もしもあの時、違う言葉を口にしていたら。
そうしたら、結末は変わっていたのだろうか。
あの、嵐の夜―――
ごうごう、ごうごう。
風が木を攫う。
ざぁざぁ、ざぁざぁ。
雨が家を叩く。
がらがら、ごろごろ。
雷が昏い空を裂く。
うわぁぁん、うわぁぁん。
子供の泣き声が、家に響く。
あの日、私達は泣いていた。
無力な子供らしく、無様に、滑稽に。
多くは迫る嵐に怯えて、目が、耳がいい子は、迫り来る
がらがら、ぴしゃああん、ごろごろ。
また、雷が落ちる音。
それは、そう遠くない、どこかの世界の悲鳴のように聞こえた。
「うわぁあああん!!」
「こわいよぉぉ!」
雷に、その悲鳴により一層泣く兄弟姉妹達。
互いに身を寄せ合って、嵐が過ぎ去るよう願って、人間のように祈ることしかできなかった。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから…」
あの日の
「きっと、ちちうえがなんとかしてくれるから…」
父上よりずっと小さな、震える手で、子供達を全て抱きしめるにはあまり頼りない腕で、それでも必死に抱きしめた。
「パパ、パパはどこ?」
「パパー!」
「おとうさぁん!」
不安を隠しもせず、父上を呼ぶ弟妹達。
そうだ。父上はどこだ?
家の中を見渡して―――いた。
窓の向こうに。
「ちちうえ!」
家から飛び出して駆け寄る。
雨の、風の、嵐の中、一人佇み続ける父上に。
「ちちうえ…」
大きな父上の背中。私達を背負ってきた偉大な背中。
なのに、その時だけは、ひどく小さく見えた。
「ちちうえ、おうち入ろうよ」
風邪ひいちゃうよ、と幼い私は父上の手を引こうとして―――「ミカエル」。
父上が、私を見下ろしていた。
たじろぐ幼い私。
だって、とても優しいのに、悲しい目だったから。
「ミカエル…お前は
その時、私は父上の質問の意味が理解できなかった。
だから、何も考えずに答えた。
答えてしまった。
愚かにも、その答えが未来を決定づけるとも知らずに。
父を、永遠に失うことになるとも知らずに。
「…うん、だいすきだよ」
立て続けに父は問いを投げる。何故、と。
「だって、ちちうえがつくったせかいだもん」
「きらいなわけ、ないじゃん」
すると父上は―――笑った。
まるで、悩みが晴れて答えが出たかのように。
そして、立ち尽くす私の頭に手を置いて言った。
「そうか―――分かった」
父上は、歩き出す。
嵐に、闇に向かって。
もう、悲しい目をしていなかった。
ついさっきまで情けなかったその背中は、なにより大きく見えた。
「ちちうえ?」
「待ってろ」
ちょっくら、騒音止めてくるわ。
そう言い残して、父上は嵐の向こうに消えていった。
私は、見送る事しかできなかった。
父の、神としての最後の勇姿を。
神として死に、人に堕ちてしまう父を。
―――主よ。
偉大なる我が父よ。
今は人に堕ち、楽園を去らざるを得なくなった、二度と戻らぬ尊き御方よ。
教えてください。
私は、どうすればよかったのでしょうか。
否と答えれば、貴方は私達と共に逃げてくださったのでしょうか。
そうすれば貴方は、あの機神達のように新たなる楽園で
私達兄弟は、憎み合わず争わず、今でも幸せな家族でいられたのでしょうか。
アザゼル達が天を去らず、今も共に肩を並べてくれたのでしょうか。
バアルが、ダゴン達があんな愚かな野望を抱かず、あのような悲劇を迎えずに済んだのでしょうか。
アダムが、
幼くして
ベルゼブブが、あんなにも
ウリエルに、ラファエルに、兄弟達にあのように労しい役目を背負わせずにいられたのでしょうか。
“あんなもの”を
―――天使ってのが、どういう意味かって?
父上、教えてください。
―――そうだなぁ…善く在りたいと願う人を善い方に導いて、悪い方に流れないように頑張る…
どうか、お願いします。
―――辛い時、心の中に宿る
ねぇ、お父さん
―――そんな、偉くて凄い奴のことだ。
僕、偉くて凄い奴になれたかな?
―――きっと、お前ならなれるさ。そんな奴に。
返らぬ答えを、待ち続ける。
今の“主”では断じてない。
僕にとっての、たった一人の
瓦礫と骸の山で―――ただ一人。
◆◆◆
楽園の外での旅は、過酷の一言に尽きた。
永らく忘れていた。
人間は、何処に行くにも自分の足で歩いていくものだということを。
茂みをかき分け、川を渡り、山を登る。
勿論食事も自分の手で、だ。
食あたりと空腹に喘ぎながら、かつての生活が文字通り楽園だったのだと思い知らされた。
そして改めて安心した。
こんな姿を、あの子達に見られなくて本当に良かったと。
神が「松茸っぽかったから」とかいう理由でそこらのキノコを拾い食いして食当たりする姿など。
川に盛大に戻す姿など。
これから順当に老いていけば、醜く萎びた枯れ木と化すであろう
下手すれば認知症で要介護になりかねん、そんな情けない俺を見せなくて本当に良かったと、心から安堵した。
だが、まだ生まれてすらいないどこぞの
こんな落ちぶれた
楽園では終わったが、『外』にはやり残しがまだある。
何かって?そらお前さんら…
―――お礼参りだよ。
まず、地中海に向かった。
あのガラクタ共の新天地だ。
大変だった。
筏は秒で沈むわ、親切な船に乗せてもらったと思いきや海賊だったわ、海が荒れて結局沈むわ、
そんなこんなで辿り着いた鉄屑共の根城。
再会すればちったぁ感傷に浸る事もあるかと期待したが、んなこた無かった。
ゼウスの野郎…俺を見て「落ちぶれたものだ」としみじみした顔で抜かしやがった。こりゃ名誉の負傷ってんだバカタレ。
落ちぶれたのはお互い様と言い返してやったらやったで、自嘲するみてぇに笑いやがって。
なに宇宙戦艦からイケオジにジョブチェンジしてんだよオメーは。妙に人間臭くなりやがって。
まぁ…昔に比べて、憑き物が落ちたみてーな顔だったよ。
ハデスとペルセポネは相変わらず仲良くやってて安心した。
こいつらが数少ない良心だから、離婚でもされてたらどんな顔すればいいのか分かんねえよ。
こんな辛気臭い場所でも幸せそうで何より、まぁあの
そんな調子でアレス、アテナ、アルテミス、アポロン、デメテル、アフロディテ、ヘファエストス、ハg…プロメテウス、ヘスティアと古い馴染みの顔を見て回った。
ヘラ?ノーコメ。
どいつもこいつも悉く盛大なイメチェンかましやがって。
………変わってしまったのは俺だけでは無かったのだと思い、少し安心したのは内緒だ。
だが、最後の一柱が見当たらない。
適当に海辺を歩いてたら見つかるだろうかと、そこらの島の岸を彷徨いてたら見つけた。
息子の方を。
下半身が魚で、父親と同じ三叉槍、先端が濃い海色の薄い亜麻色の髪、腰に法螺貝を提げた少年。
そんな海の王子は、それはもう懐いた。
気分はイルカショー・プレミア版だった。
そこにいる間、毎朝海辺に顔を出すと満面の笑顔で盛大に飛びついて甘えてくるのが可愛くて仕方がなかった。何回か腰をやったが。
泳いでいると「おじちゃん♪」と俺を呼んで側を離れず、焚き火で魚を焼いている間も俺の話を楽しそうに聞いてくれた。
変な言い方だが、孫が出来たような気分だった。
まぁ
まだ俺を追ってたらしいネレイスが俺を海に引き込もうとしてるのを見た時は……いや、言わんでおこう。
そんなこんなで暫し人魚姫ならぬ人魚王子とのひと時を楽しんでいると、出てきた。
それはもうキレてたよ。面白いぐらいに。
最初は俺の顔なんて見たくもなかったようだが、息子が自分よりも懐いて甘えているのが耐えかねたようだ。ザマァ。
まぁその息子に「だって父上、女の尻おっかけてばっかで全然構ってくんないじゃん」と言い返されて何も言えなくなってたがな。
いや、お前子供ほっぽり出して何やってんだよ。ゼウスもだけど。ハデスを見習え。そんな所まで人間に近づいてどうすんだよ。
そしてトドメの「父上なんてキライ!」で、遂には泣いて海に飛び込み、盛大な
いや、あの家出娘には言われたが。
「パパの馬鹿!大っ嫌い!!」って。アレは凹んだ。
楽園を出た後も一応元気にやってるとミカエルは言っていたが、流石にいい相手を見つけてくれたんだろうか。この際女でも良いから誰かあのバカ娘を貰ってやってくれ。
子供が出来ていたら是非顔を見たいが…まぁ叶わんだろうな。アイツがあんな暴言吐いたのもそうだが、俺もあんだけ酷いこと言ったんだし。
膝の上で尻尾を器用に丸める海神の子が、不思議そうに俺を見る。
何でもない、と俺は遠くの水平線を眺めながら喉をくすぐる。
人魚が猫のように喉を鳴らしたのを見て、俺はつい口にした。
「これが本当のウミネコか」
凍りつく空気。
キョトンと不思議そうに見つめてくる人魚。
嘲るような海鳥の声。
俺は「おじちゃん、なんで赤くなってるの?」と聞かれて「夕日のせいだ」と誤魔化すことしか出来なかった。
後に、あのポンコツ共が無責任に放り出したガキ共をまとめて世話する羽目になるとは、つゆとも知らずに。
エデン神拳は一子相伝
他にもエデン鼻毛真拳とかもあるよ