2009年10月。大規模侵攻から五カ月余りが過ぎ、ボーダーの運営も軌道に乗り始めたころのこと。
先月にはようやく第一回目の入隊式が執り行われ、防衛任務も忙しさに落ち着きを見せ始めていた。
大規模侵攻とそれからの数か月は地獄の日々だった。本来は事務担当である外務・営業部の部長野原ひろしも、弧月とアステロイド片手に前線で切った張ったの繰り返しだ。
この日もひろしはトリオン兵狩りのために出動していた。とはいえ近頃は多くの学生隊員たちのサポートもあり警戒区域を縦横無尽に走り回る必要も減ってきているのが現状である。
核を切り刻まれたバムスターの残骸のうえに座り込み、ひろしは通信機能をオンにした。
「リンちゃん、聞こえる~?」
『主任――いえ、野原部長。誰がリンちゃんですか、誰が。どうなされましたか』
防衛部隊の指揮官をしている七神リンがぶっきらぼうに応える。結月ゆかりと東北きりたんが構想するオペレートシステムが未完成なこのころは、指揮を行う人員はほとんど一人で警戒区域全域の管理を担当しなければならなかった。リンの多忙さも推して知るべしというものである。
「
『現状のダメージではベイルアウトの危険がありますが』
「あ、そうなんだ。で、それがなにか問題?」
『……了解しました。後藤ひとりさん。お聞きの通りです。防衛任務を継続、地下道までのルートをレーダーに示します。敵トリオン兵指揮機を追撃してください』
『あひっ、あ、あっ……はい!』
ひろしは手慰みに旋空弧月で残骸をバラバラに切り刻む。
それにしても退屈が極まれる。あのルーキーが少しは見どころがあればいいのだが、と独り言ちた。
◆
野原ひろしは旧ボーダー――組織が人工結界研究所ゲヒルンを名乗っていた時代にマリスビリーにスカウトされて入所した人材の一人だ。経歴を買われてスカウトされたというのだが、彼の過去を知る者はマリスビリーを除いて一人もいない。同僚たちがそれとなく聞いてみても「悪の組織に所属してたのさ」とはぐらかされて終わるだろう。
性格は飄々としてお茶らけた言動をすることが多く、かといってムードメーカーというわけでもない。超然としたと言えば聞こえはいいが、実態は物事すべてに嘲笑的な男だった。その一方プライベートは四人家族の頼れる大黒柱であるらしく、ボーダー内では愛妻家としても知られる、撞着を孕んだ人間でもある。
オルガマリーが評して曰く「実態のつかめない雲のような男」とのことである。少なくとも仕事面では優秀で、外面を取り繕うだけの能もあるのは確かだった。
「戦闘狂というやつなのだろう。わたしにはサッパリ理解できんが。仕事はデキる奴だし、関心はないね」とは同僚の幹部、吉良吉影の評である。他の隊員たちが目の下に隈を作りながら防衛任務に出動するさなか一人だけ喜々として弧月を振り回し、空き時間には新入隊員たちを連れてシミュレーション室に籠っているのは幾度も目撃証言があがっている。
そんな彼の仕事は少々異色である。営業・外務部の主な役割はずばり「スポンサーから出資金を引っ張ってくること」に尽きるのだが、ひろしは部の仕事に留まらず防衛任務に出動することもあれば、エンジニア部に出向いてトリガーを弄ることもある。
部署を横断した彼の活躍を越権として煙たがるスタッフもいれば、その優秀さを慕うスタッフもいる。同じ幹部として慎ましく淡々と仕事をこなす吉良吉影に対して、良くも悪くも組織内での存在感が強いのが野原ひろしという男なのだった。
「あー、つまんない任務だった。またウーラシールとか大規模侵攻みたいなのがあればいいのによ」
「野原さん、学生に聞かれたらことですのでそういう発言は控えてください。それにウーラシールについては最高機密で――」
「ハイハイ、こりゃすいませんね、オルガマリー司令。サラリーマンなんでね、上にそういわれりゃ黙りますよ、ハイ」
茶化したような物言いに、オルガマリーは露骨に舌打ちする。生真面目で神経質なオルガマリーとひろしの相性の悪さは言うまでもない。
定例の幹部会議のなか、缶コーヒーを啜りながらひろしは物思いに耽る。思い出すのはネイバーフッド遠征での戦闘の数々。敵トリガーの情報がないなかでの非対称戦。不意のブラックトリガーとの交戦。
(ウーラシール防衛戦はテーマパークみたいだったぜ。それに比べて今は……テンション下がるなぁ)
市民はいまだ大規模侵攻の影におびえていて、志願した学生たちは防衛任務の使命に燃えている。ひろしもそうした正義感や使命感といったものを解さないわけではない。彼にしてみれば今のこの街の現状は「哀れ」の一言である。
己は確かにバトルジャンキーという部類の人間で、戦いを望んでいる。かといって本来戦いに関わるはずのない少年少女たちがボーダー隊員として動員されていることに、二児の父親として憂鬱を覚えないこともない。
ひとたび戦場に出れば自分は学生隊員たちに死んで来いと平然と命令できるだろうし、ネイバーフッドでの交戦では少年兵を殺したこともある。自分が矛盾を抱えている、とはひろしは考えない。ただ現実とは複雑なものであり、一貫した姿勢を取ることは難しいというに過ぎないのだ。一つの整合性のある答えや絶対の正義など存在しない。彼はそのように考える男である。
(やるべきこたぁ一つだ。しんのすけとひまわりがボーダーに志願できるような年齢になる前に、少しでもボーダーを安定させる。あいつらが戦わなくても済むような未来を作る。父ちゃん頑張っちゃうぞ~!)
「野原部長、あなた話を聞いてるのかしら!? 会議中よ!」
「あー、はいはい! もちろん聞いてましたよ司令! E計画の進捗は順調ですって! 安心してくださいよォ!」
◆
「リンちゃ~ん、悪いけどコーヒーおかわり頼める?」
「かまいませんよ。ブラットレイさん、鶴見支部長、お二人も?」
本部長であるキング・ブラットレイと旭川支部長である鶴見篤四郎は揃って頷く。
ひろしを含めた幹部三人はこの日、揃ってデスクに向かって缶詰状態であった。行っている作業は『防衛隊員の戦闘能力の数値化』の作業である。
入隊試験や戦闘訓練のログを参考に、隊員の能力を全八項目に分けてステータス化する。例えばノーマルトリガー最強の男と言われるブラッドレイのステータスはこのようなものだ。
| トリ | 攻撃 | 防援 | 機動 | 技術 | 射程 | 指揮 | 特戦 | 合計 |
| 6 | 16 | 9 | 9 | 9 | 2 | 8 | 2 | 61 |
こうした数値化によって隊員の管理を均質にし、将来的なボーダー運営の拡大に備える施策である。
「つってもこれ、数値化のマニュアルもっと厳密にしたほうがいいっすよねぇ本部長。俺ら三人じゃ回りませんよ~」
ひろしは軽口を叩くが、その指摘はもっともなものだ。現状で数値化の作業を行える人材は、実際に自分たちも戦闘能力があり幹部でもある三人しかいないのが実情だった。
「今後、学生隊員が育てば評価作業を任せることもできるでしょうな。特に跡部くんなどは旭川支部に引っこ抜きたいほどです」
「はっはっは。彼はやらんぞ、鶴見くん。彼は本部での幹部候補筆頭だからな。それにこの評価作業自体が幹部候補をあぶりだす仕組みの一環だ。どうだ、めぼしい隊員は見つかったか?」
コーヒーブレイクのかたわら、三人は雑談に興じる。
鶴見はノートパソコンをぐるりと回して名簿をピックアップした。
「エーリッヒ・レルゲンくん。ドイツ系の子ですな。戦闘試験での成績は低いですが、筆記試験の成績に光るものがある。高校から提出された内申評価と面接での受け答えを考慮するに、育てれば優秀な官僚になるでしょう。ぜひとも我が支部に欲しい!」
また鶴見支部長の人材収集癖が出たな、とブラッドレイは笑う。
「幹部候補ってわけじゃァないですがこのルーキー――後藤ちゃん。俺はこいつに注目しますね」
ほぉ、と二人から声が上がる。
「第一回目の入隊式からもう一月経ちますけど、シュータートリガー選んだ子で訓練隊員卒業した子、後藤ちゃんだけなんですよ。跡部も指導してないらしいですし、ほぼ独学で習熟したみたいです。いやァ、可能性のある子っているんすねぇ」
「それは優秀だ。教育制度の未整備は嘆かわしいですが、その子の訓練ログからノウハウを吸い上げてマニュアル化してしまえばいい。また忙しくなりますな」
ひろしは後藤ひとりの名簿をじっと見て思う。平和な日本で暮らしてきた子供たちが戦いの中でその才能を目覚めさせつつある。そうした人間の可能性というものを前に、ひろしは自制を強く保とうと努力している。
ブラッドレイも鶴見も偏った軍隊気質の人間で、子供が戦場に駆り出されることを憂慮するような価値観はあまり持っていない。オルガマリー本部司令は自分の仕事に手一杯で周りを見る余裕がない。冬月副指令は寡黙で、オルガマリーの方針に口出しする気がないようだ。吉良に至っては徹底的なノンポリで、まるで関心を持っていない。
ボーダー幹部陣のなかで子供たちに気を遣う余裕があるのは自分だけだろう。だからこそ憂鬱極まれる。
(俺は……戦場に出て、ギャハギャハ笑って、楽しけりゃそれでよかったはずなのになぁ。アイツと結婚して、ガキこさえて焼きが回っちまったってことかなぁ)
血のにおいのむせかえる戦場と、暖かい家庭。自分は今その二つに片足ずつを乗せてここにいる。
父親というのは、そういう役割なのだろう。ひろしはコーヒーを飲んでため息をついた。
本作の焼け野原ひろしの主要成分→サーシェス、主任(ACV)、木原クン。そして昼メシの流儀。
本作は基本的に原作キャラそのままのエッセンスで登場させてますが、この配役はいろいろ迷った結果、いろんなキャラを詰め込んで外面を野原ひろしさんにお任せすることにしました。やりたかったんです! 許して!