ダンガンロンパ十周年記念小説【ifストーリー】第二章 乙女心☆ポリシーとプリテンダー★ボーイ   作:千葉 仁史

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※捏造設定(ルール・人物設定)が幾つかあります。
※死体・殺人・オシオキ描写はグロテスクではありませんが、えぐいです。気を付けて下さい。
※ややネタバレありかもしれません。
※犯人を推理して、オシオキさせましょう。


事件パート(オシオキあり)

14、

 

「校内放送! 校内放送! 昨日・一昨日は友情ごっこ・ギャンブルごっこ・ライブごっこをして、随分と楽しんだことでしょう! でもね、僕もそろそろ(たの)しみたいので、オマエラ、体育館に集まって下さい! エマージェンシー! エマージェンシー!」

 

 希望ヶ峰学園の学園長ことモノクマによる放送が響き渡ったのは、朝の食事が終わった頃だった。前回、これで招集されたときは動機になるようにと、各々の大切な者の残酷な映像を見せ付けられたので、皆の顔に緊張が走る。十神くんが相変わらず余裕綽々の表情を浮かべているなか、霧切くんが静かに「行きましょう」と皆を促した。

 

「前置きは無し。早速、本題に入ります。もうね、次の【殺人者(クロ)】が出なくてツマンナ~イ! なので、ボクはオマエラに新しい動機を用意することにしました!」

 

 体育館の壇上でくねくねしながらモノクマが話し出す。もうこの時点で悪い予感しかしない。この体育館では、僕の足元で【超高校生級のギャル】の【江ノ島盾子】がモノクマによって見せしめとして殺され、あのモノクマが躍る舞台では第一の事件の被害者として【彼】が亡くなっている。そうでなければ、一昨日、兄弟と対決した投球勝負の場所を廊下で行うなんて普段の僕ならば絶対に許さないだろう。

 

「え~、単刀直入に申しましょう! 今回のテーマは恥ずかしい思い出や知られたくない事実です!!」

 

 きゃっほう! と奇声を上げながら、モノクマが白い封筒をばら撒く。恐る恐る近付いて、僕は自身の名が書かれた封筒を開いた。方々で息を飲む声や微かな悲鳴が聞こえてくるなか、白い便箋にクレヨンで無邪気に書かれた『石丸清多夏は最大最悪の汚職事件で総理大臣を失職した石丸寅之助の孫である』を見て、僕は「嗚呼やっぱり」と瞠目(どうもく)せざるを得なかった。

 

「人間、生きていれば恥ずかしい過去や知られたくない事実ってのがあると思うんだよね~。ほら、知られたらトモダチに嫌われちゃうかもしれないし、もしかするとそれどころじゃ済まないってこともあるかもね~。タイムリミットは二十四時間。明日の今頃までに【クロ】が出なければ、世間にバラします。ほな、バイナラ」

 

 へらへらと笑いながら、モノクマは壇上から落下して姿を消した。

 

「でも、これぐらいで殺人を犯す理由になるのかな?」

 

 皆がざわめき出すなか、朝日奈くんが心底不思議そうに呟いた。もしや、人によってこの【バラされたくない過去】の度合いは違うのかもしれない。だが、だからと言って僕はどうしても僕自身の秘密を口にする訳にはいかなかった。この超高校級の風紀委員と謳われた僕があの小狡い汚職事件で失脚した総理大臣の孫だと知られたが最後、クラスメイトはおろか、兄弟に軽蔑されるに違いないからだ。

 

(ところで、兄弟はどうなのだろう)

 

 白い便箋から顔を上げると、真っ青になっている兄弟の顔が目に入った。便箋をぐしゃりと握り潰す彼の横顔は修羅や鬼のようであった。

 

『なら、彼をよく見て、その手を放さないことね』

 

 昨夜、霧切くんに言われたことを思い出す。僕は便箋を綺麗に折り畳むと、ずかずかと兄弟に近付き、彼の手を取った。

 

「なんだよ、石丸! 急に何をしやがる――」

「燃やしに行こう」

「は?」

 

 兄弟が固まったのをいいことに僕は彼を引き摺っていく。きっと彼が硬直しているのは僕の行動の意図が分からないからだろう。安心したまえ、兄弟。僕にも僕の行動が分からない。この暴露された便箋を燃やしたって何の意味がないことが分かっているし、そもそも学校から配られたプリントを燃やすなんて非常識にも程がある。だが、彼の横顔を見て、霧切くんの言葉を思い出した以上、僕はなにか行動せざるを得なかったのだ。

 

「いい加減に離せ!」

 

 体育館から出たところまで大人しく引き摺られていた彼だったが、流石に焼却炉近くになると我を取り戻し、僕の手を振り払った。

 

「テメェ、何を考えてやがる!?」

「僕にも分からない」

「はぁ!? 何を訳の分からねぇことを! ぶっ飛ばされたいのか!?」

 

 脅すように顔を近付ける彼を前にして、僕はまたしても霧切くんから言われた言葉『簡単な言葉でいいのよ、思い付いたことを心からストレートに言えば』を思い返していた。簡単な言葉って、なんだ? どれを指す? どの辞書に載っている?

 しかし、般若の形相で兄弟が「石丸! なんで、こんなことをしやがる!?」と唾と共に強い視線を飛ばしながら僕を【呼び捨て】にしたことで、その答えは転がり落ちてきた。

 

「君が兄弟だから」

 

 ピタリと兄弟の動きが止まる。だが、それ以上続ける言葉が見付からず、気が付けば、僕は滂沱(ぼうだ)の涙を零していた。幼子でもあるまいし、適切な言葉が見付からず泣くとは情けないことこの上ない。祖父の汚職事件が判明し、後ろ指差されたときも幼い僕はただ泣くことしか出来なかった。あの時から僕は何の成長もしていない。これでどうやって、天性の才能に胡坐を掻いて汚職事件を起こした祖父を反面教師にして【努力を積み重ねることで天才を超える凡才】になれるというのだ。なんとも情けない。僕としたことが、なんて情けない。これでは何の解決にもならないというのに――。

 

 結局、今度は兄弟が僕の手を引いて焼却炉まで連れていき、二人それぞれの便箋を燃やした。チーンと鼻を噛む僕の横で「これで俺たち共犯だな」と兄弟がニッと笑う。

 

「配布されたプリントを燃やしてはならないという校則は無いから問題ないぞ、兄弟」

 

 共犯と言う犯罪を想起させる言葉が気に入らなくて僕がそう言い返すと、兄弟はさもおかしそうにゲラゲラと笑ったのだった。

 

 

 

15、

 

 しかし、これでは何一つ解決できていない。明日の朝には僕らの秘密が世間に暴露されてしまう。昼ご飯のカレーを黙々と食べながら、僕は黙々と考え込んでいた。そして、何よりも霧切くんからの助言――『なら、彼をよく見て、その手を放さないことね』――を絶対に厳守しなくてはならない使命感のようにさえ思っていた。ふと顔を上げると、大半の女子の食事を取る手が止まっていた。あんな動機を投げられ掛けたのだ、仕方ない。

 

(明日には、僕があの汚職した総理大臣の孫として世間にも皆にも兄弟にも知られてしまうのか。流石の兄弟も呆れ返って、僕を侮蔑するだろう。……待てよ。つまり、明日の今頃には僕と兄弟の仲は終わっているということだ! こうしてはいられない!)

 

 食器を片付け終わった僕は食堂から出て行こうとしていた兄弟をすぐさま呼び止めた。

 

「兄弟!!」

「おわっ! ンだよ、いきなり大きな声を出すんじゃねぇよ!」

 

 大股で距離を詰めると、僕は彼の手を取って言った。

 

「勉強しよう、兄弟!」

「はぁっ!?」

 

 体育館から出たときと同じように兄弟の手を掴んだまま引き摺っていく。今度はあの時よりも強く掴んで、まるで競歩のようにさえ歩いたのだから、兄弟もなかなか体勢を直すことができない。

 

(そうだ、僕と兄弟の仲は明日までなのだ! なら、最後の友情の思い出として夜時間までノンストップ勉強ランを行って、メモリーを作ろうではないか!!)

 

 彼は勉強できるし、僕は思い出を作れるし、なんてwin-winなアイディアなんだろうか!

 擦れ違いざまに不二咲君の「あ!」と微かな悲鳴と共に、十神くんが「なんだ、あれは」と呟く声が聞こえる。だが、僕は一切合切無視して彼を僕の個室まで連れて行ったのだった。

 

 

 

16、

 

 それからは僕にとっては楽しい時間であった。勉強嫌いな兄弟は脅したり、猫撫で声を出したり、泣き落としをしたり、トイレと称して逃げようとしたりしたが、僕はそれら全てを食い止めた。

 晩ご飯時にニコニコする僕の隣には、慣れない勉強で疲れた表情を浮かべた兄弟が座っている。元気が良すぎて、僕は一回だけでなく二回もおかわりをしてしまった程だ。それでも、ご飯が残るということは、やはり皆食欲が無いのだろう。そして、明日の今頃、僕がもう兄弟の隣に座ることは無い。だから今は空元気でも構わない、僕は兄弟との間に、最後に最高な思い出を作りたかった。

 

 晩御飯後の勉強会には桑田くんと山田くんが加わってきた。よくよく考えると兄弟だけでなく、クラスメイトとの仲も崩壊するのだ。兄弟のことばかり考えていて、すっかり失念していた。ああだ・こうだと兄弟を解放するように言った彼らと共に僕は勉強を楽しむことにした。なんて、楽しい時間なのだろうか! 慣れない勉強で力尽き、ゾンビのような顔付きにまでなってしまった三人を見ながら、僕はこの一夜を死ぬまで忘れないだろうと思った。

 

「石丸は好きな()っているのか?」

 

 勉強し続けているだけでは集中力が切れるので(僕は全く平気なのだが、勉強嫌いな三人には堪えるものらしい)、十分間休憩として粗茶を用意していると、桑田くんにいきなり話し掛けられた。

 

「後ろに『コ』が付けばいいのか? なら、僕は『きのこ』が好きだな。栄養価が高く、季節らしい食べ物だ」

「そうじゃねぇよ! なんで、そんな解釈になるんだ!? 好きな女の子だよ、女の子!!」

「おおお女の子!? 僕は風紀委員だぞ! 不純異性行為なんて、ゆゆゆ許されないんだぞ!」

 

 慌てふためく余り、湯飲みに注いだお茶が零れそうになる。顔が一気に熱くなって、自分でも何を言っているのか、分からなくなる。とりあえず、お茶をテーブルに置くと、夜時間を告げるサイレンが鳴った。

 

「ほら、もう十時ではないか! 規則正しい生活をしなければならんぞ、君たち! では、僕はこれで――」

「散々、僕たちを勉強させといて、自分の都合が悪くなったら逃げるというのは余りにも卑怯ではありませんか!」

 

 山田くんから発せられた【卑怯】という単語に、僕は別の意味で顔に熱が集まるのを感じた。確かに、僕はあの卑怯で狡猾な汚職事件を起こした総理大臣の孫だ! しかし、僕は祖父のような【天才】でも、ましてや【卑怯者】でもない!!

 

「僕は卑怯者ではない!」

「じゃあ、話をしようぜ、兄弟!」

 

 先程までのゾンビっぷりは何処へ行ったのだろう、兄弟はうきうきとして僕の腕を引っ張った。よくよく見ると、山田くんも桑田くんも実に愉しそうな笑みを浮かべている。いつの間にやら、僕と彼らは形勢逆転したのだった。

 

「俺は舞園さやかちゃん一択だ!」

「早速、暴露するのかよ、桑田! あのライブでのテメェの(はしゃ)ぎっぷりを見れば、誰だって一目瞭然だっての」

「僕は二次元にしか興味はありませんが、確かに舞園さやか殿はかなりの煌めきを放っておりましたな」

「ん? ブーデーはセレスにぞっこんじゃねぇのか?」

「あれは別ですぞ、桑田玲音殿。うさぎさんは僕の……なだけでござる」

「え、なんつった? 聞こえねぇぞ?」

「そういう大和田紋土殿は誰が好みなんですぞ?」

「俺かぁ? 朝比奈とか良いんだけど、ちょっと性格がな。元気が良すぎるってのも、なんだか……ってヤツよ。でも、だからと言って霧切みたいな性格は付き合いにくいし、不二咲は小動物っぽくてすぐ怪我させちまいそうで怖いし、ちなみに腐川はナシだ」

「ああ! つまり、朝比奈のスタイルは好みってことかよ!」

「馬鹿桑田! はっきり言うんじゃねぇよ!」

「流石に大神殿については誰も言及しませんなぁ。彼女は上級者向けですからな」

 

 わいわいと進む三人の会話に僕は全くついていけてなかった。しかも両脇を兄弟と桑田くんに挟まれ、逃げ出すことも出来そうにない。嗚呼、こんなに元気ならもっと問題集を山積みにすれば良かった、と心から後悔する。

 

「それで、兄弟は誰が好みなんだ?」

「こ、好み!? ぼ、僕が!?」

 

 兄弟からの質問に声がひっくり返りそうになる。

 

「そういえば、兄弟、舞園のライブを見て、呆けていたよな?」

「あああアレは、その、なんだ、はじめて見るライブだから驚いて――」

「僕は霧切響子殿と仲良く歩いているのを見掛けましたぞ?」

「へぇえ、あの霧切と! イインチョ、隅に置けないじゃん!」

「いや、アレは彼女に助言を貰って――」

「逆にセレスとはあんまり会話してねぇな、もしかして、兄弟の本命はそっちか?」

「な、なんでセレスくんと僕が――」

「いや~、セレス殿が好みとは業が深いですな、石丸清多夏殿は」

「おい、ブーデー。業が深いって、お前、セレスの何を知っているんだ? 逆に怖ぇよ」

「じゃあ、兄弟、朝比奈はどうだ? 不二咲ともチケットを手渡しにいった仲だし、気になるか?」

「あわわわ、僕は――」

「教えろよ、イインチョ! 俺だって言ったんだぜ?」

「なんなら、二次元でも構いませんぞ、石丸清多夏殿」

 

 次々と話題を振られ、頭に血が上り過ぎて、顔がマグマのように熱くなる。逃げたくって仕方ないが、兄弟も無駄に本気を出して僕の腕を掴んでいるのか、どうにも振り解けそうにない。目の前がグルグルする。もういっそのこと、このまま沈んでしまいたい。そう現実逃避していたからか、次第に僕の身体からずるずると力が抜けていった。

 

 

 

17、

 

 瞼を開くと、見慣れた天井と兄弟のとうもろこしのような髪型が視界に入ってきた。

 

「……兄弟?」

「おう、目が覚めたのか。馬鹿、まだ寝てろって!」

 

 体を起こそうとすると、額の上に置かれていた濡れタオルがべちゃりと落ちる。

 

「今、何時なのだ?」

「深夜二時だな」

「深夜二時!?」

 

 告げられた時間に驚いて再び起こそうとすると「寝てろって言ってるんだろが!」と急に逆切れした兄弟によって僕はベッドに沈まされた。

 

「いったい僕に何があったのだ?」

「兄弟、覚えてねぇのか? あの後、テメェ、のぼせて倒れちまったんだよ。そんで仕方ねぇからベッドに寝かせただけだ。桑田と山田は部屋に戻ったぜ」

「僕がのぼせて倒れた……? あれ、君は……?」

「俺か? チッ、ばつが悪いから今の今まで見ていただけだ」

 

 つまり僕は慣れない会話にのぼせて倒れた挙句、深夜二時という学生なら本来寝て無くてはならない時間にまで彼を付き合わせてしまったのだ! なんたる不遇、なんたる不義、なんたる不遜! 風紀委員でありながら彼の規則正しい生活に異常をきたすとは情けないにも程がある!!

 

「悪かったな」

 

 それなのに、謝ったのは彼の方であった。

 

「何を言うか、兄弟! 謝らなくてはならないのは僕の方だ! 風紀委員という身だというのに、君に迷惑を掛けた挙句、夜更かしという悪行をさせてしまって、ああああ僕としたことが――」

「ちょっと黙って聞いてくれねぇか、石丸」

 

 すぐ怒鳴る癖がある彼が珍しく静かに問い掛けてくるものだから、僕は神妙な気分になり、思わずベッドの上で正座になってしまう。兄弟はベッドの端で殊更に行儀悪く座ると、ポツポツと語り始めた。

 

「テメェ、俺を慰めようとしただろ?」

「え?」

「だーかーらー、静かにしてろって。俺の気を【あの隠したい過去】から遠ざけるために、あの便箋を燃やさせて、こんな勉強会なんて始めたんだろ? 気の逸らし方が勉強会だなんて、テメェ、ダチとの遊び方も碌に知らねぇのかよ。何をしても俺を逃がしてくれねぇから桑田と山田を呼んで、テメェを止めようとたら返り討ちにあうし、揶揄(からか)い半分悪戯半分で【あんな会話】をしたらブッ倒れるでビックリしたぜ」

 

 よいしょ、と彼はベッドの上に胡坐を掻いた。行儀悪いぞ、とついいつもの癖で注意すると、ちっとも悪いとは思ってない声質で「悪ぃ」と兄弟は言った。

 

「俺は【あの隠したい過去】ばかり考えていたってのに、テメェは俺のことを考えてくれていた。……ったく、超高校級の暴走族が泣けるぜ。だからよ、こんな俺のこと、気にしてくれてサンキュな、兄弟」

 

 兄弟がニッと笑った途端、僕は悔恨(かいこん)の涙が出た。

 

(兄弟、違うのだよ。僕は、むしろ僕のことしか考えてなかったのだ。夜が明けて【あの隠したい事実】が暴露されたら、きっと君は僕を軽蔑する。兄弟ではいられなくなる。僕はただそれが恐ろしくて、最後に君との思い出が欲しかっただけなんだ。僕は君が思うような男ではない。祖父同様――いや、天才ではないからこそ尚更質が悪い、利己的で卑怯な男なのだ、僕は!)

 

 耐え切れずに(うずくま)って、わぁわぁ泣く僕の背を兄弟が撫でてくれている。それが更に情けなくて堪らないというのに、僕は鼻をすするばかりで、弁明の言葉すら吐くことができない。それを言い訳にして、君の誤解を解く勇気すら出てこない。

 

「明日つぅか、もう今日の話か。俺の【秘密】を知ってくれても、石丸、兄弟でいてくれよな?」

「……勿論ではないか、兄弟」

 

 人とは目を見て話しなさいと言われて育ったのにも関わらず、僕は視線をベッドに落としたままでしか答えることができなかった。嗚呼、君の真っ直ぐさが羨ましい。僕は君のように【あの秘密】を知っても兄弟でいよう、なんて口が裂けても言えない。

 

(偽りの姿を叩き壊す度胸が欲しい。真実に立ち向かえる勇気が欲しい。自分を奮い立たせるためのポリシーが欲しい。今の僕に、兄弟、君は眩し過ぎて見ることができない……っ!)

 

『なら、彼をよく見て、その手を放さないことね』

 

 霧切くんの言葉が蘇る。だが、今の僕に彼を見ることはできなくて、ただその手を掴むことしかできなかった。

 

 

 

18、

 

 そして、僕は彼を一晩中部屋に帰すことが出来なかった。

 

 情けないことに僕は彼の手を掴んだまま泣き疲れて寝てしまい、夜時間の終了を告げる七時の放送を聞くまで起きることができなかった。兄弟を徹夜させてしまったことに心からお詫びする僕に、兄弟は欠伸をしながら笑うと「ずっと起きていた訳じゃねぇから気にすんなよ、兄弟。朝飯は八時からだったな、それまでちょっと寝るぜ」と部屋から出ていった。

 

 夜十時から朝七時までは夜時間となっており、朝食の時間は朝八時と決めていた。無論、本来ならば夜時間の終了たる朝七時ぴったりに朝食会を行いたかったが、最初に決めるときに、今はもういない【クラスメイト】から「二度寝……じゃなくて、夜更かし……じゃなくて、リアルな話、【朝活】を行いたいから、もう少し遅らせて欲しいべ!」と意見され、桑田くんや兄弟(その時はまだ兄弟ではなかったが)からも同意見だと言われ、それらを聞き入れて、一時間遅れの朝八時に朝食会を行うことに決定されたのだ。

 

(嗚呼、僕は兄弟に学生にあるまじき夜更かしをさせてしまった。本当に僕は情けない。これが超高校級の風紀委員というのか)

 

 朝のルーチンワークとなった、その朝八時の朝食時間までのパトロールをしながら僕は静かに溜息を吐いた。だが、いつまでも落ち込んでいる訳にはいかない。風紀委員は学生の模範となるべき姿なのだ、肩を落として歩くなど言語道断である!

 

 気合を入れ直して、背筋を伸ばして視線を上げると、一階から二階への階段を上ってくる学生の姿が見えてきた。そうだ! 朝はまず挨拶で始まるのだ!

 

「おはよう、霧切くん!」

「あら、おはよう。石丸くん」

 

 頭を勢いよく下げる。顔を上げると、スポーツバックが目に見えたが、僕が不思議に思う間もなく、霧切くんはそのスポーツバックを背に隠して「いつも、この時間にパトロールをしているの?」と聞いてきた。

 

「うむ! 朝はこうしてパトロールするのが僕の風紀委員としての仕事だ! ……と言っても、一度言ったような気がするが」

「ええ、そうだったわね。一回目の【学級裁判】の時に貴方はそう証言してくれていたから」

 

 一回目の【学級裁判】。あのエレベーターで降りた先にある異質な会場で行われた、閉鎖的な裁判を思い出し、僕はブルーになりそうになる。少しの沈黙が僕たちの間を流れ、耐え切れなくなった僕が「今日はいい天気だな!」と外が全く見えないのに言おうとした瞬間に彼女は言った。

 

「石丸くん。【彼】の最期がどうだったのか、教えてくれないかしら」

 

 思わず掌を握り締める。視線が落ちそうになるのをぐっと耐えながら、正面から僕を見詰めるラベンダー色の彼女の瞳を見た。其処には真実を探そうとする、いや、真実と立ち向かわんとする勇気がこもっていた。僕が持てなかった勇気を持っている彼女に黙っていることは出来なくて、僕は重い口を開いた。

 

「分かった、話そう。【彼】の――【苗木誠】くんの最期のことを」

 

 

 

19、超高校級の幸運の死

 

 端的に言えば、運が悪かったのだと思う。

 超高校級の幸運である【苗木誠】がその運の悪さで亡くなるとは、なんとも皮肉な話だ。それでいて笑えない。

 

 事の始まりは超高校級の占い師【葉隠康比呂】が占い(直感)に従って【黒幕】を一人で倒そうとしたことだった。彼は一人でそれを画策し、モノクマが毎回登場する体育館の壇上に罠を仕掛けた。とある行動をすると、頭上から鉄材が落ちてくるというえげつないトラップを。そして、それを誤って、苗木くんが発動させてしまったのだ。

 

 僕がそれに気付いたのは朝のパトロールを一人でしているときだった。物凄い音が体育館から聞こえ、慌てて駆け付けると、壇上で大小沢山の鉄材の下敷きになった苗木くんが目に入った。痛みで絶叫する彼を助け出さんと、僕は鉄材をどかそうとしたが出来なかった。無論、それら鉄材が重かったのもある。だが、幾つかの小さなパイプが彼を貫いており、たとえ鉄材をどかしたことでどうにもならないことが彼の身体から流れ出るおびただしい血の量で分かり切っていた。しかも、それだけでなく、大きな鉄材の重みによって彼は潰されていて、せめて小さな白い鉄パイプでも彼の身体から抜こうとした僕だったが、それが上から落ちてきた無機物ではなく、彼の体の中に最初から在った【白くて硬いカルシウムでできたもの】だと気付いた瞬間、僕は絶句せざるを得なかった。

 

 無論、僕は大声でモノクマを呼んだ。だがしかし、モノクマは現れなかった。せめて誰でもいいから呼ばなければ、と立ち去ろうとする僕を、絶叫する力すら無くなり、呻くことしかできなくなっていた苗木くんが微かな声で「行かないで」と懇願してきた。今にも消え去りそうなその声に、僕はもうたまらない気持ちになって彼の右手を掴んだ。左手は見当たらない。嘘だ。視界の端で釘にも似た鉄材に貫かれた左手が見える。僕が彼の右手を握った瞬間、苗木くんもまた握り返してきた。握り返さなくなったその時が彼の臨終の時なのだろう。とてもじゃないが「頑張りたまえ、必ず君は助かる!」なんて嘘でも言えなかった。言えない程に、彼の【未来】は明確であった。

 

 涙が零れた。彼の掌から伝わる冷たさが怖い。もっと、どんどん冷たくなってのが恐ろしい。泣いても仕方ないのに、泣きたいのは彼の方なのに。

 

「ごめん、ね、石丸く、ん。こん……なことに、巻き込、んじゃって」

「苗木くん、話しては駄目だ。話したら傷に――」

「僕、もう、助から、ない……から、最、後にお話さ、せて。いぜ、んは君とな、仲良くな、る前に終わ……っちゃった、から」

「最後とか終わるとか言わないでくれたまえ、苗木くん!!」

 

 今度は僕が絶叫する番だった。その絶叫に気が付いたのか、誰かが「マジうるさいんですけど」と言いながら体育館に入ってきた。その人物は超高校級のギャルこと【江ノ島盾子】くんだった。

 

「江ノ島くん、どうして君が此処に――」

「あー、これ、助からないね」

 

 壇上に近付いた彼女はきっぱりと告げた。あまりにも潔く言うものだから、僕はもう何も言えず、苗木くんもまた黙り込んでしまった。

 

「石丸。このまま出血死させるのも酷ってヤツだよ。いっそ、人の手で死なせてやるのが人情ってヤツじゃないの?」

 

 ギャルとは思えない判断と思考に、僕はただただ唖然とするばかりだった。彼女が何を言っているのか、上手く理解できなかった。いや、理解するのを拒んでいた。

 

「なら、私がやるしかない。……ああ、だから、私に【これ】を持って体育館へ行くように【指示】したんだね、――ちゃんは」

 

 最後の言葉は独り言のようで上手く聞き取れなかった。彼女は短いスカートに手を伸ばし、太腿に取り憑けていたベルトから黒いナイフを取り出した。一瞬、そのナイフに白い狼が刻まれているのが僕には見えた。

 

「それは……?」

「サバイバルナイフ。実物見るのは、石丸、はじめて?」

 

 そんなもの、普通に生活していたら見ることない代物である。声なんてとうに出ない僕は苗木くんの手を握り締めることしかできない。

 

「これである一か所を刺したら、苦しまずに一発で逝けるから。安心しなよ、苗木。この【超高校級】の私がやるんだから、間違いなんてあり得ない」

 

 そう言ってにじり寄る彼女に、僕は咄嗟に「やめたまえ、江ノ島くん!」と叫んでいた。

 

「馬鹿だね、石丸。これは慈悲だよ。もう苗木は助からないんだ、苦しまずに死なせてあげるのが道理ってもんじゃないの? それとも、アンタがやるっていうの?」

「……」

「まぁ、一般人には無理だろうね。だから、ここは私が――」

「だ、駄目だよ。い――ばさん」

 

 最早呼吸をするのすら苦しいだろうに。苗木くんが江ノ島くんを止めた。

 

「はぁ? 苗木、なに言っちゃっているの?」

「き、君が僕、を殺し、たら、き、君は学……級裁、判に掛けら、れてしま、う。――まさ、んは君でも、容赦し、ない」

「苗木、アンタ、何を言って……っ!? もういいわ、好きにすれば。私は他のクラスメイトを呼びに行ってくるから」

 

 江ノ島くんはそう言い切ると、あの黒い凶器を太腿に隠し込み、軽やかに舞台から飛び降り、体育館から出て行った。彼女の行動が理解の範疇を超えていて、思考回路が停止していた僕だったが、苗木君の呻き声を聞いて、すぐさま正気に戻った。

 

「苗木くん、気を確かに持ってくれ! 死んではならない! 死なないでくれ!」

「い……し、石丸く、ん。一つ、たた、頼みた、いこと、が……ある、んだ」

「なんだね、苗木くん! なんでも言ってくれ!!」

 

 震える苗木くんの手をぎゅっと握り締める。これでは、まるで僕が縋っているようだった。彼の身体から漏れ落ちた温度が赤い血となって流れ出て、彼の隣で座り込む僕の純白の制服を染めていくが、今の僕にはてんで気にならなかった。

 

「君に、僕の【チカラ】をあ、あげるよ。だ、から、どうか、ま、舞園さんと、霧切さ、んを守……ってほし、いんだ」

 

 今際(いまわ)(きわ)でありながら、クラスメイトの女子を心配する姿に僕は心から胸を打たれた。なんて心優しい男子なのだろうか! どうして其処まで優しくなれるのだろうか!

 

「勿論だ、苗木誠くん! この石丸清多夏、舞園くんと霧切くんだけでなく、クラスメイトの女子全員を、朝比奈くんもセレスくんも不二咲くんも腐川くんも江ノ島くんも大神くんだって、守ってみせようではないか! 男同士の約束だ!!」

 

 しかと彼の瞳を見詰めながら、彼の手を握ってない掌で僕は自身の胸を叩いた。僕の態度に、最初よりもずっと小さな声で彼は「ありがとう」と呟いた。彼が唇を横に引いて笑おうとするものだから、僕も懸命になって笑顔を作った。しかし、残された時間は僅かしか無く、それは彼が血を吐いたことで証明された。

 

「な、苗木くん、しっかりしたまえ!」

「あ、ああ、死ぬのってこん、な感じなん、だね。……ごめん、父さ、ん、母さん、こまる。ごめ、んね、霧ぎ、りさん。……君は、僕にと……って大事なひ、とだって、い、今更、思い出した、よ。こ、こ、こんな、ことな、ら、もっと……もっ……と、は、早く、伝えれ、ばよかった。あ、んな簡た、んな言葉なの、に、ずっと、心、の底で、感じてい、たのに。素直に、口にして、いれば……。霧切さん、僕は君のことが心から――」

 

 彼の瞳から涙が一滴零れ落ちた瞬間、握り締める掌から力が消えていった。彼から呼吸音が遠ざかり、その温度が絶望の色に変わっていく。彼の瞼がもう二度と開かれないことは、彼の手を握っても握り返されることは無いことが分かっていても、僕は彼の名を呼び続けることしか出来なかった。

 

「どうしたの? 何があったの?」

 

 彼が最後の最後までその名を呼んでいた彼女を江ノ島さんが連れてきたのは、彼が亡くなった直後のことであった。壇上の凄惨な光景と泣きじゃくる僕を見て、霧切くんは瞬時に察したのだろう。彼女の悲鳴と共に、死体発見者が三人に達したことでモノクマによる軽妙な死体発見アナウンスが流れた。

 

「ピンポンパンポン! 死体が発見されました。一定の自由時間の後、学級裁判を行います」

 

 

 

20、超高校級のギャルの死

 

 苗木くんの次に訪れたのは江ノ島くんの死であった。

 学級裁判の説明をするため、僕らは体育館に集められた。其処でモノクマに苗木くんを殺した【殺人者(クロ)】を推理して見付けるように言われた僕らだったが、それに江ノ島くんが反発した。

 

「バッカみたい、やってられないっての!」

 

 挙句、江ノ島くんは近付いてきたモノクマを勢いよく、まるでサッカーボールのように蹴り飛ばしてみせた。高らかに笑う江ノ島くんはまるで挑発しているようでもあり、試しているようでもあった。キックにより、両耳が欠けてしまったモノクマは「クマー! これではネコを通り越して、タヌキになってしまったクマ!」と顔を赤くしてキーキー怒ると、こう言った。

 

「学園長への暴力は禁則事項です! よって、バツを与えます! オマエにはこれが相応しいよね、没魔法【パセント】~!」

 

 彼女は最後の声を、一言でもいいから果たして発せられただろうか。正直にいうと、一瞬過ぎて僕らは何が起きたのか、理解するのに数秒を要した。突如、上から降ってきた【1t】と書かれた重しは、あっという間に江ノ島くんを圧し潰してしまったのだ。黒い重しは体育館の床すら凹ませ、じわじわと赤い血が染みのように広がりつつあった。少し間が空いて――朝比奈くんだろうか――悲鳴が上がった。しかし、僕は声すら出せなかった。苗木くんは死ぬ間際に声を残すことができた。しかし、彼女は何があったのかすら分からないままにその生涯を閉じたのだ。こんな、こんな終わり方があっていいのか、と僕は掌を握り締める。

 

 そんななか、霧切くんは「苗木くん殺しの物証を探しにいきましょう」と冷めた声で僕らに告げたのだった。

 

 その後の学級裁判は思い出したくもない。

 苗木くんは霧切くんのことを最後まで案じていた。きっと、二人には――いつの間になのか知らないが――男女を超えた深い友情の絆が結ばれていたのだろう。そんな大事な親友を殺された彼女は、湧き上がる激情を殺す余りに冷徹な真理の追及者になり、極々僅かなヒントと物証で推理し、犯人の全ての逃げ道を塞いだ状態で学級裁判に挑んだ。あの空き教室の小さなライブ会場が舞園さんの独壇場になったように、この学級裁判所が彼女の独壇場となった。

 

 学級裁判時の葉隠くんの様子は見ていられなかった。言い逃れ、泣き落とし、誤魔化し、良い訳、逆切れ……。命懸けの彼が並べたそれらを彼女は無慈悲に破壊し、他のクラスメイトには証言する以外に口を挟ませなかった。怪獣は大声で鳴き、鋭い爪と牙を持ち、火炎放射のブレスを放つからこそ恐ろしい生き物だ。だが、そんなものがなくても十二分に人は恐ろしくなれることを僕はこの場で思い知った。

 

「俺は、俺は【今度こそ】みんなの役に立とうと【黒幕】を倒そうとしただけなんだ! リアルな話、苗木っちを殺す気なんて無かったんだよ! し、信じてくれ、霧切っち! あれは事故なんだ、事故なんだよぉ!!」

「貴方の仕掛けた罠で彼は死んだ。その時点で、貴方はもうどうしようもない【殺人者(クロ)】」

 

 泣き崩れる【犯罪者(クロ)】に、真実を追求する【名探偵(シロ)】は冷徹に無慈悲に冷酷に、淡々とした声でありながら、それでいて激情的に告げた。

 

「これが事件の真相で貴方の正体よ、葉隠康弘」

 

 そして、モノクマの笑い声と共に彼の後方から鉄製の輪が飛び出て、葉隠くんの首を掴むと、処刑場へ引き摺っていってしまった。

 

 

 

21、超高校級の占い師のオシオキ

 

 【クロ】に対する処刑は――【オシオキ】は苗木くんの死に擬(なぞら)えて行われた。

 

 舞台には大きく【クイズ! 3割の確率で聞きました!】とクレヨンで無邪気に書かれた看板が掛かっており、彼の頭の上には三つの大きな【くす玉】が飾り付けられてあった。舞台に連れて来られた葉隠くんはモノクマに似た人形たちの観衆(オーディエンス)の拍手に押され、震える手でAと書かれたくす玉の紐を引いた。しかし、Aのくす玉は開くことなく、隣のBのくす玉の中に隠れてしまった。葉隠くんは仕方なく、Bのくす玉の紐を引いたが、そのBのくす玉もまた、隣のCのくす玉の中に隠れてしまった。こうなると、もうCのくす玉の紐を引くしかない。恐ろしさに耐え切れなくなった葉隠くんがCのくす玉の紐を引くことなく、舞台から飛び降りようと一ヶ所だけ色の変わった床を踏んだ途端、大小の鉄パイプと木材が彼の頭上から降り注ぎ、彼の胴体を貫き、彼の手足を押し潰してしまった。

 処刑場に絶叫が響き渡る。だが、【不運】なことにそれだけでは絶命に至らず、彼は絶叫の後、苦しそうな呻き声を上げていた。其処へモノクマがテコテコと現れる。モノクマは呻く葉隠くんをスルーして、あのCのくす玉の紐を引いた。すると、Cのくす玉は開き――AとBのくす玉の中に入っていたものと一緒に――金・銀・胴の紙吹雪と共に、千円・五千円・一万円の紙幣を散らしながら、高らかにファンファーレまで鳴り響いた。そして、くす玉から垂れ落ちた弾幕にはこう書いてあった。

 

『祝☆超高校級の占い師・葉隠康弘の処刑回避!』

 

 葉隠くんの近くに一万円紙幣が落ちる。だが、彼がそれに手を伸ばすことは無い。何故なら、彼は既に絶命していたからだった。

 

 

 

22、

 

 二階に上がるまでのことを思い返しながら霧切くんに話し終わる頃には、僕はすっかり疲れて果てていた。思い返す度に苗木くんの最期が、網膜に・手の平に・鼓膜に、姿を・熱を・声を蘇らせ、何も出来なかった僕をやるせなくさせる。

 

「苗木くんは最期まで君や舞園くんを案じていた。特に、君のことは殊更に。僕は思うのだ、いつからか分からないが、苗木くんと君の間には――僕の知らない――男女を超えた深い友情の繋がりがあったのだろう? 彼はとても優しい男だった。死ぬ間際なのに、とても怖くて、凄く痛かっただろうに、彼は自身を後回しにして誰かを気にしてばかりだった。そんな彼に、僕は手を握ることしか出来なかった……っ!」

 

 掌に視線を落とし、その拳を握り締めながら僕は語った。

 

「だからこそ、せめて僕は苗木くんとの【約束】だけは果たしたかったのだ!」

「……【今回】の貴方がやけにフェミニストだったのは、そういう理由だったのね」

 

 彼女の声に導かれるようにして、閉じていた拳から視線を上げると、彼女の薄紫色の瞳にぶつかった。その薄紫色の花はブリザードフラワーではなく、かといって造花でもなく、春風に吹かれて(たお)やかに揺れるラベンダーの花弁と同じものであった。

 

「苗木くんの死を乗り越えず、むしろ、その死を引き摺る【約束】を交わしたことで、貴方は成長して【今回】の貴方になった――まるで【あの時】の苗木くんのように。……石丸くん。苗木くんの手を握ることは、彼の死を見届けるのは、本当は怖かったのでしょう?」

 

 彼女の言葉は春風のように柔らかなものであった。瞼が熱くなる。以前に不二咲くんが「大丈夫?」と心配してくれたように、冷徹に見えた彼女も、ほら、こんなにも優しい。類は友を呼ぶ、というように、苗木くん同様に彼女もまた心優しいクラスメイトであったのだ。

 

「それなのに、逃げずに苗木くんの最期を看取ってくれて、彼の【(コトバ)】を真剣に受け取ってくれて、そして、彼の想いを私に伝えてくれて、ありがとう」

 

 ラベンダーの花弁が晴れ渡った青空に舞う。いつも無表情を決めていた霧切くんの微笑みに、僕はそんな幻を見てしまった。親友たる彼の死は彼女に暗い影を落とすどころか、その身に痛く深く刻み込むようなものであったであろう。もし僕だったら――兄弟が死んでしまったら、耐え切れないあまりおかしくなってしまうかもしれない。なのに、彼女は微笑んで僕にお礼を言った。その様子が、命の灯が僅かなのにそれでも笑顔を作ろうとした苗木くんと重なる。そんな彼女の姿を見て、正直に僕は「綺麗だ」と思った。そう思うが否や、瞬く間に僕の頬に熱が集まってきてしまい、またぶっ倒れてしまうのではないか、と心配が(よぎ)った。しかし、如何せん、舞園くんの時と同様に言葉が出てこない。しどろもどろどころか、声の出し方すら忘れてしまった僕に、まるで助け船を出すように「ところで」と彼女は切り出した。

 

「大和田くんは大丈夫だったかしら? なんだか夜通し勉強をしていたようだけれども」

「きょ、兄弟のことか!? 兄弟とは、その、なんだ、えーっと、君の助言通り、一晩中その手を離さなかったぞ!」

 

 よもや、のぼせ上げてぶっ倒れて面倒を看て貰った挙句、泣き疲れて彼の手を掴んで離さなかったとは到底僕は言うことができなかった。幼い子供でもあるまいし、恥ずかしくて情けないこと、この上ない!

 僕の発言に霧切くんは「確かに『彼をよく見て、その手を放さないこと』と伝えたけれど、まさか暗喩ではなく本当に離さなかったとは思わなかったわ」と目を丸くした。

 

「でも、一晩中離さなかったなら問題ないわ。大和田くんはもう【大丈夫】よ」

 

 にこりと笑って霧切くんに告げられたが、いったい何が問題なくて【大丈夫】なのだろうか? 先程から――否、最近は自身を情けなく思うばかりの僕は、超高校級の風紀委員として沽券がガリガリと削られていくのを感じつつも「有難う、霧切くん」とぎこちなく返すことしか出来なかった。

 

「結構話し込んでしまったわね」

「うむ、そろそろ僕は食堂へ向かわなければ。食事前に学生としてラジオ体操をするのが僕の日課だからな。そうだ! 霧切くん、君もどうかね?」

「……遠慮するわ。今の私は【更衣室】にあるトレーニングルームで体を動かしたい気分なのよ」

「ふむ、残念だ。では、しっかり運動を頑張りたまえ。運動も学生の本分なのだからな!」

 

 はっはっはっ! と気前よく笑いながら、僕は霧切くんと別れた。パトロールも終わったし、次のスケジュールは……と考えていると「ねぇ、石丸くん」と霧切くんの声がした。

 

「なにかね、霧切くん」

「今の私を見て、なにか言うことは無いかしら?」

 

 少し離れた廊下の先にいる彼女からの、あまりにもいきなりな質問に僕は口をあんぐりと開けてしまう。こういう突飛な謎掛けは僕の一番苦手のするところだ。彼女の頭の先から足の爪先まで見るが、まるで昨日と【変わりがない】ようにしか見えない。もしかすると、先程、彼女を見て「綺麗だ」とポツリと思ったことがバレてしまったのかもしれない。グルグルと思考を巡らせているうちに彼女が悪戯っぽく「3…2…1…」とカウントダウンし出すものだから、僕は気恥ずかしさを誤魔化すようにして慌てて「廊下は走らない様に!」とビシリと指摘した。

 すると、やっぱり望まれていた回答ではなかったようで、霧切くんが「馬鹿ね、空気を読みなさいよ。石丸くん。大丈夫、走ったりなんてしないわ」と笑う。もう一度、見せてくれた彼女の笑顔に此方も自然に笑顔になってしまう。今更になって、僕は彼女が無理をしてきたことを悟った。大事な親友の喪失は彼女に深い悲しみを落とし、その怒りが学級裁判で爆発し、葉隠くんを冷徹に追い詰めることになってしまった。それだけ、苗木くんは彼女にとって【特別な存在】であったのだ。

 

(僕は彼・彼女らが天才だからといって決めつけていたことがあったが、そうだ、彼・彼女らも感情ある人間なのだ! どうして、僕は忘れていたのだろうか)

 

 互いの笑顔を見せあうことで今度は本当に別れると、彼女は運動をするために【更衣室】へ、僕は食堂へ向かう。一度だけ、僕は振り返って霧切くんの背中を見た。ラベンダー畑と同じ色の髪が揺れている。彼女の背に苗木くんとの【約束】を思い返した僕は必ずや【彼女を守り通そう】と心に刻む。そうすると、まるで心地いい春風に吹かれたような気分になった。

 

 いつもより気分上々で二階から一階へ続く階段に足を踏み入れると、今度は各々スポーツバックを持った朝日奈くんと大神くんに出会った。今日はよく人と出会う朝だな、と思った。

 

「おはよう! 朝日奈くんに大神くん!」

「うむ、石丸ではないか? こんな時間におぬしこそどうした?」

「僕は日課の朝のパトロールだ。君たちこそ、どうしたのだ?」

「えっと、私はさくらちゃんと一緒に……そう、【朝練】をしに来たの!」

「そうか、【朝練】か! 君たちの能力を磨くというポリシーのため、是日々鍛錬とは大いに感心する! あ、そうだ。先程、霧切くんも向かうと言っていたから【更衣室】で――」

 

 出会うかもしれないな、と続く予定だった僕の言葉は突如響いた破裂音によって遮られた。しかも、一発・二発といった可愛い数字ではなく、何十・何百発と盛大に響き渡る轟音だ。長くて短い音の行列が終わっても、僕らはまるで裁きの雷に打たれたかのように動けずにいた。朝日奈くんが「なによ、何の音なの?」と狼狽えるなか、今度は【スポーツバック】を持ったセレスくんが階段を上がってきて、超高校級のギャンブラーである彼女が首を傾げながら「さっきの音はいったい何ですの? まるで【機関銃】のような――」という呟きを聞くや否や、僕と大神くんは駆け出していた。廊下は走ってはならないことは嫌でも知っていたが、今はそれどころではなかった。

 

 僕はただひたすらに、どうか【彼女】ではないことを祈った。いや、【彼女】ではない【誰か】であっても困るのだが、どうしても【彼女】であっては駄目なのだ。【彼女】だけは駄目なのだ。だって、僕は苗木くんと約束したのだ、【彼女を守る】と。苗木くんが死に際まで案じた【彼女】を守り通すと、先程振り向いて見た【彼女】の背に僕は誓ったのだ。ラベンダーの香りを思い返しながら、僕は更衣室への角を曲がって、強く大きく祈るようにして叫んだ――超高校級の探偵である【彼女】の名を。

 

「霧切くん!!」

 

 其処は地獄の一丁目だった。

 

 【人を殺す】目的で作り出され、その役目を果たした機関銃からは終焉の狼煙が上がっている。数えきれないほどの薬莢(やっきょう)団栗(どんぐり)のように撒き散らされ、更衣室への扉付近の壁に空いた無尽の小さな穴はマシンガンから放たれた弾丸が固い壁を抉る程の威力があるものだと暗に誇示していた。壁に飾られたのは穴だけではなく、多量の赤、そして(たま)に白色の液体がこびり付いている。液体と言ってもサラサラしたものではなく、ドロリと何かを含んだもので、それらの液体は機関銃の直撃を受けた【モノ】の中に宿り、巡り巡っていたものの成れの果てであった。機関銃の射撃圏外であった、編み込みブーツとスカートを履いた下半身は無傷だったが、逆に射撃圏内であった上半身の原型は失われていた。数百の弾丸(ダンガン)(まと)にされた【モノ】の顔の輪郭なんて、もう何処にも何一つ残されていない――先程まで僕に話し掛けていた口も、僕の声を聞いてくれた耳も、笑うために緩まれた頬も、あのラベンダー色の瞳も髪だって!

 

「なに、どうしたの? さくらちゃん、石丸、何があったの?」

「朝日奈!? 見るでない!!」

 

 しかし、大神くんの願いは僕の願い同様に届かなかった。凄惨な【殺人現場】に悲鳴が響き渡る。発見者が三人になったことにより、モノクマの軽妙な校内放送が響き渡った。

 

「ピンポンパンポン! 死体が発見されました。一定の自由時間の後、学級裁判を行います」

 

 ラベンダーの香りはもうしない。あるのは地獄の底を揺蕩(たゆた)うような血腥(ちなまぐさ)(にお)いだけ。自身のことなのに、膝を床に着く音が遠い遠い世界からのように聞こえる。床に密着した僕の白い制服を、損傷の激しい【霧切響子の遺体】から漏れ落ちた赤い血がじわじわと音も無く染め上げていく。

 

『馬鹿ね、空気を読みなさいよ。石丸くん。大丈夫、走ったりなんてしないわ』

 

それが僕と彼女がした、最後の会話となった。

 

 

 

 

…to be continued

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