カミキの心を折る展開に違和感をもたれはしないかとヒヤヒヤしていましたが、ひとまず大多数の方々には納得していただいているみたいで、ほっとしました。
今回は、前回語られなかった右京さんの意図のネタ晴らしです。
「警察のやり方としては、どうなんですかね」
警視庁の受付に駆け付けたトリオ・ザ・捜一の三人に連れられて取調室に向かった神木を見送り、尊がポツリと漏らした。
「乱暴なやり方であったことは認めます」
杉下右京が、淡々とした口調で答えた。
普段の尊なら、右京の強引な手法に異議の一つや二つ唱えるところだ。だが、今回は何も言わなかった。
それは、尊自身が理解していたからだ。神木を追い詰める方法はこれしかなかったことを。
神木の犯罪を殺人教唆として立証するには、教唆された側である菅野の証言やそれを裏付ける物証が不可欠だった。しかし、菅野は既に自ら命を絶っており、物証に至ってもメールや音声記録等といった類のものは一切残っていない以上、立証することは不可能だった。
ただ、仮に菅野が生きていて彼の証言や証言を裏付ける物証が出てきたとしても、神木の殺人教唆が立証できたかは定かではない。神木は菅野に自発的にアイに対する殺意を抱くように仕向けたが、神木のとった行動と殺人の教唆が直接的に結びつくものでない以上、神木にアイを害する意図があったことや、殺人との因果関係を証明できないからだ。
証拠をつきつけて逮捕することが不可能である以上、神木自身に罪を認めさせ、自ら出頭するように誘導するしかなかった。
しかし、自らの手を汚さぬために他者を煽り、自発的に殺人行為に及ぶように仕向けるような人間である神木に対して、良心の呵責などという言葉は無縁のものだ。自ら罪を告白するような男でないことは尊にもよくわかっていた。
だからこそ、右京は神木の心を攻めた。神木のアイへの執着を。
「アイさんのDVDでの発言によれば、おそらく神木にとって、アイさんは姫川夫妻の心中によって生じた罪悪感を共有し、理解してくれる唯一の存在だったのでしょう。その存在から拒絶されたことに対する絶望と、愛情から反転した憎悪。そして、アイさんを取り戻して自分のものにしたいという欲求が、彼を殺人に駆り立てた」
尊が、右京の言葉を継ぐ。
「加えて、神木自身が語ったとおり、二人の関係が破局した後によりを戻すつもりもないのに子供を理由に会わないかと誘ったことが、神木の殺意を決定的にしたということですか」
「ええ。ですから、口にすることはできないものの、神木には絶対的な自負がありました。アイさんを殺害したのは自分だという自負が」
「だからこそ、その自負を否定されることに神木は耐えられなかったというわけですか。相変わらず見事でしたよ、その相手のウィークポイントを容赦なくえぐっていくスタイル」
「僕は小笠原元准教授の見解に基づいて彼の犯行動機を推理したに過ぎませんよ」
アイを殺害したという神木の自負。それを右京は徹底的に否定した。
しかし、右京が神木に突き付けた事件の真実ー-それは真っ赤な嘘だった。
菅野が神木に対して不審を抱いていたことを裏付けるような物的証拠、状況証拠は何一つ存在していない。新野に対して菅野がアイの殺害直後に電話をかけたことは事実だが、右京が神木に語ったように神木の思惑に気付いた菅野が、その思惑を逆手にとったことを仄めかすような発言をしたという事実はない。
また、上原が無理心中を殺人に偽装したことは事実だが、神木以外の特定の人物に濡れ衣を着せよう偽装したわけではない。おそらく、上原としては大輝の本当の父親に対して濡れ衣を着せたかったのであろうが、上原はその人物が特定できなかったのだろう。
菅野がビルの屋上から飛び降りる直前に発した言葉も、菅野が本当に神木の思惑を見抜いていたうえで発した言葉だとすれば不自然だ。
右京が神木に語って聞かせた事件の真相は、神木の自負を折るために巧妙に真実と嘘を練り混ぜた創作にすぎなかったのである。
しかし、神木はそれを否定できなかった。
自身の思惑のほぼ全てーーそれも、アイを殺害した動機を含めて見事に言い当てた右京が導き出した真相だ。あの鋭い観察眼と、類まれなる推理力をもった刑事がでたらめな推理をするとは考えにくい。そう神木は考えてしまった。
さらに、神木には菅野に対する不安があった。
4年前の宮崎で、神木は菅野がアイを殺害するように彼の思考を誘導したが、菅野はアイの殺害に失敗したどころか、アイの主治医を殺害するという想定外の事態を引き起こした。
自分の手で簡単に転がすことができるような人間という意味で神木にとって菅野は操り人形とそう大差ない存在であったが、同時に菅野は操者である神木の予期せぬ動きを勝手にするという点において、神木にとって信用できない操り人形という側面もあった。
果たして、菅野は今回本当に全て自分の手のひらの上だったのか。神木にはその自信が持てなかったのである。
そして、神木自身、上原清十郎による無理心中と菅野によるアイ殺害が、自分の誘導によるものであると証明する手立てが何もなく、自分の思い通りに上原も菅野も動いたと勘違いしているだけだと指摘されても反論する根拠がなかった。
同様の手口で成功体験を積み重ねていたならば、神木も自分の推論に絶対の自信を持っていたことだろう。だが、宮崎で失敗し今回初めて成功を得た神木にはそれだけの自信を持てずにいた。そこを右京は突いたのである。
アイを殺害したのは自分であるという神木の自負は、同時にアイを殺した罪を通してアイの命の重さを神木に感じさせるものとなっていた。罪の意識を感じることで、アイを感じられた。
神木は、予期せず背負うこととなった姫川夫妻の命の重みに耐えきれずアイとの結びつきを望んだ。そして、アイとの別離に耐えられず、アイを永遠に感じるために殺害した。それがアイのDVDと幾多の殺人事件を解決してきた経験から右京が導き出した神木の犯行動機である。
なればこそ、そもそもアイの結びつきを求める原因となった姫川夫妻の死に、神木に全く責任がなく、かつアイの死についても神木の意図したものでないとなった時、神木を支える自負は崩れ去る。
結果だけで語るなら、神木は自身に全く責任のない命を勘違いで勝手に背負ったつもりになり、その重みに耐えかねてアイに縋ったものの、アイに拒絶され、背負った命に押し潰されそうになる絶望から逃れるためにアイを殺害しようとしたものの、結果としては第三者が自分の意図と関係ないところでアイを殺害したということになる。
アイを殺す必要すらそもそもなければ、アイを殺した罪すら自分のものとならなくなったことを知った神木の絶望は、計り知れない。
そして、右京と尊の狙いはそこにあったのだ。
神木が絶望から逃れるためには、アイを殺した罪を自分のものとする他ない。
しかし、神木は右京の話した推理によって自らがアイを殺害したという自負を抱けなくなった。自負を砕かれた神木がアイを殺した罪を再度自分のものとする方法は二つ。自身の手でアイを殺害したことを確固たる証拠をもって証明するか、アイを殺した罪を裁かれその罪に相当する罰を負うことで罪を感じるしかない。
そして、殺人教唆の立証が不可能である以上、選択肢は一つしかない。追い詰められた神木は、アイを殺した罪を自らのものとするために警視庁に出頭するほかなかったのである。
勿論、絶望した神木が自暴自棄となり、アイの残した子供達に危害を加えたり、自ら命を絶つ可能性も否定できなかったため、マンションの屋上で神木と別れた後も、右京と尊の二人は夜を徹して神木の動向を監視し続けていた。
神木の出頭を見届け、徹夜明けの疲労感を色濃く浮かべながら、尊は誰に言うでもなく呟いた。
「これでよかったんでしょうか、こんなやり方で……」
今回、右京がとった手段は警察官としてはとても正当化できない手段だ。嘘を吹き込んで容疑者を追い込んで出頭させるなど、社会正義の実現を掲げる警察官としては許すわけにはいかない。
しかし、この方法以外では神木を罪に問うことができなかった。少なくとも、尊には神木を逮捕する手段はまったく思いつかなかったのだ。
もしも右京の方法を否定するのであれば、神木を罪に問うことはできず、他者を教唆して殺人に誘う凶悪な犯罪者を野放しにするばかりか、母親を失った悲しみにくれる子供達の心がさらに傷つくことを許容しなければならない。
悲劇を受け止めてなおも前に進もうとする幼子の健気な勇気を踏みにじるような真似は、たとえ警察官の本分である法の執行者としての役割に則したものであったとしても、尊の人間としての矜持に反するものである以上、良しとすることはできかねた。
ただ、それでも尊の迷いは晴れなかった。
「神木は杉下警部の思惑通りに出頭しました。おそらく、あの調子であれば全面的に自供するとみていいでしょう。ですが、彼の全面的な自供だけで公判を維持するのは非常に厳しい。検察が起訴を断念する可能性だって否定できません。それに、彼は未成年です。成年と同様の審判を受けないことだってある」
「では、君はこのまま神木の犯罪を見過ごすべきだったと?」
右京の問いに、尊は頭を横に振る。
「いいえ。神木の犯行を見過ごしていいはずはありません。ただ、今の神木はアイさんを殺害したという実感を得るためだけに出頭しているにすぎず、反省や贖罪の気持ちはおそらく微塵もない。そんな人間を出頭させたところで、本当にこの事件は解決したと言えるのかと思ったまでです」
尊の言葉に、右京は頷いた。
「君の言うように、神木には罪を償う意識は全くないでしょう。そのような人間を裁き、罰を科すことにどれだけの意義があるのかと考えるのも理解できます。ただ……」
「ただ?」
「神木が、姫川夫妻の命の重さに耐えかねてアイさんに縋ろうとしたことは事実でしょう。そして、そのことで彼は絶望しかけました。つまり、神木も奪った命の重さを感じる感性を最初から持ち合わせていなかったわけではないと考えられませんか?」
右京は続ける。
「たとえ今は利己的な理由で出頭しただけだとしても、正しく法の下で裁きを受け、罰を負うことで、正面から罪と向き合いしっかりと罪の意識を持つ。そうすれば、彼もきっと正しく奪った命の重さを、罪を背負うことができるはずです。そして、そこから本当の贖罪が始まるのではないかと僕は思います」
「ですが、そもそも、法が神木を裁くことができない可能性だって十分考えられます。神木が自白を翻せば途端にひっくり返るような公判を、検察が望むかどうか」
「証拠不十分であるとして検察が起訴を見送り、彼が司法により裁かれることがなくとも、そのこと自体が彼にとって受け入れがたい苦痛となるでしょう。彼がアイさんの命を奪ったことは彼自身も信じきることができず、司法ですらそれを証明できないということになれば、彼の苦痛は永遠に終わることはない。きっと、彼は自分のしたことを大いに後悔することになる。ひょっとすると、法による罰を受けるよりも、こちらの方が彼にとって過酷かもしれませんが」
いきましょう。と、右京は尊を促して警視庁のロビーを後にした。
察しのよい相棒ファンの方々は何となく気づいておられるかもしれませんが、犯人を追い詰めるために敢えて犯人に対して貴方は犯人ではないと嘘を吹き込む展開はSeason2第2話「特命係復活」を、殺人教唆を行うも、手駒を信じられず、右京が捏造した手駒の末期の想いを否定できない展開はSeason2第21話「私刑〜生きていた死刑囚と赤いベルの女」を、証拠が一切なく、犯罪を立証できない犯人を自首させるために徹底的に心を折るやり方はSeason7第19話「特命」を、犯人に全面的に犯行を自供させるものの、殺害の立証が非常に厳しく最終的に犯人が法の裁きを受けられるかわからない展開はSeason4第11話「汚れある悪戯」を大分参考にしております。
右京さんって、証拠がないときは結構乱暴なやり方で心を折りにかかるんですよねぇ。しかも、嘘や法に触れる行動すら厭わない。
犯罪者捕まえるためにここまでやる刑事ドラマの主人公も珍しいです。