B級正隊員、後藤ひとり   作:加藤=アールパード・清正12世

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十六話 六月八日 開発室

 六月八日、金曜日。ボーダー本部、開発室。その数ある部屋のうち、学生エンジニアのたまり場になっている研究室。

「あ、ヴィグナちゃんだ~! 今日って実習なんだっけ?」

「マリア先輩! 今月から金曜のカリキュラムも実習になったんです。今日はプログラミングがメインですが……」

 ヴィグナの通う霞浜工業高等学校のトリガー工学科では、たびたび実習授業としてボーダー本部の開発室での授業が行われる。

 この日の授業はプログラミング。ボーダーのトリガーはコンピューター言語で運用するため、エンジニアを目指す者は必然的にプログラミング技術を習得することになる。開発室のPCを借りて、トリガーの中身をいじくりまわす授業である。

 

 ところで、ボーダーの開発室が担う分野は多岐に渡る。トリガーの開発・改良はもちろんのこと、トリオンエネルギー利用の研究やゲートの研究、さらにはボーダーの組織内の情報システムやITインフラ構築まで一挙に担う、何でも屋という表現がよく似合うごった煮な部署。それがボーダーの開発室なのである。

 開発室に所属するエンジニアたちはそれぞれ個々人の専門分野を持ち、たいてい個人単位で研究・開発に取り組んでいる。新規トリガー開発など複数人の協力が必要なプロジェクトに対してはその都度プロジェクトチームを組むという、よく言えば柔軟な、悪く言えば統率の取れていない混沌とした体制で回っていた。

 

「ヴィグナちゃん、そろそろ専門決めた?」

「そろそろって、まだ入学して三カ月経ってませんから……でもトリオン学よりはトリガー工学のほうが興味がありますね」

 ヴィグナのような工業高校生は開発室でトリオン学・トリガー工学の基礎を学びつつ、そのなかでもエンジニア志望の生徒は専門分野を見つけるよう指導される。彼らは高校を卒業すると『霞浜市立大学』の『理工学部トリガー工学学科』へ進学しつつ学生エンジニアとしてさらに勉強を続けるか、あるいは大学に進学せずそのまま開発室雇われのエンジニアとなる。

 ヴィグナ自身はエンジニアを強く志望しているわけではないが、ボーダー上層部はトリガー工学を修めた正隊員の育成も強く推し進めていた。そのテクノクラシー的な目標と開発室の現状は、ボーダーの前身機関――その母体が研究組織から始まったことと無関係ではないだろう。

「そういえば明日の試合、またウチの隊と紅豆隊の組み合わせだね! 次は負けないよ~?」

「ふふん、あたしたちも成長してますから。第一試合よりも強くなってますし、覚悟してください!」

 強気なヴィグナの言葉に、マリアは楽しそうに笑う。

 ニアール隊の隊長であるマリア・ニアールは霞浜大学の一年生であり、学生エンジニアの一人だ。専門分野は『トリオン効果の電磁気学拡張』。トリオンに様々な効果を持たせて、例えばトリオンを直接光らせて照明の代わりとしたり、電気に変換して電撃トリガーの開発・トリオン発電機の効率化などを行う分野である。

「あーあ、わたしも高校生のころはプログラミングの授業やったなぁ。また制服着たい~」

「いやいや、先輩もほんの三カ月前まで女子高生だったじゃないですか?」

「ふふ、大学生になれば気持ちがわかるよ」

 開発室のエンジニアたちは横のつながり以上に縦の繋がりが強い。特にボーダー設立後に新規隊員として入ってきたエンジニア志望者たちは、工業高校生とそのOB・OGとして頻繁にやり取りや勉学の指導、研究における協力などを行っていた。

 事実、例えばヴィグナがアタッカーの師として仰ぐグレイディーアとのコネクションは開発室で得たものだ。工業高校のトリガー工学科受験に合格したばかりの中学生時代のヴィグナは開発室に通いつめており、そこでグレイディーアと巡り合った。

 

「ニアールくん、少しいいかね」

 恰幅のよい、顎髭とサングラスが特徴的な壮年の男性が声をかけてくる。

「伊佐未博士! プロジェクトの話ですか? それならヴィグナちゃんには席を外してもらって――」

 男の名は伊佐未研作。トリオン学を専門とする博士であり、ことトリオンの活用においては冬月開発室長に次ぐ知識を持つ英才である。専門分野の関係上、研作はマリアの研究指導も行っている。

「いや、クリアランス・レベル3以上に触れるような内容ではない。ヴィグナくんは高校生の子だったかな? どうせなら後学のために聞いていきたまえ」

 ボーダーはその性質上機密情報を扱うことが多い。不用意な情報拡散を避けるため、例えばB級隊員以下にはネイバーフッドやそこに広がる惑星国家群、人型ネイバーについての情報が伏せられている。

 その情報管理システムはセキュリティ・クリアランスと呼ばれ、レベル0からレベル5にまで階級が分けられており、ヴィグナのような通常のB級隊員にはレベル2までの情報アクセス権限が与えられている。しかし開発室のエンジニアはその開発のために機密情報に触れる機会も多く、マリアの場合はB級隊員でありながらレベル3までのアクセス権限を持っていた。

 

「――ということなのだが。ヴィグナくんも意見はあるかな? 素人意見が意外な洞察をもたらすということもある。ぜひ発言してみてくれ」

 研作が俎上に挙げた話題はトリオンの熱力学的変換についてだ。それ即ち、トリオンをエネルギーとしてどう活用するかという命題である。

「はい! ええと……基本的なことになるのですが、熱力学的変換ということは、トリオンを熱に変えて蒸気タービンで発電するということでしょうか? 変換ロスを考えればトリオンを直接電気に変えたほうが効率が良さそうで……ああ、それでマリア先輩に意見を?」

「うむ。若いのに基本的なことがよくわかっとるな。付き纏うのは常に変換効率の問題だ。加えてトリオン効果の応用問題にもつながる……例えばだな。トリオンをいずれかの手段で電気に変換して照明を光らせるよりも、トリオン効果の応用として直接発光させたほうが現状として効率がよいのだ。かと言ってすべてをトリオン効果の応用で賄うのもいかん。必要なトリガーの数とそのコストが跳ね上がるからな。いいかね、ヴィグナくん。トリオン学の研究は理論ばかり先行させるのではなく、コストとの釣り合いを考えねばならんのだよ」

「……勉強になります!」

 それから研作とマリアは意見を戦わせた。ヴィグナもプログラミングの課題をよそに積極的に発言を伸ばす。そこには知的で創造的な空間が広がっていた。

 

 ◆

 

 議論が一つのコンセンサスを得ると、研作は満足そうに場を去っていく。マリアやニアールもその活発な議論に高揚を覚えていた。

「伊佐未博士の見識の深さには驚きました。あの議論についていくマリア先輩もすごいです、尊敬します!」

「ヴィグナちゃんも高1なのにあの内容を理解できるのはすごいよ。にしても伊佐未博士、あんなに優秀なのにチーフの役職貰えなくてもったいないよね~」

「……チーフエンジニアって定員があるんでしたっけ?」

「うん。今は五人だけ。ここだけの話、伊佐未博士がチーフに就けなかったのって冬月閥とアニムスフィア閥の派閥争いのせいらしいよ」

 声を潜めてこそこそ話の姿勢を取ったマリアに、ヴィグナは苦虫を噛んだような顔をした。派閥争い、ボーダー内政治。つい昨日にもエドワードからそんな話を聞いたばかりだ。開発室にもそうした事情が関わってくるとは思いもよらなかった。

 ヴィグナは内心微妙な気持ちであったが、野次馬根性というよりも今後ボーダーで活動していくうえで避けて通れないであろうことから、派閥争いの詳細をマリアに尋ねた。

「うーん、わたしも詳しくないけど。旧ボーダーから所属してる人たちの出身って大きく二つに別れるらしいの」

 一つはボーダー本部副指令兼開発室長である冬月コウゾウ、彼を中心としたとある大学の研究室――通称『冬月研』。もう一つは、前ボーダー本部司令であり、現ボーダー本部司令のオルガマリー・アニムスフィアの父でもあるマリスビリー・アニムスフィアが全国からスカウトして引き抜いてきた人材たち。旧ボーダーの人員の出身はこの二つに別れる。

 こと開発室に限って言えば、冬月研出身のエンジニアの多くはトリオン学の専門家であり、理論研究畑の人間が多い。一方でマリスビリーが集めてきた人材はトリオン学の応用であるトリガー工学に強い実学的な技術者が多い。このように単に出身の違いだけでなく、専門分野の分化によって二つの派閥が形成され、自然と反目し合うようになった。

 派閥闘争が決定的なものになったのは、ボーダー設立後の出世競争によるものである。元々マリスビリーが集めてきた人材は幹部候補としてスカウトされていたこともあり、アニムスフィア閥の多くは上層部や管理職に抜擢された。冬月閥らは当然そうした状況を冷遇と感じるようになる。事実として研作はトリオン学の先達にも関わらず、平研究員の地位に押し込められていた。

「……藪蛇ですね」

「だねー。ボーダー設立後に入ってきた学生はあんまり派閥争いに関わってないから、巻き込まれたくなかったら学生組で寄り集まったほうがいいかもね?」

「……勉強になります、色々と」

 ヴィグナは先ほどまでの興奮もどこへやら、げんなりした顔でプログラミングの課題に戻る。

 人が寄り集まった組織内で政治闘争が起きるのは避けえない。言葉の上では理解しつつも、ヴィグナはどうにも受け入れがたい気分に包まれていた。




ボーダーの話やるなら政治の話やらねぇとなぁ!? 本作はカラっとした雰囲気のランク戦とドッロドロなボーダー内政治の二重構造でお届けします。楽しいね。
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