ボーダー開発室に所属する五人のチーフエンジニアの一人、テム・レイ。海外の血が多く混ざる霞浜市においても珍しい、米国系移民一世の男である。
そもそもボーダーが本拠を置く霞浜市はかつての幕末に外国人居留地が置かれたことで知られる街だ。その影響は現代においても色濃く、街行く人を見渡せば多様な肌の色が見られるだろうし、彼らの姓名にはいまだ祖国の言葉の風情が残っている。
だからこそテムが移民してきた1990年代、彼がこの街に渡って最初に抱いた印象は「外国人にとって住みやすい街だ」というものだった。移民の国と謡われたテムの祖国、アメリカ合衆国でもここまで血と肌と文化が入り乱れる街はない。成功した多文化主義とはこういうことを言うのだろうと感心した。
「冬月教授! ご無沙汰しております。こちらは息子のアムロです。ほら、挨拶しろ」
「あむろれいっ! 8歳ですっ!」
元気よく頭を下げる少年を、初老に差し掛かった冬月は優し気に受け止める。
工学の博士号を持ち、米国の大企業であるアナハイム・エレクトロニクスに勤めていた技術者であるテムだが、学生時代には京都大学への留学経験があった。冬月との縁はそのときにできたものである。彼もまたトリオン学とトリガー工学という未知のテクノロジーに惹かれた者の一人だ。
「よかったのかね? アナハイムの技術所長といえば高給取りじゃないか」
「いいんです、あんな金儲けばかりの企業なぞ。奨学金の契約のために在籍していただけですから。それより、わたしが不在だった間にトリガー工学はどれだけ進歩したのか!」
「あまり期待しないでくれよ、テムくん。研究者なぞいつの世も変わらん。結局は予算不足に次ぐ予算不足。研究は停滞しつつある」
「そのことなのですが、教授。アナハイムのころにできた伝手から提案を受けておりまして。アニムスフィア家についてはご存じでしょうか――」
テムは今でも思い返す。その選択が正しかったのか、間違いだったのか。
パトロンの支援と研究所の再編によって研究は飛躍的に進歩した。研究所はやがてボーダーとしてさらに再編成され、巨大な組織となり金と権力が集中した。
ネイバーフッドとの交戦、霞浜市民との軋轢、ボーダー内の派閥争い。トリオン学とトリガー工学の研究はあらゆる政治と無関係ではいられなくなった。
それは紛れもなくテムがもたらした選択による結果なのだから。
◆
時は流れ2012年。齢50に差し掛かろうとしていたテムも開発室のチーフ・エンジニアに昇進していた。
『彼が出世できたのは冬月とオルガマリーを繋いだ功績によるもの』、『冬月に引き上げてもらったにもかかわらずアニムスフィア閥の研究者とばかり交流を持つ裏切り者』。そのようにテムを詰る者も少なくない一方、テム自身は研究の世界に政治をもたらすなど唾棄すべきことだと吐き捨てる。
「テム先生のご功績はみんな知っていますよ。嫉妬してるんです」
「すまんな、こんな愚痴など……わたしも年老いたようだ」
憤るテムを宥めるように、同じチーフ・エンジニアであるフィオナ・イェルネフェルトは笑ってコーヒーを啜る。
事実、テムのボーダーへの貢献は多大なるものだった。その最大の成果は『ガンナートリガーの開発』。既存のシュータートリガーを改良し、銃器型の発射機構をトリオンによって生成、射撃を安定化させ、ボーダーの戦力を著しく引き上げることに資した。
他にも篠ノ之束がリーダーを務めた『シミュレーションルーム開発』プロジェクトにも参加し、赤城リツコが主導する『ボーダー内情シス構築』のプロジェクトにもメンバーとして名を連ねている。アナハイムで得た経験と膨大な工学及びコンピューター・プログラム関連の知識による活躍は、決して無視できる大きさではなくなっていた。
テムも一息ついてコーヒーブレイクを挟む。フィオナとの雑談で話題にあがったのはやはり研究の話題だ。
「それで、エルネスティくんのプロジェクトの進捗はどうだ。進展はあったか?」
「ブレイクスルーがあったみたいです。レポートも上がっていますから、確認されては?」
ほぉ、と声をあげて、テムは椅子を回してパソコンに向かう。確かに共有ツールに新たなレポートが上がっている。
テムはむさぼるようにレポートを読み進め始めた。
『トリオンの熱力学的変換の効率化』とタグ付けされた一連の研究。それは表向きはボーダー内の電力事情やエネルギー問題の解決、ひいては今後の商用化などの多岐に渡る目的の研究とされている。この研究にそうした側面があることは否定しない。だが、真の目的は別にあることをテムとフィオナは知っている。
――ミデン独自の遠征艇の開発。その動力炉の製造。
A級チームが創設され、防衛任務も安定化しつつある。遠征のための最低限の戦力はすでに揃った。ボーダー上層部はそう結論している。
小型無人遠征艇による航行実験はすでに成功をおさめ、データは集められつつある。必要なのは最後のピース。大型の遠征艇を長期間にわたって航行させられるだけの動力炉だ。
「フィオナくん、君はいま19歳だったか? このボーダーでは君よりも若い子らが戦っているが……ネイバーフッドではさらに一回り小さい子がゲリラ戦に出ているとも聞く。本当かね?」
「事実ですよ。ウーラシール遠征で、見てきましたから」
「嫌だねぇ……我々の研究が結実すれば、愚かな戦争もいずれ終わろう。トリガーとは悪魔的な技術だ、まったく……」
二人はため息をつく。トリガーによる戦争と少年兵。これらは決して切っても切り離せないものだ。
資源の制約とそれに伴う生存競争。これはミデンでもネイバーフッドでも等しく同様に起きていることだ。
しかしミデン――地球という膨大な土地に生きる人的資源と、トリガー文明の技術が協力すれば。人類は革新できるかもしれない。若き日のテムは京大冬月研のプレスリリースにその可能性を確かに垣間見た。
人は戦争という愚かな行為を捨て去り、新たな時代を享受する。その兆しは見えた。しかし入り口まで来ただけで、その扉をくぐったものは誰もいない。
本心を吐露してしまえば社会や人情などというものに感心はさほどないし、研究に打ち込んでいる時間が最も楽しいことは否定しない。とはいえ技術を志すものとして、自身の研究が人の役に立つのは喜ばしいことだ。テムはそう考える。
技術職に就いて数十年。それだけの時間があれば考え方も変わっていく。息子のアムロもいつのまにやら30代を目前にし、大人びてきた。時の流れとともに、テムは多くのことを見直す機会を得た。
若いころは人命や倫理すらも軽視し、トリガー研究を推し進めようと考えていたこともある。けれど、息子の成長を見て、チーフ・エンジニアとして多くの部下の人生に対する責任も抱え、ボーダーの活気ある学生たちの活動を見、テムは達観した考えを持つようになったと自負するに至る。
「これが歳をとる、ということかね……なんにしても、遠征艇の竣工は急がねばならんな」
憂鬱なことは多い。派閥闘争、研究の停滞、歳を重ねるごとに動くのが億劫になってくる老体、いまだに恋人の一人も作らない息子。
それでもテムが前向きでいられるのは、やはり彼が根っからの研究者気質であるからだろう。
テムの息子であるアムロ・レイ(29)はブラックトリガー使いのS級防衛隊員です。パラメーターはトータル140、ボーダー内最高数値。次点のブラックトリガー使いはトータル96なので差がエグいですね。