とりあえず導入ということで。頑張ります。
挨拶はしっかりやりましょう。
天乃来瞳にとって、目の前でほんわかと笑む少女に対する印象は、『マイペース』の一言に尽きた。
天乃家。大赦の中でも相当上の方に位置する名家で、その跡継ぎ息子として生まれたのが来瞳だった。
当然そんな立場に生まれた来瞳には、お披露目会や会食など、大人の集まりに出席する機会が頻繁に訪れる。
面倒極まりない集まりに子供ながら内心辟易しつつも、来瞳はある程度はそつなくこなして見せた。
礼儀正しく、行儀が良く、手の掛からない、大人受けの良い子供。
大人たちが好む子供の振る舞いを完璧にこなす来瞳には、当然の如く大人達からの評価は鰻登り。
そんな時だった。天之来瞳が、件の少女と出会ったのは。
「ねぇねぇ」
「ん?」
「お話しよ~?」
「……んー?」
唐突に現れた少女が、金糸の髪を揺らしながらそんなことを言い出した。
来瞳の胡乱げな視線をものともせず、少女はただただにへらと笑いかける。
「お話。良いでしょ~?」
「あー……うん。良いよ」
「やったー!」
満面の笑みで喜びを表現する少女の姿に毒気を抜かれた来瞳は小さく頷くと、少女は更に笑みを深めた。
到底初対面とは思えない距離の詰め方をしてくる少女に、来瞳の脳内は疑問符で埋め尽くされる。
そんな来瞳の脳内を知ってか知らずか、少女はますます楽しげに笑った。
「私の名前は乃木園子です。よろしくね~、くるるん」
「……の……ッ!!?」
天乃来瞳と、乃木園子。
長い長い地獄を歩む、二人の勇者の出会いだった。
──そうして、幾年の月日が流れた。
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──穏やかな時間が流れる、神樹館小学校の教室の一角。
陽光が差し込む窓際の席に座り、机に肘を突いて頰杖をついた来瞳の姿があった。
ぼーっと窓の外に見える青空を眺めながら、ぼんやりと物思いに耽っている。
「ふぁ……あー……」
朝特有の眠気を感じながら、大きな欠伸をひとつ。
今日の天気は快晴で、雲一つない青空が広がっている。気温も丁度いい具合に暖かく、ぽかぽかとしていて心地よい。
陽射しを浴びている内に段々と眠気が強まり、再び大きく欠伸を零す。
「……」
しばらくの間外を眺めていたが、ふと視線を正面に向けた。
真っ先に視界に飛び込んできたのは、陽光を浴びて煌めく黄金色の髪。次に飛び込んできたのは、顔立ちの整った少女の寝顔。
自身の机に頭を預けて気持ち良さそうに寝息を立てる少女を寝ぼけ眼で見つめた来瞳は、頬杖を突いたまま少女の髪を一房掬う。
「……」
掬った髪を指先に巻きつけては解き、また掬い取っては解きと、少女の髪で遊んで暇を潰す。
そうして単純作業を続けていれば、意識は次第に微睡みの中へと落ちていく。
やがて完全に意識が夢の世界へ誘われそうになった頃、隣から呆れ気味な声が投げかけられた。
「……一体何をしているのかしら?」
「んー……暇潰し。鷲尾さんもやる?」
「やりません」
来瞳の誘いをばっさりと切り捨てた少女───鷲尾須美は、溜息を一つ零しながら自分の席に腰掛けた。
6年生となり、もう少しで4月も終わる頃。この光景も、このやり取りも、今ではすっかり見慣れてしまったモノだった。
「お。園子ちゃん、起きて」
「んぇ?……あー……おはよ~、くるるん……」
「おはよ。そろそろ先生来るから戻った方が良いよ」
「ぁぃ……」
目元をぐしぐしと擦りながら顔を上げた金糸の髪の少女───乃木園子に、来瞳は軽く手を振って応える。
ほのぼのとした二人のやり取りに教室が緩い空気に包まれ始めたところで、教室のドアが開き、担任の教師が顔を出す。
「皆さん、おはようございます」
穏やかな声と共に教壇に立ったのを見て、園子がいそいそと自分の席に戻っていく。
そんな友人の姿を来瞳は微笑ましく見送った後、自身も前を向き、姿勢を正して担任の話に耳を傾ける。
と、その時。廊下から足音を立てながら教室の中に駆け込んでくる人影が一つ。
滑り込むようにして教室に飛び込んできた少女は、肩で息をしながらも安堵の表情を浮かべた。
「ま、間に合ったぁ~……」
「三ノ輪銀さん。間に合ってません」
「いったぁ!?」
容赦のない出席簿の一閃を頭に受け、悲鳴を上げる少女───三ノ輪銀。
腕を上下に振りながら担任に抗議するもあえなく流され、とぼとぼと自分の席に着いた。
ランドセルを開けた途端表情が固まった銀を視界の端に捉えつつ、来瞳は頬杖を突きながら視線を教壇に戻す。
「それじゃあ、今日日直の──天乃君」
「はい」
担任に指名されて立ち上がると、他の生徒達も続く形で一斉に立ち上がった。
起立、礼、拝と号令に合わせて全員が挨拶を行い、教室に設けられた神棚へと頭を下げる。
『神樹様のおかげで、今日の私達が在ります』
「神棚に礼」
来瞳の号令に合わせて再び一礼。
習慣化された一連の動作を終え、生徒達は黒板の方へと向き直る。
来瞳の着席の号令に従い、全員が椅子を引こうとしたその直前。
「───?」
視界に映った違和感に気付き、来瞳の動きが止まる。
静寂。不自然な程しんと静まり返った教室と、時間が止まったかのように微動だにしない担任と生徒達。
壁に掛けられた時計も、窓越しに見えた空を優雅に飛ぶ鳥も、全てが止まった世界の中で。
来瞳、須美、銀、園子の四名だけが、自由に動くことが出来ていた。
「これって……」
困惑を隠せない様子で銀が呟く。
世界から切り離されたかのような錯覚に戸惑う四人の耳に、鈴の音のような音が木霊する。
音の方角に目を向ければ、街のシンボルでもある瀬戸大橋が目に入った。
「──来たんだ。私達がお役目をする時が……!」
須美が零した小さな呟きと共に、極彩色の光が押し寄せる。
無数の花びらが舞い散るように視界を染め、世界を丸ごと呑み込んでいく。
「──くるるん」
何もかもが光で埋め尽くされ、目を開けていることも困難になる中。
耳梁を打つその声と、自身の制服の袖を摘まむ少女の小さな手に、来瞳は視線を向けた。
「がんばろ」
屈託のない笑みを浮かべた園子のその言葉に、何か気の利いた言葉の一つでも返そうとするも、それは叶わない。
意識が光の中へと呑み込まれ、神樹の結界に飛ばされる寸前──来瞳は園子に向けて、小さく笑みを零した。
「───うん。がんばろっか」
気負いも、緊張もない。ただ純粋な励ましの言葉。
そんな無難でありきたりなセリフを最後に、来瞳の意識は刈り取られた。