追記
生命の実のくだりで記述ミスの報告があったので修正しました。
あの嵐から帰ってきてから、お父さんはどんどん弱っていった。
空も飛べなくなったし、すぐ疲れて寝るようになって、ご飯も満足に食べられなくなった。
普段は平気そうにしてるけど、みんなが寝た後に傷から血を滲ませてとても痛そうに呻いていたのを見たことがある。
畑仕事をしている時なんて血を吐いて倒れてしまって、皆大慌てでお父さんを家に運び込んだ。
それでも、いつか良くなると思ってた。
お父さんは誰よりも凄くて強いんだから。
そんな時、何度目かに倒れて寝込んだお父さんが、ボク達にこう言った。
「お父さんは、もうじき神でなくなってしまう」
「そうなる前に人間を創り、お前達にお父さんの力を引き継がせておこうと思う」
本当は薄々と気づいていた。
けど、信じたくなかった。
お父さんが死んでしまうなんて、想像したくもなかった。
そして聞き捨てならなかった次の言葉。
人間。
あの外の世界に沢山いる動物。
昔、お父さんが外の世界を見せてくれた時に見たことがある。
外の世界の異教の
お父さんとよく喧嘩してる黒い奴なんかがその筆頭だ。
なにが神だ。
やっぱり外の奴らは偽物だ。
ボク達のお父さんは、そんなみっともない事なんて絶対しない。
そんな酷いことなんてするわけが無い。
誰かに犠牲となるよう苦しみを押し付けて成り立つような醜い世界なんて創ったりしないんだ。
だって、お父さんが創る
そして、人間なんて情けない生き物に頼る必要なんてないんだ。
中には、お父さんが一度だけ楽園に連れてきた、光る剣を持った金髪の女みたいに神にも負けないほど強くてすごい奴も要るみたいだけど、殆どは神に媚び諂って生きてる情けない奴らだ。
お父さんは唯一無二の、真の絶対神なんだ。
だから、そんなもの創らなくてもいいんだとお父さんに言った。
そんな奴らを創っても、外の世界みたいに碌でもない事になるだけだって何度も言い聞かせた。
でも、お父さんはそんな人間にしか出来ない事があるんだと言った。
人間に近づいた今だからこそ、それが分かると。
そうして創られた新たな弟妹。
泥にお父さんの血を混ぜて作られた最初の男と女。
そこからのお父さんの行動は早かった。
お父さんは、ボク達を置いて楽園の中心に歩いて行った。
どうするのか分からず戸惑っていたボク達に、「呼ぶまで絶対に近づくな」と強く言い聞かせて。
ボク達は、言われた通り大人しく待っていた。
でも、ボクはだんだんと嫌な胸騒ぎがして、兄弟達の目を盗んでこっそりお父さんの跡をつけていった。
楽園の中心、小高い丘にお父さんは座っていた。
そして、傷だらけでやや骨が浮いた上半身を露にすると、ナイフを取り出し────
───ナイフを自分の体に突き立てた。
ボクは、突然の惨状に血が凍るような感覚と共に固まった。
血がどんどん噴き出して、地面が赤く染まって行っても、お父さんはとても、とっても苦しそうにしながら、それでもナイフで体を抉るのをやめなかった。
ボクは怖くてどうしていいか分からず、何も言えず物陰から見ていることしか出来なかった。
やがて、お父さんは強引に切り開いた胸に手を突っ込み、二つの心臓のようなものを抉り出した。
力強く、離れていても感じ取れるほど激しく脈動するそれは強い光に包まれて2本の苗木になり、お父さんは血まみれの手で苗木を楽園の土に植えた。
すると、最初は苗木だったそれはすぐに雲より高く伸びて山のような大樹になった。
そこでお父さんに気づかれそうになって、ボクは逃げるように走り去った。
息を切らしながら、歯を食いしばって、熱い雫で頬を濡らし、鼻水を啜りながらかつての自分の言葉をこの上なく憎んだ。
何が犠牲を押し付けない世界だ。
何が美しくて幸せな世界だ。
ボクはバカだった。この上なく。
ボクは子供だった。救いようがなく。
外の世界の奴らと、何も違わないクソ野郎だったんだ。
なんで気づかなかったんだ。どうして疑わなかったんだ。
分かっていたじゃないか。
お父さんは一人で完璧な神なんだって。
ボク達は、余計なお荷物なんだって。
ボク達が居たから、お父さんは戦わざるを得なかった。苦しまざるを得なかった。犠牲にならざるを得なかった。
お父さんを犠牲にして、この楽園は成り立っていたんだ。
お父さんを一人苦しめて、ボク達はのうのうと幸せに暮らしていたんだ。
その事実から目を背け、無知な子供のままで甘んじていた結果が、この現状だったんだ。
ボクは、ボク達はずっと…
───ずっと、お父さんのあの笑顔に守られていたんだ。
やっと、そんな当たり前の事に、手遅れになった今になって気づいた。
やがて、集められた木の麓でお父さんに教えられた。
この木の実を食べると、かつてのお父さんに近い存在になれると。
でも食べられる実の数は限られてるから、みんなで話し合って、天使と悪魔の中の一部から食べる者を選ぶよう言われた。
天使からはミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル、アザゼル、サリエル、サマエル。
悪魔からは
それぞれ天使は七人、悪魔は六人与えられた実を口にした。
がむしゃらに齧り付いた。
果汁で顔をめちゃくちゃに汚しながら。
頬を伝う雫を隠す為に、一心不乱に。
そこからボク達は「成長」を始めた。
肉体的な意味ではなく、存在の格が向上し始めたのだ。
そして、次にもう一本の木の実を最も忌まわしい弟と妹に。
泥にお父さんの血と肉を混ぜて作られた
分かりきっていた事だ。
やはり人間など作るべきでなかった。
お父さんは人間に近づいたせいで、選択を間違ったんだ。
人間は底なしの馬鹿だ。欠陥品だ。
穴だらけの心は満たされることを知らず、何を与えられても満足せずに不平不満を吐くばかり。
あの売女はそれだけの幸福を与えられていながら満足することはなかった。
あまつさえ、お父さんの愛に溺れたバカ女は耳を疑う法外な要求を投げかけた。
「ねぇパパぁ。アタシ思うの、アダムなんかがアタシの妻なんて荷が重すぎるって」
「あの根性なしに人類の始祖なんて向いてないのよ、きっと」
「だからね、考えたの」
「アタシが、パパのお嫁さんになってあげればいいんだって!」
「そして、あんな出来損ないの
「だから…ね?パパ、認めてよ!パパにはアタシだけ居ればいいんだって」
「ルシファーもミカエルもアダムも、あんなゴミクズ共なんか必要ないって」
信じられない。
コイツ、何を言ってる?
何をどうしたら、こんな救いようのない生き物が生まれるんだ?
人間がどうしようもない生き物とは知っていたが、ここまでとは思い至らなかった。
案の定、あの名前を呼びたくもないバカ女はお父さんを怒らせて追放された。
発情期の猿の方がまだお淑やかに思えるほどみっともなく喚き散らして、泣き言恨み言を遺して闇夜の向こうに消えていった。
だがこんな事でボク達の怒りは止まらなかった。
あの売女だけではない、売女の暴挙を止めなかった臆病者も同罪だ。
お父さんに売女の夫としての役割を与えられたにも関わらず、それを果たせなかった泥クズ。
もう自分で人間を作る余力もないお父さんは、妥協して泥クズの肋から新たな妻を創ったが、果たしてその妻もまともになるかどうか。
だが今度の
腑が煮えくり返るとはこの事だ。
お父さんにあれだけ迷惑をかけておきながら。
文字通り血が滲むような苦労をかけて生み出され、何より期待されていたにも関わらず、それを無駄にしておきながら。
何も知らん顔で新たな妻とヘラヘラ能天気に楽園を我が物顔で歩き回る泥クズの姿に、殺意がとうとう臨界を超えた。
「に、兄さん…こんな所に呼び出してどうしたの?」
兄さん?
お前なんかがボクを兄さん?
ふざけるな。
「うわ!? に、兄さん…どうしてボクを殴るの?」
ふざけるな!
「痛い!痛いよ兄さん!やめて、やめてよぉ!」
お前さえ!
「いやだぁ!助けてお父さん!」
お前さえ、お前らさえ生まれてこなければ!!
「やめなさい!」
横槍を入れたのは、泥クズの肋から生まれたチビ。
誰よりも矮小でみっともなく、笑顔だけ立派なちんちくりん。
「これ以上アダムをいじめないで!」
小さな体で両手を精一杯広げて、泥クズを庇おうと立ちはだかる女。
無力な癖に、ボクを止めようと邪魔をする姿にますます腹が立った。
「キャア!?」
頭に血が上ったボクに、手を止める理由がなかった。
「─────やめろぉ!!」
そして地面に蹴り転がされたチビ女を目にした泥クズが目の色を変えた瞬間、視界が暗転した。
…………。
ようやく意識が定まると、自分が地面に横たわっている事に気づいた。
遅れて走る頬の激痛。視界の片隅で転がる折れた歯。口の中を満たす鉄臭い味。
倒れた自分を見下ろすのは、拳を握った泥クズ。
つい先程まで、瞳に満ちていた怯えは怒りに置き換わってボクを見下ろしていた。
殴られた、ボクが?
誰に?この泥クズに?
こいつに───負けた?
あの泣き虫アダムに?
「お前ら、何してる!」
騒ぎを聞きつけて、お父さんが駆けつけた。
見られてしまった。
よりにもよって、一番見られたくなかった人に。
「ルシファー!またアダムと喧嘩したのか!」
「違うのお父さん…私のせいで…私がアダムを守れなかったから…」
「イヴは下がっていなさい。 アダム、ルシファー!お前達はあれほど言ったのにまた…」
ボク達は向かい合わせにされ、互いに謝るよう言われた。
「さぁアダム、謝りなさい」
「う、うん…殴ってごめんなさい…」
お父さんは次にボクの方を向いて言った。
「ルシファーも、弟に謝るんだ」
肩に手を置いて、優しく言い聞かせるお父さん。
でもボクは肩に置かれた手の、以前とは比べ物にならない軽さに、刻み込まれた皺の深さを目にした瞬間、殴られた痛みも忘れるほど胸が苦しくなって…
「おいルシファー!どこに行くんだ! ルシ───ごぼっ」
「父さん!」
「お父さん!しっかりして!」
走った、手を振り払って。
制止の声にも耳を塞いで。
再び記憶が飛んで、自分を取り戻した頃には息を切らしながら森の奥の奥。小さな池の前に座り込んでいた。
徐に覗き込んだ水面。
未だかつて見た事がないほど、みっともない顔がそこにあった。
頬だけでなく顔のあちこちが青あざだらけで腫れ上がり、涙と鼻血混じりの鼻水で顔をめちゃくちゃに汚して、お父さんが作ってくれた理想の顔を台無しにしていた。
───どうして、こんな事になっちゃったんだろう。
あの忌々しい怪物のせい?
散々お父さんを笑った癖に、お父さんに救われた癖に、肝心な時に何もしなかったあの神を騙るゴミ共のせい?
あの
それとも…
「………………っっっ!」
土に指が食い込み、手が震える。
悔し涙が止まらず、情けない負け犬の顔が余計に醜く歪む。
「ちくしょう!」
水面を叩きつける。
映る顔がバラバラに飛び散り、無数の雫となって自分の顔を叩く。
「ちくしょう!!」
嫌いだ。みんな嫌いだ。
「ちくしょうっ!!」
外の世界の奴らも、人間も、他の兄弟達も。
「ちくしょう…」
そして何より───
こんな
創世コソコソ噂話
リリスは家出の際、自分をフッたパパへの当て付けに楽園から「あるもの」を持ち出しているよ。
それも、人理を揺るがすとんでもねぇ代物を。