六月七日、木曜日。この日、紅豆隊には学校を早退して防衛任務の出動要請が入っていた。
防衛任務と言っても常に気を張るような仕事でもない。あくまでゲートの警報装置に感があった際に間に合えばよいだけであり、シフト中にも多くの隊員はボーダー本部や支部の休憩室、警戒区域内の放棄された公園などでゆっくりとした時間を過ごしている。
「あら、エドとタケシじゃない。奇遇ね」
「……ヴィグナか」
ともするとトリオン兵が発生したあと、哨戒範囲が被る部隊は顔を合わせることがある。ちょうど今しがた、紅豆隊とエルリック隊が遭遇したように。
「もう知ってると思うけど、土曜はあたしらと対戦だから。首洗っときなさいよ」
そう言ってヴィグナは拳をすっと差し出す。エドも渋々拳をコツンと叩き返した。
エルリック隊の隊長にして背の低い金髪の少年エドワード・エルリックと、隊員である岩谷タケシはヴィグナのクラスメイトだ。
彼女らの通う『霞浜工業高等学校』は『霞浜市』に位置する工業高校である。大規模侵攻以前はは単なる一工業科しか持たない平凡な工業学校であったが、ボーダーの設立に伴って『トリガー工学科』を併設するようになった。トリガー工学科は一学年40人と狭い定員しか持たないが、そのかわり40名全員がボーダーの戦闘隊員であったりエンジニア・オペレーター志望の人員で占められていることに特徴がある。ヴィグナ、エドワード、タケシの三人はトリガー工学科1-Aに所属する4人のB級隊員のうちの三人であり、必然的に顔を合わせることも多かった。
ヴィグナから見ると、エドワードという男はどこか陰があり常に気を張りつめたような男だ。年上の女性を見ると目をハートマークに変えて媚びだす軟派なタケシとは対照的に思える。この二人がつるんで部隊を結成していることが不思議なくらいだった。
「まだ、シフトの時間はあるよな。少し話そうぜ」
そう言ってエドワードはさびれたベンチに腰を下ろす。チラと近くの屋根を見れば、エルリック隊の隊員であるハボックとホシノは屋根の上に立って後続のトリオン兵を警戒しているようだ。
ヴィグナもポーチから水筒を取り出して一息つくと、エルリックの横に座った。
◆
「俺はランク戦って制度が気に入ってない。なんで人間同士で戦うための練習をさせられてるんだ? 俺たちの敵はトリオン兵のはずだろ。ヴィグナ、考えたことはあるか?」
エドワードの話始めは出し抜けだった。ヴィグナはその言葉にハッとさせられる。思えば、なぜランク戦が人同士の部隊で行われているか考えたことなどなかったのだ。
「それは……訓練のためじゃない? トリオン兵だって日々進化してる。新型が出てくることだってある。新しいことに対応するために、適応力を磨くためとか――」
「そりゃ詭弁だな。適応力を磨くならほかに方法はあるだろ。ボーダーのシミュレーション室は万能だ。エンジニアならシミュレーションを使って独自に新型トリオン兵を作って戦闘訓練なんかしたりできそうなもんだ……」
エドワードの論理は筋立っていた。この場でふと考え付いたというより、前々から考えていたことなのだろう。だが、それだけに違和感がある。彼の言動にはなにかが潜んでいる。それは……焦燥? ヴィグナは訝しむ。
エドワードは息を吐きだしながら続ける。
「だからよ。ボーダーは俺たちに人と殺し合わせようとしてるんじゃないか? 例えば国の軍隊。ボーダーと国は相互不干渉って決まってるらしいが、そんな単純に行くもんかよ。でなくとも、ボーダー内での派閥闘争もある。オルガマリー司令と冬月副指令の派閥は仲が悪いし、旭川支部だってキナ臭い――」
「ちょ、ちょちょちょ! 待った待った。話が急に飛びすぎ! それに、えーと、エド。あんたの推測が仮に正しいとして、防衛任務中なんだからこの会話だって通信ログに残るのよ? それをあたしに伝えて何がしたいっての!」
ヴィグナは焦った。エドワードの物言いにはそれだけのトゲがある。それ以上に、エドワードという男らしからぬ言動だと思ったのだ。
エドワード・エルリックは相当理知的な人間だ。自制心があり、工学関連に関して絶妙なセンスと膨大な知識を持つ。当て推量や根拠のない陰謀論染みた論理をここまで並べ立てるような奴だとは思っていなかった。
ヴィグナは困ったように耳をそばだてていた耳郎とひとりに目線を送る。耳郎は即座にサッと目線を逸らした。
これに困ったのはひとりのほうだ。なにせ、彼女はなぜランク戦が対人間で行われているのかの理由を知っている。
――人型ネイバーの存在だ。
現在、B級には非公開の情報とされているが、トリオン兵を吐き出すゲートの向こう側には『ネイバーフッド』と呼ばれる異世界が広がっている。そこはトリガー文明を築いた人が暮らす別の世界であり、独自の言語や文化を持っている。
ボーダーの古参隊員であり、B級でありながら特例的に『セキュリティ・クリアランス*1』レベル4を持っている後藤ひとりはこの事実を知っている。一方でエドワードはそれを知らないのだ。
ランク戦とはトリオン兵に備えるためのものではない。人型ネイバーと戦う隊員を養成するための戦闘訓練なのである。
が、当然そのことをひとりは口にできない。セキュリティ・クリアランス違反の情報漏洩は厳罰の対象である。減給、反省文、加えて恐らくは記憶処理措置も取られるだろう。
なのでひとりは「あー」とか「うー」とか声にならない唸り声をあげて場を取り繕った。
「別に一緒くたになって上層部に抗議しようとかってんじゃないさ。俺の推論が間違ってるならそれでいい。ただ当たってるとしたら……って話だ。覚えといてくれ」
(それ多分間違ってますよ~なんて言えない……! というか普通に話したことのない男の人に物申すとかできない!)
ボーダー最初期の隊員であるひとりは、ボーダー上層部がどれだけ一枚岩で動いているかを知っている。今でこそ大組織としての体裁を取り繕いつつあるものの、初期は酷いものだった。
人手不足は深刻で、防衛任務のシフトはブラックそのもの。
ボーダー本部長であるキング・ブラッドレイや外務・営業部長の野原ひろしなどはほぼ毎日16時間体制でトリオン兵狩りに駆り出されていた。学生であるひとりでさえほぼ毎日学校を公休か早退して防衛任務詰めだったほどだ。
そんな側面を見てきたからこそ、今のボーダーに裏の意図などないのだとひとりは確信できた。
(あ~思い返してみるとあのころは学校行かずに済んで天国だったな~……トリオン兵が出てないときは待機室でじゃんじゃかギター練習してるだけでよかったし……)
状況がマシになったのは第三回入隊式前後だったか。オペレーターの大量雇用によって防衛任務の効率が向上し、少なくとも毎日防衛任務が入っているという事態は改善された。
昔懐かし。忙しすぎて辛かった気もするし、楽しかった気もする。少なくともお給金とランクポイントが湯水のごとくに入ってきたのは確かだ。ひとりのランクポイントが2万点台を優に越しているのは、あのときの防衛任務ラッシュによるところも大きい。
混乱して溶けたり昔を思い返して感慨深そうな百面相をしているひとりをエドは妖怪を見るかのような目で眺めると、缶コーヒーを飲み干して立ち去った。
エルリック隊の帰り際、周囲を警戒していたハボックとホシノが申し訳なさそうにヴィグナ達に頭を下げる。
「ごめんな~。うちの大将、最近なんかピリピリしててよぉ」
「うへ~。エド君、ヌドラークさんって人になんか吹き込まれたみたいなんだよね~。急に過激なことを口走るようになっちゃった。大規模侵攻からちょうど三年経つってのもあるかもだけど……」
ヴィグナはふと思い出す。そういえばエドワードは家族――弟をトリオン兵に連れ去られた側の人間だったか。ヴィグナなどは家族親族揃って無事だったものだからあまり思うところはないが、確かにここ数日のボーダーは少し緊張状態にあると感じていた。
あれから三年。節目とも言える年月だ。ボーダーの公式見解としてトリオン兵の正体はいまだ詳細不明とされており、連れ去られた人間の安否もまた同様である。
近々ゲートの向こう側の本格調査に乗り出すことが発表されたが、その進捗は芳しくない。エドワードのように焦る人間が出るのも仕方ないというものだろう、と結論した。
◆
午後、防衛任務を終えてラウンジでひとりと耳郎は花田と合っていた。トリガー構成の相談のためである。
「ヌドラークさん、ですか。すばらな方ですよ。シューターとしては御坂さんや麦野さんに近い機動型の方で……って、そんなことを聞きたいわけではないのですよね」
「まぁ、名前を聞いただけではあるんですけど」
雑談のさなか、先ほどホシノから聞いたヌドラークという隊員が話題に上がる。
「イブン=ヌドラークさん。あまりランク戦には積極的ではないのでランキングは低かったはずですが、彼女を一言で評するなら、ボーダーきっての政治屋、ですね」
「政治屋、ですか?」
花田は三つ指を立てた。
「わたしも第四期生なのであまり詳しくないのですが……ボーダーの前進機関から所属している正隊員で、影響力が強い方は三人いらっしゃいます。一人は跡部さん。彼の功績は言うまでもないですね。もう一人は結月ゆかりさん。彼女は今のオペレーターシステムを実質一人で整備した方です。そして最後がヌドラークさん。彼女は隊員の身分でありながら、ボーダー内というより外で動いていらっしゃることが多いそうで。外務・営業部にも籍を置いているそうですよ」
花田はずんと机から乗り出して、声を潜めて続けた。
「ここだけの話、彼女には気を付けたほうがよいでしょうね。先ほども言った通り、彼女は政治屋です。あまり藪を突くとアニムスフィア派と冬月派の派閥抗争に巻き込まれかねません。ヌドラークさん自身は派閥には中立らしいですが……というか、はて。こういうお話は古参である後藤さんのほうがお詳しいはずでは?」
「アッイエソノ……」
ひとりは泣いた。
「……? まあよいでしょう。では本題である耳郎さんのトリガー構成について見ていくとしましょうか」
本作の兄さんはアルフォンスを連れ去られてるのでやたらピリピリしてます。尋常でないくらいに精神にデバフ喰らってる状態。端的に言うとだら先時代のカカシ先生。
掘り下げは後々……