ほんと、人質と監禁が多いですよね。何度目でしょうか。
今回は推しの子成分がほぼゼロな回となります。
また、相棒の過去エピソードが深く絡むため、本文を読む前にSEASON8第16話『隠されていた顔』を視聴することをお勧めします。
右京に別行動すると告げた尊は、翌日朝から東京拘置所を訪れた。
面会の手続を終えた尊は、刑務官に案内されて薄暗い廊下を歩く。そして、ガラス窓で仕切られた小さな部屋で待つように指示された。
しばらく待っていると、刑務官に付き添われながら一人の若い女性が入室してきた。女性は尊の顔をまっすぐ見て、小さく会釈する。
「お久しぶりですね、神戸さん。面会の希望を聞いて、驚きましたよ」
落ち着いた声でそう言った彼女の名は、小笠原槙子。*1
元恵稜大学社会学部心理学科鶴見研究室准教授であったが、同僚で次期教授の座を争っていた曽田准教授に自身の万引き行為の証拠の写真を撮られ、それを黙っている代わりに次期教授の座を譲るように強請られていた。それを苦にした彼女は、曽田准教授の行動を巧に誘導し、事故に見せかけて殺害した経歴を持つ。
当初は警察も彼女の思惑通り事故として処理しようとしていたが、偶然別件で事件当日に大学を訪れていた右京が現場の状況に違和感を覚え、彼女の犯行を看破した。
決定的証拠を突き付けられた彼女は犯行を認め、殺人の罪で起訴された。ただ、先日の第一審では犯行は認めたものの、量刑不服として控訴しているらしい。
「ご無沙汰しています、小笠原さん。お元気そうでなによりです」
そう言って挨拶を返す尊に対して、小笠原は寂しげに微笑んだ後、話を切り出した。
「今日いらしてくださったということとは……私の裁判についてですか?控訴したことに何か言いたいことでも?」
そう言いながら、尊の表情を窺う小笠原。対して、尊は穏やかに話しかける。
「別に、事実関係を認めている以上、僕から何も言うつもりはないですよ。そもそも、一度送検した事件に警察が再度首を突っ込むことはどうかと思いますし、控訴、上告は被告人に認められている正当な権利です。その行使に異議を唱えるつもりはありません。今回伺ったのは、貴女の事件とは全くの別件です」
「よかったです。もし何か言われたらどうしようかと思いました……正直、お二人が敵に回って勝てる気がしなかったものですから」
小笠原は安心したような表情を浮かべ、冗談めかした言葉を口にした。
「でも、でしたらどうして今更私に面会を?もしかして、私の研究室の学生が何か事件に巻き込まれたのでしょうか?それとも、元研究者としての私に今更聞きたいことでも?」
「実は、後者の要件で伺いました。心理学の専門家で、かつ実際にその知識を活用して人の行動を誘導して犯行を成功させた実績をお持ちの方にどうしてもお聞きしたいことがあったものですから」
見方によっては自分の専門とする学問を犯罪のために利用した元研究者に対する皮肉にも聞こえる内容であったが、茶化すような雰囲気は微塵も感じさせないほど真剣な眼差しで問いかける尊に対し、小笠原もその真意を確かめるかのように見つめ返す。
「率直に伺います。自分の友人に対し、直接的な教唆なしで自発的に第三者に対する殺意を抱かせ、殺害を直接実行させることは可能だと思いますか?」
小笠原はかつて、自身を強請っていた曽田准教授を殺害するために、自身を慕う学生と曽田准教授の行動を誘導し、殺害せしめたという前科がある。
小笠原はヘビースモーカーの曽田准教授の喫煙衝動が最大限高まるように、彼が煙草を長時間吸えない状況を作り出すと同時に、僅かな休み時間を利用して吸い貯めをしようとする曽田准教授に対して、全面禁煙となっている大学構内でもこっそり喫煙できる穴場がこの近くにあると吹き込み、曽田准教授を喫煙可能な穴場として利用されている農学部の倉庫へと誘い込んだ。
その一方で、小笠原は自身に好意を持っていた研究室の学生の岡本に対し、自分が曽田に追い込まれていることを吹き込み、曽田に対する殺意を抱かせた。
そして、岡本に対しても大学構内で喫煙の穴場になっている農学部の倉庫があること、可燃性のガスを保管するその倉庫での喫煙がいつか爆発事故を起こすのではないか危惧していることを吹き込んだ。
さらに、煙草を原因とした爆発事故が最近頻発していることをさりげなく伝え、岡本に対し、農学部の倉庫で曽田准教授が煙草を吸い、たまたま漏れ出していた可燃性ガスに引火し爆発事故を引き起こすというシナリオを想起させた。
結果、岡本は彼女への好意から犯行に及んだ。曽田准教授が煙草を吸いたくなるタイミングを見計らい、農学部の倉庫にあった可燃性ガスのボンベのバルブを緩めた結果、倉庫内で火をつけた曽田准教授は爆発により命を落としたのだ。
小笠原は、岡本に対して曽田准教授を殺害するように指示をしたわけではない。ただ、自分に対して好意を持つ岡本に、曽田准教授に追い詰められていることと、最近煙草を原因とした事故が多いこと、可燃物があって危険な倉庫が学生たちの喫煙スポットになっていることを伝えただけだ。
それだけをもって小笠原が曽田を殺害しようとしていたことを立証することなど、不可能なはずだった。
しかし、小笠原は一つだけミスを犯していた。
それは、犯行の直前、岡本が自分の思惑通りに農学部の倉庫のバルブを開いているか気になり、直接様子を見に行った際に倉庫の床に漏れていた液体肥料が靴に付着していたのだ。肥料がこぼれたのは犯行の直前であり、その時間、その場所に煙草を吸わない小笠原が赴く理由は、そこで犯行が行われることを知っていた以外にありえなかった。
右京から自身のミスを指摘された小笠原は、教職者として、研究者として犯した罪を悔い、特命係の二人に付き添われて警視庁へと出頭した。
尊が彼女の下を訪れたのは、カミキと同じく、自身の手を汚すことなく、他者の心を扇動し犯行に向かわせた経験を持つ彼女の意見を聞きたかったからだった。
「……それは、私が岡本君に対して行ったことと、何が違うのかしら?」
小笠原の顔つきが、それまでの穏やかなそれから研究者のそれへと変わる。彼女が心理学者としての顔を取り戻した瞬間であった。
「貴女は教え子が自身に対して抱く思慕の念を逆手にとって彼を誘導しました。ただ、僕が今回想定しているのは、対等な友人関係にある相手の心を誘導し、第三者に対して自発的に憎悪を抱かせ、殺害まで導くことができるかどうかということです」
尊の説明を聞いた小笠原は目を瞑りしばらく沈黙を守ったあと、静かに話し出した。
「……あくまで私見になるけどいいかしら?」
尊が頷いて同意を示すと、小笠原は再び語り始める。
「人間を殺すって行為は、現代日本のような平和な社会で生まれ育った人にはあまりにも重い行為よ。どんなに他人を憎んだとしても、最後には良心が邪魔をするわ。私も、曽田准教授を殺すかどうか本当に悩んだ。殺すしかないって思っても、殺すと決めるまでは少し時間がかかった」
尊にも、小笠原の話は理解できた。
未だに内戦に明け暮れる政情不安定な紛争地域や、命の価値が低い中世日本ならともかく、現代日本では人間の殺害には大きな心理的ハードルが存在する。そのハードルは多少人によって差異があるとはいえ、基本的にはやすやすと乗り越えられるものではない。浅倉禄朗や村木重雄といった一部の連続殺人犯は別であるが。
「それを乗り越えさせるくらいの強い動機付けというのは簡単じゃない。私は岡本君が私に対して抱いていた感情と、彼の学者としてのプライドを刺激してそれを超えさせたけど、これは彼が私に対して特別な感情--それも、男女の思慕というわかりやすい執着の強い感情を抱いていたからできたこと。殺人を教唆した側とされた側は一般的な友人関係という想定なら、私と同じ手口はまず成立しないわ」
「では、不可能だと?」
そう質問する尊に対し、小笠原は首を横に振って否定する。
「世の中には、他者の感情を大きく揺さぶる能力を持った人がいます。歌手や画家、作家といった所謂アーティスト、あるいは、歴史上に時々現れるカリスマ的指導者がいい例でしょうね。感情の揺さぶりと、周囲の状況、そして、与える情報--それを上手く制御すれば、第三者をも殺人に向かわせるということは不可能じゃないと私は思うわ。ただ……」
「ただ?」
「彼らは私のように理論に基づいて人の心をつかんでいるわけじゃない。勿論、技術もないわけではないのでしょうけど、彼らは本能的、直感的に他者の心を動かすのよ。誰にでもできるものではないし、どうやって心を動かしているのか、本人たちも、私たち研究者も具体的に説明することはできない。心理学者として、不可能とは言わないまでも、立証することはできないというのが結論になるのかしら」
小笠原の言葉を受けた尊は押し黙ってしまった。小笠原の見解に基づけば、神木が言葉だけで菅野に自発的に殺意を抱かせた可能性は否定できないからだ。
しかし、右京の推理どおり神木が菅野の心を巧に動かして犯行に及ばせたというのであれば、今小笠原が言ったとおり、それを立証することは不可能。神木が如何に菅野の心を動かしたのか、犯行に及ばせたのか、そして、それを神木は把握していたのか。それを立証できない限り、神木を逮捕することはできない以上、神木の逮捕も絶望的だと尊は考えていた。
尊は険しい表情を浮かべる。
「でも……そんな完璧な犯罪なんて、できるんでしょうかね?」
「え?」
尊は顔を上げる。その顔には驚きの表情が浮かんでいた。小笠原はその笑みを悪戯っぽいものに変え、さらに続けた。
「確認行為。前にお話ししましたよね?」
「ええ、確か、外出時に鍵を閉めたか、電気は消したか。そんな些細なことを確認したくなる、典型的な心理的傾向の一つ、でしたよね?」
「そう。思惑通りに岡本君が動いているか不安になって、私も確認せずにはいられず、結果として犯罪の証拠を残してしまいました。でも、これは私に限った話ではないでしょう」
突然話が変わったように思えたが、尊はその話の流れに乗ることにしたようだ。頷きながら続きを促す。
「そもそも、先ほど私が口にしたように、人を殺すということ自体、心理的なハードルがとても高い。もし失敗したら、もし捕まったら、そもそも、殺すという行為が恐ろしい……そんな考えを押しつぶして犯行に及ぶんです。それだけ悩んで決断した犯行の実行に必要な一手を他人に委ねる。それって簡単にできることだと思いますか?」
「確実に成功させるという信用と、もしも犯行に失敗しても絶対に依頼者の関与を漏らさないという信頼がなければ任せられないでしょうね」
「ええ。そして、自分が簡単に心を操れるような人物がそんな信頼と信用に値するか。そう思うはず……だからこそ、確認したくなる。いや、確認せずにはいられなくなる」
さらに、小笠原は続けた。
「今思えば、私が岡本君が本当にバルブを緩めたか確認するために倉庫に足を運んだのも、たまたま確認行為が出てしまったからじゃないんでしょうね。私は、自分の思うまま心を操れてしまったからこそ、岡本君を信じられなかったのだと思います。だからこそ、倉庫に足を運ばざるを得なかった」
小笠原は自嘲的な笑みを浮かべる。
「結局のところ、誰かを操って人を殺させることができたとしても、その人を信じて殺人を任せることはできないのでしょうね」
小笠原のその言葉が、妙に尊の耳に残ったのだった。
SEASON8第16話『隠されていた顔』
正月スペシャルや最終回スペシャル以外では珍しく、冒頭から派手な爆発シーンで始まる回です。
内容は本文中でほとんど説明してしまっているので割愛しますが、個人的にはラストで右京さんが神戸君をランチに誘ったところが印象的でした。
Season7最終話から思えば大分距離が縮まったなぁと思ったのを覚えてます。
神戸君がランチにリクエストしたナポリタン、あれミッチーの好物だそうですね。