧した所属事務所はその日の内に警察に通報し、捜索を依頼した。
警察で姫川夫妻が所有する車の行方を自動車ナンバー自動読取装置――通称Nシステムによって追跡した結果、大輝の送迎後、都内から軽井沢方面に移動していることがわかった。車道に設置されたカメラの映像から、姫川夫妻がその車に乗り込んでいたことも分かった。
姫川愛梨が軽井沢に別荘を保有しているという情報を所属事務所から提供された警視庁は、長野県警に軽井沢にある姫川愛梨の別荘周辺での捜索を依頼。
翌日未明、依頼を受けた長野県警が姫川愛梨の別荘にかけつけたところ、姫川夫妻の保有する車を発見。別荘の入口には鍵がかかっていたものの、ベランダの窓が開いていたため、そこから中をのぞいたところ、姫川夫妻が別荘のリビングで倒れている姿を発見。
かけつけた長野県警の巡査が一一九番通報し、病院に二人は搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。
「当初、長野県警はこの事件を殺人事件として捜査していたようですよ」
「え?無理心中なのに!?」
右京の言葉に、芹沢は思わず驚きの声をあげた。
「まぁ、この事件現場を見ればそう思ったって無理ないですよ」
尊は極力写真を自分で見ないように横目で確認しながら芹沢の前に広げられたファイルを手に取り、該当ページを開いて見せた。
「うっわぁ……」
それは、捜査一課の刑事として数多の殺人事件の現場を見てきた芹沢をして思わず声を漏らしてしまうほど、凄惨な現場写真だった。
別荘のリビングは床や壁、天井に至るまで血が飛び散っている。家財も荒らされており、ソファーなど家具がひっくり返っていたり、食器棚の皿が床に落ちていたりと荒れ放題だ。
そして何より、リビングに横たわる二人の遺体には身体中に刃物で切りつけられた跡があり、衣服はズタボロになっており、全身血まみれの状態だった。
「でも、どうして県警はこれを無理心中だと結論づけたんですか?」
現場を見ただけの印象で言えば、刃物を持った何者かに襲われた姫川夫婦が必死に抵抗するも、抵抗及ばず殺害されたと考える方が自然であるように思える。
芹沢の疑問に尊が答える。
「死亡推定時刻に、日課のジョギングで周辺を通りがかった近隣住民の方が男女が尋常ではない剣幕で言い争う声を聴いています。また、姫川さんの遺体に残された傷からは、致命傷となった胸部の刺し傷以外一切生活反応がありませんでした。一方、上原さんの方は、致命傷となった頸動脈の切り傷を含む全ての傷に生活反応がありました」
「じゃあ、姫川愛梨の身体中の切り傷は、全て死んだ後につけられたってこと?」
「そして、上原さんには死んでからついた傷は一切ありません。加えて、二人を殺害した凶器の大型ナイフの柄からは指紋は出ませんでしたが、上原さんが着ていた衣服と同じ繊維が検出されています。そして、この別荘からは第三者の毛髪や足跡等は一切検出されなかったそうです」
尊はさらにファイルを捲りながら続ける。
「遺体の直腸内温度や二人が軽井沢に向かう道中のサービスエリアで食したランチの消化具合から死亡推定時刻は三月九日の午後三時から四時の間と判明しました。姫川さんが所有している別荘には各窓や玄関の開閉記録を管理するセキュリティーが導入されていて、死亡推定時刻の前後の開閉記録は県警の捜査員が見つけたベランダの窓以外にはありませんでした。そして、そのベランダの様子は向かいの別荘の監視カメラの視界に入っていて、上原さんが窓を開ける様子が記録されていましたが、そこに第三者の姿は影も形もなかったそうです」
「死亡推定時刻以後開閉されたのはベランダの窓だけで、犯人が別荘から犯行後に脱出したのだとすれば、その窓を使って脱出する他ありません。しかし、その窓から誰かが脱出したのなら監視カメラに映らないはずがない。となると、犯行は別荘の内部にいた人間にしかできません。姫川さんの遺体に生活反応のない傷があり、この別荘には姫川さんと上原さんの二人以外の人物がいなかったとすれば、姫川さんの傷は姫川さんを殺害した後に上原さんがつけたと考えるのが自然でしょう」
右京が尊の説明を引き継ぎ、事件の概要について説明を終えた。
「なるほど……確かに、状況的には第三者による犯行とは考えにくい」
芹沢も納得がいく話であった。だが、一つ気になることがある。
「でも、どうして上原清十郎は奥さんの遺体を切りつけるなんてことをしたんですか?」
「どうやら、長野県警は殺人事件ではなく、無理心中だと分かったところで早々に被疑者死亡のまま書類送検してしまったようで、動機の解明には至らなかったようですねぇ……」
右京は残念そうにそう答えた。
「世間的に注目されていた事件でしたからね。無理心中であると確信したところで早々に送検して幕引きしたかったんでしょう。時間をかけると変な勘繰りをされかねませんし」
尊が淡々した口調で補足する。
「でもなぁ……これじゃあ、今回の
芹沢は大きくため息をついた。しかし、あからさまに落ち込む芹沢を他所に、右京は資料を段ボールに戻しながら言った。
「まだ、そう決めつけるのは早いと思いますよ」
不敵な笑みを浮かべる右京の手には一本の鍵が握られていた。
姫川夫妻の心中の現場については完全に創作です。
原作から拾ったのは軽井沢の別荘で無理心中という要素だけで、後は完全にオリジナルですが、無理心中という点については疑いが一切ない構成となります。
とりあえず、アニメ21話でも姫川夫妻の心中の掘り下げはありませんでしたしね。
まぁ、原作でも今更姫川夫妻の心中の詳しい描写を挟むことはないだろうと高をくくってます。